「ほんとうに人間はいいものかしら」 ― 2010/06/06 17:04
『手袋を買いに』(新実南吉)は、ほのぼのしつつ、深みもあり、映像を喚起させる描写もすばらしい作品だ。同じ新実さんの『ごんぎつね』は可哀想すぎる。
「母ちゃん、人間ってちっとも恐かないや」もっとほかのシーンも描いてみたい気がしてきた。この切り絵も、改めて見ると、どういう意図だったか忘れたけれど、前脚のポーズなどを変えたほうがよいかもしれない。
「どうして」
「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖い手袋くれたもの」 と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。
お母さん狐は、「まあ!」とあきれましたが、
「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」
とつぶやきました。
調布の喫茶店 ― 2010/06/06 17:45
さて、調布の喫茶店ということだが、水木さんのアシスタントをしていたことのあるつげ義春さんが、こんなことを書いている。ドラマの設定より数年後のことになる。
そんなある日、同じ町に住む同業の水木しげるさんの家でコーヒーを飲んだ。インスタントでない本物のコーヒーが出されたので、何処で豆を買っているのか訊ねたら、「クロ」という喫茶店からだということだった。クロという店は私はまだ知らなかったので場所を尋ねたら、駅前の商店街だと云う。私はおかしいと思った。駅前の通りは一本しかなく、毎日のように通っているのでよく知っているが、喫茶店は無い筈である。
普通喫茶店は雰囲気を大切にするのにこの店は生活がまる出しであった。入口の正面の位置には障子のはまった四畳半の茶の間があり、卓袱台があるからオバさんはそこで食事をしていたのだろう。土間には下駄や草履が散乱していた。(『クロという喫茶店』:『苦節十年記/旅籠の思い出』所収)
私は落着かなかった。あまりの異色さに戸惑い早々に店を出た。いくら古いものが好きとはいえ、ちょっと意外性が強すぎた。けれど、いまどきこんな店はめったにあるものではないから、案外貴重な存在かもしれないとも思えた。あとで分ったことだが、クロという店の名前は薄黒く汚いので、水木さんが勝手にクロと呼んでいたのだった。本当の店名は分らなかった。
つげさんと『ガロ』の編集者だったライター・高野慎三さんの対談によると、クロは、味噌汁でもでてきそうな店とも言われている。同対談によると、調布で最初の本格的な喫茶店は、これもいまはもうないけれど、60年代半ば、調布銀座のパチンコ屋の二階にできた「京王」という店らしい。(『つげ義春を旅する』(高野慎三著))
電通大が調布に越してきて数年経ち、学生街的要素もでてきた頃のはずなのに、40数年前の調布は、そんなだったらしい。ちなみに、この調布銀座(ゆうゆうロード)が、ドラマの「すずらん商店街」のモデルだろう。ここは、いまでも昭和の風情を残しているが、先日、60年営業していた化粧品店が店じまいという張り紙を出していて、時代の流れを感じた。
調布は近代化し、駅前にPARCOまであるが、歩いてみれば、まだ古いところも残っていて、散歩者にとっては、散歩のしがいがある町だ。深大寺などの観光地もよいが、変哲のない路地や住宅街もよい。路地の曲がり具合など当時のままだ。自治会の掲示板に貼られた『ゲゲゲの女房』のポスターも、どこか、古い映画のポスターのようだった。
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