『日記の虚実』-葛原勾当日記2011/04/03 22:40

 3/16のブログに、『戦中派不戦日記』(山田風太郎著)のことを書いたが、それ以降、『同日同刻』(山田風太郎著)や『彼方より』(中井英夫著)、『断腸亭日乗』(永井荷風著)、『東京焼盡』(内田百けん著)など、戦時中の日記の数々を読みかえしている。どうも、そういう心持ちなのである。
 昨日は、ひさしぶりに大型書店に寄ったので、『暗黒日記』(清沢洌著)も探したのだが、これは、版が切れていた。そのほか、最近手に取る本は、書庫の奥から引っぱり出した、原子力問題、放射線、地震関係の本ということになっている。

 さて。読み返していた本の一冊である『日記の虚実』(紀田順一郎著)の中に、『葛原勾当日記』のことがでていることを見つけた。

 葛原勾当は、幕末から明治初期に生きた盲人の箏曲家だが、近年、本人の折った折り紙作品が発見されたこともあって、折り紙の名人としても再注目されているひとである。『日記の虚実』初読時(15年ぐらい前)は、勾当と折り紙と結びつけていなかったので、気にとまらなかったのだろうが、同書中にも「稽古をつけながら手持ち無沙汰をまぎらすために折り紙をして」という記述があった。
 なお、日記は木の活字を使って記されたもので、勾当の遺品である工夫された活字セットに触れたヘレン・ケラーが、「これこそ東洋のタイプライターです」と感動したというエピソードがある。

小水力発電のことなど2011/04/06 21:16

小水力発電
 被災地から離れた地で日常をすごしながら、その日常でもさまざまなことがあることを痛感する日々だが、地震や原子力のことを考えることも多い。

 野辺山観測所のある長野県佐久地方には、山間地なのにもかかわらず、小海、海ノ口、海尻など「海」のつく地名が多い。これは何故かというと、かつてここに、大きな湖があったことによる。昔といえば昔だが、地名にも残っているように、地質年代的な遥かな過去などではない。887年の北八ヶ岳の大崩落によって千曲川が堰きとめられたことで出現し、1011年に決壊により大水害を起こして消えた天然ダム湖である。
 八ヶ岳大崩落の原因には諸説あるようだが、東海・東南海・南海連動型とも推定される巨大地震・仁和地震がそれであるという説が有力なようだ。(参考:『八ヶ岳大月岩屑なだれ(887)によって形成・決壊した天然ダム』@砂防フロンティア整備推進機構)
 この仁和地震の約20年前に、今回の地震で注目を集めている貞観地震が発生している。つまり、1100年ほど前、約20年をおいて、巨大地震が連続して起きたことになる。
 巨大地震は、日本列島にとっては異常なことではないのだろう。そうした土地では、巨大なシステムの危険性はより高い。そのような土地では、エネルギーも地産地消がよい。

 認知度があまり高くない「新エネルギー」として、小水力発電というものがある。我が家(山荘)の近くに日本小水力発電株式会社という会社がある。同社と敷地を接する(地区で唯一の)スーパーマーケットが、わずか数kWぐらいだが発電をしていて、これを見て、へえと思っていた。近くにある村山六ヶ村堰水力発電所では、320kWの発電がなされている。
 ある見積もりによれば、適地を探せば(下水でもよい)、全国で300-500万kWの可能性があるという。福島第一原子力発電所と同じぐらいだが、小規模分散型の発電は、ほかにもさまざまな方式の可能性があるはずだ。なにより、小規模なものを分散させることは、システムとして安全で、送電ロスも少ないだろう。

