宝井其角は折鶴を折ったか?2018/04/15 22:00

江戸時代後期の考証随筆・『嬉遊笑覧』(1830、喜多村イン庭:インは竹かんむりに平均の均)には、折り紙に関することも書いてあるが、中にはこれは変だよねという話もある。何度か読んだ箇所なのだが、先日あらためて見て、以下の記述が気になった。この部分が詳しく話題になったことはないと思うので、考察を記しておく。

その記述とは、以下である。
『五元集拾遺』に、聖代を仰ける句とて、「鶴折りて日こそ多きに大晦日」といへり。春の設の提子など飾る料なるべし。
(『五元集拾遺』に、古きよき世に向けた句として、「鶴折りて日こそ多きに大晦日」とある。新春のしつらえの酒注ぎなどの飾りであろう)
『嬉遊笑覧』巻六の下)

『五元集』(1747)は、蕉門の高弟、宝井(榎本)其角(1661-1707)の句集である。『嬉遊笑覧』では、この句に関して、折鶴と雄蝶雌蝶のような飾りを結びつけているわけだ。しかし、これはいかにも強引で、よくわからない話である。

句自体、解釈が難しい。『嬉遊笑覧』の記述にあるように、この句には、「聖代」という題がついている。上古のことを指すのか、「聖代」と「鶴折りて」に引っ張られて、わたしの解釈は迷走した。
聖代
鶴折りて日こそ多きに大晦日

国文関係で困ったときは、岡村昌夫さん、ということで氏に確認してみた。すると、やはり『嬉遊笑覧』の解釈はこじつけだろうね、という話になった。

句意に関しては、以前、高木智さんが、「鶴折りて」は「鶴降りて」なのではないかと言っていましたね、という指摘もあった。たしかにそれならば、「鶴が舞い降りてきた。(一年は三百何十日あるのに)この大晦日に」という内容で、わかりやすい。「聖代」は、正月を前にして、単に、ありがたい平安な世の中ということと考えればよいのだろうと、納得した。

しかしである。『嬉遊笑覧』のみならず、引用元の『五元集拾遺』(1747)の原本をあたると、そこには、しっかり「鶴折りて」と「折」の字が書いてあるのだった。原本は、たとえば、早稲田大学のデジタルライブラリーにある。 『五元集』は、其角自撰の句集で、もとが仮名であっても、「降りて」は、「おりて」であり、「折りて」は「をりて」なので、間違う可能性は低いのではないかと思えた。

そこで、これは、「降りて」でもなく「折りて」でもなく、「居りて」なのではないかと考えた。「居りて」なら「をりて」なので、元が仮名で書いてあったのなら、「折りて」に誤りやすいのではないか。自撰といっても、其角没後40年経っての編纂であり、印刻までには何人もの手がはいっている。

つまりこれは、「鶴がいるよ。ちょうどこの大晦日に」という句なのではないか。舞い降りたのと似ているが、ふと見ると鶴がいたというのは、より現実的で自然な驚きがある。こう考えると、下の、其角の別の句にも通じる、情景が見える句となるように思えた。
日の春をさすがに鶴の歩み哉 其角
(春の陽射しの中、やっぱり鶴が(鶴らしくゆっくりと)歩いているねえ)

以上のような思いつきを、あらためて岡村さんに伝えると、「居る」はおもにひとに使われる語で、当時の仮名遣いも、国学の偉いさんを除けばけっこう自由ですよという指摘があった。また、「居りて」の可能性も高木さんが指摘していたとのことであった。

岡村さん、高木さん、折り紙研究の先達、瞻仰すべし。其角の仮名遣いが正しくても編者が間違えたということもありそうで、「降りて」にせよ「居りて」にせよ、この句は折鶴を表した句ではなく、誤って伝わったのではないか、というのは、かなりもっともらしく思えた。

其角は西鶴と交流があったという。西鶴の『好色一代男』中に、「折りすゑ」の「比翼の鳥」も出てくるので、其角も折鶴を折ることができた可能性もあるかもなあ、とも思うのだが、「鶴折りて」では、どうにも句柄がはっきりしない。

というわけで、わたしのとりあえずの結論は、「其角は折り鶴を折っていなさそう」である。仮説の二段重ねになるが、この解釈を正しいとすれば、1700年代半ばになると、「鶴をりて」(または「鶴おりて」)は、「鶴居りて」や「鶴降りて」よりも「鶴折りて」と解釈されやすいほどに、折鶴が普及していた、ということも言えそうだ。

