『数学短歌の時間』など2018/07/25 23:32

『数学セミナー』『数学短歌の時間』(永田紅さん、横山明日希さん)に、数学短歌の投稿を続けている。俳句や短歌は(ひとのものを)読むのは好きなのだが、つくることはほとんどなかった。しかし、数学+短歌(というよりも、数学∩短歌だろうか)というきわめてニッチな企画なので、誘われている(じっさい、誘われた)、出番かもしれない、と一歩踏み出た格好である。折り紙もそうなのだが、制約のある中でものをつくるのが好きなのかもしれない。

先ごろでた8月号では、「題:帰納法」で二首とってもらった。その一つが以下である。

「一つ落ちて二つ落たる椿哉」子規のこの句は帰納法かな

これは、以前このブログに書いた子規の句の感想を、そのまま歌にしたものだ。終助詞の「かな」は詠嘆というより疑問である。

このブログでは、なんどか子規先生に言及している(これとかこれとかこれなど)。読み返すことも多く、親しみが強くなり、「キョッキョッ キョキョキョキョ」とホトトギスの声が聞こえると「あ、正岡さん」と言っている。アカゲラが木を叩く音がすると、「あ、石川さん」ともらすのも習慣となっている。天文台の仕事で来ている高原では、彼らの「声」がよく聞こえるのだ。

投稿の筆名は、「紙鶴翁」という、急いでつけたものなのだが、これにもたまたま鳥の名がはいっていた。しかし、正岡さんと石川さんの顰みにならって、鳥の名そのものにし、五十の手習いなので前川五十雀(ゴジュウカラ)にすればよかったとも思う。前川信天翁(アホウドリ)というのも捨てがたい。上の筆名にもつけたように、充分「翁」なのである。それに、「天を信じる老人」って、格好いいじゃないか、アホウドリ。

翁といえば、自分で言うことでもないが、なんとまあ、数年前、「生きる伝説」扱いされることがあって、それだと格好よすぎるので、自らを「生きている化石」に例えるとなにがよいだろうかと考えたことがある。ゴキブリはやっぱり却下で、シーラカンスもぴんとこない。カモノハシとライチョウが有力候補だったが、オキナエビスがよいという結論となった。カンブリア紀から似た種がいた「翁恵比寿」の名を持つ貝である。4円切手にも描かれていた。この名で進化系統的に古参というのもぴったりで、貝世界の老賢人の風格の貝である。以後、職場のディスプレイの上には、そのフィギュアをつけている。
オキナエビス

とまあ、話がそれまくっているが、『数学セミナー』のこの連載は、驚いたことに文芸誌にも取りげられた。『文藝』2018年秋号、山本貴光さんの文芸時評である。引用されたのは、わたしの下記の歌(題:ベクトル)であった。

壁にある時計の針のベクトルはゼロにはならず我を追い立つ

文芸←→数学という軸で数学よりなので、典型としてとられたのであろうと推測した。蛇足ながら解説すると、文字盤にゼロがないからゼロにはならないという意味ではない。そうとってもよいのだが、分針と時針をベクトルに見立て、それらの和は、反対方向に一直線になっても長さの違いでゼロベクトルにはならない、という理屈である。秒針までいれてどういう周期でゼロベクトルが生じるかを考えると、それはそれでパズルとなる。というわけで、完全に考え落ちなのである。子規先生に「もし感情を本(もと)とせずして理窟を本としたる者あらばそれは歌にても文学にてもあるまじく候」(『歌よみに与ふる書』)と言われそうだ。むろん、わたし自身は面白いと思ってつくったのだが、一般性がない自覚もある。

いっぽう、前回とってもらった、以下の歌(題:ピタゴラス)は、やや無理して若い気分で詠んだが、できたときに、広くひとにも伝わるんじゃないかとうれしくなり、とってもらい、その後、わるくないという感想も漏れ聞いて、さらにうれしくなったものである。

