三枚組の立方体2018/06/02 11:40

三枚組の立方体
先日の講習で、三枚組の正八面体を扱ったことから、立方体の三枚組の創作にわかに執心して、いろいろつくってみた。やってみると、その構造が、面に「絵」を描くのに向いていたのである。

写真は、ひとつを除き、正方形8等分の蛇腹によるものである。ここに示した「ボロミアンリング構造」だ。4対1の長方形で、しっかり立方体が組めるかたちである。これを用いれば、組んだときに模様ができるのではなく、モジュールごとに模様をつくることができるので、絵を描きやすいのだ。

ただ、無理に絵を描くと、置いときにふわふわするもののになり、エレガントさもなくなるので、塩梅が難しい。トランプのスーツ(ハートの裏はダイヤ、残り2面は模様なし)は、考えているときは面白かったのだが、やや無理やりな感じになった。矢印や「折図」の拡大記号、細い三角形などのほうが完成度が高い。

なお、感嘆符のものは、命名「ビックリ箱」、四分音符は「ミュージックボックス」である。熨斗や御幣の模様の「お祓い箱」というネタも考えた。

「ラングレーの問題」など2018/06/10 21:05

◆ラングレーの問題
最近、『数学セミナー』の古い記事に関する話題を耳にした。それとは直接関係はないのだが、連想して、「ラングレーの問題」を思いだした。1920年代にE. M. ラングレーという数学者が数学誌『The Mathematical Gazette』に出題した初等幾何の問題で、日本では、50年ぐらい前に『数学セミナー』『エレガントな解答求む』にも出題された、知るひとぞ知る問題である。50年も前のことなので、同時代的には知らないが、数学パズルの傑作として名高い。

ラングレーの問題
図のように角度があたえられたとき、角度αを求めよ。

どうということはなさそうに見えるが、これを、初等幾何的(解析幾何を使わずに)に解こうとすると、かなり難しいのだ。中学校の受験で出題されたこともあるらしいが、解けるかどうかは運にもよると思われ、入試問題には向いていない。入試問題には向いていないが、解けるとうれしい問題である。

今回ネットを検索すると、この問題の一般化などを示した『ラングレーの問題にトドメをさす! - 4点の作る小宇宙完全ガイド』(現代数学社、斉藤浩)という一冊の本がでているのも知った。

解法の詳細は示さないでおく(わたしの解法は3本の補助線だった)が、答えは「きれいな値」で、現れる角度はみな整数比になる。三角形の角度が整数比になるということでは、[22.5°,67.5°,90°], [22.5°45°,112.5°],[15°,75°,90°]のような、「正規化した折り紙分子」(これを使うと、モデルが「きれい」になる)に関係がなくもない、と今回初めて気がついた。

ラングレーの問題(図形の調和)

というわけで、あらてめてしみじみと、この図を眺めていた。以前はあまり気にとめなかったが、図左に示したように、青と緑の三角形が相似になっているのも面白い。ただこれは、答えがわかって、相似であることもわかったという順番で、逆に、相似であることで答えを示す道筋は、うまくひねりだせていない。

また、これを、平行四辺形の、対角線による折り返しとみてみた(図中)。すると、きれいに点が一致する(図右)かたちになっていて、これまたきれいである。以前、ヴァリニョンの定理から封筒をつくったように、この特徴を折り紙の作品に活かせないかと、すこし考えた。残念ながらよいものはできていないが、図自体はほんとうに調和していて、額にいれて飾りたいぐらいである。算額にして奉納するのにもぴったりのようにも思えるが、残念ながら、それはすこし違う。なぜなら、和算には角度の概念はない、とされるからである。

◆七弁の花
七弁の花(『はじめアルゴリズム』三原和人)
数学をテーマにしている『はじめアルゴリズム』(三原和人)というマンガがあるということを知って読んだ。天才少年をことさらエキセントリックにせずに、少年らしく描いているのがとてもよかった。現在3巻まででていて、続きも楽しみだ。

さて。冒頭近く、特に説明もなく、七弁の花が描かれていたのだが、これはなにか意味があるのだろうか。スイセンやクチナシ、ツマトリソウの変異体、シャクナゲなど、七弁、七裂の花もなくはないが、絵は、花芯や葉から、そのどれでもないように見える。七は花弁の数に多いフィボナッチ数でもないし、正七角形が定規とコンパスでは作図できないなど、気になるかたちである。

