昨日はありし声音2018/02/20 21:21

父が亡くなって、1ヶ月が過ぎた。父は、晩年になって折り紙に関心を示し、折ったものを近所の小さい子供に配っていたりしていた。

下の写真には、西川誠司さんのサンタクロースや、布施知子さんの鶴と亀などが見える。「お前のものは難しすぎるのが多い」と言っていたが、飾り兜は気にいっていたようで、素直にうれしかった。棺には折り紙の花をいれた。
父が折った折り紙

客観的に見れば、わたしは、だれにでもある喪失を恵まれたかたちでむかえた、ということなのだろう。しかし、こうした喪失は、客観とはかけ離れた、私的なことである。そして、こういう場所に記すことでもないようにも思える。それでも、折り紙のことなので、すこしだけ書いてみた。関東甲信越に雪が降った日で、その雪は、東京には珍しく、しばらく溶け残っていた。

この雪に昨日はありし声音かな (前田普羅)

俳人・前田普羅(ふら)氏が妻を亡くした翌日の句だという。その命日は父のそれと同じ日だった。ただの偶然だが、思いがけない一致は、文芸のありがたみのひとつかもしれない。

雪といえば、先週末、北海道大学に用事があって、札幌に行っていた。長野の松本空港から飛んだのだが、空から見る北日本は、雪に埋もれていた。

雪積む家々人が居るとは限らない(池田澄子)

三好達治氏の詩『 雪』(太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。) を「本歌」にした、ごもっともという句だが、坂口安吾が「文学のふるさと」だとした、「突き放した」「アモラル(超道徳)」も感じさせる。