万物は数と言うのかピタゴラス風も夜空も我も彼女も

まあしかし、これもまた理が勝った歌だ。ピタゴラスでは、次の折句もつくったが、こちらは、読み返すと、伝わらない歌の典型である。

ピアニズム高き音(ね)低き音轟たる音籟(らい)たる音にも数式ひそめる

ピアノの一般的な調律がピタゴラス音階ではなく平均律であることを隠し味にして、句の頭をとるとピタゴラスになるというもので、考えすぎである。「むやみに縁語を入れたがる歌よみは、むやみに地口駄洒落を並べたがる半可通と同じく、御当人は大得意なれども側より見れば品の悪き事夥候」(『歌よみに与ふる書』)である。しかし、わたしは、こういうのが好きなのだ。「りっぽウオ体」(『折る幾何学』所収)などの折り紙作品の題名からも知れるように、ダジャレおじさんなのである。御当人は大得意なのである。

さて。いま『知の果てへの旅』マーカス・デュ・ソートイ、冨永星訳)という本をちびちび読んでいる。その裏表紙に紹介文を寄せているのが、上の時評を書いた山本貴光さんであることに気づいた。文芸誌の時評で『数学セミナー』を取り上げるのだから、変化球の使い手であるのはわかっていたが、なるほど、いわゆる文理越境のひとなのかと納得した。そもそもデュ・ソートイさんの一連の本はポピュラーサイエンスなので、文芸の叢書である新潮クレストブックスから出ているのもすこし不思議である。

と、さらに話がそれていったが、もとに戻すと、数学短歌は面白い。数学も短歌も、わたしなどより、若いひとにこそ向いている。われはと思うひとは、どんどん投稿しましょう。

短歌と算学(和算)はもともと縁が深かったので、この企画は温故知新とも言える。たとえば、和算史研究の先駆である三上義夫氏(1875-1950)の『文化史上より見たる日本の数学』(1922)には、「和算と和歌」という一節がある。

和算は趣味の問題たるにおいて和歌と同じい。日本人は元来趣味に生くるものである。(略)この趣味の国において初めて和歌があんなに発達し得た。そうしてそこに和算が発達した。和算は全く和歌も同様な精神でできている。歌を詠むからといって、人にあまり尊ばれるわけでもないが、和算も同様にこれに通ずればとて、さまで尊ばれたのでない。(略)これらの人達について考うるに年少の頃に数学を修め、壮年時代に数学に苦心したのと全く同じ心持ちで俳句を作ったらしい。萩原禎助翁から現に聞いたことであるが、数学も俳句も別に変わったことはない、面白いことは同じだといわれたことがある。

「日本人は元来趣味に生くるもの」かどうかはわからないが、数学も俳句も、役には立たねえんだ、そんなに褒められることもねえんだ、面白いからやってたんだ、という感じはすばらしい。萩原禎助翁(1828−1909、算学者、わたしも会えれば聞いてみたいことがあるひとだ)に関しては、『芸術と数学及び科学』(1929))に、「最も緻密な数学の研究家であり、風流気などありそうもない人であったけれど、それでも俳諧は盛んにやったものであった」と書かれている。

わたしも4年ほど前、折り紙に関係する和算の資料調査のため、幕末の算学者・佐久間庸件の旧居を訪ねてご子孫に話をうかがったさい、上記のことを実感する資料を見たことがある。庸件と彼と交流のあったひとたちの書いた、たくさんの句や歌の短冊を見せていただいたのだ。子孫の佐久間求さんは、「和算の資料はほとんど山形大学に寄付したのだが、短冊は、そのまま遺っている。なかなか読むのも難しい。だれか、これを整理してくれるひとはいないだろうか」と話していた。

なお、問題の解きかたを七五調で歌う『因帰算歌』(1640 、今村知商)などを除き、数学そのものを詠む短歌や俳句はそう多くない。現代の数学短歌は、それをなす試みかと思うと、また興味深いが、まあ、重要なのは、「面白いことは同じだ」の精神だ。

多くの歌や句や命題や解法は、歴史の中に消えてゆく。それはそういうものなのだろう。ただ、ここにひとつ、佐久間庸件が幕末に訪れた下総國関宿蓮華院の住職(?)の句をあげておく。読むひとがいたとき、言葉はよみがえる。それが、わたしであっても。この短冊に注目したのは、南関東ゆかりで、短冊に折鶴の意匠があったというだけのことである(写真右から二番目)。句自体もふつうだろう。しかし、読む(翻字には岡村昌夫さんの力を借りた)と、この句は、わたしの中に刻まれた。
佐久間庸件の短冊

