イベント紹介2018/04/22 08:18

◆姫路科学館の火星儀
火星儀(姫路科学館)
姫路科学館のスタッフが『折る幾何学』掲載の「地球儀」をもとに火星儀を製作しました。
GW中の4/28と5/6に来館者にむけてワークショップをするということです(詳細は未確認)。
今年は、夏から秋にかけて火星が大接近(最接近は7/31)します。

◆オープンアトリエ
オープン・アトリエ
5/1(火)から5/6(日)まで、山梨県北杜市大泉町にあるアトリエ(プライベート・ギャラリー)を公開します。
日程:5/1(火)- 5/6(日)
時刻:10:00 - 16:00
場所:山梨県北杜市大泉町西井出 ペンション・レキオの近く
お気軽にお立ち寄りください。

おしらせなど2018/04/16 21:39

4/22(日)13:00-15:00
府中郷土の森博物館のふるさと体験館
作品:鯉のぼり他
鯉のぼり

先日来、『嬉遊笑覧』(1830)を読んでいたのは、ふと、鯉のぼりの起源も気になったからであった。同書(持っている巻だけだが)には、「絵のぼり」、「風流(ふりゅう)」の記述はあったが、鯉のぼりに関しては記されていなかった。鯉のぼりは、広重の『名所江戸百景』(1856-1858)の『水道橋駿河台』に描かれているので、徳川時代からあったのはたしかだが、幕末になってからの流行のようだ。

鯉のぼりに関してもうひとつ気になるのは、「この下に子供がいます鯉のぼり」という句がよいなあと思った記憶があるのだけれど、誰の句かどこで読んだのかも思い出せず、ネットの検索にもかからないことである。

◆自己相似的国会議事堂
自己相似的国会議事堂
以前から、国会議事堂の中央の屋根が入れ子的構造的な造形だなあと思っていた。じっさいは、小さな塔のようなものが塔の上にあるだけだが、きっちり自己相似図形にしたものを描いてみた。

この相似形と無限小への収斂は、政府が国民の合わせ鏡であることを暗示するようにも、超国家主義における「中心からの価値の無限の流出」(丸山眞男)の象徴のようにも見える。...というのは、考えすぎである。

宝井其角は折鶴を折ったか?2018/04/15 22:00

江戸時代後期の考証随筆・『嬉遊笑覧』(1830、喜多村イン庭:インは竹かんむりに平均の均)には、折り紙に関することも書いてあるが、中にはこれは変だよねという話もある。何度か読んだ箇所なのだが、先日あらためて見て、以下の記述が気になった。この部分が詳しく話題になったことはないと思うので、考察を記しておく。

その記述とは、以下である。
『五元集拾遺』に、聖代を仰ける句とて、「鶴折りて日こそ多きに大晦日」といへり。春の設の提子など飾る料なるべし。
(『五元集拾遺』に、古きよき世に向けた句として、「鶴折りて日こそ多きに大晦日」とある。新春のしつらえの酒注ぎなどの飾りであろう)
『嬉遊笑覧』巻六の下)

『五元集』(1747)は、蕉門の高弟、宝井(榎本)其角(1661-1707)の句集である。『嬉遊笑覧』では、この句に関して、折鶴と雄蝶雌蝶のような飾りを結びつけているわけだ。しかし、これはいかにも強引で、よくわからない話である。

句自体、解釈が難しい。『嬉遊笑覧』の記述にあるように、この句には、「聖代」という題がついている。上古のことを指すのか、「聖代」と「鶴折りて」に引っ張られて、わたしの解釈は迷走した。
聖代
鶴折りて日こそ多きに大晦日

国文関係で困ったときは、岡村昌夫さん、ということで氏に確認してみた。すると、やはり『嬉遊笑覧』の解釈はこじつけだろうね、という話になった。

句意に関しては、以前、高木智さんが、「鶴折りて」は「鶴降りて」なのではないかと言っていましたね、という指摘もあった。たしかにそれならば、「鶴が舞い降りてきた。(一年は三百何十日あるのに)この大晦日に」という内容で、わかりやすい。「聖代」は、正月を前にして、単に、ありがたい平安な世の中ということと考えればよいのだろうと、納得した。

