◆笠原邦彦さんのブログ
笠原邦彦さんがブログを始められた。まだ一週間ぐらいなのに、充実した内容で、更新も早いので、感嘆しながら読んでいる。
「クニ オリガミ プラス」
先週の日曜日、山梨県笛吹市の藤垈(ふじぬた)に寄って、水芭蕉を見てきた。水芭蕉の苞(ほう:花びらみたいに見えるもの)は、通常ひとつなのだが、これがふたつになっている変異体があった。おっと思ったが、そんなに珍しい変異ではないらしい。長野県の白馬村落倉に多いので、オチクラミズバショウともいうのだそうだ。変異の確率は四つ葉のクローバーと同じぐらいのような気がするので、見つけたひとは幸運になるという話を広めてはどうだろうか。ちなみに、四つ葉のクローバーは1万分の1ぐらいの確率という。いっぽう、藤垈のこれは、約3000株の一例(しかも、つぶさに見たわけではない)なので、確率はなんとも言えないのだが。
◆新潟旅行
先週の土曜日、新潟に行って、いくつか建築などを見てきた。
・新発田カトリック教会(新潟県新発田市、アントニン・レイモンド設計)
折板構造建築の傑作・群馬音楽センターなどで知られる、アントニン・レイモンド(1888-1976)設計の教会である。木と煉瓦による構造もさることながら、切り紙の和紙を貼った「ステンドグラス」がなんともチャーミングだ。これは、アントニンの妻ノエミ・ペルネッサンのデザインらしい。
・蕗谷虹児記念館(新潟県新発田市、内井昭蔵設計)
同じく新発田市にある蕗谷虹児記念館のタイルもすばらしかった。縮小しながら中心に向かう正方形の列! 同館では「乙女たちの夢とあこがれ 蕗谷虹児・中原淳一・松本かつぢ展」が開催中(6/15まで)で、折り紙の絵もあるかも、とちょっと期待したのだが、蕗谷虹児の「てるてるぼうず」の画面の片隅に折り紙とハサミがあったぐらいだった。なお、松本かつぢの絵は、高野文子さんの『おともだち』など画風の元祖だった。
・新潟ふるさと村(新潟市西区)
多面体のドームとか、オクテットトラスとか、1970年の万国博覧会を思い出した。万国博覧会、行ってないけれど。
・信濃川大橋近くの電波塔(新潟市西区)
アンテナ塔から変なものがたくさん突き出していた。鳥除けだろうなと思いながらも確信は持てなかったのだが、その後、アンテナの専門家に写真を見せて、鳥除けで間違いないね、という見解を得た。
◆詰将棋
文庫で再刊された、詰将棋が題材の竹本健治さんの
『将棋殺人事件』を読んでいて、以前、詰将棋の話を書いたことを思いだした。1994年、『折紙探偵団新聞』に書いたエッセイで、以下は、その冒頭部分の引用である。
「手順の構成美」「配置の簡潔美・自然美・象形美」「パズル性を含んだ難解巧妙な作品」「趣向の持つ叙情や浪曼性」「数学的才能と芸術的才能」「誰もが手を出してみたくなる」「クラシック作品」「無駄を省く、不純を省く、簡素化する」「好ましい意外性と驚き」「すでに完成された作品に関する知識」…
以上は、コンピュータ雑誌「bit 」92年10月号に載った「詰将棋・詰チェスにみる知的作品の美」(井尻雄士氏)からの引用である。コンピュータ雑誌に載った以上、システム設計やプログラム作成に関連づけた話なのだが、ご覧のように「我々」にもけっして無縁の話ではない。本格ミステリ作家、ゲームデザイナー等々、この文章に首肯する向きは多々あろうが、「我々」以上にピッタリくるのは「詰将棋・詰チェス」を除けば、たぶん「詰碁」ぐらいなものだろう、と詰まらない冗談が言いたくなるほど、ここで述べられているのは「我々」のことだ。
(『折紙博物誌』(第一部)より)
◆伝統と言うけれど
折り紙や和算が、日本の伝統と文化のなんとかというネタにされても、うれしくないというか、警戒するというか、煩わしく感じる。なんてことを考えたのは、最近、「伝統」の記号として引っ張り出された和菓子屋さんの心中を忖度したためである。(「忖度」の正しい用例)
知性の自律的な活動なしには、新しい伝統となるべき文化の創造はもとより、旧い伝統が文化として存在するということも考えられないであろう。
(『哲学ノート』1941、三木清)
三木清は、1945年6月、政治犯を匿ったとして治安維持法で拘留され、終戦後の9月26日、劣悪な衛生環境の刑務所で46歳で獄死したひとである。
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