池水の見へぬほど散る木の葉かな

伊藤左千夫の「池水は濁りににごり藤波の影もうつらず雨降りしきる」を連想し、エッシャーの、たくさんの落ち葉が浮いた水面を描く版画「三つの世界」を連想し、とてもよい句に思えてきたのだ。

『曲線折り紙デザイン』(三谷純)など2018/07/16 08:27

7月24日(7月20日から訂正)発売の、三谷純さんの新刊・『曲線折り紙デザイン』。帯の推薦文を書いた。
『曲線折り紙デザイン』(三谷純)

曲線折り紙の初めてにして決定版の指南書!
数学に裏づけされながらも、アイデアと手を動かすことがものをいう、自由で豊かな造形世界。本書を手に取れば、魅力あふれる曲線折り紙を、豊富な作例とステップ・バイ・ステップの解説で、存分に楽しめます。類書のない画期的な本です。(折り紙作家・前川淳)

◆アトラスオオカブト
アトラスオオカブト
ここでは、案内しなかったけれど、地元でアトラスオオカブトの講習をした。

話題の落ち穂拾い - 半年間の写真から2018/06/30 09:20

今年も半分終わりだ。諸々のことが滞り気味だが、なんとかかんとか...という感じである。
一月末に父が他界してからも、五ヶ月以上が過ぎた。日々は過ぎていく。

知り合いの某氏のように、月に何百葉も写真を撮ったりはしないが、それでも、この間に百枚ほど撮った。何点か紹介したい。

◆1月某日:昭和はじめの七夕(?)の写真
昭和はじめの七夕(?)
父の遺品から複写したものである。左から二番目が父だ。祖父が笹竹を持っているので、たぶん七夕祭りなのだろう。祭りのための正装か、子供達が白丁と立烏帽子で、祖父も着物なので、みごとなセピア色と相まって、幕末の古写真ですと言っても通じそうだ。笹竹にさげられたものをよく見ると、みな熨斗がついていて、短冊というよりポチ袋の類かもしれない。1930年代の長崎県佐世保の七夕は、いったいどういうイベントだったのだろう。父に聞いておけばよかった。

◆1月某日:供物の砂糖
供物の砂糖
葬式の供物の砂糖が、一、三、五、七になっていた。葬式では、いろいろなものの数を奇数にすることになっているらしいが、陰陽道的には、奇数は陽数でおめでたい数として扱われるはずである。葬式における奇数尊重は、いつごろからの習俗で、どのように定着してきたことなのだろうか。

◆2月某日:カラスは黒い
札幌のカラス
札幌でもカラスは白くなかった。インダストリアル・メラニズム(工業黒化)的な「スノーフィールド・アルビニズム」(?)が観察されなかったことを示す写真である。

イギリスの工業地帯周辺の蛾が黒くなったインダストリアル・メラニズムに関しては、昔、生物学の講義で、「煤煙そのものによって環境が黒くなったと思っているひとが多いが、大気汚染で樹皮上の地衣類などが減少して樹肌が黒くなって、黒い個体が鳥に捕食されにくくなったという説だから、勘違いしないように」と聞いて、「そりゃそうだ、環境が真っ黒くなるほど汚染していたら、蛾でも鳥でもひとでも生存が難しい」と納得した。地衣類は、大気汚染に敏感で、環境指標生物とも言われるらしい。

◆2月某日:ダ・ヴィンチのパラシュート
紙飛行機(新千歳空港)
ダ・ヴィンチのパラシュート(新千歳空港)
新千歳空港に、折り紙飛行機、航空機のミニチュア、ダ・ヴィンチのパラシュート(とヘリコプター)の模型などの展示があった。ダ・ヴィンチのパラシュートの二等辺三角形の頂角が50度ぐらいなのが気になった。前にそのスケッチを見たとき、なんとなく正三角形のように思っていたのだ。