◆長沢の丸石神(丸石神 その35)
北杜市長沢の丸石神
10年ほど前に確認した北杜市高根町長沢の丸石道祖神が、道路と土地の整備によって、前の場所から無くなっていることに気がついたが、無事50mほど離れた地点に安置されているのが確認できた。わたしの知る限り、最北の丸石神である。

『湖畔荘』など2018/06/20 20:58

妻が、『湖畔荘』(ケイト・モートン、青木純子訳)というミステリに折り紙の記述があった、と教えてくれた。評判のミステリなのでわたしも読んでみたい。

見れば、指先を正確に動かしては、小さな紙を折ったり重ねたりしていた。三角や四角が現れたかと思うと、それをひっくり返し、同じ動作を繰り返す。エリナはじっと見入っている自分に気づいて慌てて目を逸らしたものの、どうしても見ないではいられず、車窓に映りこんだ男の手元を見守った。男は最後に形を整えると、出来上がったものを片手でつまみ上げ、さまざまな角度から眺めていた。エリナは不意に喜びに包まれた。鳥だった。とがった翼と長い首を持つ白鳥のような姿をしていた。

◆折り紙教室@府中
6/24(日)13:00-15:00
府中郷土の森博物館のふるさと体験館
作品:渦巻銀河
折り紙渦巻銀河

表紙が、藤本修三さんの「フジモト・キューブ」。横山さんと永田さんの連載「数学短歌の時間」には、先月に続き、わたしの投稿も採られ、別の投稿者の折鶴を詠んだ歌もあった。上原隆平さんの展開図の話や藤田伸さんのエッシャーの記事もある。

◆オリガミの魔女と博士の四角い時間
第十四話:6月30日(土)、22:45-23:00

◆文藝的な...
大阪北部地震の震源の高槻は、3ヶ月前に折紙探偵団関西コンベンションで行った土地なので、あの店は大丈夫だろうか、あの建物が避難所になっているのだろうかなどと、こころがざわつく。ざわつくのだが、すこし知った土地だからと、そう思うのは、一種のエゴイズムかもしれないし、そうではないかもしれない。書棚の下敷きとなって亡くなられたかたもいて、ブックワーム(本の虫)の悪癖として『文字禍』(中島敦)も連想してしまった。

數日後ニネヴェ・アルベラの地方を襲つた大地震の時、博士は、たまたま自家の書庫の中にゐた。彼の家は古かつたので、壁が崩れ書架が倒れた。

文芸的な話題といえば、昨日は桜桃忌であった。玉川上水で、青森県北津軽郡金木町産とだけ書かれた石を見たことがある。そして、『桜桃』にエピグラフとして引用されている『聖書・詩篇』の第121の一節は、毎週のように目にしている。

「われ山に向かいて目をあげん わが助けはいずこよりきたるべきぞ」
清泉寮の門
JR小海線清里駅近く、車窓からも見える、高さ5mほどの大きな角錐台の「清泉寮」の門柱に、この言葉が刻まれているのだ。清里には、80年代的な浮ついた観光地のイメージを持つひとも多いだろうが、そこは、冬の気温がマイナス20度近くになる厳しさを持つ、開拓によってもたらされた土地である。入植者には、奥多摩湖の水底に沈んだ小河内村から来たひとが多い。東京の水資源確保のために故郷を捨てさせられたひとたちだ。彼らは、石ころだらけの荒野を前にして辛酸を舐めた。門柱にこの言葉が刻まれているのは、開拓の父と言われるポール・ラッシュ師がクリスチャンだったためだが、彼らの祈りの強さも示している。

清里の石碑でも、この疑問文の続きは伏せられている。太宰の『桜桃』では、さらに、助けが来ることを諦めたかのように、「われ、山にむかいて、目を挙ぐ」と、そこで切られている。

『計算折り紙入門』など2018/06/23 11:54

◆700年前の苦言
先日の折り紙の科学・数学・教育研究集会。そのあとの懇親会には、学生さんも多数参加したが、最近、こうした席の「とりあえずビール」ということがまれになって、飲酒をしない若いひとが多くなった。わたしの接する範囲のことだが、この10年ぐらいのことではないだろうか。飲みたいひとは飲めばよいが、無理にはすすめないというルールの定着である。世の中はよくなったり悪くなったりだが、これはよくなったことのひとつである。『徒然草』に書かれていたことが、700年の時を経てやっと理解されるようになったと思うと、感慨が深い。