 わたしは、小学校の卒業文集の「将来」に、原子力技術者と書いた理科少年であった。東海村の施設の前でにっこり笑う写真も残っている。当時も、原子力発電は、クリーンなエネルギーなどと呼ばれ、公害解決の救世主のように宣伝されていた。小さなわたしは、科学技術の弊害を、より進んだ大掛かりな科学技術で解決するという考えを信じた。その後、原子力に関する広報のきれいごとを知って幻滅し、それを「嫌う」ようになったが、原子力への関心は、どこかトラウマのように持ち続けていた。
 実験でも難しい技術を、巨大化し商用化している無理と危険。それが広報によって隠蔽され、安全を強調するために、危険ということ自体が忌み言葉のようになり、それへの対応が薄くなっていく。原子力発電所は、過去も現在もそんな施設であった。
 しかし、かつては強い関心を持っていたのに、どこか遠い世界のことのようになっていた。事故を知ったときも、ぎりぎりでは踏みとどまるだろうと考えていた。潜在的な危険性や、それによるコストの高さがひろく認知され、広報のきれいごとを暴くという側面もあると考えた。現場のシステムを、最低限では信用していたのだろう。しかし、システムは、ハードもソフトも想像以上に脆弱だった。最悪の最悪ではないだけ、という今の事態は、ほんとうに先見のあったひとほど、悔しく、無力を思うだろう。とにかく、いまは事態の収束を願っている。

 最近、寺田寅彦のエッセイもよく読み返している。先見のある名言の宝庫だが、草葉の陰の寅彦もその明を誇ってなどはいないだろう。津波の危険性など、ここに語られているような知恵を生かしたひともたしかにいた、ということを考えたい。

地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、頑固に、保守的に執念深くやって来るのである。紀元前二十世紀にあったことが紀元二十世紀にも全く同じように行われるのである。
『津浪と人間』

 西欧諸国を歩いたときに自分の感じたことの一つは、これらの国で自然の慈母の慈愛が案外に欠乏していることであった。(略)また一方で自然の厳父の威厳の物足りなさも感ぜられた。地震も台風も知らない国がたくさんあった。自然を恐れることなしに自然を克服しようとする科学の発達には真に格好の地盤であろうと思われたのである。
 こうして発達した西欧科学の成果を、なんの骨折りもなくそっくり継承した日本人が、もしも日本の自然の特異性を深く認識し自覚した上でこの利器を適当に利用することを学び、そうしてたださえ豊富な天恵をいっそう有利に享有すると同時にわが国に特異な天変地異の災禍を軽減し回避するように努力すれば、おそらく世界じゅうでわが国ほど都合よくできている国はまれであろうと思われるのである。しかるに現代の日本ではただ天恵の享楽にのみ夢中になって天災の回避のほうを全然忘れているように見えるのはまことに惜しむべきことと思われる。
『日本人の自然観』

文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。そのおもなる原因は、畢竟そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顛覆を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。
『天災と国防』

ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。
『小爆発二件』

伏見先生のことなど2011/04/18 01:06

 幾何学を使った折り紙の設計法。その考え方や作品の実例を、折り紙作家・笠原邦彦さんに送り、氏との交流が始まったのは、四半世紀以上前のことになる。ちょうどそのころ、伏見康治・満枝著『折り紙の幾何学』が出版された。この本のもとになった『数学セミナー』での連載は知らなかったので、その内容は同書で初めて知った(と記憶している)。これには大きな刺激をうけた。「幾何学と折り紙」という同じテーマでも方向は異なっていたが、この本で扱われている内容にも挑戦を試みた。わたしの会心作「変形折鶴」(『折り紙の幾何学-増補版』掲載)は、その挑戦から生まれたものである。折り紙だけではなく、エッシャーの画や紋様の研究など、伏見先生は、わたしにとってほんとうに面白い研究をしている先達であることも知った。大好きだった『不思議の国のトムキンス』(ジョージ・ガモフ著)を訳されているのが先生であることも驚いた。

 さて。当時、笠原さんは、わたしを伏見先生に会わせたがっていたが、じつは、わたしは敬遠していた。相手が大物理学者(当時学術会議議長)で、自分が優秀じゃない物理科の学生だったから、…などではない。じっさい、優秀じゃない学生だったが、理由は次のようなことだった。