すこし調べてみると、ダ・ヴィンチ自身は、「1辺が12ブラッチャで、高さもそれと同じ大きさの布製テント」と書いている(ブラッチャは長さの単位)ので、これにしたがったのだろう。辺と高さが同じなら、二等辺三角形の頂角は、2*arctan(1/√5)で、48.18...度である。

ダ・ヴィンチの記述も大雑把であり、やはり正三角形のほうがよいのではないかとも思う。この構造で、浮力(?)がどう働くのかはよくわからないが、なんとなく関係ありそうな、正四角錐の底面を除く面積と、全体の体積を考えてみた。すると、側面の面積一定で体積最大となるのは、側面が正三角形になるときであった。やや変な式になったのは意外だったが、答えが単純になる面白い練習問題だった。

◆3月某日:塙町のダリアの折り紙
塙町のダリアの折り紙
福島県立塙工業高等学校の生徒さんがつくったパネルの写真を、塙町役場の「まち振興課」のかたが送ってきてくれた。この作品の図は、ここで公開されている。パーツが単純なので、みんなでつくるのに向いている。

◆3月某日:高槻城址の鷺
高槻城址の鷺
地震発生時、空中に逃げることができる鳥は最強だよなあ、と思うことがある。

◆4月某日:土竜
もぐら塚
連続したモグラ塚を見ると、モグラの漢字表記が「土竜」である理由がよくわかる。ところで、地震発生時、モグラはその異変にどのぐらい恐怖するのだろうか。案外平気なのだろうか。

◆4月某日:ミステリーサークル
牧草地に現れたミステリーサークルである。種明かしをすると、ロールベールラップサイロ(円柱に梱包した牧草)が置いてあった跡だ。

◆4月某日:シャンシャン
シャンシャンのぬいぐるみ
折り紙の兜(『本格折り紙√2』のもの)をかぶったシャンシャン(生後すぐ。別名ピンクピン太郎)のぬいぐるみである。じっさいより丸っこくつくられているが、重さは本物と同じらしい。「いまのうちに見ないと赤ちゃんじゃなくなってしまう」と、妻はもう2度もシャンシャンを見にいった。

◆4月某日:2+2=4
2+2=4
東京外国語大学のキャンパスで見つけた数式のいたずら書きである。

数式が単純すぎるので、ところかまわず数式を書く奇癖を持つ、ガリレオ先生こと、帝都大学の湯川学准教授によるものではないだろう。そもそも、外大にはいわゆる理系の研究室はなく、キャンパス内でその方面の学会が開かれることもないので、彼が来ることもないであろう。

関係している可能性が高いのは、ジョージ・オーウェルの『1984』である。同書では、「党は、2と2で5となると告げる。君はそれを信じなければならない」という「2+2=5」のスローガンが示される。また、欧米では、疑いようのないことを「1+1=2」より「2+2=4」と示すことが多いようでもある。

つまり、こういうことだ。じつは、本邦はすでに「ビッグ・ブラザー」に支配されている。いっぽう、外大には留学生も多いので、外の世界を知るレジスタンスが多数潜伏している。彼らのひとりが書いた真実の叫びがこの数式なのだ。←最近の世相では、どうも冗談に聞こえない。

◆6月某日:ひとつ蛍
ひとつ蛍
今年も、北杜市長坂のビオトープ的な公園で蛍を見た。何年か前、自宅山荘でも1回だけ、ふらりと飛んで網戸にとまった一匹の蛍を見たことがある。棲息地ではない(たぶん標高が高すぎる)ので、だれかが採ってきたものが逃げたか、強風で飛ばされて離れ蛍になったのだろう。「蛍だ。珍しい。... 誰か亡くなったのかも」と妻にしらせたほぼそのとき、なんと、妻の友人が病気で幽明の境にあったことが、後日わかった。文字通り(?)の「虫の知らせ」的な話で、非科学的といえばそうなのだが、記憶や感情、詩情には、そういう部分もある。ちなみに、そのひとは回復した。

