ふたつの連想 ― 2011/06/07 12:38
自問:わたしは忙しいのか。
自答:忙しいと言えば忙しいが、オーバーワークかというと、そうとも言えない。カレンダーの予定を、大きなつまずきなしにこなしている。こなしているだけ、みたいなところもなくはないけれど。
前の書き込みから、メタンハイドレートつながりの話。
宮崎駿氏は、『崖の上のポニョ』で津波をファンタジーとして描いたことをどう考えているだろうか、ということを思う。すくなくとも、TVでかけられない映画になっただろう。もともと、かわいさを装った悪夢的な映画だったが、より以上に、一般のジブリのイメージとは異なる、ブラックな映画となった。たしか、封切り初日(2008年7月19日)に、福島沖でM6.9の地震も発生していたはずだ。
この映画を観たとき、読んだばかりだったパニック小説『深海のYrr』(フランク・シェッツィング著 北川和代訳) を連想したが、同小説に、メタンハイドレート層の崩壊による津波で、原子力発電所の冷却装置が失われるという話があったような…と思い出し、探してみた。あった。
津波は何もかも水浸しにしたが、津波が去ると何もかも爆発炎上した。消火活動は追いつかない。海岸はまず水に呑まれて、それから焼け落ちた。まだある。津波の引き波のときに、海岸にある原子力発電所の冷却水循環システムを破壊した。ノルウェーとイギリスでは放射能漏れ事故が起きた。新エネルギー資源として期待されるメタンハイドレートだが、この小説で描かれたように、それを「掘削」することで、プレートが不安定になり、海底地震が起きるという説があるらしい。
現実からフィクションを連想してしまうのは、本好きの悪癖とでもいうべきものなのだろうが、震災で連想したといえば、こんなこともある。
震災直後、TVに出演していた原子力工学や放射線医学の「専門家」を見ていて、(というか、いわゆる「官僚的答弁・解説」を見ているときはいつもなのだが)太宰治の『家庭の幸福』を思いうかべていた。
『もののはずみ』 ― 2011/06/12 16:34
便箋かなにか、手持ちの紙を正方形に裁って即席折り紙をこしらえると、お馴染みの手順を踏みながら、大小さまざまな鶴を折る。外国で交わりがあった方々に、何度もやってみせた純和風の演目なのだが、喜んでいただけるものの、なんとなく既成のイメージに頼りすぎている気もして、ある時期からいくらか方向性を変えることにした。(『変哲もない箱』(『もののはずみ』(堀江敏幸著))
糊も鋏も使わず、紙を正方形に近いかたちに切り取るところまではおなじである。ただし、ミリ単位で縦横にサイズを変え、少なくとも六、七枚の材料を用意する。そして、何をやろうとしているのかを明かさぬまま、蓋が底になり、底がまた蓋になっていく入れ子状の箱を、鼻歌まじりに短時間で作りあげるのだ。
堀江敏幸さんは、このブログでも何回か引用したことがある作家だ。「折り紙」を比喩として使うことがあったり、数学用語に詩をみる感覚がおもしろい、ということなのだが、そういう文章に接することができたのは、氏の著作を愛読しているからである。しかし、ずばり折り紙に関して書いている、このエッセイは知らなかった。
ときおり、手紙やメールでやりとりする知人が教えてくれたのである。その経緯は次のようなことだ。
「間違えて先日買ってしまいました。既に同じものを持っていたのですが、本というのは返品しにくい気がして、誰かに譲ろうと思って手元に置いたままになっていました。読み返してみたら、折り紙の話が出ているので、これも何かの縁だと思い」、ということで送ってくれたのである。
しかし、じつはわたしも、2005年に刊行された単行本版『もののはずみ』は読んでいたのである。ところが、折り紙の話がでてきた記憶はなかったのだ。不思議だったのだが、これは、文庫化されたときに加筆された部分なのであった。
単行本の帯には「また、買ってしまいました」というコピーがあり、知人は、まさにそういうことになったわけだが、わたしは「買わずにすみました」である。ちいさな偶然が重なった話である。
おしらせ ― 2011/06/12 16:37
◇朝日カルチャーセンター湘南
『折り紙 その歴史と幾何学 - 講義と実習』
講師:前川淳
日時:7/30(土)10:00-13:00
受講料:会員3360円、一般3990円
会場:朝日カルチャーセンター 湘南教室
参照:朝日カルチャーセンター湘南教室 ・ウェブページ
◇『折り紙の科学』第1号
先月末に、日本折紙学会から、論文誌が刊行されました。編集を担当しました。
詳細はこちらのページをどうぞ。
◇第10回折り紙の科学・数学・教育・研究集会
7月3日(日)に、日本折紙学会主催で、東京・白山で、上記の会があります。
詳細はこちらのページをどうぞ。
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