最終変化の兆候 ― 2015/11/04 21:03
折り紙が苦手な堀辰雄 ― 2015/11/04 21:12
『幼年時代』という自伝的エッセイの中に、小学校時代に算術が得意だったという話はあった。そして、そこには、図工が苦手だということも記され、初めて幼稚園に行ったときの、以下のような想い出の記述もあった。これは、折り紙関係者として微苦笑した。
午後からは折り紙のお稽古があった。例の少女のところでは、小間使いが一緒になって、大きな鶴をいく羽もいく羽も折っていた。私には折り紙なんぞはいくらやっても出来そうもないので、おばあさんにみんな代りに折って貰いながら、私は何かをじっと怺(こら)えているような様子をして、自分の机の上ばかり見つめていた。
堀辰雄と堀越二郎をひとりの人物として描いた宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』の影響で、辰雄にも、いわゆる理系男子のイメージがついたところがある。これには、辰雄の年少の友人で、『菜穂子』に登場する明のモデルとなった、建築専攻の詩人・立原道造のイメージも混淆しているので、すこしややこしい。いっぽうで、辰雄が現実に理系男子でもあったことが、あながち見当違いではないのも、事実の奇なるところである。ただし、映画で「きれいな線を引く」と言われていた二郎とは違って、図工が苦手だという実際の辰雄は、絵に関しては、観るのが専門だったと思われる。むしろそれゆえに、絵を描く女性(矢野綾子)に惹かれたということかもしれない。『幼年時代』にでてきた、折鶴を折るツンとすました少女は、『美しい村』の「彼女」こと矢野綾子に、どこか重なるところもある。
堀辰雄と宮崎駿さんと言えば、辰雄に『羽ばたき Ein Marchen』という、妙にジブリっぽい話があるのにも驚いた。千羽の鳩が棲む高い塔のある町の話で、登場する少年の名前はジジとキキという。宮崎さんは読んだと思うが、これに言及したという話は、寡聞ながら知らない。ちなみに、Marchenのaにはウムラウトがつくはずである。
連続する折り紙イベント ― 2015/11/09 21:08
一枚折り立方体など ― 2015/11/16 22:19
七角形状のつまみ ― 2015/11/18 22:12
七角形状のつまみは、ひとむかし前の電気装置によくあった。写真右は、野辺山45m電波望遠鏡の、約10年前に引退した操作卓のものである。
現行の45m電波望遠鏡の操作卓は、計算機ディスプレイ上のソフトウェアである。わたしが作製したもので、つくるさいに、オリジナル操作卓の七角形のつまみを模したものをつけるかどうかで悩んだ。けっきょく、このつまみの持つ機能自体がほとんど不要になっていたこともあってやめた。
そもそも、マウスやタッチパネルで、軸が垂直の回転ダイヤルを操作させる感覚を与えるのは難しい。というより、ほとんど意味がない。回転ダイヤルは、そうでなければならない必然性があるものは多くなく、「スライダー」で代替できるものがほとんどだ。
基本的なGUI(グラフィカルユーザインタフェース)のウィジェット(部品)に、回転ダイヤルがないのは、理由がある。GUIと対応するSUI(Solid User Interface)という概念がある。物理的なスイッチやダイヤルのことだ。軸が垂直の回転ダイヤルは、そのような機械的インターフェイスの典型なのである。
『草稿1914-1916』 ― 2015/11/18 22:20
祈りとはなにか。わたしは、何に対して祈ったのか、ということを考え、書棚から、ウィトゲンシュタインの本を引っ張り出した。昔読んで、強く印象に残っていた言葉があったのだ。若きウィトゲンシュタインが、第一次世界大戦に従軍しながら書いた、いわゆる『草稿1914-1916』の中の言葉である。(以下、『ウィトゲンシュタインの生涯と哲学』(黒崎宏)内の部分訳から引用)
一九一六年六月一一日略した部分には「神」がでてくるが、それをあえて略し、ひとと世界との関係というのは、たしかに、こういうものかもしれないと考える。祈りは、無力であることの深い自覚であり、その自覚と同時に、逆説的に世界に意味が生まれるかもしれない、というふうに。
(略)
祈りとは人生の意味についての思いである。
私はこの世界の出来事を私の意志通りに支配することは出来ない。私は全く無力である。
ただ私は、出来事への影響力を断念する事によって、この世界から独立させることが出来 --そしてそうすることによって、それでも或る意味ではこの世界を支配することが出来るのである。
そして、かつてのわたしによる付箋があったのは、この言葉の部分ではなく、以下の記述のあるページだった。
一九一六年一〇月二〇日
(略)
芸術的な驚きとは、この世界が存在するということ、存在するものが存在するということ、である。 この世界を幸福な眼で見るということ、これが芸術的なものの見方の本質である。人生は厳しく、芸術はたのしい。
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