彼岸(かのきし)に何をもとむるよひ闇の最上川のうへのひとつ蛍は 斎藤茂吉

『計算折り紙入門』など2018/06/23 11:54

◆700年前の苦言
先日の折り紙の科学・数学・教育研究集会。そのあとの懇親会には、学生さんも多数参加したが、最近、こうした席の「とりあえずビール」ということがまれになって、飲酒をしない若いひとが多くなった。わたしの接する範囲のことだが、この10年ぐらいのことではないだろうか。飲みたいひとは飲めばよいが、無理にはすすめないというルールの定着である。世の中はよくなったり悪くなったりだが、これはよくなったことのひとつである。『徒然草』に書かれていたことが、700年の時を経てやっと理解されるようになったと思うと、感慨が深い。

世には心得ぬ事の多きなり。ともあるごとには、まづ酒をすすめて、強ひ飲ませたるを興とする事、如何なるゆゑとも心得ず。飲む人の顔、いと堪へがたげに眉をひそめ、人目をはかりて捨てんとし、逃げんとするを捕へて、ひきとどめて、すずろに飲ませつれば、うるはしき人も、忽に狂人となりてをこがましく、息災なる人も、目の前に大事の病者となりて、前後も知らず倒れ伏す。
(『徒然草』 百七十五段)

『徒然草』では、以下も引用したくなる。

狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。(八十五段)
改めて益なき事は、改めぬをよしとするなり。(百二十七段)

『計算折り紙入門
上原隆平さんから、新刊の『計算折り紙入門 - 新しい計算幾何学の世界』を御恵贈いただいた。「複数の直方体が折れる展開図」の話など、多面体の展開図に関する研究を紹介する一冊である。あとがきに、上でも紹介した「折り紙の科学・数学・教育研究集会」の話があった。

◆最大体積の問題
四面体最大体積の問題
野辺山観測所の会議のさいに配られた菓子が、当地の気圧の低さ(標高1370m、気圧860hPa程度)のため、目一杯に膨れていた。野辺山では、コンビニエンスストアの袋菓子も大きく膨れているのだが、四面体のパッケージがみごとに膨れているのを見て、あらためて考えた。シートに伸び縮みがない場合、最大体積となる曲面はどうなるのか、という問題である。これは、以前このブログに載せた牛乳パックの問題と似ている。

『湖畔荘』など2018/06/20 20:58

妻が、『湖畔荘』(ケイト・モートン、青木純子訳)というミステリに折り紙の記述があった、と教えてくれた。評判のミステリなのでわたしも読んでみたい。

見れば、指先を正確に動かしては、小さな紙を折ったり重ねたりしていた。三角や四角が現れたかと思うと、それをひっくり返し、同じ動作を繰り返す。エリナはじっと見入っている自分に気づいて慌てて目を逸らしたものの、どうしても見ないではいられず、車窓に映りこんだ男の手元を見守った。男は最後に形を整えると、出来上がったものを片手でつまみ上げ、さまざまな角度から眺めていた。エリナは不意に喜びに包まれた。鳥だった。とがった翼と長い首を持つ白鳥のような姿をしていた。

◆折り紙教室@府中
6/24(日)13:00-15:00
府中郷土の森博物館のふるさと体験館
作品:渦巻銀河
折り紙渦巻銀河

表紙が、藤本修三さんの「フジモト・キューブ」。横山さんと永田さんの連載「数学短歌の時間」には、先月に続き、わたしの投稿も採られ、別の投稿者の折鶴を詠んだ歌もあった。上原隆平さんの展開図の話や藤田伸さんのエッシャーの記事もある。

◆オリガミの魔女と博士の四角い時間
第十四話:6月30日(土)、22:45-23:00

◆文藝的な...
大阪北部地震の震源の高槻は、3ヶ月前に折紙探偵団関西コンベンションで行った土地なので、あの店は大丈夫だろうか、あの建物が避難所になっているのだろうかなどと、こころがざわつく。ざわつくのだが、すこし知った土地だからと、そう思うのは、一種のエゴイズムかもしれないし、そうではないかもしれない。書棚の下敷きとなって亡くなられたかたもいて、ブックワーム(本の虫)の悪癖として『文字禍』(中島敦)も連想してしまった。