しかしである。『嬉遊笑覧』のみならず、引用元の『五元集拾遺』(1747)の原本をあたると、そこには、しっかり「鶴折りて」と「折」の字が書いてあるのだった。原本は、たとえば、早稲田大学のデジタルライブラリーにある。 『五元集』は、其角自撰の句集で、もとが仮名であっても、「降りて」は、「おりて」であり、「折りて」は「をりて」なので、間違う可能性は低いのではないかと思えた。

そこで、これは、「降りて」でもなく「折りて」でもなく、「居りて」なのではないかと考えた。「居りて」なら「をりて」なので、元が仮名で書いてあったのなら、「折りて」に誤りやすいのではないか。自撰といっても、其角没後40年経っての編纂であり、印刻までには何人もの手がはいっている。

つまりこれは、「鶴がいるよ。ちょうどこの大晦日に」という句なのではないか。舞い降りたのと似ているが、ふと見ると鶴がいたというのは、より現実的で自然な驚きがある。こう考えると、下の、其角の別の句にも通じる、情景が見える句となるように思えた。
日の春をさすがに鶴の歩み哉 其角
(春の陽射しの中、やっぱり鶴が(鶴らしくゆっくりと)歩いているねえ)

以上のような思いつきを、あらためて岡村さんに伝えると、「居る」はおもにひとに使われる語で、当時の仮名遣いも、国学の偉いさんを除けばけっこう自由ですよという指摘があった。また、「居りて」の可能性も高木さんが指摘していたとのことであった。

岡村さん、高木さん、折り紙研究の先達、瞻仰すべし。其角の仮名遣いが正しくても編者が間違えたということもありそうで、「降りて」にせよ「居りて」にせよ、この句は折鶴を表した句ではなく、誤って伝わったのではないか、というのは、かなりもっともらしく思えた。

其角は西鶴と交流があったという。西鶴の『好色一代男』中に、「折りすゑ」の「比翼の鳥」も出てくるので、其角も折鶴を折ることができた可能性もあるかもなあ、とも思うのだが、「鶴折りて」では、どうにも句柄がはっきりしない。

というわけで、わたしのとりあえずの結論は、「其角は折り鶴を折っていなさそう」である。仮説の二段重ねになるが、この解釈を正しいとすれば、1700年代半ばになると、「鶴をりて」(または「鶴おりて」)は、「鶴居りて」や「鶴降りて」よりも「鶴折りて」と解釈されやすいほどに、折鶴が普及していた、ということも言えそうだ。

そもそも江戸市中に鶴がいたのかという話だが、江戸には丹頂鶴もいたし、鴇(とき)もいた。たとえば、広重の『名所江戸百景』『蓑輪金杉三河しま』にも丹頂鶴が描かれている。鶴は、ありがたい瑞鳥でありながら、案外身近にいたのだ。現代になっても、長野県の野辺山の矢出原湿原には、昭和四十年代まで、毎年丹頂鶴の飛来があったという話もある(八ヶ岳 自然いっぱい情報誌 『だたら八つ』2010年秋冬号)。

###
其角といえば、最近読んだミステリ小説『シャーロック・ホームズたちの新冒険』(田中啓文)の第二話は、正岡子規がホームズ役に、高浜虚子がワトソン役になって、芭蕉の死の真相を解明するという趣向で、其角の句も謎解きに関係している、面白い話だった。