そもそも江戸市中に鶴がいたのかという話だが、江戸には丹頂鶴もいたし、鴇(とき)もいた。たとえば、広重の『名所江戸百景』『蓑輪金杉三河しま』にも丹頂鶴が描かれている。鶴は、ありがたい瑞鳥でありながら、案外身近にいたのだ。現代になっても、長野県の野辺山の矢出原湿原には、昭和四十年代まで、毎年丹頂鶴の飛来があったという話もある(八ヶ岳 自然いっぱい情報誌 『だたら八つ』2010年秋冬号)。

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其角といえば、最近読んだミステリ小説『シャーロック・ホームズたちの新冒険』(田中啓文)の第二話は、正岡子規がホームズ役に、高浜虚子がワトソン役になって、芭蕉の死の真相を解明するという趣向で、其角の句も謎解きに関係している、面白い話だった。

昨日、某会議出席のついで、神保町に寄る時間があったので、4月10日にオープンした「神保町ブックセンター」をのぞいた。以前岩波ブックセンターがあったあとにできた、岩波の本を揃えた書店・喫茶である。岩波文庫の『嬉遊笑覧』に持ってない巻があったので、あれば買おうと思ったこともある。しかし、岩波の本を揃えているこの書店にも、それはなかった。まあ、出版社自体のサイトにも「品切れ」とあるのでしかたがない。というわけで、頭の中が岩波文庫の黄色背表紙の探索モードになったので、近くの古書店の安売りワゴンものぞいた。すると、『徘家奇人談 続徘家奇人談』(竹内玄玄一)というものがあったので、これを求めた。昨晩はそれをぱらぱら読んでいたのだが、これがかなり面白い。岡村不卜というひとの項にあった其角の以下の句は、ちょうど今の季節のものである。
桜ちる弥生五日は忘れまじ 其角

太陽暦にずらして四月にして、かつ現代語にして、「さくら散る4月5日を忘れない」とすると、俵万智さんの短歌というか、Jポップの趣きになる。

桜といえば、先週、山梨県北杜市大泉町の谷戸城跡の桜が満開だった。東京と標高が800mほど違うので、2週ほど遅れるのだ。
谷戸城址の富士と桜

桜の話になったところで、すばらしい現代俳句もふたつ紹介しておこう。
想像のつく夜桜を見に来たわ 池田澄子
花よ花よと老若男女歳をとる 池田澄子

後者は、『徘家奇人談 続徘家奇人談』にあった以下の句と並べても面白い。
死にさうな人ひとりなし花の山 祇徳

言うまでもなく、西行の歌をしたじきにしている。とは言いつつ、ここに詠まれたひとは、みんな死んでしまったのである。上の写真には富士も写っているが、『徘家奇人談 続徘家奇人談』にあった富士の句では、季が違うが、以下がすばらしい。
によつぽりと秋の空なる冨士の山 鬼貫
にょっぽり!

おしらせなど2018/04/16 21:39

4/22(日)13:00-15:00
府中郷土の森博物館のふるさと体験館
作品:鯉のぼり他
鯉のぼり

先日来、『嬉遊笑覧』(1830)を読んでいたのは、ふと、鯉のぼりの起源も気になったからであった。同書(持っている巻だけだが)には、「絵のぼり」、「風流(ふりゅう)」の記述はあったが、鯉のぼりに関しては記されていなかった。鯉のぼりは、広重の『名所江戸百景』(1856-1858)の『水道橋駿河台』に描かれているので、徳川時代からあったのはたしかだが、幕末になってからの流行のようだ。

鯉のぼりに関してもうひとつ気になるのは、「この下に子供がいます鯉のぼり」という句がよいなあと思った記憶があるのだけれど、誰の句かどこで読んだのかも思い出せず、ネットの検索にもかからないことである。

◆自己相似的国会議事堂
自己相似的国会議事堂
以前から、国会議事堂の中央の屋根が入れ子的構造的な造形だなあと思っていた。じっさいは、小さな塔のようなものが塔の上にあるだけだが、きっちり自己相似図形にしたものを描いてみた。