世には心得ぬ事の多きなり。ともあるごとには、まづ酒をすすめて、強ひ飲ませたるを興とする事、如何なるゆゑとも心得ず。飲む人の顔、いと堪へがたげに眉をひそめ、人目をはかりて捨てんとし、逃げんとするを捕へて、ひきとどめて、すずろに飲ませつれば、うるはしき人も、忽に狂人となりてをこがましく、息災なる人も、目の前に大事の病者となりて、前後も知らず倒れ伏す。
(『徒然草』 百七十五段)

『徒然草』では、以下も引用したくなる。

狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。(八十五段)
改めて益なき事は、改めぬをよしとするなり。(百二十七段)

『計算折り紙入門
上原隆平さんから、新刊の『計算折り紙入門 - 新しい計算幾何学の世界』を御恵贈いただいた。「複数の直方体が折れる展開図」の話など、多面体の展開図に関する研究を紹介する一冊である。あとがきに、上でも紹介した「折り紙の科学・数学・教育研究集会」の話があった。

◆最大体積の問題
四面体最大体積の問題
野辺山観測所の会議のさいに配られた菓子が、当地の気圧の低さ(標高1370m、気圧860hPa程度)のため、目一杯に膨れていた。野辺山では、コンビニエンスストアの袋菓子も大きく膨れているのだが、四面体のパッケージがみごとに膨れているのを見て、あらためて考えた。シートに伸び縮みがない場合、最大体積となる曲面はどうなるのか、という問題である。これは、以前このブログに載せた牛乳パックの問題と似ている。

話題の落ち穂拾い - 半年間の写真から2018/06/30 09:20

今年も半分終わりだ。諸々のことが滞り気味だが、なんとかかんとか...という感じである。
一月末に父が他界してからも、五ヶ月以上が過ぎた。日々は過ぎていく。

知り合いの某氏のように、月に何百葉も写真を撮ったりはしないが、それでも、この間に百枚ほど撮った。何点か紹介したい。

◆1月某日:昭和はじめの七夕(?)の写真
昭和はじめの七夕(?)
父の遺品から複写したものである。左から二番目が父だ。祖父が笹竹を持っているので、たぶん七夕祭りなのだろう。祭りのための正装か、子供達が白丁と立烏帽子で、祖父も着物なので、みごとなセピア色と相まって、幕末の古写真ですと言っても通じそうだ。笹竹にさげられたものをよく見ると、みな熨斗がついていて、短冊というよりポチ袋の類かもしれない。1930年代の長崎県佐世保の七夕は、いったいどういうイベントだったのだろう。父に聞いておけばよかった。

◆1月某日:供物の砂糖
供物の砂糖
葬式の供物の砂糖が、一、三、五、七になっていた。葬式では、いろいろなものの数を奇数にすることになっているらしいが、陰陽道的には、奇数は陽数でおめでたい数として扱われるはずである。葬式における奇数尊重は、いつごろからの習俗で、どのように定着してきたことなのだろうか。

◆2月某日:カラスは黒い
札幌のカラス
札幌でもカラスは白くなかった。インダストリアル・メラニズム(工業黒化)的な「スノーフィールド・アルビニズム」(?)が観察されなかったことを示す写真である。

イギリスの工業地帯周辺の蛾が黒くなったインダストリアル・メラニズムに関しては、昔、生物学の講義で、「煤煙そのものによって環境が黒くなったと思っているひとが多いが、大気汚染で樹皮上の地衣類などが減少して樹肌が黒くなって、黒い個体が鳥に捕食されにくくなったという説だから、勘違いしないように」と聞いて、「そりゃそうだ、環境が真っ黒くなるほど汚染していたら、蛾でも鳥でもひとでも生存が難しい」と納得した。地衣類は、大気汚染に敏感で、環境指標生物とも言われるらしい。

◆2月某日:ダ・ヴィンチのパラシュート
紙飛行機(新千歳空港)
ダ・ヴィンチのパラシュート(新千歳空港)
新千歳空港に、折り紙飛行機、航空機のミニチュア、ダ・ヴィンチのパラシュート(とヘリコプター)の模型などの展示があった。ダ・ヴィンチのパラシュートの二等辺三角形の頂角が50度ぐらいなのが気になった。前にそのスケッチを見たとき、なんとなく正三角形のように思っていたのだ。