昨日、某会議出席のついで、神保町に寄る時間があったので、4月10日にオープンした「神保町ブックセンター」をのぞいた。以前岩波ブックセンターがあったあとにできた、岩波の本を揃えた書店・喫茶である。岩波文庫の『嬉遊笑覧』に持ってない巻があったので、あれば買おうと思ったこともある。しかし、岩波の本を揃えているこの書店にも、それはなかった。まあ、出版社自体のサイトにも「品切れ」とあるのでしかたがない。というわけで、頭の中が岩波文庫の黄色背表紙の探索モードになったので、近くの古書店の安売りワゴンものぞいた。すると、『徘家奇人談 続徘家奇人談』(竹内玄玄一)というものがあったので、これを求めた。昨晩はそれをぱらぱら読んでいたのだが、これがかなり面白い。岡村不卜というひとの項にあった其角の以下の句は、ちょうど今の季節のものである。
桜ちる弥生五日は忘れまじ 其角

太陽暦にずらして四月にして、かつ現代語にして、「さくら散る4月5日を忘れない」とすると、俵万智さんの短歌というか、Jポップの趣きになる。

桜といえば、先週、山梨県北杜市大泉町の谷戸城跡の桜が満開だった。東京と標高が800mほど違うので、2週ほど遅れるのだ。
谷戸城址の富士と桜

桜の話になったところで、すばらしい現代俳句もふたつ紹介しておこう。
想像のつく夜桜を見に来たわ 池田澄子
花よ花よと老若男女歳をとる 池田澄子

後者は、『徘家奇人談 続徘家奇人談』にあった以下の句と並べても面白い。
死にさうな人ひとりなし花の山 祇徳

言うまでもなく、西行の歌をしたじきにしている。とは言いつつ、ここに詠まれたひとは、みんな死んでしまったのである。上の写真には富士も写っているが、『徘家奇人談 続徘家奇人談』にあった富士の句では、季が違うが、以下がすばらしい。
によつぽりと秋の空なる冨士の山 鬼貫
にょっぽり!

『数学セミナー』のツイッターアイコンなど2018/03/28 21:32

第11話が3月31日22:45-23:00に放映。なんと、4月以降も継続である。

繁体漢字版の『折る幾何学』である『摺紙幾何學』が出版間近だ。簡体漢字版も出る予定である。ふつうの折り紙の本ほど売れないと思われるのは、著者としてやや心苦しいが、類書は少ないので出版する意味はある(はずだ)。台湾や中国のひとで、ここを読んでいるひとはいないと思うけれど、よろしく。

台湾のネット書店にある著者紹介などの記述は、漢字文化圏の者として意味がわかるのだが、「白髪三千丈」的な誇張した表現のように見えてしまう。「ソフトウェア技術者」を「軟體工程師」と書くのも面白い。ウェルズの火星人やヨガの先生を思い浮かべてしまった。

『数学セミナー』のツイッターのツイッターのアイコンに、日本評論社のマークのパロディーとしてつくった「折紙評論社」のマーク(『折る幾何学』に掲載)を使わせてくださいという話がきたので、快諾した。『数学セミナー』では「数学短歌の時間」という連載が始まっていて、わたしも何首か投稿した。

◆世相からフィクションを連想する癖
ニュースで見る役人のあれこれから、例によって、太宰の『家庭の幸福』を連想したが、松本清張氏の小説世界のようでもある。

かわいそうなのは、その下で忠勤を励んで踏台にされた下僚どもです。上役に目をかけられていると思うと、どんなに利用されても感奮しますからね。(『点と線』)

ステロタイプな描写だとも思うのだが、どうやら現実もこんな感じらしいのでおそろしい。

ちなみに、いま手元にある古い『点と線』には、青函連絡船の乗船カードがはさまっている(若干のネタバレ)。これを読んだとき、北海道旅行に行くという兄に頼んで入手したもので、いまやこれ自体が貴重なものかもしれない。
『点と線』

あらためて読むと、「下僚ども」という表現もなかなか強烈で、ゴーゴリの『外套』を思い出した。『外套』の主人公である、風采の上がらない下級官吏アカーキイ・アカーキエウィッチは、凡中の凡たる人物として造形されているが、文書清書係のアカーキイがふとしたことから秘密を知ってしまう、巻き込まれ型サスペンス『清張風 外套』なんてどうだろう。

