『沈黙のパレード』など2018/10/21 17:46

◆じつに面白い
東野圭吾さんの探偵ガリレオシリーズの新作『沈黙のパレード』に、折り紙の科学に関する記述があった。ガリレオ先生こと湯川教授が、定食屋で雑誌を見ていて声をかけられるシーンである。

「正解、折り紙だ。一枚の大きな紙を、効率よく、できだけコンパクトに折り畳めるように工夫してある。大事なのは、折り畳むだけではなく、広げる手順もシンプルでなければならないという点だ。なぜそんなことが必要なのか。折り紙といったが、じつはこれらの素材は紙ではなく、太陽電池などの宇宙パネルなんだ。小さく折りたたんだ状態でロケットに載せて宇宙空間まで運び、そこで大きく広げて利用しようというわけだ。(略)この分野の人間なら日本人でなくても、オリガミという言葉は通じる」すらすらと淀みなく話した後、男性客は感想を求めるように夏美の顔を見つめてきた。
(略)
 男性客は眉間に皺を寄せると、眼鏡の中心を指先で押し上げた。
「残念ながら、僕がやっていることはこれほど優雅じゃないし、花もない」ため息をつき、雑誌を閉じて傍らのバックに押し込んだ。「よく訊かれるよ、あなたの研究は一体何の役に立つんですか? 生活が便利になるんですか? スマートフォンとどっちがすごいですか?」

と、語る、湯川教授は、モノポール(磁気単極子)の研究をしているらしい。静岡の菊野という土地(菊川がモデル?)が舞台なのだが、遠州が舞台なのは、スーパーカミオカンデの粒子観測装置をつくった浜松ホトニクスからの連想だろうか。なお、ドラマ版の有名なセリフ「実に面白い」は、原作にはなかったと思うのだが、本作ではこのセリフがあって、東野さん、遊んでいるなあと。

新作「ペガサスを探して」が、10/27(土)22:45-23:00に放映される。

シリーズの初めのころは、折鶴博士がモデルを思いつくさいに、それこそ、ドラマの『ガリレオ』ばりに、数式を書いたりするシーンがあったが、最近その演出はない。あの数式や図は、じつは、わたしのノートからとったもので、面白がって見ていたのだけれど。

天文学と印刷
昨日、印刷博物館の企画展「天文学と印刷」を観てきた。図録がきわめて充実していて、チラシも面白い。デザインが8種類あって、A4サイズのそれを8枚並べると、A1サイズのポスターとなる。印刷博物館だけあって、印刷も凝っている。

虎頭の舞(甲州台ヶ原)
写真は、阪神タイガースの応援団ではない。甲州台ヶ原宿の、獅子舞ならぬ、虎頭の舞である。
なお、今シーズンのタイガースもずっとオープン戦をやっている感じであったが、2年前の9月のこのブログにも、「阪神タイガースというチームは、半年間、オープン戦を続けているのであった」と書いていた。つまりは、3年間そうなのであった。

三鷹・星と宇宙の日20182018/10/26 18:20


三鷹・星と宇宙の日2018

明日は、10:00から19:00まで、国立天文台三鷹キャンパスの特別公開日

野辺山宇宙電波観測所コーナーでは、VRゴーグルで45m電波望遠鏡の鏡面にまで登ることもできます。わたしの折り紙作品の「折り図」もおいてあります。

折紙歌合拾遺 紙雛篇2018/10/28 22:09

(写真は、以下の文章と直接の関係はない)
雛人形

あの言葉の真の意味に、耕助はそのときはじめて気がついたのである 。
『獄門島』横溝正史)