すこし調べてみると、ダ・ヴィンチ自身は、「1辺が12ブラッチャで、高さもそれと同じ大きさの布製テント」と書いている(ブラッチャは長さの単位)ので、これにしたがったのだろう。辺と高さが同じなら、二等辺三角形の頂角は、2*arctan(1/√5)で、48.18...度である。

ダ・ヴィンチの記述も大雑把であり、やはり正三角形のほうがよいのではないかとも思う。この構造で、浮力(?)がどう働くのかはよくわからないが、なんとなく関係ありそうな、正四角錐の底面を除く面積と、全体の体積を考えてみた。すると、側面の面積一定で体積最大となるのは、側面が正三角形になるときであった。やや変な式になったのは意外だったが、答えが単純になる面白い練習問題だった。

◆3月某日:塙町のダリアの折り紙
塙町のダリアの折り紙
福島県立塙工業高等学校の生徒さんがつくったパネルの写真を、塙町役場の「まち振興課」のかたが送ってきてくれた。この作品の図は、ここで公開されている。パーツが単純なので、みんなでつくるのに向いている。

◆3月某日:高槻城址の鷺
高槻城址の鷺
地震発生時、空中に逃げることができる鳥は最強だよなあ、と思うことがある。

◆4月某日:土竜
もぐら塚
連続したモグラ塚を見ると、モグラの漢字表記が「土竜」である理由がよくわかる。ところで、地震発生時、モグラはその異変にどのぐらい恐怖するのだろうか。案外平気なのだろうか。

◆4月某日:ミステリーサークル
牧草地に現れたミステリーサークルである。種明かしをすると、ロールベールラップサイロ(円柱に梱包した牧草)が置いてあった跡だ。

◆4月某日:シャンシャン
シャンシャンのぬいぐるみ
折り紙の兜(『本格折り紙√2』のもの)をかぶったシャンシャン(生後すぐ。別名ピンクピン太郎)のぬいぐるみである。じっさいより丸っこくつくられているが、重さは本物と同じらしい。「いまのうちに見ないと赤ちゃんじゃなくなってしまう」と、妻はもう2度もシャンシャンを見にいった。

◆4月某日:2+2=4
2+2=4
東京外国語大学のキャンパスで見つけた数式のいたずら書きである。

数式が単純すぎるので、ところかまわず数式を書く奇癖を持つ、ガリレオ先生こと、帝都大学の湯川学准教授によるものではないだろう。そもそも、外大にはいわゆる理系の研究室はなく、キャンパス内でその方面の学会が開かれることもないので、彼が来ることもないであろう。

関係している可能性が高いのは、ジョージ・オーウェルの『1984』である。同書では、「党は、2と2で5となると告げる。君はそれを信じなければならない」という「2+2=5」のスローガンが示される。また、欧米では、疑いようのないことを「1+1=2」より「2+2=4」と示すことが多いようでもある。

つまり、こういうことだ。じつは、本邦はすでに「ビッグ・ブラザー」に支配されている。いっぽう、外大には留学生も多いので、外の世界を知るレジスタンスが多数潜伏している。彼らのひとりが書いた真実の叫びがこの数式なのだ。←最近の世相では、どうも冗談に聞こえない。

◆6月某日:ひとつ蛍
ひとつ蛍
今年も、北杜市長坂のビオトープ的な公園で蛍を見た。何年か前、自宅山荘でも1回だけ、ふらりと飛んで網戸にとまった一匹の蛍を見たことがある。棲息地ではない(たぶん標高が高すぎる)ので、だれかが採ってきたものが逃げたか、強風で飛ばされて離れ蛍になったのだろう。「蛍だ。珍しい。... 誰か亡くなったのかも」と妻にしらせたほぼそのとき、なんと、妻の友人が病気で幽明の境にあったことが、後日わかった。文字通り(?)の「虫の知らせ」的な話で、非科学的といえばそうなのだが、記憶や感情、詩情には、そういう部分もある。ちなみに、そのひとは回復した。

彼岸(かのきし)に何をもとむるよひ闇の最上川のうへのひとつ蛍は 斎藤茂吉