折り鶴みたい(?)な水晶宮2008/10/03 01:17

Iceberg&守矢史料館
 『建築史的モンダイ』(藤森照信著)を読んでいたら、次のような記述があった。
パクストンはガラスを折り鶴みたいに凹凸させて使い、水晶みたいだから水晶宮と呼ばれたわけだ
 1851年の万国博覧会会場に建てられた、ジョセフ・パクストン設計の鉄骨とガラスの建築・「水晶宮」に関する話である。「折り鶴みたいに」は、「折り紙みたいに」というところを、ちょっとひねって表現しただけと思われる。
 藤森さんの本を読んだのは、先週、小海町高原美術館で開催中の「藤森照信建築展」を観て、その脚で、八ヶ岳の麦草峠を越え、茅野市にある藤森さん設計の神長官守矢史料館(写真右)も観てきたからである。同史料館は、道祖神と関係の深いミシャグチ信仰の史料館としても興味があったのだが(前にもちょっと触れた御頭祭の展示があり、これはインパクトがあった)、建築としても、噂に違わない見所満載の物件だった。

 折り紙的なガラス建築と言えば、原宿のThe Iceberg(CDI青山スタジオ設計)なるものもある(写真左)。外車のショールームとか洒落た美容院とか、縁のない店ばかりだったが、今年の1月、中にもはいって、エレベーターにも乗ってきた。感想は、「やりすぎじゃないの、やっぱり」であった。一方、神長官守矢史料館は別の意味でやりすぎなのだが、気持ちよい建物だった。
 ちなみに、小海町高原美術館も世界のアンドー・安藤忠雄さんの設計である。

鱗紋の球体2008/10/04 00:24

新宿の球体
 新宿西口に竣工間近のコクーンタワー(丹下都市建築設計)は、奇妙な建築が多い東京でも異彩を放っている。メインタワーの造形と意匠もかなり過剰だが、おすすめは、新宿郵便局横の路地からの球体低層棟の眺めだ。白黒の鱗紋に覆われた球体は、街中に突如表れた万博のパビリオンというか、日常に隣接する非日常の雰囲気を醸し出している。

 しっかし、あの展開で負けるか、阪神タイガース。まあ、でも、これが、「わたしの阪神タイガース」なんだよなあと、妙に納得しているところも。

TOD'S表参道2008/10/07 00:55

TOD'S表参道
 このブログ、突然、建築散歩になっている。

「かたち好事家」として惹かれる建築をつくっている建築家に、伊東豊雄さんがいる。写真は、TOD'S表参道という商業ビルで、冬枯れの樹と壁面の意匠の対比が、なかなかよい風に撮れた。(2008.1撮影)まあ、カメラアングルを選ばないと、かっこいい建築も電信柱と電線に埋もれた景色になるのがトーキョーという街なので、ある種、美化した画(え)だけれど。
 『けんちく世界をめぐる10の冒険』(伊東豊雄建築塾)という本も面白い。表紙のアイコンが内容を説明している装丁も見事。版型が正方形というのも、折紙者的にはうらやましい。

ノーベル賞2008/10/07 22:04

 いつ受賞しても不思議のなかった天才・南部陽一郎さんが、自発的対称性の破れの理論で、CP対称性の破れの理論の小林誠さん益川敏英さんと共にノーベル賞受賞。
 わたしは物理科を出たというだけの物理周辺技術者、というか物理好きに過ぎないので、概念を類推的に拡大してしまうが、「自発的対称性の破れ」という考えかたの射程の長さは半端ではないという印象がある。
 そして、偉いひとは才能を見抜くという話。5月の伏見康治先生の告別式で、南部先生の弔電が読まれたのだが、学生時代に伏見先生に励まされたという思い出を綴ったものだった。よい話だった。
 しかし、「いまさらの」受賞は、なんなのだろう。稼働し始めたCERNの加速器・LHCが成果を出す(出ればいいけれど)前祝いか?

