『数学短歌の時間』2019/02/17 19:31

『数学セミナー』の投稿短歌の連載、『数学短歌の時間』(横山明日希さん、永田紅さん)が3月号で終了した。ほぼ生まれて初めて真剣に作歌し、紙鶴(最初の数回は紙鶴翁)の筆名で毎回数首を投稿した。毎号とってもらったのだから、上出来である。

作歌にあたっては、ものの見かたに数学らしさのある歌、明晰な歌ということを念頭におき、数学が好きであるという真情を込めた。

が横山明日希さん(数学のお兄さん)、が永田紅さん(歌人、生物学者)の選歌である。選にかからなかったものも当然あり、読み返すと、なんでこれを送ったのかというものもあったが、お気にいりのものもあるので、わがままに、それらも記録しておく。とはいえ、選者の判断に容喙したい気持ちはない。投稿してみて腑に落ちたのは、投稿という場では、送って読まれて選ばれるか否かもコミュニケーションであるということだった。読んでもらえるので、それ自体がたのしみであり、評がうれしかった。

◆2018.6 「題:ベクトル」
◇壁にある時計の針のベクトルはゼロにはならず我を追い立つ

のどかなる春の陽のさす小庭にも数多に満ちる力のベクトル

掃き清むブラシによりてベクトルのたくみに変わるカーリング石

◆2018.7「題:ピタゴラス」
◇万物は数と言うのかピタゴラス風も夜空も我も彼女も


五と十二 十三並べピタゴラス 足して三十ひとつ足らず か
(すこし修正)

ピアニズム高き音(ね)低き音轟たる音籟(らい)たる音にも数式ひそめる

◆2019.8「題:帰納法」
◎◇「一つ落ちて二つ落たる椿哉」子規のこの句は帰納法かな

◇帰納法証(あか)すところをひと問わば塵が積もれば塵の山とな

◆2018.9「題:写像」
◇「筆舌に尽くし難し」も言葉ゆえ世界のすべては言葉に写像す

◆2018.9「題:素数」
◎五五五五五七七七七七七七五五五五五七七七七七七七七七七七七七七

◆2018.9「自由題」
ピタゴラスエラトステネスアルキメデスエウクレイデスオソレイリマス

◆2018.10「題:集合」
◎英文で「neither A nor B」書くときはいつも頭にベン図浮かん


(投稿しなかったもの)
アウディのマークベン図じゃありませんベンツもベン図じゃありません

◆2018.10「題:無限」
「この歌」は果てなく続く歌である全文カッコに代入せよ

石川の浜の真砂は有限ですアルキメデスと五右衛門の説

◆2018.10「自由題」
わずかこの数百ビットの情報で恒河沙とおり歌の不可思議

◆2018.11「題:平均」
◎絶対の音感などと言うけれど平均律は近似計算


時が降り平均されて薄れゆく誰も知らない特別な日々

◆2018.11「題:複素数・虚数」
◇窮屈なリアルがとても苦しくてイマジナリーよ世界広げて

共役で結ばれている数ふたつ実数軸は越せない銀河

◆2019.12「題:位相」
◎ひねくれて穴を抱えた君だけど裏を持たないメビウスの帯

数学(きみ)の言う位相の意味はトポロジー物理(ぼく)はフェイズで位相が違う

◆2018.12「題:関数」
あめつちのみそひともぢの多変数関数としてうたのうまれる

次々と波動関数収縮し未来が過去になって退屈

◆2018.12「自由題」
◇連続で微分可能な日常にたまに小さな特異点あれ

◆2019.1「題:対称」
(鏡映対称)
◇数学や物理の理屈蜜の園罪作りの理呟くガウス
(すうがくやぶつりのりくつみつのそのつみつくりのりつぶやくがうす)

