風ひかぬ魘(まじない)2020/04/18 20:39

日本折紙学会のオンライン例会で講師を担当した。まずはやってみようということだが、会の関係者には有能なひとが多いので、とてもたのもしい。

オンライン例会・講習作品
講習作品は「(ちょっとかっこいい)兜」と「折り紙作品を飾る台」という、シンプルな作品とした。「兜」は、中央の「鍬形台」のかたちにバリエーションがあって、正八角形の半分になっているもの(左)は、下に折り返すと、顔のガードである「面頬(めんぽお)」みたいにもなる。「台」は、ネコが乗っているもので、きっちりした角錐台である。

写真の後ろに置いた絵は、『北斎漫画三編』(青幻社の文庫版より)から、鍾馗と疫神である。五月人形で知られる鍾馗は、病魔退散の神でもある。なぜ端午の節句に、鍾馗や兜が関わるようになったのかは、調べるといろいろ興味深い。

江戸末期の考証随筆『嬉遊笑覧』にも「鍾馗画、風神送り」の項があり、「風ひかぬ魘(まじない)に鍾馗の画像を用ること」という記述にはじまり、『東海談』(大田南畝編)から以下の文章が引用されている。

享保十八年七月上旬より、東都に疫癘(えきれい)行り、上下貴賎みな此気に中(あた)りて病(やむ)。十三・十四日の頃、大路往来もたえだえ也。これは医書のいはゆる天行時疫といふものか。邑里(ゆうり)ともに藁にて疫神の形を作り、かね太鼓をならして是を送り、南海に流しぬ。官もゆるして咎めず。是(これ)戯(たわむれ)なりといへども、又三代の遺風なりと思はる

「天行」も「時疫」も、いまでいう感染症のことである。これは、1733年、数年前にヨーロッパで流行したインフルエンザが日本にも上陸したことを記したものだ。この年、江戸では1ヶ月に8万人のひとが死んだという。そして、隅田川の花火は、この年から死者を弔う施餓鬼として始まったのだそうだ。現在の世界もたいへんな状態だが、ご先祖さまも同様のことを生き延びてきたのである。関連する話として、次号『折紙探偵団』の連載コラムに、「ユニット折り紙は感染症を避けるおまじないの伝統につながって…いなくもない」という話を書いた。

ユニット折り紙もソーシャル・ディスタンス(その2)
ソーシャル・ディスタンスをとるユニット折り紙(作品:犇犇薗部(ひしひしそのべ))のCGその2も載せておく。

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