 わたしは、武谷三男さんや高木仁三郎さんの原子力の産業利用に批判的な学者の啓蒙書を読み、伏見先生を、原子力を推進した「向こう側」のひとと考えていたのである。そういうエライひとはいやだなあ、と。
 当時、こんなこともあった。笠原さんの紹介で「設計する折り紙」が新聞で取りあげられ、それを見た広告代理店から「広告に使いたい」という連絡があったが、わたしは「条件があります。広告主によります。たとえば電力会社の広告はお断りします」と答えた。左がかった学生と思われたのか、その話はなくなった。

 じっさいに会って、伏見先生の人柄等に接するようになったのは、だいぶ経って、さまざまな役職をリタイアされたあとだった。原子力の話はまったく訊かなかった。

 福島の大事故で、原子力の問題を考えることの多いこのごろ、あらためて、伏見先生の立場がどういうものであったかをよく知らないということに思いいたった。あの、ダ・ヴィンチ的な知性は、原子力にどう関わってきたのか。学術的なことというより、社会的なことを、一般向けの文章などからすこしあさってみた。

 受けた印象は、とにかく率直で、現実的であるということだった。回想は、自身のことも含めて客観的に書かれている。
 たとえば、『時代の証言 原子科学者の証言』には以下のような記述があった。まさに「歴史の一場面」であることには、目をみひらいてしまう。
一九五三年三月二日新聞を見ると、保守三党の予算折衝の中で、突如として中曽根・少壮代議士(改進党)が「原子炉築造予算二億三千五百万円」を計上したというのである。私は眼を疑い、藤岡さん宛に電報を打ってすぐ上京して相談しようと申し出たのであった。(略)新聞の伝えるところによると、中曽根氏は、「学術会議は原子力について何も動こうとしないから、科学者の横っ面を札束でなぐってやったのだ」と言った由である(もっとも当人は否定しているが) 二三五百万円の数字はウラン235から採ったのだというバカ話も流れていた。(略)原子力問題を議論したとき、学術会議が動かない限り、日本では原子力問題はありえないと思っていたのではないだろうか。それで、日本学術会議の外で、あるいは政治家や、あるいは経済人が、原子力研究開発のイニシアチブをとると、慌てざるをえないのであった。
 私は委員会の前夜悶々として寝つかれず、輾転反側してついに起き上がり、「原子力憲章草案」なるものを書いたのである。(略)

<原子力憲章 伏見案>
 日本国民は、原子爆弾によって多くの同胞を失った唯一無二の国民として、世界諸国民と共にこの残虐な兵器が再び使われることなく、科学の成果が人類の福祉と文化の向上のために開発利用されることを強く祈念する。日本国民は、原子力が将来の国民生活の重要な基盤のひとつとなることを期待し、自ら原子力研究開発利用に進む高邁な意図を持っている。この意図を実現するために、その事業の大綱を日本国憲法の精神にのっとり以下の条項によって規制する。
第一条 原子力の平和利用を目的とし、原子兵器についての研究開発利用は一切行わない
第二条 原子力の研究開発利用の情報は完全に公開され、国民が常に十分の情報に接しなければならない
第三条 諸外国の原子力に関する秘密情報を入手利用してはならない
第四条 原子力研究開発利用の施設に参与する人員の選択に当たっては、その研究技術能力以外の基準によってはならない
第五条 同施設に外国人の投資を許さない
第六条 原子力の研究開発利用に必要な物資機械の輸入には通常の商行為の方途以外の道を使ってはならない
第七条 分裂物質の国内搬入、国外輸出については、国会の承認を必要とする

 ここで注目すべきは、第二条に、「公開の原則」がはいっていることだろうか。いわゆる「原子力平和利用三原則 自主・民主・公開」の基礎になったものである。その後成立した原子力基本法(1955)にも、なんとかこの考えは盛り込まれた。このときのことについて、科学史家の鎮目恭夫さんは、伏見先生との対談で、「僕は、伏見さんが『俺がやらなきゃ、もっと悪いやつが原子力の研究を始める。たとえ危険があっても自分がやらなければ』と考えただろうと思った」と述べている。こういう立場にいなければいけないひとの感覚というのを、実感を持って想像するのは難しい。

