紙縒の犬(つづきの2)2019/12/01 22:54

『武玉川』の「物思ひ小よりの犬も痩かたち」という一句からはじまった、「紙縒(こより)の犬」についての研究」(?)のつづきである。

ついでに、『武玉川』の句で、紙縒の犬に関係のない一句にも触れておこう。天文、紙細工、数字・図形に関連した句のほかに、「鶴」の句にも注目して読んでいたのだが、その中に、「鶴の死ぬのを亀か見て居(をり)」というものがあり、なかなかのブラックユモーアだと感心した。たしかに、亀のほうが十倍長生きする。この「七七」の句は、先に面白いと引用した坂東乃理子さんの現代川柳の付句にぴったりである。

本当に仲良しなのか鶴と亀 (坂東乃理子)
鶴の死ぬのを亀が見ており (『武玉川』:表記をあらためた)

さて。紙縒の犬についての話である。
まずは、動物文学の巨匠、日本のシートンこと戸川幸夫さんのエッセイに、ずばり『こよりの犬』というものがあった。本の題名もこれなのだが、表題の一編は、2000文字ほどの短文で、今から100年前の戸川さんの幼少期、九州は佐賀鍋島、氏の祖母と曽祖母が住む草深い村の家でのエピソードである。

 そこでこよりつくりが始まるのだ。何本もつくったこよりを、さらにより合わせて曾祖母と祖母は犬をつくりあげた。耳がぴんと立ってしっぽのきりりと巻いた日本犬であった。走っている犬、吠えている犬、いろんな犬、祖母たちは、彼女らが娘時代に、きっと私のようにして、母や祖母たちから習ったに違いないこより犬を、せっせと創造するのだ。
(略)
 私は、祖母たちがせっかくつくったこよりの犬を、みんないろりに投げ込んだ。 
 祖母たちは、たった一つしか知らない芸術をふみにじられて悲しい顔をした。慶応、元治、文久、万延……もっともっと昔から教え、教わりして伝わってきたこより芸術。今日、私はなんどかその犬をつくりだしてみようと試みるが、うまくできない。百犬百態の、生きているような犬たちの姿は、祖母たちとともにもう去って帰ってこないのだ。
『こよりの犬』戸川幸夫、1969)

戸川さんが幼年時代のことを還暦近くになって鮮明に覚えているのは、孫を喜ばせようと祖母や曽祖母がつくった犬たちを、いろりに捨ててしまったことに気がとがめた記憶となっていたためだろう。じっさい、子供というのは、ときに残酷だ。そして、ここに描写された紙縒の犬は、幸徳秋水がつくっていたそれより、はるかに手が込んでいそうである。「吠えている犬」ということは口が開いているということで、再現してみたい気もする。

さらに、2007年の第2回『幽』怪談文学賞長編部門特別賞を受賞した、長島槇子さんの連作短編集『遊郭(さと)のはなし』(『遊郭の怪談(さとのはなし)』を改題)に、『紙縒の犬』という一編があった。

 廓には、色々と願掛けやまじないがあるけれど、紙縒の犬は待ち人を呼び寄せるためのおまじない。相手から来た文なぞを裂きまして、紙縒に縒って作るんだ。尾っぽをちょいと巻いてやると、下手でも犬になるんだよ。
『紙縒の犬*内芸者のはなし』『遊郭(さと)のはなし』長島槇子、2008)

こちらは、待ち人を呼ぶ蠱物(まじもの)である。尾が巻いていることは、戸川さんのそれに似るが、凝った細工とは思えない。『武玉川』や、それを引用した『嬉遊笑覧』に記述されたものや、幸徳秋水の手癖のそれを思わせる。嫌な客が来たときに増殖する秋水の紙縒の犬は、「さかさ箒」のような長居する客を退散させるまじないも連想させるが、ここでの機能はそれが逆になっているのは面白い。長島さんの創作か、典拠があることなのかは不明である。同書の参考文献にあがっていた『江戸吉原図聚』(三谷一馬)にも描写があるのかが気になるが、これはまだ見ていない。

そして、『手仕事の日本』(柳宗悦)には、「紙縒細工」の記述があった。山形県鶴岡の記述の部分である。

煙草の道具を売る店を時折見かけますが、旅の者の目を悦ばせます。胴乱だとか煙管筒だとか、色々の種類を並べますが、中で注意すべきは紙縒細工で、黒漆のも朱漆のも見かけます。大体紙縒細工は朝鮮が優れた仕事を見せますが、我国では江戸で発達しました。
『手仕事の日本』柳宗悦、1948、引用は岩波文庫版より)

紙縒を編み、漆を塗って丈夫で軽い器にした細工物についての記述である。同書の芹沢銈介氏の挿絵にある、印籠のような「煙草具」のようなものである。
紙縒細工(芹沢銈介)
『手仕事の日本』より、紙縒細工の煙草具(芹沢銈介)