9月末に発行された『折紙探偵団』171号に、『折紙歌合(おりがみうたあわせ) - 折り紙が詠み込まれた短歌と俳句 -』と題したエッセイを寄せ、「折り紙」、「折鶴」、「紙ヒコーキ」などが詠み込まれた歌や句を紹介した。その冒頭にも書いたように、それらの歌や句の多くは、「渉猟したわけではなく、偶然出会ったものたち」で、「もっとあるに違いない」と考えている。むろん検索して見つけたものもあり、「もっとあるに違いない」のさっそくの実例として、忘れていた言葉があったことに気づいた。「紙雛」(かみひな、かみひいな)である。季語にもなっているので、多くの句がある。

以下、歌合(うたあわせ)と言いつつ、歌ではなく俳句ばかりであるが、それらを紹介する。いまの季節と大幅に季が違うのだがしかたない。なお、紙雛と呼ばれるものがすべて折り紙に関係するか否かも後述する。

ちなみに、冒頭に『獄門島』の一文を引いたのは、同作が俳句ミステリでもあるとの理由による。

まずは、以前読んだはずなのに忘れていた以下の句である。

紙雛や時にとりての余り順 井月(せいげつ)

この句は、一読での句意の解釈が難しかったのだが、岩波文庫『井月句集』の注釈(復本一郎さん)に、関連の句として、去来(向井去来)の「振舞や下座(しもざ)になをる去年(こぞ)の雛」があげられており、なるほどそういうことか、と納得した。つまり、年々雛人形が増えて余るということである。復本さんの注釈には「時につれての餝り順 とも」とも記される。たしかに、「餝」(「飾」の異字)は「餘(余)」と似ている。であれば、次となる。

紙雛や時につれての餝(かざ)り順 井月

雛人形で飾り順とくれば、男雛女雛の左右の順ということも連想するが、ここでは、上と同様の、複数対ある雛の飾り順と見るべきだろう。というのも、『日本人形玩具辞典』(斉藤良輔編)などによると、往時の雛人形は男女一対ではなく、複数対飾るかたちも多かったようだからだ。節句の前に雛の市が立ち、贈答用にも使われ、年々増えてゆくことは珍しくなかったらしい。芥川龍之介の『雛』という小説の冒頭に引かれている次の蕪村(与謝蕪村)の句も、このことの傍証と言えるかもしれない。

箱を出る貌(かほ)忘れめや雛二對 蕪村

「顔を忘れていないでしょうね」と箱から出される雛人形が、一対ではなく二対なのである。正岡子規が『蕪村句集講義 春之部』の中で、この句に関して、「二對といふのは調子の上からさういふた迄であつて、一對でも二對でも別に變りは無い」と述べていて、たしかに「二対」のほうが調べがよいのだが、当時の雛飾りの習俗のリアリズムとして、複数であることは案外重要だったのかもしれない。

なお、井月(井上井月)は、蕪村より百年、芭蕉より二百年後の、幕末から明治の漂泊の俳人で、つげ義春さんの漫画『無能の人』にも描かれるなど、興味深い人物である。好きな句もいくつかあるのだが、この話のテーマは雛なので、それを詠んだ句をもうひとつ引いておくだけにする。この句の季題も、紙雛ではなく単に雛だが、この句からも、毎年雛の市が立って雛人形を求めるという習慣があったことが示唆される。

遣(や)るあてもなき雛買ひぬ二日月 井月

妻子と別れ(死別とも言われる)故郷を捨て放浪生活を送る井月が、三月二日にあてもなく雛を買っているという寂しい句だ。これとは対照的に、子規の紙雛の句は明るい。そう、子規にも紙雛の句があるのだ。

紙雛や恋したさうな顔許り(ばかり) 子規

不遜にもこの句を子規自身の言で評すると、「陳腐に似て陳腐ならず、卑俗にして卑俗ならず」『俳諧大要』)である。かつ、上巳の節句の核心、つまり、恋や婚姻の寿ぎを表しているとも言える。この句も雛は複数でないと成り立たず、雛の市の店頭のさまを詠んだものかとも思う。また、上で、「一對でも二對でも」という子規の言葉を引いたが、同じく子規の『わが幼時の美感』という随想には、「全焼して僅かに門を残したるほど」になった「貧しき小侍」の家で、「こればかり焼け残りたりといふ内裏雛一対、紙雛一対、見にくく大きなる婢子様(ほうこさま)一つを赤き毛氈の上に飾りて三日を祝ふ」という、正岡家の雛祭りのさまが語られている。家にある人形をみな並べて飾った記憶である。上掲句は、こうした記憶とつながっている、と読むこともできる。