數日後ニネヴェ・アルベラの地方を襲つた大地震の時、博士は、たまたま自家の書庫の中にゐた。彼の家は古かつたので、壁が崩れ書架が倒れた。

文芸的な話題といえば、昨日は桜桃忌であった。玉川上水で、青森県北津軽郡金木町産とだけ書かれた石を見たことがある。そして、『桜桃』にエピグラフとして引用されている『聖書・詩篇』の第121の一節は、毎週のように目にしている。

「われ山に向かいて目をあげん わが助けはいずこよりきたるべきぞ」
清泉寮の門
JR小海線清里駅近く、車窓からも見える、高さ5mほどの大きな角錐台の「清泉寮」の門柱に、この言葉が刻まれているのだ。清里には、80年代的な浮ついた観光地のイメージを持つひとも多いだろうが、そこは、冬の気温がマイナス20度近くになる厳しさを持つ、開拓によってもたらされた土地である。入植者には、奥多摩湖の水底に沈んだ小河内村から来たひとが多い。東京の水資源確保のために故郷を捨てさせられたひとたちだ。彼らは、石ころだらけの荒野を前にして辛酸を舐めた。門柱にこの言葉が刻まれているのは、開拓の父と言われるポール・ラッシュ師がクリスチャンだったためだが、彼らの祈りの強さも示している。

清里の石碑でも、この疑問文の続きは伏せられている。太宰の『桜桃』では、さらに、助けが来ることを諦めたかのように、「われ、山にむかいて、目を挙ぐ」と、そこで切られている。

三枚組の立方体2018/06/02 11:40

三枚組の立方体
先日の講習で、三枚組の正八面体を扱ったことから、立方体の三枚組の創作にわかに執心して、いろいろつくってみた。やってみると、その構造が、面に「絵」を描くのに向いていたのである。

写真は、ひとつを除き、正方形8等分の蛇腹によるものである。ここに示した「ボロミアンリング構造」だ。4対1の長方形で、しっかり立方体が組めるかたちである。これを用いれば、組んだときに模様ができるのではなく、モジュールごとに模様をつくることができるので、絵を描きやすいのだ。

ただ、無理に絵を描くと、置いときにふわふわするもののになり、エレガントさもなくなるので、塩梅が難しい。トランプのスーツ(ハートの裏はダイヤ、残り2面は模様なし)は、考えているときは面白かったのだが、やや無理やりな感じになった。矢印や「折図」の拡大記号、細い三角形などのほうが完成度が高い。

なお、感嘆符のものは、命名「ビックリ箱」、四分音符は「ミュージックボックス」である。熨斗や御幣の模様の「お祓い箱」というネタも考えた。

137など2018/05/28 23:45

◆方ツムリ(カタツムリ)
方ツムリ(カタツムリ)
九州コンベンションのとき、ベス・ジョンソンさん、川村みゆきさんらに、「反四角柱」の面白い展開図(飯野玲さん案)を紹介した。さきほど、この展開図をいじっていて、立方体状の殻のカタツムリ、名づけて、「方ツムリ」なんてものができた。裏がけっこうよい感じだ。
なお、反四角柱は、別のシンプルなアイデアも最近生まれた。いかにも前例がありそうなのだが、昨日の講習で、オマケモデルとしても紹介した。これらは、あらためてどこかで紹介したいと思っている。飯野さんモデルの工程も考えた。

◆辺の5等分の近似
1/5の近似
直角の8等分から、正方形の辺の5等分(近似)をつくるジョンソンさんの方法は初めて見た。
tan(90/8)=0.1989...≒0.2ということである。15cm用紙で、0.2mm以下の精度だ。
1:2:√5の直角三角形を使う、近似ではない方法があるので、あまり別の方法を考えたことはなかったのである。

◆137
今朝、観測所の玄関に示されていた昨日の見学者数が137人だった。微細構造定数の逆数がほぼこの値で、ウォルフガング・パウリが数秘術的にこだわった素数である。何年か前、『137 - 物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯-』(アーサー・I・ミラー、阪本芳久訳)という本も翻訳され、面白く読んだ。ずっと昔、『自然現象と心の構造―非因果的連関の原理』(ユング、パウリ共著、河合隼雄訳)も読んだが、これは、当時も眉に唾をつけて読んだ記憶がある。