岩波文庫版では、ふりがなが、「こよりざいく」ではなく、「かみよりざいく」とある。原本はどうなっているのか。この本における紙縒細工に関する記述は、浅草、鶴岡(山形)、長門(山口)の部分にあり、そうした工芸の総称として「長門細工」という呼び名があることも述べられている。なお、紙縒に似たものに水引があり、こちらのほうのがより美術工芸品的だと思うが、華麗すぎて宗悦さんの興をひかないのか、長野県飯山の記述において、一文で触れられるだけである。

くらき夜の山松風は騒げども2019/12/09 21:23

◆哀悼
会費を払って報告を読むだけだが、わたしもペシャワール会の会員だ。会則5項の「会員はそれぞれ可能な範囲で、自ら創意工夫して自由なやり方で支援活動を行う」に得心していたが、これも、中村哲さんが好きだったという最澄の「一隅を照らす」の精神を反映したものか、とあらためて思った。

尊敬できるひとがいるということは、この世界で生きていることの大きな救いなので、喪失感が強い。今年は1月に、アフガニスタンの絵を多く描き、ペシャワール会報にもその絵がよく載っていた甲斐大策さんも亡くなっている。

場所:文京区白山1-33-8 朝日マンション2F JOASホール
日時:12/14(土)10:00-17:00
誰でも聴講できます。

◆Starry Night
クリスマスカードをつくる教室をします。
日時:12/15(日)13:00-15:00
クリスマスカード

思いきってシンプルな作品。今日たまたま見た次の短歌は、上のカードの雰囲気を、さらに子供らしくした感じがした。

手作りの夜に包まれ眠る子らクレヨンの月折り紙の星 前川泰信
(日経歌壇2019/12/07 穂村弘選)

同姓だが、この前川さんはまったくの他人である。ナースリー(幼児見守り的)な歌柄と折り紙と夜いうモチーフから、次の歌も連想した。

いもうとの小さき歩みいそがせて千代紙かひに行く月夜かな 木下利玄

月がでていないと夜の道は暗すぎるので、この歌は「月夜かな」でなければならない。しかし、クリスマスの夜に似合うのは、月夜よりも星月夜だ。ちなみに、星月夜というのは「暗夜に、星の光が月のように明るく見える夜」(『広辞苑』)の謂で、月のない夜のことである。今年の12月24、25日の月齢は27から28なので、夜空に明るい月はなく、暦としては絶好の星月夜になる。

追記(12/12):12/26の新月には日食もある。東京では15:35が食の最大、食分は0.389)

古歌には星より圧倒的に月の歌が多いが、次のような歌もあり、それらは、冬の星月夜に合っているようにも思える。むろん、建礼門院も永福門院もクリスマスなんて知るはずもないが。

月をこそながめ馴れしか星の夜のふかきあはれを今宵しりぬる 建礼門院右京大夫
くらき夜の山松風は騒げども木末の空に星ぞのどけき 永福門院

二首目、松風とあるが、唐松であれば葉は散るので、『モチモチの木』(斎藤隆介、滝平二郎)のような、黒々とした冬木立の間から見える星々のさまも想像する。

星月夜と言えば、1980年代の歌謡曲『旅の手帖』(石野真子)に、「星あかりで書く旅の手帖」「星あかりで読む旅の手帖」(松本隆作詞)という歌詞があったのも思い出す。当時、露営の貧乏旅行をよくしていたわたしは、この曲を耳にして、星明かりで文字を書いたり読んだりするのは無理だよねと思っていた。蛍の光でそうする以上に難しい。中国の故事に「月光読書」というものもあるが、経験上、満月でも読書はかなり難しい。さらに、新月の星月夜の照度は満月の1/10の0.02ルクスなので、事実上、文字の判読は不可能である。

こよりアート など2019/12/18 20:13

◆こよりアート
先日来の「こよりの犬」に関する調査(?)は、犬の造形に関することはともかく、こよりに関する話がいくつか集まって、まだまだ続いている。共時性めいていたのは、妻が買ってきた『ビッグイシュー』(12/1:372号)に、「表現する人:紙のこよりで、自然のエネルギーのうねりを追う HITOTSUYAMA STUDIO」という、こよりをつかった現代アートの記事が載っていたことだ。かなりリアルな造形である。『ビッグイシュー』はまれにしか求めないので、思いがけないめぐりあいであった。
HITOTSUYAMA STUDIO@『ビッグイシュー』

こよりの調査から派生して、折鶴に関しても興味深い話があったのだが、それはまた別の話。

◆ゲノム・エンジン・オリガミ
テッド・チャン氏の第二短編集『息吹』(大森望訳)の一編『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』に、ゲノム・エンジンというシステムソフトウェアがでてくる。プラットフォームの違いでいくつか種類あって、その中にオリガミというものがあった。