凡中の凡と書いたが、学生時代にこれを読んだとき、徹底的に冴えないアカーキイ・アカーキエウィッチには、身につまされ共感したのみならず、見習うべきなのではないかとも思った。彼は、定職を持っているし、それが心から好きで、なにより正直なのだ。彼が正直たりうるのは、孤独で、守るべきものが彼自身だけだったからでもあるが、その正直さには曇りがない。物語の冒頭近くで若い同僚を変えるのも、この美点によるものだ。

◆善管注意義務
『外套』のアカーキイ・アカーキエウィッチの正直さは「善良」と言い換えることもできる。この「善良」なる言葉が、法律用語にも出てくることを知って、へぇと思ったことがある。「善良な管理者の注意義務」、略して「善管注意義務」である。民法400条などに出てくるもので、一般的なモラルを意味する概念らしい。民法400条を巡って「善とは何か」を争う、西田哲学みたいな裁判があったりしたら面白い。

カナヘビとか2018/03/05 23:15

◆ヤバイものを見た。
「やばい」「ああそうかい」
「やばい」 「ああそうかい」

★燃える雪
平昌オリンピックのメインスタジアムが正五角形で、さらに、雪の結晶的な映像まで正五角形であるのを見て、「これ」を思い出した。

◆和算をあつかった小説
和算をあつかった書き下ろしの小説を、日をおかずに読んだ。ブームなのか?

『算額タイムトンネル』(向井湘吾)
じつは、あまり期待せずに読み始めたのだが(向井さん、ごめんなさい)、考証や設定でぎりぎりにそれらしいところをついてきて、読み進むにしたがって、これはいいぞ、となった。折鶴を扱った問題もちらりとでてきてニヤリである。和算を扱ったフィクションには、考証を完全に捨て去っているものもあるが、この小説ではそうしたことは感じず、扱っている題材が、作者にとってただの借りてきたネタではないことが伝わった。なお、本書は、題名からはそれとわからない前後編の前編である。

『茜空 - 大江戸算法純情伝(1)』(山根誠司)
登場人物の性格づけが現代人的かなと思ったが、逆にそれもあってか、読みやすい話になっている。数学史(和算史)的な興味では、零約術 (無理数の有理数近似)の扱いが面白かった。主人公の新助の着想を、帰納法的なアプローチとして、建部賢弘に感心させている。

ちなみに、建部の零約術は、連分数展開に相当するものとしてまとめられたはずだが、ここでの、√73の「解答」である1068/125は、連分数からの値とは違っている。これもちょっと面白い。√73の連分数は、[8; 1, 1, 5, 5, 1, 1, 16]で、1...16が循環するかたちになる(二次の無理数は必ず循環する連分数になる)。循環の前までで計算すると17669/2068、その前の1までで計算すると、2008/235、その前では487/57である。1068/125は、2008/235より精度がよい。

いずれにせよ、『算額タイムトンネル』と同様、作者の和算好きが伝わる物語だ。
と思ったら、著者は、ブルーバックスの和算の本を書いているひとなのであった。
その本(『算法勝負!「江戸の数学」に挑戦』)も以前ざっと読んだが、そこでも折鶴の問題がとりあげられていた。史実における折鶴の問題は、最上流の渡辺一によるもので、関や建部が活躍していた時代よりややあとになるのだが、17世紀末なら折鶴が普及していたとして無理はなく、お話としては許容範囲なので、続編では、折鶴の問題がでてくるかもしれない。

◆ドラえもん
先週、強風と湿った雪で、駐車スペースの上のカラマツの枝が折れ、フロントグラスにヒビがはいるなど、車が破損した。そして、レンタカーを借りたら、同じ車種で色が黄色から青色のものになった。この話を聞いた近所の少年が「ドラえもんみたいだ」と言った。別ストーリーがいくつかあるようだが、もともと黄色だったドラえもんが、ネズミに耳をかじられて青ざめたという話があるのだ。わたしの車は、カラマツに窓を割られて青ざめたのである。じっさいに青ざめたのはわたしだが。

