『紙の民』 ― 2011/08/12 23:27
『紙の民』(The People of Paper サルバドール・プラセンシア著 藤井光訳)なる本である。
折り紙がでてくる小説としては、いままで、『シティ5からの脱出』(バリントン・J・ベイリー著 浅倉久志訳)所収の『宇宙の探求』が、一番変な小説だと思っていたが、『紙の民』はこれをしのぐ。
物語は、冒頭、「彼女はあばら骨と泥の時代の後に作られた。法王の布告により、人間はもはや骨の髄や土から生まれてはならないとされたのである」と始まる。ここからの話の展開は、想像の斜め上を行く。
まず、飼い猫を肉屋に殺された少年が、その肉と、新聞と紙一巻きを買う。彼・アントニオは、紙を折って臓器を、ティッシュペーパーを縒って血管をつくり、猫を復活させる。かくして「自らの天職を見いだした」彼は、長じて、折り紙人工臓器で治療を行う「折り紙外科医の第一号」(!)となる。医学界の反発を受けながら、その道の第一人者となった彼であったが、「スウェーデン人による技術革命によって、アントニオの医学技術は時代遅れに」なってしまう。
「無名の行商人へと転落」した彼は、大道で折り紙芸を見せるようになり、「群衆が動物の名前を叫ぶと、アントニオは即座にそれを折ってみせた」りする。
その後、折り紙の技が再び認められ「アントニオの名声は偉大な職人たちに並」び、「彼の折り紙は聖職者たちに評価され、良心の呵責を感じる者たちは折り紙の作品を寄進して悔悛の証と」するようになる。「祭壇の前には白鳥やユニコーンといった動物が聖餐の隣に並ぶように」なるのであったが、アントニオ自身は、志を胸に放浪を続け、ついに、かつて修道士たちが骨の髄と泥から人間をつくっていた工場を探り当て、そこで、「男のあばら骨からではなく」、紙からひとりの女性を生み出すのであった。
なんじゃこれは、としか言いようがないじゃないか。「帯」に、柴田元幸さんが「これだけ奇妙奇天烈で、これだけ悲しく、これだけ笑える小説が他にあったら教えてほしい。そういう奇妙奇天烈で悲しく笑える、だが訳すには種々の困難が伴うこの小説をあっさり訳してしまう訳者が他にいたら教えてほしい」と書いてあるが、まさにそんな小説だ。
しかも、上の要約は、プロローグたった6ページ分のものなのだ。「帯」の要約には「上空から見おろす作者=《土星》の存在に気づき、自由意志を求めて立ち上がった登場人物たち。ページの上で繰り広げられる奇想天外な「対土星戦争」の行方は? メキシコ出身の鬼才による鮮烈な処女小説」とあって、紙でつくられた人間が、それにどう関わるのかは欠片も触れられていない。(そもそも、わたしは、この本を見つけたのが今日であり、読み終わっていないのだが、興奮してこの文章を書いているのである)
と、ここまでの記述だけでも想像がつくような、なんともへんちくりんな物語なのだが、異常な話を日常的なものと同列に語る、いわゆるマジックリアリズムの手法によって、高いリアリティーの密度がある。文章のレイアウトという視角的な技法も使われ、写真右上のように墨塗りのページなどもあるので、「独り善がりの実験小説なんじゃないの」と思われるかもしれないが、普通に小説を読むたのしさがあふれている。
そして、この本には、「折り紙本」として、装丁の仕掛けもあるのだった。帯と見える部分が、写真右下のようにカバーの折り返しになっているのである。
さらに、本文とカバー裏には悪魔の図もでてくる。というわけで、折り紙者で、「悪魔の前川」で、かつての文学セーネンで、天文関係の仕事をしているという、わたしを狙い撃ちにしたような小説なのであった。ちなみにプロローグは、柴田元幸さんの手による既訳があるということだったが、これは知らなかった。
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