 伏見先生が、その後の原子力の産業化にどう関わり、どう思っておられたのかは、いまひとつあたりきれていないが、つまりは「負け続けた」ということのようにも思える。以下に、そのあたりの消息がみえる。
日本の原子力開発は明らかに自主的でない。原子力委員会は無定見で、その決定のどこにも自主的な政策樹立の跡が見えない。核物理を修めた者は基礎から応用に至るまでの研究開発の過程を重視するのに、原子力研究所が実用原子炉の直輸入では、要員の教育機関にすぎない全くの飾り物になってしまう。
(『原子力平和利用三原則の四半世紀』『朝日ジャーナル』 1977年5月20日号)

 もうひとつ興味深かった文章は、『本来安全な原子炉を求めて』(『アラジンの灯は消えたか』所収)というエッセイだった。これは、チェルノブイリ(1986)後に書かれたものだが、恩師・菊池正士博士の「遺言」に沿って、次のようなことが書いある。なお、菊池正士博士が亡くなられた1974年は、スリーマイル事故(1979)より前で、オイルショックなどを契機として、原子力発電所建設を促進する電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法(旧)、発電用施設周辺地域整備法という交付金の法が成立した年である。
 私の師匠に当たる菊池正士先生は、一九七四年一一月一二日に亡くなりましたが、亡くなられる二〜三年前から、原子炉の安全性について非常な関心を寄せられておられました。(略)

菊池先生は、原子炉の中に大量に溜まっている放射能が、放出される事故をイメージして、これは真剣に考えなければならない問題だと思われたのでしょう。(略)菊池先生に言わせると、原子力委員の多くは、何も本当のことはわかっていない、話の相手にならないということでした。委員会の連中も、原子力局の役人たちも、ことなかれ主義で、原子力は安全と主張するだけで、何も真剣には考えていないと言うのでした。

 菊池先生は業を煮やされたのでしょうか。亡くなられる一年前の四月名大で開催された原子力学会年会に原子力の安全性についての論文を呈出されたのです。(略)
 今この論文を拝見しますと、災害規模Qの事故が起こる確率をPとすれば、ΣP i Q iが災害規模の期待値となり、Q iが大きくてもP iの方を充分小さくできれば期待値は小さくできるというのが、普通の考えなのでしょうが、Qが大変大きくなりますと、Pをいくら小さくとっても、0×∞ の不確定になります。このような場合には期待値なるものを指標として考えることが不適当なのであって、Qを有限にしておくこと、つまり、どんな小さな確率であろうとも、ある「許されない」規模の災害は起こらないようにすべきであると考えられます。(略)以上は菊池先生の書かれたことを私流の言い方で表現したものですが、先生は論文の最後に、何か原子炉の出力に上限をつけること、換言すると、炉内の放射能に上限をつけることを、皆さんが考えてくださることを要請しておられます。(略)

 リリエンソールによると、アメリカの軽水炉というのは、潜水艦用の炉をいわば陸に上げただけのもので、安全性は二の次にし、もっぱら計量小型を目指した設計になっていると看做されます。炉心部が焼けて放射性物質を大量に出すことがないように初めから設計するというよりは、そういう事故が起こりかかったら応急処置で炉心を冷却するという、安全性が後追いになっています。方々の原子炉が事故をおこすごとに、これは危険だということで後追いの安全装置が附け加えられてきましたので、現在の軽水炉は、複雑極まるものになり、花魁のかんざしのようになっています。(略)たとえば経済第一主義で行けば、いわゆるスケール・メリットで、原子炉は大きいほどよいことになるのでしょうが、もし安全第一主義ならば、炉の出力に上限を附けるべきです。(略)