「向きづけされた遺伝的アルゴリズムを用いたマイクロカーネル(Oriented GA (Genetic Algorithm)-applied  Microkernel)」の略でOriGAMiという設定はどうだろう、などと考えた。考えすぎとは思うが、テッド・チャンさんならそんなことまで設定しているかもしれない。もうひとつのシステム名・ファベルジェは、ロシアの有名な金細工師の名前らしく、これもセンスがよい。

◆紙と紙飛行機
市川優人さんの第26回鮎川哲也賞作『ジェリーフィッシュは凍らない』に、紙飛行機と紙の話がでてきた。

航空工学とは乱暴に言ってしまえば、『航空機』を開発する学問です。『航空機に使われる素材』を開発する学問ではありません。紙飛行機で喩えれば、より遠くまで飛ぶ紙飛行機の形や折り方、飛ばし方を考えるのが航空工学であって、紙そのものを作るのは彼らの本来の仕事ではないのですよ

この記述は、「紙飛行機」が「折り紙飛行機」を指す場合が多いことの例にもなっている。これは、折り紙の文献調査をするときの注意点である。「紙飛行機」が、紙などを使った模型飛行機で「折り紙飛行機」でない場合もあるからだ。

◆クリスマスツリーのエンブレム
クリスマスツリーのエンブレム
先日、講習会用のシンプルなクリスマスツリーを考えたとき、別の造形のアイデアも漠然と頭の中にあった。それをじっさいのかたちにしてみた。ツリーのシルエットをインサイドアウト技法でエンブレム風にしたものだ。わるくない。

◆ふたつの正八面体
ふたつの正八面体
ふたつの正八面体を、共通する軸にそって90度回転させた状態で貫入させた立体はどうなるか。どこまで貫入させるかは、とりあえず面の中点までとする。明快で、造形としての面白さもあるので、これを折り紙でつくってみようとした。直感的に、すっきりした構造になるように思えたのである。しかし、そうでもなく、面上の「穴」の、直角に見える部分も、120 - atan(√3(√2-1))=84.34...°という値なのであった。とりあえず2枚組でつくってみたが、あまりエレガントな構造にはならなかった。

◆哀悼
若いひとが亡くなるのはつらく、歳を重ねていても大事なひとが亡くなるのは苦しいだろう、という思いで、花代を送り、弔電を打つことが続いた、年の暮になった。

◆「暮」という文字
最近の『数学セミナー』は、劉慈欣さんの『三体』が売れているのに便乗(!)して、最新号で三体問題を特集するなど、なんだか攻めている。一年前の投稿コーナー『数学短歌の時間』も、思えば不思議な企画だった。選歌されなかったが、ブログに載せたところ、気にいってくれたひとがいた歌があった。

Q.E.D.示す墓石の記号には打ち捨てられた思索も眠る■

数学の論文で、Q.E.D.(証明終了)が「■」で示される場合があり、これは「墓石」記号とも呼ばれる。最後の■は、文字化けに見えそうだし、きわめてニッチな歌だ。気にいってくれたひとも数学関係者であった。

そのひとが、すこし前、わたしのブログに書いてあったこの歌の「ぼせき」の「ぼ」が「暮」になっています、と教えてくれた。ハカでなくてクレなのである。えっと思って確認すると、たしかにそうなっていたので修正した。いつも使っているMacBookで「ぼせき」と打つと、「墓石」より前にこの字が出た。初期設定に近い別のMacでもそうなったので、学習によるものではなさそうだ。いくつか辞書を調べたが、こんな言葉は見つからなかった。Apple Japan、日本語の辞書がテキトーだぞ。

関連して辞書をめくっていて、「暮歯」が老年を示すことを知った。使う機会はあまりなさそうな言葉ではあるが、鯨や象の歯にできるという年輪の話が思い浮んだ。

暮と墓の共通部分は「莫」である。否定と果てのなさを意味する字だ。命を失って土になるのが墓、日がないのが暮、水が少なかったり無かったりするのが沙漠である。獏はじつは獣ではなく、募るのは力がないからだろうか、などと考えた。じっさいのところは、莫はたんに音符のようで、模型は木のこともあり、幕は布である。

クリスマス飾りなど2019/12/21 14:35

◆クリスマス飾り
クリスマス飾り
クリスマスツリーのエンブレムのお仲間に、星、キャンドル、ジンジャークッキー人形をつくってみた。それぞれ7.5cmの正方形で折って、15cmの正方形の上に並べたら、コージーなキルト感がでた。

◆手紙を飛ばす
『アナと雪の女王2』を観たひとが、手紙を図のように折って飛ばすシーンがあったと教えてくれた。ファンタジーの中にでてくる折り紙は、ときに魔法的である。
手紙を飛ばす

