誤植2007/07/16 15:23

 7月9日の記事で、誤字のことを書いたばかりだが、まさに灯台下暗し。できたばかりの自著に以下の誤植を発見した。まだ流通前だが、訂正は間に合わない。すこし落ち込んだ。
 ある意味わかりやすい間違いで、本文や図のキャプションは正しいので、笑って見逃してください。
『本格折り紙』誤植
51ページ ユニマット折り紙(誤)→ユニット折り紙(正)
108ページ 正面体(誤)→正多面体(正)
 諸般の事情(初版の事情とも言う、って、こういうときにもダジャレかい)で、チェックが甘くなってしまった箇所である。
 前者は、最近大きな爆発事故を起こした会社の名前だ。

 校正の重要さ・おそろしさを戒める「校正おそるべし」というシャレ(論語の「後生畏るべし」から)は、明治の世からある定番らしいが、はじめて知ったのは、花田清輝氏の同名のエッセイによってだったと記憶する。「芭蕉扇」(『西遊記』で、火焔山の火を消す扇)が、すべて「芭蕉翁」(松尾芭蕉のこと)になってしまったという内容で、孫悟空が松尾芭蕉を振り回すという図はそれはそれで面白いかもしれない、なんてことを花田氏は書いていた。
 芭蕉翁と言えば、誤植に関する俳句があることを、ネットを検索して知った。
「また一つ誤植みつけぬみかん剥く」(久保田万太郎)
 自分の文章の校正をしているさいに詠んだのだろうか。そこにあるのは、諦念というか諦観というか、まさに俳諧の境地だ。わたしもみかんをむきたくなったけれど、季節外れだ。
 何年か前にでた本だが、誤植の精霊(?)のひき合わせか、つい先日読んだ北村薫さんの『ミステリは万華鏡』(2002/09)にも次のような話があった。あるミステリ小説を文庫化したさいに一行完全に欠落してしまったために、推理のつじつまが一部で合わなくなっていた。しかし、その本は、一読者の疑問があるまで何十版も版を重ねてしまっていたのである。