そして、今日、きれいな数字のならびの素数を見つけたのだが、これは、また別の機会に。

◆引用したくなる言葉
最悪ではない。「これは最悪だ」と言えている限り。 (『リア王』4幕)

ナチスが台頭しはじめたころ、オーストリアの批評家・カール・クラウスもこの言葉を引用し、エピグラフにしたという。(池内紀『カール・クラウス』) 

これは、捨てぜりふとはすこし違うニュアンスの言葉である。リア王の重臣であるグロスター、その息子エドガーは、父に濡れ衣を着せられ、狂人を偽って逃走する。彼が、盲目となった父に遭遇したときにもらしたのが、この言葉である。彼は、狂人を装ったまま父を救う。これは、なんというか、歯を喰いしばるための言葉なのである。劇の最後、エドガーはこんなことも言う。

この悲しい時代の積は、わたしたちが負わなければならない。思ったことを話そう。強いられて言うのではなく。

立方体の二分割など2018/05/25 22:36

明日、5/26(土)22:45-23:00に、NHK-Eテレで第12話が放映される。

明日から、折紙探偵団九州コンベンション(@佐賀大学)に参加する。三枚組みの正八面体を講習予定である。
三枚組の正八面体

◆武蔵野美術大学の案内チラシ
武蔵野美術大の案内チラシ
武蔵野美術大学のオープン・キャンパス(6/9,10)の案内が、なんとなく折り紙的だった。こうした切れ目と折り目の「動き」に注目することは珍しくないが、置く(一見アンバランスに見える状態に)という機能に注目したのははじめて見た。

なお、同大学では、先週、非常勤講師をつとめた。講義では、立体感覚の面白さ難しさを味わうモデルとして、「穴のある包み紙(type 2)」のワークショップなどをおこなった。下の図がその用紙形である。表裏同等構造によって、きれいに閉じた立方体になる。
穴のあいた包み紙 type2

◆立方体の二分割、正四面体の二分割
「穴のある包み紙」に関連して、双曲放物面(図右上)を近似する折り目を、同心正方形蛇腹以外で実現することを考えていて、面白いかたちを見つけた。
立方体の二等分、正八面体の二等分
右・中の図のような折り目をつけて、面角を変えてみる。すべての折り目は連動し、合同の二等辺三角形4面の四面体に内接するように連続的に変形する。ただし、それは、剛体構造ではない。中央の正方形がたわむのである。しかし、それは常にたわんでいるのではなく、平坦になるときもある。外接四面体が正四面体で、かつ中央の正方形が平坦になる折り目のとき、どのような折り目の角度になるか。それは、図に示した直角の1/4を基準とする折り目で近似できる(ぴったりではない)、ということが今回気がついたことである。

この目安は折りやすいので、さっそくこれを用紙の中心に埋め込んだモデルをつくってみた。全体を表裏同等モデルにしても面白いのだが、この折り目が内部に隠れてしまうので、二分割の立体にしたところ、造形的にも面白いものになった。

この折り目は、同じ折り目をさらに中央の正方形に当てはめて、入れ子構造にすることができる。するとそれは、変形で面が歪まない折り目になる。ただし、これは新発見ではない。同心正方形の折り目に対角線を加えるという「舘-ドメインモデル」と同様である。
双曲放物面近似

なお、正方形の折り目の辺は、用紙の辺と平行である必要はない。次の図(左上)はその例だ。これは、中心の正方形が平坦なとき、ねじり折りした三角形の面どうしが同一面になるように決めたものだ。
オリガミ椅子
この折り目をすこし折り変えると、きれいな椅子のかたちになる。それは剛体折りなので、ヒンジと板でできる「折り畳み椅子」になる。ただし、平坦になるほうに力が働くことがあるので、これに対するためには、脚部を鎖でつなぐといった方法を適用しなければならない。それを外すと畳めるわけである。まあでも、踏み台に使うにはやや怖い構造だ。