蕪村の雛の句はすでに引用したが、蕪村には、ずばり紙雛を詠んだ句もある。これは、その技巧に目をみはる。

衣手(ころもで)は露の光りや紙雛 蕪村

「衣手は露」とくれば、思い浮かぶのは、小倉百人一首の一番、天智天皇の「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」である。蕪村の句は、この本歌を踏まえ、句の始めで袖を濡らすさまを詠むと見せて、一転、水のしずくの意味ではない「露」、つまり、「露ほどもない」という用法での「露の光」、「微かな光」へと意味をずらすという技を見せる。そして、下五で、小さく愛らしい紙の雛の句であることを明かすのだ。

『枕草子』「ちひさきものはみなうつくし」を思いおこさせる「小さいのにきらりと光る袖がある紙雛よ」という、それ自体ちいさくささやかな句意が、読み進むと屈折する言葉の動きの中で表現されている。蕪村の句は、しばしば「絵画的」といわれ、この句も絵が浮かぶが、文芸ならではの技巧がまたみごとである。以上はひとつの解釈ではある。いっぽう、解釈が誤りようなく、素直にわかりやすいのは、一茶(小林一茶)の次の句だ。

紙雛やがらくた店の日向ぼこ 一茶

がらくた店にもかかわらず、というより、むしろそれゆえ、この雛人形はそんなに寂しそうではない。子規の句のように「恋したそう」でもなく、縁側の翁と嫗のような佇まいである。ただし、紙雛というものは、通常いわゆる立ち雛なので、共白髪(ともしらが)として立ち続けるのはたいへんそうだ。雛も、座りたくなるだろう。

このように、子規と一茶の句は、雛人形を、擬人化というか、生あるものとして扱っている、あるいは、そうしたことを喚起させるが、蕪村の句、すくなくとも紙雛の句では、その感覚はそれほど強くなく、井月の句も、視点は飾る側の人間にある。そして、以下の数句では、よりいっそう物としての雛の性格が強くなる。まず、次の句が面白い。

目鼻なき紙の雛の目鼻だち 富安風生

ひねりが過ぎると、それこそ、子規先生に「理屈の句にて些の趣味なし」『俳諧大要』)と言われそうだが、こうしたひねりは、句を読むたのしみのひとつでもある。

ここでやっと、「紙雛」とはなんだろうか、という話になる。ここまで読んだひとはもうわかっていると思うが、それは、姉さま人形のような、あるいは、さらに手の込んだ細工の工芸品を含むものである。上掲の近世や明治の句の紙雛は、基本の素材は紙だが、折り紙の技法、つまり、折って畳んで造形した人形とは言えない。流し雛のような祓えの形代(かたしろ)を起源とすることで、主に紙が使われるため、紙雛という呼称なのだろう。じっさいには竹や土も使われて、筆による色も添えられているのだろう。蕪村の句の紙雛も、細工は細かく、袖に金紙などが使われ、それゆえにきらりと袖が光るものと思われる。

いっぽう、富安氏の「目鼻なき紙の雛」は昭和の句で、これは、折り紙の技法による雛かもしれない。郷土玩具として残る山陰の簡素な流し雛にも顔は描かれているからだ。そして、以下に示す現代の句は、折り紙の技法による雛を詠んだものとして間違いがない。そうした折り紙の雛は、たとえば、日本画家・西沢笛畝(てきほ)氏の『雛百選』に描かれた「折雛」(岡村昌夫さんが復元したことがある)など、昭和の初めにはあったことが知られ、より以前の近世にも『折形手本忠臣蔵』などの折り紙の技法の人形はあり、立版古(たてばんこ)や玩具絵の人形もそれに通じるものだ。しかし、「紙雛」から、俳人の脳裏に折り紙の技法の雛が思い浮かぶようになったのは、実は、この何十年かのことと言えるのではないか。そのこと自体、なかなかに興味深いものがある。