折り紙を携えて。2008/10/10 23:25

 梨木香歩さんのエッセイ・『ぐるりのこと』を読んでいたら、折り紙に関するエピソードに遭遇した。折り紙の話題を探して読書をしているわけではないのだが、最近、読む本の数冊に一冊の割合で折り紙が登場する感じがある。まあ、どこか「折り紙の匂い」のする本を探しているような気がしなくもない。
 その内容は、以下のようなもの。
 ポーランドに戒厳令が敷かれ、亡命者が続出していた80年代、梨木さんは、ベルリンから乗った列車で、着の身着のままで逃れてきたらしい、不安にふるえているかのような母子と同席になる。
列車の振動音だけが空しく続く。窓の外は雪に覆われた東独の大地。私はバッグから折り紙の束を取りだした。そしてゆっくりツルを折る。最初は何事か、とちらちら見ていた子どもたちも、できあがったツルを手渡されると、眼を輝かせる。母親の顔にも疲れた笑顔が浮かぶ。それから、目的地に着くまで、私は黙って延々折り紙を折り続けた。
 無力感の中で、淡いコミュケーションの役割を担った折り鶴、という描写だ。そして、同書中には、千羽鶴に対しての以下のような文もある。
始めてすぐに、黙々と単純作業を繰り返す、これは、ほとんど意識を違う次元に持って行く、メディテーションの一種のようなものなのだと感じた。
 千羽鶴に「独りよがりの押し付けがましさ」も感じていた梨木さんが、折り鶴を折る中で、じっさいに手を動かすことによるちいさな祈りのようなものを実感する、という文脈の一文である。
 一方わたしは、折り紙を折っているときに無為の境地になることはまずない。造形や色彩や幾何学、紙の物性といったものへの感受性、自己批評といった意識から逃れられない。たとえ何度も折った折り鶴のようなモデルの反復であっても、折る行為にはいったとき、「邪念」が抜き難く生まれる。紙を折ることが、意識の深い部分への潜行になる感覚は少なからず持っているが、「千羽鶴瞑想法」「千羽鶴禅」はわたしには不可能である。単純な反復による瞑想ということでは、突然妙なたとえに飛ぶが、山盛りになったサヤエンドウのスジを取るときの感覚が、これに近いのかもしれない…と、ずっと昔の子どものときの手伝いを思い出した。

 いずれにしても、梨木さんにとって、折り紙は、手作業の象徴として重要なもののようだ。文庫本に解説文を寄せている最相葉月さんもそれを感じとったようで、次のように書いている。
 生まれたとき、動物にもモノにも人にも、互いに隔たりはなかった。それぞれの時間のなかで、境界は取り付けられた。その境界を乗り越えるはたらきが、物語にはある。梨木さんは、その物語をつかむため今日も旅に出るのだろう。折り紙を携えて。


阪神タイガース、力尽く。水道橋のチームの大逆転というけれど、戦力を考えれば、タイガースがよく頑張ったのだ。じつに口惜しいけれど、1日3時間という阪神タイガースの応援から解放されて、ほっとしたようなところがなくもない。ポストシーズンは気楽に応援しよう。

メンガーのスポンジ2008/10/14 20:17

メンガーのスポンジ
 折り紙の著作権に関する会議への参加で来日していた、フランスの折り紙作家・ニコラス・テリーさんが、穴の空いたルービックキューブ(写真左)を持っていた。(なお、山口真さん主催による同会議には、わたしも参加した。中身の濃い会議だった)
 さて。この穴空きルービックキューブは、商品名を「ボイドキューブ」というらしいが、わたしはこれを、「ルービック・メンガー・スポンジ ステップ1」(!)と呼びたい。なんとも仰々しい呼び名だけれど、次のようなことである。立方体に穴を空けることを繰り返すことで得られるフラクタル図形に、メンガーのスポンジというものがある。(メンジャーという表記もあるが、オーストリア人なので、「メンガー」がより相応しいだろう) 残った立方体の部分にどんどん小さな穴を空けていくことになるのだが、このルービックキューブのかたちは、その第1段階、すなわち「ステップ1」なのである。
 ルービックキューブには、30年前の登場以来、様々なバリエーションが生まれたが、穴を空けるという発想には意表をつかれた。ルービックキューブの兄弟の中では、本家を除けば最高傑作じゃないだろうか。
 メンガーのスポンジと言えば、一昨年の折り紙の科学・数学・教育国際会議のときには、ジニー・モズリーさんが大量の名刺でつくったオブジェも観た。写真右がそれだ。
 何年か前に一般紙でも報道された、大阪大学・宮本研究室と信州大学・武田研究室による「フォトニック・フラクタル」もメンガーのスポンジだった。実に面白い(某ドラマ風)