◆折紙探偵団関西コンベンション
3/3-3/4の折紙探偵団関西コンベンションに、3/3だけ参加した。朝5時前に家を出て、日が変わって帰宅するという強行軍となった。講習したのはカナヘビ(尾の長いトカゲ)である。特別な工夫はない作品だが、無理なくかたちができるので、講習の前に何度か折るたびに、好きな作品になっていった。窓にはりつけて写真を撮ってみた。はりついていると、カナヘビというよりヤモリで、ヤモリにしては尾が長すぎる。
カナヘビ

ダイヤモンド格子連鶴(南 樹)
展示作品の南さんの「ダイヤモンド格子連鶴」。この展開図はどうなっているのか?

3/2の移動の新幹線ではダン・ブラウンさんの『オリジン』を読んだ。登場人物のカーシュは、リチャード・ドーキンス氏やケヴィン・ケリー氏(『Wired』や『テクニウム』のひと)が憑依している人物であった。いつもどおりの「観光案内つきクリフハンガー(連続活劇)」なのだが、「強い無神論者」の主張を扱うなんて、肝が座っているなあ、映画化たいへんなんじゃないか、などと。

で、『オリジン』は、ロバート・ラングドン教授だけれど、以下は、ロバート・ラング博士である。
"Twists, Tilings, and Tessellations"

数日前に、彼の『Twists, Tilings, and Tessellations』が届いた。題名のとおり、テセレーション(連続模様)の折り紙をメインテーマに、その設計法を記した分厚い本である。テセレーション的な折り目の造形への応用として、わたしの孔雀が載っているほか、平坦折りの定理の話などが関係している。

お知らせなど2018/02/21 22:57

◆折り紙教室@府中
2/25(日)13:00-15:00
作品:雛人形(シンプルな新作)
雛人形(シンプル)

2/23(金)21:00-23:00 日本TV系
『数学セミナー』の連載でお世話になった編集者のI氏が、数式を書くシーンなどで協力したというので紹介しておきたい。数学者・岡潔さんと妻のみちさんのドラマである。

岡潔氏は天才だが、わたしの偶像(アイドル)かというと、すこし違う。以前、小林秀雄氏との対話などを読んで、なんというか、「敬してこれを遠ざく」という思いを持った。

2/24(土)22:45-23:00 第10話 NHK-Eテレ

◆鶴と兜
金子兜太さんの訃報に接し、折り紙者として、『米寿快談 俳句・短歌・いのち』という本のカバーを思い出した。金子兜太さんと鶴見和子さんの対談で、折り紙の兜と折鶴が並んでいるのだ。装幀が誰かは、手元に本がないので不明である。

◆本歌取り
『短歌タイムカプセル』(東直子、佐藤弓生、千葉聡 編)を読んでいたら、こんな歌があった。

おりがみを折るしか能のないやつに足の先から折られはじめる 吉岡太朗

妻に見せると、「失礼ね」と言った。言葉の強さに反応したのだろうが、(だいたいにおいて)わたしの味方である彼女が失礼と思ったということは、わたしがおりがみを折るしか能のない者で、それを「やつ」と表現されたためか、と考えた。わたしは、僅かでも、ひとつでも、才能のようなものがあったのなら御の字だと思うし、この歌には不思議な味があるので、失礼とは思わなかったのだが、せっかくなので(?)、本歌取りしてみた。

みじかうた詠むしか能のないやつに頭の上から言葉の箍締め

最後は「たがじめ」。そのままなぞってみたら、やっぱりきつい言葉のような気も。

昨日はありし声音2018/02/20 21:21

父が亡くなって、1ヶ月が過ぎた。父は、晩年になって折り紙に関心を示し、折ったものを近所の小さい子供に配っていたりしていた。

下の写真には、西川誠司さんのサンタクロースや、布施知子さんの鶴と亀などが見える。「お前のものは難しすぎるのが多い」と言っていたが、飾り兜は気にいっていたようで、素直にうれしかった。棺には折り紙の花をいれた。
父が折った折り紙