この相似形と無限小への収斂は、政府が国民の合わせ鏡であることを暗示するようにも、超国家主義における「中心からの価値の無限の流出」(丸山眞男)の象徴のようにも見える。...というのは、考えすぎである。

イベント紹介2018/04/22 08:18

◆姫路科学館の火星儀
火星儀(姫路科学館)
姫路科学館のスタッフが『折る幾何学』掲載の「地球儀」をもとに火星儀を製作しました。
GW中の4/28と5/6に来館者にむけてワークショップをするということです(詳細は未確認)。
今年は、夏から秋にかけて火星が大接近(最接近は7/31)します。

◆オープンアトリエ
オープン・アトリエ
5/1(火)から5/6(日)まで、山梨県北杜市大泉町にあるアトリエ(プライベート・ギャラリー)を公開します。
日程:5/1(火)- 5/6(日)
時刻:10:00 - 16:00
場所:山梨県北杜市大泉町西井出 ペンション・レキオの近く
お気軽にお立ち寄りください。

姫路科学館の「火星儀」工作の詳細2018/04/24 12:35

ひとつ前の記事に書いた姫路科学館のイベントの詳細です。
・場所:姫路科学館
・内容:折り紙技法による火星儀製作
・日程:4月28日、5月6日、それぞれ13:10と14:30の2回
・各回先着10名、開館時から先着順、参加費無料
・図版製作:安田岳志@姫路科学館、図版協力:前川淳
(なお、わたしは、残念ながら現地にはいません)

ひとつ前の記事の写真の火星儀は、NASAのバイキングのデータによるものだが、惑星気象科学の先駆者・宮本正太郎さん(1912-1992)による「宮本火星儀」を元にしたバージョンもある(写真下)。1964年のマリナー4号に始まる飛翔体観測より前の、地上という井戸の底からしか観測ができなかった時代のものだが、なんというか、とても「火星らしい」。極冠(北極と南極にある氷結した二酸化炭素と水)は地上からも白く見えるのにそう描いていないが、これは、季節変化があるためだろう。
火星儀(宮本正太郎版)

上の写真で、火星儀の下にあるのは、『宮本正太郎論文集』の『The Great Yellow Cloud and The Atmosphere of Mars』(1957)という論文である。1956年に発生した大黄雲(大規模な砂嵐)の観測を記したものだ。大黄雲は、地球から観測される火星全体がぼんやりとなってしまうほどの巨大な大気現象で、10-20年に1度ぐらいに起きている。前兆現象は捕えられるが、カオス的な現象なので、予測は困難だという。

朝ドラの話など2018/04/27 21:03

第十二話が、明日4月28日、22:45-23:00に放送される。
博士役の滝藤賢一さんは、朝ドラ『半分、青い。』にも出演中で、その宣伝もあってか、今朝のインタビュー番組にもでていた。その中に、自宅で折り紙を折るシーンがあったが、画面にちらっと映った図はわたしのものだった。滝藤さんは、作中で折るモデルをきちんとマスターする勉強家なのである。

◆朝ドラの話
その朝ドラの高校生の部屋に、大十二面体と小星型十二面体が置いてある。このモデル、色が同一面で同じになっている。よくできている。

大十二面体は12個の正五角形、小星型十二面体は12個の五芒星が、対称的に交差してできた多面体である。しかし、できあがったかたちは、60個の三角形の面が見え、交差した面はわかりにくい。面の交差という構造を示すためには、色分けを使うとよいのだ。
大十二面体と小星型十二面体

大十二面体のモデルは、拙著『折る幾何学』にも載っている。ただし、「大十二面体外殻」として、名前には「外殻」をつけた。これは、やはり、面の交差にはなっていないからである。内部の面はないのだ。ただ、やや変わった対称性を用いたので、面白いモデルになったと自負している。「『折る幾何学』型紙選集」にもはいっているので、パズルとしてどうぞ。

また、この朝ドラの主人公の少女は、片耳が聞こえない。じつは、親戚にも同じ障碍のひとがいる。視力低下によって幻覚が見えるシャルル・ボネ症候群というものがあるが、それの聴覚版の、聴覚性シャルル・ボネ症候群なるものもあって、幻聴として、音楽が聞こえたりもするらしい。親戚の女性も、小さいころ、いわゆる霊感が強いと言われていたという。なお、彼女は、長じて耳鼻科の医師になった。