すこしづつ、折り紙に関係なくもない話をいくつか2019/09/28 22:54

◆飛田給
先週末、京王線飛田給駅近辺は、ラグビーのワールドカップで大にぎわいであった。ファンが盛り上がっているのにはなんの文句もなく、毎日新聞のサポーターの写真に、わたしの「飾り兜」をかぶっているひとが写っていて、意外なところで自分の作品を見ることがあるものだと、不思議な気分にもなった。開会式では折り紙をモデルにしたらしきCGもあった。
9.24毎日新聞

ただ、開会式の日、周辺での黒塗りのハイヤーやタクシーの振る舞いには、会場近くの住民として閉口した。交差点で停め、住宅街の路地に長時間停める。そして、警察の取り締まりは甘い。電車で来ればいいのに。こうしたイベントでの、首から関係者の名札を下げたスーツ姿のひとたちというのは、スポーツの持つ明るさや開放感とは対照的である。

◆兎の話
最近読んでいた一般向けの翻訳科学書に「拙著」とあって、違和感があった。著者は自信満々の科学者で、原文に拙著に相当する謙譲表現があるはずもない。自分でも使ったことがあるが、なくなったほうがよい言葉だろう。対象が本なので、「愚妻」や「豚児」よりはるかにましだが、謙譲というより卑下といったほうが相応しい。

拙著と同様の言葉に兎園冊(とえんさつ)という言葉があって、「兎園冊ですが、おたのしみください」なんてのは、通じるはずもないが、使ってみたい気もする。

兎園:前漢、梁の孝王が造った庭園の名。兎園冊:(梁の孝王の蔵書が俚語で書いてあったからいう)(1)俗語で書かれた卑近な冊子。俗書。(2)自分の著書の謙譲語。(『広辞苑5版』)

この言葉を知ったのは、江戸のUFOとも言われる「うつろ船」のことが書かれた文献が、『兎園小説』というものだったからだ。馬琴が主催した奇談を披露する会を兎園会と称し、その話を集めた本を『兎園小説』という。馬琴による「与太話」という韜晦なのだろう。使ってみたくなるのは、そのニュアンスが、卑下というより韜晦で、さらに、兎が遊ぶ庭園というのどかな風景が思い浮かぶからだろう。
ちなみに、うつろ舟に関しては、加門正一さんの『「うつろ舟」ミステリー』という本が詳しい。

『うつろ舟』

兎園とうつろ船といえば、うつろ舟伝説に題をとった小説のある澁澤龍彦さんが、晩年、置き去りにされていた兎を拾って家で飼っていた、という話がある。『うつろ舟』を書いたころのことである。澁澤龍子さんの『澁澤龍彦との日々』によると、以下のような経緯だという。

ある日、玄関のチャイムが鳴り、「宅急便です」という声に扉をあけると、ルビーのような赤い眼ををした掌にのるくらいの白い子兎が置き去りにされていました。

なんなんだという話だ。詩人の平出隆さんのエッセイ『兎島』『兎をめぐる十二の物語』所収)には、「澁澤さんの熱心なファンの女の子が、ちょっと変わったプレゼントをしたということか」という推測が書かれているが、どこか現実離れした話である。

まずわたしが気になったのは、動物を飼ったことなかったという澁澤さんが、その兎の世話をすることになった心情の一端に、我が家がまさに兎園となるという思いはあったか、ということだ。しかし、そういう記述は見つけることはできていない。前出の澁澤龍子さんの回想録によると、その兎は本をよく齧っていたそうで、じっさいの兎は、本の保管との相性はよくない。

というふうに妙な方向に関心が動いて、さらに関連の本をめくっていて、以下のこともわかった。澁澤家に兎が置き去りにされたのは、1983年のことで、同年、澁澤さんの最初の妻・矢川澄子さんが『兎とよばれた女』という小説を上梓しているということである。なんだか意味深で、不穏な感じもする話だ。そう思って読みなおすと、平出さんの記述も含みがあるようで、澁澤家に拾われた兎と矢川さんを結びつけるのは、「言ってはいけないこと」のように思えてきた。これ以上の勘ぐりはやめておく。

矢川さんといえば、我が「兎園冊」である『折る幾何学』の扉にエピグラフとしてあげた『不思議の国のアリス』の言葉は矢川さんの訳であった。

挿絵もせりふもない本なんて、どこがいいんだろう。

思えばアリスも兎から始まる物語だ。で、兎といえば、以下の話も思い出した、ということで、以下、すこしだけ折り紙の話になる。

副詞の「とにかく」「ともかく」「とやかく」は、「兎に角」「兎も角」「兎や角」と書く。これらを見ると、折り紙用語「つまみおり」の英名「ラビット・イヤー・フォールド」が思い浮かぶというひとがいて、その話を聞いてから、わたしもそうなった。じっさい、変な表記だ。ありえないものを示す「亀毛兎角」という熟語から来たともいう。亀に毛が生えていても、兎に角があっても、なんであっても、とにもかくにも、と。
つまみ折り

◆かさこそと揺れる折り紙
宮部みゆきさんの『さよならの儀式』所収の『星に願いを』の一節に、折り紙が登場していた。

室温が上がったのか、停まっていたエアコンが自動で動き始めた。さらりとした冷気が吹きつけてきて、晴美の机の隅に置いてある折り紙のキリンとライオンをかさこそ動かす。

不安とも言い難い、微かなこころのざわつきを表現する小道具としての折り紙である。『未知との遭遇』(スティーブン・スピルバーグ監督)の玩具が動き出すシーンを、控えめにしたような描写だ。なんで『未知との遭遇』を挙げたかというと、『星に願いを』は、「古典」で言えば、フィニイの『盗まれた街』やハイラインの『人形つかい』的な、「宇宙人」の話なのである。そう、これは、宮部さんには珍しいSFの短編集で、副題にも「8 Science Fiction Stories」とある一冊だ。しかしなぜかそれは、横文字で小さく書かれているだけで、帯にも「心ふるえる作品集」「宮部みゆきの新境地」とあり、SFであることが大きくは示されていないのであった。ジャンルを限定して売りたくないということなのだろうか。宮部さんは、『蒲生邸事件』というコニー・ウィリスさん的な話でSF大賞を獲っているのに。

◆○○警察
上記の話などにもその傾向があることは見てとれるが、わたしは本を読んでいて、思わず○○警察になってしまうことがある。自分でも持て余すのだが、最近では以下などである。

あるミステリ。1950年代のシーンの会話に、「ノーベル経済学賞」とあったが、ノーベル経済学賞(アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行賞)は1969年からだ。

あるマンガ。月の弦が下向きだったが、太陽との位置関係から、夜の月で弦が下向きのことはありえない。

そういえば、以下も。
『大辞林』の4版。以前、出版社のwebフォームから指摘した「扶翼」の文献、修正されているかと期待したのだが、変わっていなかった。残念。