『折る幾何学』型紙選集2016/12/04 20:30

『折る幾何学』の変則型紙モデルのうち5点が、「型紙選集」として、販売されています。(価格:税込1080円)(こちらを参照

最適の素材と精度の高い加工技術によるもので、独立したパズルとして楽しめて、できあがったものは、オシャレな(!)オブジェとなります。

これはとてもよい。(作者なので、当然ひいき目はある)

『折る幾何学』91ページの図2016/12/04 20:29

『折る幾何学』91ページの図
『折る幾何学』91ページの図に誤りがありました。 工程番号13からできあがりまでが、12までの図と鏡像反転しています。

高野文子さんの色紙と『もののかたち』2016/10/27 21:09

『折る幾何学』の表紙や扉の絵を描いていただいた高野文子さんによる色紙である。透明樹脂でつくった「ねじれ立方体」(『折る幾何学』収録)の中に悪魔を封じ込めたものを贈ったお返しだ。海老で鯛を釣った。
高野文子さんの色紙

悪魔inねじれ立方体

ほんとうにうまいなあという絵で、たとえば、「折り紙人形」の空洞部分の輪郭にも躍動感がある。「表紙の少年の顔は前川さんにちょっとだけ似せました」というのが高野さんの言だったが、この色紙の人物は、「お腹がちょっとでているところがあなたに似ている」というのが妻の感想である。

擬人化された正八面体が描かれているのは、『折る幾何学』内の、「正八面体が好きだ」「正八面体は健気だ」という、誰に通じるのかわからない話(一応、理論化してあるけれど)に基づいている。

この八面体くん、書中の扉絵にも登場しているが、正八面体好きとしてうれしい以上に、一種のなつかしさを感じて、なんだったかなあ、とひっかかっていた。それに関して、昨日、あっ!と、思い出した。

レイ・ブラッドベリの『もののかたち』(The Shape of Things 1948)という小説の印象と重なっていたのだ。

『もののかたち』は、分娩機なる機械の不具合により「次元」の混乱がおき、我々の世界では青いピラミッドとして生まれた赤ちゃんと夫婦を描いた話である。『クレージー・ユーモア 海外SF傑作選』(福島正実編  1976)というアンソロジーに収録されていて(斎藤伯好訳)、高校生のころに読んだ。

あらためて読むと、「クレージー・ユーモア」というよりは、もっと批評性のある小説だった。『明日の子供』(Tomorrow's Child)という別タイトルもあるようで、昨年出た『歌おう、感電するほどの喜びを![新版]』にも収録されていた。

正八面体は、単視点ではピラミッド(四角錐)としてしか認識できない。そして、『もののかたち』のなかで、青いピラミッドの子供は「ピイ」と呼ばれている。ということで、最近できた6枚組みの正八面体モデルも、通称ピイちゃんとなった。
ピイちゃん

『折る幾何学』誤植22016/09/15 23:46

092ページ
× ふたつの正四面体の対応しています.
○ ふたつの正四面体に対応しています.

『折る幾何学』:些細だけれど誤植発見2016/09/06 20:29

『折る幾何学』の出版直前なのだが、「まえがき」に誤植を見つけた。こういうものは、なぜ事後に気がつくのだろう。

9ページ
×エピグラム
○エピグラフ

エピグラフ:(1)巻頭や章のはじめに記す題句・引用句。題辞。(2)碑文。銘文。
エピグラム:警句。寸鉄詩。
(『広辞苑』)

『折る幾何学』のエピグラフには、たとえば、以下の一文がある。

器械的に対称(シインメトリー)の法則にばかり叶つてゐるからつてそれで美しいといふわけにはいかないんです。(宮澤賢治,『土神と狐』)

なるほどねえという内容で、賢治の童話の中の言葉であることの意外性もあって選んだ。しかし、じつはこれは、薄っぺらな気取り屋の狐、『坊っちゃん』の赤シャツ的なキャラクターである狐が、教養があるかのように見せる、受けうりの言葉なのである。わたしにとってこの引用は、この文自体の意味だけでなく、(伝わらないだろうけれど、)衒学とそれに対する自嘲といった意味もある。

引用というのは、自己言及的な引用をすれば、まさに「他人の頭で考えること」(ショーペンハウエル『読書について』)である。しかし、言葉なるもの自体がそもそも借りものである。

すこし前に読んだ山田太一さんのエッセイ『月日の残像 』に、氏が若い頃、自分の感情を書きとめるために、日記ではなく、読んだ本の抜き書きをしていた、という話があった。

  僕は貴女の友情を望みません。(D.H.ロレンスの手紙)

 などというのもある。
 どの引用もたいしたことはいっていないが、しつこく他人の言葉であることにすがっている。事実や気持をそのまま書くには、あまりに平凡陳腐な失恋で、むき出しに耐えられなかったのだと思う。

こうした引用は、衒学とは違う。衒学というのは、鏡に向かったひとりの状態でも成立する。しかし、これは、学術論文での引用と似て、文化的な網目の中に自分の書いたことや気持ちを位置付けようとする願いなのだと思う。

装幀の凝った本など2016/09/05 21:24

◆『折る幾何学』のチラシ
日本評論社チラシ
9月12日頃刊行の『折る幾何学』の、出版社がつくったチラシの裏面が、『スーパー望遠鏡「アルマ」が見た宇宙』(福井康雄編)だった。版元の日本評論社が、天文の本も数学的な折り紙の本も扱っていて、たまたま刊行日が近かったためだ。

日々のあれこれの中で、折り紙と天文が交錯する機会はほとんどない。今回は、上の偶然が面白かったので、このチラシを、三鷹のALMA研究棟の会議机におき、野辺山宇宙電波観測所の特別公開のさいに配らさせてもらった。

◆装幀の凝った本
最近、装幀が凝った本を続けて読んだ。

ひとつは、綾辻行人さんからいただいた『深泥丘奇談・続々』だ。このシリーズの装幀は凝りに凝っている。本文中や見返し、扉にもイラストがあり、カバーを外すと、タイトルはエンボスである。

そして、穂村弘さんの新刊『鳥肌が』も、『深泥丘』と同様、祖父江慎さん(『鳥肌が』は、+藤井遥さん)の装幀なのだが、栞ひもが、細い三本の糸になっていたり、カバーに鳥肌状のブツブツがついていたりするなど、これまた変なつくりの本なのであった。

両書とも、日常の違和感と怖さを扱ったものなので、内容の感触もどこか似ている。ただし、前者は幻想小説で、後者は一応実話だ。一応と書いたけれど、『怒りのツボ』というエッセイには、次の言葉もあった。

「ここを押されると、かっとするポイントってどこだ。(略)あ、『この文章ってどこまで本当なんですか』と云われるのが嫌だな。」

『深泥丘』は猫好きのための本でもある。