客観的に見れば、わたしは、だれにでもある喪失を恵まれたかたちでむかえた、ということなのだろう。しかし、こうした喪失は、客観とはかけ離れた、私的なことである。そして、こういう場所に記すことでもないようにも思える。それでも、折り紙のことなので、すこしだけ書いてみた。関東甲信越に雪が降った日で、その雪は、東京には珍しく、しばらく溶け残っていた。

この雪に昨日はありし声音かな (前田普羅)

俳人・前田普羅(ふら)氏が妻を亡くした翌日の句だという。その命日は父のそれと同じ日だった。ただの偶然だが、思いがけない一致は、文芸のありがたみのひとつかもしれない。

雪といえば、先週末、北海道大学に用事があって、札幌に行っていた。長野の松本空港から飛んだのだが、空から見る北日本は、雪に埋もれていた。

雪積む家々人が居るとは限らない(池田澄子)

三好達治氏の詩『 雪』(太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。) を「本歌」にした、ごもっともという句だが、坂口安吾が「文学のふるさと」だとした、「突き放した」「アモラル(超道徳)」も感じさせる。

回転放物面とか2018/01/22 23:02

1/27(土) 22:45-23:00に第9話が放送される。
webには、わたしの未発表作品の図も載るはずだ。

◆回転放物面
45m宇宙電波望遠鏡
雪をよけるために風と反対向きに向けた、野辺山観測所の45m電波望遠鏡である。
積もった雪は、晴れたら太陽に向けて融かし、さらに、下から長い雪落としを使って払い落とす。鏡面に乗って落とすことはない。危ないからね。

で、ふと、考えた。これを真上に向けて回転させれば、すり鉢状の鏡面が見かけ状の水平面になる速度があるな、と。

回転体の局所的な水平面は、重力と遠心力の合力で決まる。遠心力は、角速度を一定にすると、中心からの距離に比例する。重力は一定なので、「水平面」の傾きは、中心からの距離に比例することになる。傾きが一次関数であるそのような曲線は放物線である。パラボラアンテナはまさにそのかたちなのだ。

計算してみると、45m鏡の鏡面が水平と錯覚できる回転は、10秒で1回転ぐらいという値となった。じっさいの45m鏡の最速の回転速度は1回転に20分かかるので、100倍足りないのであった。

と、まあ、ばかなことを考えたのだが、回転する物体がつくる放物面を反射鏡に用いた望遠鏡は、じっさいにある。円柱の容器にいれた流体を回転させると、上と同様の理屈で、その表面が放物面になる。これを利用するのだ。
回転する流体による放物面

2003年にできた(現在運用していない)カナダのLZT(大天頂望遠鏡)が、そのひとつだ。これは、水銀の回転による口径6mの大型光学望遠鏡である。名前のとおり天頂しか観測できないが、口径に比べてコストが低い利点があるという。回転速度によって焦点の位置も変えられる。

また、1960年代、赤外線天文学のパイオニアのレイトンやノイゲバウアーらによる赤外線観測のための望遠鏡も、液体エポキシ樹脂を回転させながら冷却させてつくった放物面鏡だったという話だ。

◆『ギフテッド』
数日前に、映画『ギフテッド』(マーク・ウェブ監督)を観た。
数学の天才的な能力を授かった少女とその伯父の話だ。ギフテッドというのは先天的な卓抜した能力のことだが、もっと一般的に、授かったものという意味も込められているのだろう。少女のクラスメイトである「普通の」少年のはにかんだ笑顔も最高だった。

エンドロールの数学アドバイザーに、天才数学者・テレンス・タオ氏の名前を見つけた。タオ氏は、天才児に関するアドバイザーでもあったのかもしれない。

キーとなる難問に、ナビエ-ストークス方程式を選んだのは「フィールズ賞も、ノーベル賞も」というセリフもあってのことだろうか。流体力学の方程式なので、ノーベル物理学賞の可能性もないとは言えない。