 原子炉の大事故が起こるのは、アメリカやソ連であって、日本では起こらないのだという主張は必ずしも根拠のないことではないのかも知れません。昔の国鉄は世界中で一番すぐれた運転実績を持っていました。日本人技術者の物事をきちんとやる精神のお陰で、それがある限り日本の原子力は安全実績を誇れるはずという主張です。(略)日本人技術者の性格が、安全性を支えてきた一角であることは疑いありません。そして、私はこの日本人の特質が、やがて変るときがあると見ているのです。(略)
 現場から離れた視点だが、菊池博士の焦燥のようなものを共有しているようにも読める。

 ちなみに、今回読んだもので、『放射線:二つの話題』というエッセイは、納得できないものだった。低線量放射線について、定量的な情報がなく、そのプラスマイナス両方を記述しているのだが、「たいしたことがない」という印象を与えるものになっている。

 全般に、伏見先生は、ひとの理性、善性というものを信用しすぎていたのかもしれないとも感じた。つまり、ご自身の頭がよすぎるので、他人もまた基本的には合理的に行動すると思っていたのではないか、と。いや、政治的な世界も経験されたのでそんなことはないのかもしれないが。

 とにかく、じっさいの原子力発電所は、合理的どころか、さまざまなところに愚かさの陥穽があったことが、白日のもとになった。公開性も決定的に欠けていて「情報は完全に公開され、国民が常に十分の情報に接しなければならない」などは、果たされていなかった。

 菊池博士の式におけるQはきわめて大きくなっているが、最悪と言われた柏崎刈羽が最悪でなかったように、いまの福島第一ですら最悪ではない。将来、このQをゼロにする(追記:すでに出た廃棄物のことを考えれば、「少なくする」とすべきか)方法はある。誰にでもわかる簡単な話である。つまり、止めればよいのだ。

カヤツリグサ2011/04/27 22:38

カヤツリグサの四角形
 新刊文庫の『身近な雑草の愉快な生きかた』(稲垣栄洋著、三上修 画)と『野草雑記・野鳥雑記』(柳田国男著)をぱらぱらと、比べるようにして読んでいる。
 二書ともに、カヤツリグサに関するエッセイがあり、同じようなことを書いた下記のような記述があったのだが、どちらも、一読では、どういうことなのか理解できなかった。
三角柱の茎の両端を二人で持って、それぞれ別の面を引き裂いていくと、茎は切れずに広がって四角形を作るのである。まさに四次元空間の魔法を見ているようだ。ねじってつないだ輪の中央を切ると、くさり状につながった二つの輪ができるメビウスの輪と同じような不思議な感覚である。この四角形が蚊帳を吊ったような感じなので蚊帳吊草と呼ばれている。
(『身近な雑草の愉快な生きかた』-『カヤツリグサ - 不思議なトライアングルの欠点』)
 かやつり草は莎草などとも字に書いているが、どういう漢語が正しく当たるかを知らない。一種なつかしい香があってこれを折取ると子供の日の記憶がよみがえって来る。茎が三角なので二人の児が申し合わせて、前後違った側面から二つに裂くと、縁が繋がっていて四角な囲いが出来る。これを彼等は蚊帳を吊るといったのである。
(『野草雑記』-『草の名とこども 枡割草』)

 わたし自身には、この遊びは経験がない。前掲書にはできあがった四角形の図もあるのだが、「茎が三角形なので、二方向から引き裂くと四角形になる」とは、どういう意味なのか、ちょっとした幾何学パズルである。
 うーむと考えて、結論としては、三角形ということは必須ではないということを理解した。二方向から引き裂かれる場合、その面が同一面上にないということが重要で、三角形の茎ではそのようなことがやり易いということなのである(図参照)。これは四角形でもよく、そのほうが対称性も高いとも言える。

