『街角の数学』、そして、ノートルダム大聖堂の話など2019/04/20 10:11

◆51
51
イチロー選手の背番号の51というのは、もしかしてSuzkuki 1-roの「頭文字」の「S 1」、もしくは、Suzkuki Ichiroの「S I」を「51」に見立てたものなのか、と思ったのだが、すくなくとも最初につけたときにはそんな話はなくて、空き番号だったということだけらしい。

51=3×17であり、17といえば、ガウス御大による正十七角形の作図があり、3と17は互いに素である。つまり、正五十一角形は、正十七角形の作図と正三角形の作図の組み合わせで、定規とコンパスで作図できる。
正51角形
それを示す図を描いて見た。すると、正五十一角形がほとんど円に見えて、なんの図なのか、いまひとつわからなくなってしまった。この図の青い線は円ではなく、正五十一角形で、赤と緑の丸は、その頂点ふたつを示すものなのだが、この解像度ではそうは見えない。

ところがである。数値計算をしてみると、円の直径を1としたとき、内接する正五十一角形の周の長さは3.1396...、外接する正五十一角形の周の長さは3.1455...で、そんなによい近似という気もしないのであった。これはつまり、よほどのことがない限り、実用的な円周率は3桁の近似3.14で充分だということを示している。

◆『街角の数学』
五輪教一さん、山崎憲久さんから、新著『街角の数学』をご恵贈いただいた。身の回りにあるものを和算的な視点、つまり図形を愛でる視点でたのしむ本だ。ぱらぱらとめくっていると、「丸窓」と題されたコラムに、さきごろ火災にあったノートルダム大聖堂の薔薇窓の写真があった。

ちょうどわたしは、火災のニュースを聞いて、この薔薇窓に関して、まさに街角で数学したことを思い出しているところだった。11年前、パリに行ったさい、わたしはこの窓を見て、その意匠をあれこれ考えたのだ。どこにも記録していなかったものだが、以下、その話を思い出してまとめてみた。

ノートルダム大聖堂
ノートルダム大聖堂の南面(11年前)

写真は、火災前のノートルダム大聖堂の南側である。真上から見て十字架になっている屋根(4月15日の火災で燃え落ちたものである)の、横木の先端にあたる。この写真にも写る上部の小さい丸窓は、激しく損傷したというが、不幸中の幸いというか、大きく美しい薔薇窓は、反対側の北の窓とともに損壊を免れたという。

ノートルダム大聖堂・南の薔薇窓
南の薔薇窓

この薔薇窓は、大きい正方形に円を内接させ、その円を十二の花弁(十二使徒と関係するらしい)で分割したかたちが基本になっている。これを見たときに面白いと思ったのは、そこに、ルーローの三角形が使われていたことだった。

ルーローの三角形というのは、辺を円弧にすることで、どこをとっても等幅になっているかたちで、ロータリーエンジンのローターや、パナソニックの掃除ロボットに用いられているものである。この図形に名をのこす工学者・フランツ・ルーローがプロイセン(ドイツ)に生まれたのは、ノートルダム大聖堂ができてから約六百年後のことだが、このかたち自体はより古くから使われていたのであろう。

教会建築の意匠の歴史や、ノートルダム大聖堂の建築史などに関しての知識はなく、この窓の意匠が特別なのかそうでないのかも知らないのであるが、後述するように、北側の窓とも異なっていて、かなり珍しいものに思えた。

まず、なぜルーローの三角形かというとことである。円周上に並ぶものは、厳密にはルーローの三角形ではないので、全体の四隅で見てみる。大きい円と正方形のすきまに、中に六つの花弁のある小さい円が接し、さらにそのすきまに、ルーローの三角形が接し、その中に三つの花弁がある(図1)。

枠の中にあるそれぞれの花弁は、見た限り、互いに外接する円からできている。六つの花弁の枠が円であるのにたいし、三つの花弁の枠はルーローの三角形なのだ。それはなぜか。それは、三弁のときに花弁を大きくするためとみてまず間違いがない。三弁の枠を円にすると、図2のようになるが、それだと花弁が小さすぎるのだ。
薔薇窓の作図の検討

つぎに、ルーローの三角形の向きである。それらは、図1の赤い線のように、正方形の辺に円弧の二分点が接する向きになっている。しかし、それは、このすきまに接する最大のルーローの三角形ではない。最大のものは、これよりやや傾いたものになる。図3の青い線である。この向きを決める計算はかなり難しくなり、直角にしたほうがわかりやすいのだが、内接する三弁を大きくするということに限って言えば、図1は合理的ではない。

しかし、よく見ると、この向きには、別の意味があることがわかる。ふたつのルーローの三角形の向きに沿った線の交点が、内側の大きい花弁(これらは大きい円の円周にとどいていない)の先端に一致しているのだ(図4)。補助線をひく(図4の緑の線)と、図がとても「きれい」なのである。

まとめると、この意匠を考えた建築家や職人は、十二弁、六弁や四弁はともかく、三弁の花という、正方形とはやや相性が悪い意匠を用いながら、それがうまく馴染み、正方形と喧嘩しないように、デザインを進めたのではないか、ということである。そもそもなぜ三弁が多用されたのかというと、たぶん三位一体の象徴といった意味があるのだろう。なお、パーツの中に見える四弁のものは、円の枠を使っておらず、三弁にも、花弁の円が重なるかたちでより円に近くして枠を使っていないものもある。

ここで、北側の薔薇窓にも簡単に触れよう。残念ながら写真を撮り損ねたのだが、そこに、ルーローの三角形はなく、三弁の花弁の枠も円になっていた。そのままでは、上述の南窓で説明した理由で花弁が小さくなってしまうので、円が重なるようにしていた。三弁の向きも、南窓とは異なり、中央の十二弁の花弁の先端も、大きい円の周に接したかたちだった。北窓は、南窓に比べて単純なのだ。

上に「四隅」と書いたように、薔薇窓の上部の隅も同じ意匠になっている。ただし、そこにはガラスは嵌め込まれていない。これは、内側から見たときにアーチ状に見えるようにしたためだろう。

内側からといえば、11年前のわたしは、参拝者が列をなしていたので、中からこのステンドグラスを見るのを諦めた。ステンドグラスというのは、暗い室内から光を通して見ることを考えてつくられるものである。わたしは、この薔薇窓の一番美しいところを見ていない。世界で最も美しいステンドグラスとも言われるその様、火災にも耐えたその麗姿を、機会があったら見たいと、すこし思っている。