(回転対称)
ふたつのユ組んで互(たがい)を支えるが己(おのれ)はひとり己(おのれ)をめぐる

(並進対称)
煉瓦積みカベ煉瓦積み煉瓦積みカベ煉瓦積み煉瓦積みカベ

(鏡映対称)
早苗並山谷畳畳西東一里小景普天泰平
(さなえなぶさんやじょうじょうにしひがしいちりしょうけいふてんたいへい)

◆2019.1「題:最大値、最小値」
◎最小の表面積は冷えにくい猫の界面ほぼ球となる

比較などできないことが多いのにみんな言います「最高です」と

◆2019.2「題:証明」
反省ができないことの反省は証明不能の証明に似て

Q.E.D.示す墓石の記号には打ち捨てられた思索も眠る■

◆2019.2「題:微分、積分」
◇ゆらゆらとゆれるあなたの黒髪は微分可能な曲線である

(宇宙電波観測所にて)
観測の積分時間長くして微かに響く星の産声

◆2019.2「自由題」
◎大嫌い数学なんてときみは言うわたしは数学(それ)に救われました

◆2019.3「公理・定理」
定理なら「カラテオドリの定理」でしょ「驚異の定理」も捨てがたいけど

◆2019.3「原点」
◎◇だれもみな自分の位置が原点で観測座標もつれ絡まる

仰ぎ見る銀河座標の原点(オリジン)の彼方にひそむブラックホールよ

◆2019.3「自由題」
永遠の女神の笑顔を幻視して片恋なれど数学が好き

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短歌という制約の上に特殊な題詠という制約もあって書けたものである。パズルの解答としての三十一文字だ。これは、ことさらに卑下しているのではなく、短歌の形式性ゆえのハッキングの面白さに惹かれ、それがモチベーションのひとつになった、ということである。

作歌することで、短歌への親しみはいや増したのだが、最終投稿から2ヶ月あまり、ひきつづき詠みたいという気持ちは淡いもので、自分でつくるよりも、ひとの歌を読んで、その中に好きなものを探すことのほうがたのしそうに思える。

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最近「これは!」と思った「数学短歌」は、『しびれる短歌』(東直子、穂村弘)で知った以下の歌である。

(7×7+4÷2)÷3=17 杉田抱僕
(かっこなな かけるななたす よんわるに かっことじわる さんはじゅうなな)

あははは。なんだ、これ。いわゆる「偶然短歌」ともすこし違う。こういうのも詠みたかった。真似てみた。

n(n+1)/2=自然数の和
(えぬかっこ えぬぷらすいち かっことじ わるにいこーる しぜんすうのわ)

少年時代のガウスの神童的解答を讃頌する歌のつもりだが、衒学的で、杉田さんの歌の面白さには及ばない。『しびれる短歌』に穂村さんも書いていたが、杉田さんの歌は、「かっことじわる」のリズムがすばらしい。

こうした「数式」そのままの短歌は、和算書にもある。『因帰算歌』(今村知商、1640)や『算法勿憚改』(村瀬義益、1673)に見られるものだ。たとえば次である。

圓径に三一四一六かけ廻廻をわりて圓径と成
(ゑんけいに 三一四一六 かけまはり まはりをわりて ゑんけいとなる)
『算法勿憚改』国文学研究資料館)より)

小数点5桁が四捨五入され、そして得られた5桁、三一四一六をどう七音で読むのかよくわからないが、それはおく。短歌としてどうかというと、これはつまり、「歌って覚える、よく出る公式」である。どこにも詩はない...ように思える。しかし、見ていると、これはこれで味があるような気もしてくる。現代語にすると、その妙な味がわかりやすくなる。

直径に3.14掛け円周それで円周割れば直径
 (超訳『算法勿憚改』)

円周率の値よりも、上の句と下の句がただの「式の変形」になっている同義反復がなんとも言えない。奥村晃作さんの歌、たとえば「 次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く」にあるような、「ただごと」感が醸されている。あまりに意味が明確だとむしろ意味が剥ぎ取られる感じがする、あれだ。それは、数学というものの手触りにも近い、かもしれない。