 なお、『身近な雑草の愉快な生きかた』の『スギナ- 地獄の底からよみがえった雑草』には、被爆後の広島で最初に生えた緑がスギナであるという有名な話もあった。
地中深く伸びていた根茎がシェルターのように熱線を免れたのだろう。緑が戻るのに五十年がかかるといわれた死の大地に芽を吹いたスギナは、どれだけ人の心を勇気づけただろう。
 スギナの話は、放射能と植物というより、熱線で焼かれた土地と植物ということだが、放射能と植物ということでは、先日『切り抜き速報 科学と環境版』という、新聞記事をスクラップしてまとめた雑誌を図書室で読んでいて、震災前の2010年11月19日の信濃毎日新聞に、チェルノブイリの土壌浄化に菜の花を使う(セシウム等を吸収させる)という記事があるのを見た。(元記事はネット上にないようだが、「菜の花 放射能」で検索すると何件もヒットする) 草花は、強いなあ、いじらしいなあと思ったのであるが、いや、自然は、そういう擬人化を超越したところにあるものだと、思いなおした。

グーテンベルグ=リヒターの法則2011/04/29 16:55

グーテンベルグ=リヒターの法則
 「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第41報)から、マグニチュード別の余震の回数を、縦軸を対数目盛にしてグラフ化したところ、地震の大きさと回数の関係がべき乗になるという、グーテンベルグ=リヒターの法則が、かなりきれいなりたっていた。M9が1回、M7の桁が5回、M6の桁が75回、M5の桁が435回である。じっさい、こんなにきれいに法則性があるのだと、妙に感心してしまった。

 2年ぐらい前に読んだ、『歴史は「べき乗則」で動く』(マーク・ブキャナン著 水谷淳訳)という本には、こんなことが書いてある。
 ジャガイモの破片の山におけるスケール不変性(引用者注:凍ったジャガイモが壁にぶつかって破壊された場合の小片の大きさとその個数の関係は、重さが倍になると数が1/6になるといった法則にしたがい、典型的な大きさ、平均的な大きさというものはない)は、大きい破片は小さい破片を拡大したものにすぎないことを示している。すべての大きさの破片は、あらゆる大きさで同じように働く崩壊過程の結果として生じる。グーテンベルグ=リヒターの法則は、地震や、地震を発生させる地殻で起こる過程についても、同様のことが言えることを示している。地震のエネルギーはべき乗則に従うので、その分布はスケール不変的になる。大きな地震が小さな地震とは違う原因で起こると示唆するものは、まったく何もないのだ。大きな地震が特別なものである理由がないという事実は、小さな地震を引き起こすものと大きな地震を引き起こすものはまったく同じであるという、逆説的な結果を示している。(略)グーテンベルグ=リヒターのべき乗則から考えて、巨大地震を予知する計画が実行可能であるとはとても思えない。

したがって壊滅的な地震は、事実上まったく理由なしに発生する。そのような地震がなぜ起こるかなら説明できる。地殻が臨界状態に調整されており、大変動の瀬戸際に立っているからだ。しかし、一八八一年のニューマドリッドの地震があんなに大きかったのかを説明するには、地震の発生後になって、どの岩石がどの順番で滑ったかという物語の形で語る以外に方法はない。

巨大地震は、どんなときにでも、どんな断層帯でも起こりうる。コロンビア大学の地震学の専門家クリストファー・ショルツは、次のような独創的な言葉を記した。「地震は、起こりはじめたときには、自分がどれほど大きくなっていくか知らない。地震に分からないのなら、我々にも分からないだろう」。
 上掲書には、断層の構造にもフラクタル構造があるということが紹介されている。断層の長さが半分になると、その数は7倍になるのだそうだ。小さな地震と大きな地震に違いはない。これはやっかいな話だ。唯一、ある程度の予知、前兆現象の観測が可能であると言われている東海地震であるが、火山の噴火のような前兆現象の観測は難しいということなのだろうか。

 話はつながるようで、ずれているが、以下、折り紙の統計現象の話である。
 紙にランダムにつけたしわには、スケール不変性、フラクタル構造があるが、以前、折り紙作品の工程数と作品数に、統計的な傾向がないかを調べようとしたことがある。調査が面倒なので挫折したが、これは、ベキ乗則ではなく、特定のピークがいくつかある正規分布の重ね合わせになると思われた。