鑑賞後の会話:
妻「日本には、天才の教育制度あるの?」
わたし「将棋の奨励会とか..」

◆岡山天体物理研究所の切手
岡山天体物理研究所の切手
52円の年賀はがきが使えるのが1月7日までだったので、切手をいれた引き出しの中に、追加分の10円切手を探した。すると、以前、知り合いのN氏からもらった「東京天文台岡山天体物理研究所開所記念」の切手(1960)が出てきた。岡山は、昨年の暮れに、共同利用施設としての運用を一旦終了した。(閉所ではない) わたしが生まれたころの開所だったんだなあ。
この切手は、わたしが天文台の仕事をしているということで、N氏が送ってくれたものである。

謹賀新年2018/01/03 16:09

◆謹賀新年
折鶴蒲鉾
あけました。

◆『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』(トラヴィス・ナイト監督)
観た。思った以上に「折り紙映画」であった。
「ほんとうに折っただけなの?切っていないの?」(うろ覚え)なんてセリフが出てくる。
紙のサイズに比して大きすぎるモデルがあるのは気になったが、バリントン・J・ベイリー氏の奇妙な小説『宇宙の探究』に出てくる「オリガミ宇宙」のような性質に近いと考えればよいのかもしれない。

このオリガミ宇宙は、わが宇宙がつまらないものに思われるほど豊富な内容を持っている。そこの物体は、折りたたまれることによって、まったく新しい資質を展開するのである。人は(つまり実在は)一枚の紙を正しく折ることにより、椅子、テーブル、飛行機、家屋、果実、花、生きた動物、男や女、その他事実上なんでもつくることができるのだ。(略) 質量も大きさも不変量ではなく、折りたたむことによって増やす(または減らす)ことができるから、一辺一フィートの紙が乗客百人を収容する旅客機にもなりうるのである。
(『宇宙の探求』小隅黎氏訳、『シティ5からの脱出』所収)

ただ、クボの術は、そこまで自由自在ではない。その証拠に、大きなものをつくるための、一種の複合折り紙も出てきた。「おお、ユニットおりがみ!」と内心つぶやいた。

クワガタが重要なキャラクターとなっていたので、15年ぐらい前に展覧会で展示した『クワガタの誕生』の写真を載せておこうかな、と。
クワガタ
『クワガタの誕生』

T3パズル
日本テセレーションデザイン協会の荒木義明さんによる「T3パズル」。裏表で相補的なパターンになっていて、模様を描いて遊ぶ。
折鶴の連続模様をつくってみた。

くろよんロイヤルホテル
暮れに、大町市のくろよんロイヤルホテルで、鳥海太郎さん布施知子さん夫婦と、前川夫婦で会食をした。このホテルにはアートルームというものがあって、その一室は、布施知子さんの作品によって飾られている。
くろよんロイヤルホテルアートルーム


氷柱
くろよんロイヤルホテルで見たつららである。短いつららをノイズとしてそれをばらつきとすれば、長いつららは3σ(標準偏差の3倍)ありそうなので、有意なシグナル(?)である。

つららの語源は、「連なる」にあるという説もあるので、このように連なっているのが、まさにつららの姿なのかもしれない。まあ、でも、古文にでてくる「たるひ(垂氷)」のほうが語源として、本質的のような...