◆三角柱箱
三角柱箱
先日の正四面体の箱の姉妹モデルとして、正方形用紙から正三角柱の箱を考えた。チーズっぽくてよい。三角形の1辺を1とすると、高さは√3/3なので、体積はぴったり1/4である。きっちり閉じる構造にしたため、開けるのはすこし難しくなった。

正四面体の箱など2018/05/12 21:51

◆鳥海太郎展
鳥海太郎展
2018/5/21(月)- 5/16(土)
養清堂画廊(銀座5-5-16)
布施知子さんのご夫君の版画家・鳥海太郎さんの個展です。
写真の作品の題名は「見上げる」

◆正四面体の箱
TetrahedoralBox
蓋とボディが一体化した正四面体の箱ができた。閉じるときの組み合わせが面白い。1対2で近似させてもよいが、1対2.02...という長方形を用いるとぴったり合う。15cm正方形用紙の場合、「ふたつ折り」のときに1.5mmほどずらして折って切るとよい。

この折り目の構造は、正六角形用紙を用いると対称性が高くなる。その場合、閉じると四面体はツインとなる。

◆『北京折畳』と『折畳几何学』
『折る幾何学』の簡体中国語版に関して、翻訳者とすこしとやりとりをした。ついでに、「最近、『折りたたみ北京』(『北京折畳』ハオ・ジンファン)というSF小説を読みました」と書いたところ、翻訳者氏も読んでいて、「現実の北京の地名もでてきて臨場感がある」という話だった。「札幌の地下街に行ったさい、街の下にもうひとつの空の見えない街があることに、あの小説の描写を思い出した」という旨のことも書いてあった。

なお、『折る幾何学』の簡体中国語版の題名も、「折畳」を含む、『折畳几何学』である。(ただし「畳」は異字)。「原題にも『紙』がないので、こうしました」ということだった。

◆数学短歌
『数学セミナー』に投稿した数学短歌が、一首採用された。よかった。

ボツになったものでは、以下が、解説を含めて、ネタとしてある意味自信作だったのだが...
(あくまでインサイド・ジョークとしてウケを狙ったもので、選者の判断にくちばしをはさむものではありません。為念)

題:ベクトル
これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもベクトルの積
余をこめてTriの空値は図るともよにベクトルの積はゆるさじ

解説:
一首目。「これが、計算結果がもととは違う向きのベクトルになるベクトルの外積というものか。意味はよくわからないが、とりあえず計算方法はわかった」ということをよんだ古歌。作者は、数セミ丸である。

二首目。「余弦定理を用いて、Trigonometric function(三角関数)で、(余弦が)空値(ゼロ)となる向きを計算しろという問題だが、ベクトル内積を使ってはだめなのか?」ということをよんだ古歌。作者は、整数納言である。

二首とも「ベクトル」とある部分が「あふさか」であったという説があるが、それでは意味が通じない。二首目の作者は、筆名から想像できるように、数論の業績で名高く、日本のマリー=ソフィ・ジェルマンとも言われる女性の数学者である。主著における記述「烏の寝所へ行くとて三つ四つ二つなど飛び急ぐさへあはれなり」の3,4,2という数列の意味するところは、現在においても解明されていない。

筆竜胆2018/05/07 22:30

◆オープンアトリエ
5月1日から6日まで、来ていただいたみなさま、遠いところを(近所のひとも)ありがとうございました。

◆筆竜胆(フデリンドウ)
筆竜胆
山梨県北部標高1000メートルの周辺では野の花が花盛りだ。タチツボスミレ、タンポポ、マムシグサ、ヘビイチゴ、フデリンドウなど。フデリンドウ(筆竜胆)の中に、五回の回転対称性が際だっているもの(写真左上)があった。ほかの個体はこれほどきっちりした感じではなかった。花の直径は2cm弱である。名前の由来は、朝夕に花が閉じたさまが筆に似ている(写真左下)からだという。よく似たハルリンドウというものもあるが、この写真の花は、フデリンドウでたぶん間違いない。
パラメトリック・フデリンドウ