茶の席に懐紙借りたる後の雛 岡井省二

この句の雛は、折って畳んでつくる雛と見て間違いない。折り紙好きが箸袋でなにかを折ってしまうように、ひとが立ち去ったあとにのこる紙の雛という情景が浮かぶ。

生真面目な折り目の残り紙雛 七種年男

紙ひひな角あいまいの祟るなり 中原道夫

七種さんの句はずばり「折り目」を詠み、中原さんの句は、折り紙講習会でのわたしの常套句「ここでぴったり折れてないと、あとですこし困ります。なんとかかたちにはなると思いますが」を思い出さずにいられない。

紙雛を開いてメモをしておりぬ 市川伊團次

市川さんの句は、物としての雛人形を詠んだ極みとも言える。なお、伊團次はそういう筆名で役者さんではないようだ。

最後に、また時代が明治に戻るが、漱石の次の句はやや謎である。

紙雛つるして枝垂桜哉 漱石

句意そのものにあまり疑問はない。とはいえ、紙雛をつるした枝のさまが枝垂れ桜に見えるのか、本物の枝垂れ桜の枝に紙雛をつるしたのかは不明である。まあ、たぶん前者だろう。だがそれ以上に、いわゆる「つるし雛」が、どのように普及していたのかが気になる。人形をつるす民俗では、菅江真澄(1754-1829)の、いわゆる『菅江真澄遊覧記』にのこる、軒下につるした七夕人形の絵が有名で、わたし自身も、近世に遡れそうな旧正月の飾りで、柳の枝の先に這子(ほうこ)人形をつけたものを見たこともある。それなどは、まさに「這子雛つるして枝垂桜哉」という絵であった。しかし、明治のこの時代、それがどれほど一般的だったのか、珍しいから詠んだのか、たとえば、娘の筆子さんのいたずらなのか、そうしたところがよくわからない。
##
(以下、蛇足)

以上、こういう文章を書くと、『折紙歌合』でもそうだったが、わたしなりの読みの発見もあって、自分が目利きか読み巧者になったかのように勘違いしそうになる。そして、それとは別に、年古りての短歌や俳句への関心、とりわけ井月のような寂々とした句へにこころ寄せる感覚は、加齢の影響もあるのだろうか、などとも考える。

萩原朔太郎は、『芭蕉私見』『郷愁の詩人与謝蕪村』所収)に次のように記す。

僕は少し以前まで、芭蕉の俳句が嫌いであつた。芭蕉に限らず、一体に俳句というものが嫌いであった。(略)しかし僕も、最近漸く老年に近くなつてから、東洋風の枯淡趣味というものが解って来た。(略)日本に生れて、米の飯を五十年も長く食っていたら、自然にそうなって来るのが本当なのだろう。僕としては何だか寂しいような、悲しいうような、やるせなく捨鉢になったやうな思いがする。

朔太郎このとき50才、翌年(1937)には、『日本への回帰』という文章も書く。その内容は、上記の「捨鉢になったような思い」に似て、単純な日本万歳ではないのだが、同年には、あの朔太郎がねえという、時局に乗った詩も書いて(書かされて)いる。そして、彼は、敗戦を知らずに、1942年に逝く。

平均寿命の延びからの比例計算で、50才は1.2倍以上だろうか。齢重ねての枯淡趣味というのは、「米の飯を五十年」などと言わなくてもよくある話で、若いころから隠居に憧れてきたわたし自身は、望むところなのだが、それと連動しての日本回帰ということについては、朔太郎の話は、他山の石としたい。