◆円柱をつぶす
円柱をつぶしたさいの錐面と柱面
甘酒の紙パックをつぶしたときにできる、ふたつの錐面と柱面の組み合わせからなる立体が、けっこう面白いなあ、と。紙が厚いので、しわになったり破れたりせず、可展面のまま、変形するのである。

「静かなブーム」?2017/12/28 23:00

オリガミの魔女と博士の四角い時間
12/30 22:00-22:30にスペシャルが放映される。

(The Paper Magician チャーリー・N・ホームバーグ著、原島文世訳)
紙の魔術師
100年前のロンドンを舞台にした折り紙魔法ファンタジーで、ディズニー映画化権取得ともある。まだ読んでいないのだが、表紙のイラストのモデル(少なくともツバメ)は、シッポ・マボナさんの作品だ。

折り紙はいつの時代も「静かなブーム」なのだが、フィクションで折り紙を扱うブームは、やはり来ているような気がする。なお、『KUBO』と『ブレードランナー2049』は、まだ観ていない。

◆「かっこつきの言葉」
「静かなブーム」とかっこつきの言葉を使ったが、最近読んだ小説の、以下のくだりは笑った。

あの「扉」は「出口」だ。
これでよし。
答えがわからないものごとを相手にするときは、「」に入れてしまえばうまく行くものなのだ。
『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』(ダグラス・アダムス 安原和見訳)

◆菱形十二面体(四凹面)
菱形十二面体(四凹面)
一枚折り(√2用紙)だと安定しないだろうと思っていた構造が、試して見たら思いのほか安定した。剛体折りができない構造なので、むしろそれがセルフロックとなって安定するのである。なんでもっと早くやっていなかったのか。パズルとしても悪くない。

◆シェイクスピアがデバッグについて述べたとされる文章
今日、担当していたプログラムに潜在的なバグを見つけた。修正できたが、焦った。

以下は、シェイクスピアがデバッグについて述べたとされる(!)文章である。
(『Practical C Programming』(Steve Oualline)による)

Bloody instructions which, being taught return to plague the inventor.
血だらけの命令は、その考案者に災難として返ってくる。
出典は『マクベス』)

◆30年前はつい昨日のようだが、やはり忘れている
以下、『数学セミナー 2017年10月号』のインタビューの応答で、使われなかった話である。

問:動物などの作品と、幾何学的な作品で違いはありますか?

答:あまり違いはありません。かなめはアイデアです。たとえば、即興で動物をつくる場合などでは、既知の基本形を使って特徴をぱっと見せることができればよいと考えますが、きちんと作品にしたいと思ったときは、デフォルメや見立てにどう新しいアイデアを盛り込むかを考えます。アイデアの重要性という意味で、具象的な造形と幾何造形に違いはありません。

この回答をしたときに、頭に浮かんでいた「ぱっと見せることができれば」の造形は、家人へのウケだけをねらって即席でつくったパンダの赤ちゃん(写真)であった。生まれたばかりのパンダで一番意外なのは、尾の長さである。
ピンクピン太郎

なんでこの話を思い出したかというと、パンダの「第一形態」の名が、TVニュースのインタビューでの少女の命名により「ピンクピン太郎」である、ということを数日前に知ったからである。

インタビューといえば、最近、『折り紙工学、複雑な立体を1枚で表現する技術の可能性』(DIAMOND Online)という舘知宏さんのインタビュー記事を読んだ。その中に「舘の折り紙との出合いは、小学2年生のときにさかのぼる。本で折り紙作家、前川淳の「悪魔」という作品を目にし、魅せられた。」とあった。すでに聞いていた話だが、舘さんのような優秀な研究者のきっかけのひとつになったというのは、素直にうれしい。

舘さんの見た本は『ビバ!おりがみ』の新装版(1989)だという。元の本の初版は1983年なので、34年前、舘さんがちょうど生まれたころになる。昭和だ。わたしとしては、ついこの間のような気もするのだが。

30年になると、忘れてしまっていることも多い。先日もそんなことがあった。一ヶ月ぐらい前、凧形二十四面体に関して、「以前つくった記憶はあるのだが、メモが見つからない。...昔つくったのものとは、違うような気がする」と書いた。
これが、『おりがみ新世紀』(笠原邦彦さん、1989)に載っていることを小松英夫さんから指摘されたのである。奇妙な近似を使っていて、記憶どおり、細部は違っていたのだが、本に紹介されたことを忘れているというのは、困ったものである。いずれ、旧作を新作ですと言いそうだ。