◆神保町駅
神保町駅
随分前から工事が進んでいるので、いまさらであるが(ただしまだ完成はしていない)、神保町駅の本棚ふうのレンガタイルのデザインが面白い。

とは言いつつ、ビブリオフォビア(書物恐怖症)のひとは困るかもしれないとも思った。ビブリオフォビアは、Wikipedia(英語版)に項目があるぐらいなので、それなりにある症例のような気もするが、どうなのだろう。ちなみに、Wikipediaのこの項目には、始皇帝の肖像が載っている。焚書坑儒がらみである。始皇帝といえば、先日来読んでいた『俳風柳多留』に次の句があった。

始皇から見れば清盛小僧なり

江戸の市井のひとに、東アジアの地理・歴史的なスケール感があったと思うと、なかなかに興味深い。始皇帝の暗殺譚を描いた『漢楊宮』は、草双紙でも人気の題材だったようだ。
清盛というか平家も、『平家物語』の有名な「この一門にあらざらむ人は…」のみならず、その直後の以下のくだりなんかは、ヒトラーユーゲントぽくて、なかなかにイヤだけれど。

十四五六の童部を三百人そろへて、髪をかぶろに切りまはし、赤き直垂を着せて、召し使はれけるが、京中に満ち満ちて、往反しけり。おのづから、平家のことあしざまに申す者あれば、一人聞き出さぬほどこそありけれ、余党にふれ回して、その家に乱入し、資材雑具を追捕し、その奴をからめとつて、六波羅へ率て参る。
『平家物語 巻一 禿髪』 岩波文庫より)

年末2019/12/30 08:49

NHK-Eテレ、12/31 17:00-17:30。

◆クリスマス
何年かぶりに、『素晴らしき哉、人生!』(1946、フランク・キャプラ監督)を、クリスマス当日に観るという、いかにもなことをした。

同作の、自由意志、必然と偶然、決定論といったモチーフは、最近読んだテッド・チャンさんの諸作のテーマでもある。そういえば、チャンさんには、前著だけれど、天使がでてくる話もあった。

 「誰の人生も他の大勢の人生に関係していて、誰かが欠けるとひどい穴があくんだよ」 (二級天使クラレンス)
 "Each man’s life touches so many other lives, and when he isn’t around he leaves an awful hole, doesn't he?" (Angel Second Class Clarence)

◆12/26日食
日食12-26
日食。野辺山の電波ヘリオグラフでは、曇っていても観測できるのであった。

◆12/28釜飯
上信越自動車道の横川サービスエリアで釜飯を食べるという、いかにもなことをした。包装の紙が正方形だったので、ねずみを折ると、峠と元祖の文字がよい具合に出た。
横川の釜飯

楓ヶ丘動物園シリーズ2019/12/31 21:45

似鳥鶏さんの楓ヶ丘動物園シリーズ『午後からはワニ日和』、『ダチョウは軽車両に該当します』、『迷いアルパカ拾いました』、『モモンガの件はおまかせ』)のレギュラーキャラクター・七森さやさんが、筋金入りの折紙者なので驚いて、シリーズを一気読みした。
(レギュラーキャラクターと書くと、シリーズを最初から読むひとに若干のネタバレになるけれど、許される範囲でしょう。なお、年明けには、シリーズ最新刊『七丁目まで空が象色』もでるらしい)

彼女が折るのは、ゴルゴサウルス、ハロウィンの南瓜、淀川長治、イラガの幼虫、『べルサイユのばら』でオスカルを演じた朝海ひかる、アダムスキー型UFO等々だ。
「『べルサイユのばら』でオスカルを演じた朝海ひかる」ってなに? しかも、ふつうの折り紙用紙ではなく、メモ用紙、チラシ、企画書、ティッシュ、伝票など、身の周りにある紙で、会話をしながら折る。逸材である。

2012年から始まったシリーズなのに、ミステリ好きの折り紙作家として、このシリーズに気がついていないのは、不覚であった。似鳥鶏さんは、いわゆる日常の謎やキャラ立ちの話と思わせて、ミスディレクションや伏線の張りかたが巧みな本格ミステリ、という作風なので、かなりの作を読んでいたのだが、なぜか、このシリーズは読み落としていた。
楓ヶ丘動物園シリーズ
写真は、『午後からはワニ日和』についていた帯で折った、二作目の「主人公」のダチョウ。七森嬢の作風を真似た、ということである。胴体にダチョウの文字が出るように工夫した。

似鳥さんの話づくりは、物語の予定調和をすこしずらしてくるのがよい。たとえば、『100億人のヨリコさん』。森見登美彦さん的な話かなと読み始めたら、バカSF的な理屈がバーストし、事件自身の論理で話がころがってゆくのである。

◆紅白歌合戦の『紙の鶴』(丘みどりさん)という歌、初めて聞いた。

では、みなさん、よいお年を。