連鶴新資料に関する研究会 ― 2015/03/10 01:16
半世紀前の伊勢湾台風で水浸しになり、そのまま朽ち果てても不思議はなかった200年以上前の資料。他の資料との関連で読み解くことは知的興奮を呼び、創作家的には、堀口さんが試みていたような、泉下の作家にシンクロしようとする感覚もわくわくする。水木しげる先生ふうに「オモチロイ!」と言いたくなるぐらい、面白いのであった。(謎の表現だが、興奮した!ということである)
長円寺の住職・義道は、広いネットワークを持った知識人だったので、彼の考案したつなぎ折鶴の記録や出版物が遺ったわけだが、歴史に埋もれた創作家もいたのかもしれない、などとも考えた。
なお、研究会の呼びかけ人のひとりとして、会があることをもっと広報しておけばよかったと、反省した。
なんで動いていたの? ― 2015/03/01 01:05
2月4日 スーパープレゼンテーション
ロバート・ラングさんの「スーパープレゼンテーション」(NHK-Eテレ)を視て、「前川定理!」と言ったというひとを数人確認した。ちょっとうれしい。平坦折りの特徴が、折ること全般の特徴みたいになっていて、誤解するひとがいるかも、とは思った。
2月7日 外を吹く風
すこし前に、「和算は面白いが、欠点も多く、近世の日本もユートピアだったわけではない」みたいなことを、あるところに書いた。言わずもがなとも思うが、昨今のTV番組などに多い「日本は素晴らしい!」の風潮には、ちょっとうんざりしている。
例の過激組織、最近はISILと呼ぶことが多いが、ISISという呼びかたもある。対称性の学際的研究の国際学会(International Society for the Interdiscplinary Study of Symmetry:ISIS)や松岡正剛さんのISIS編集学校は、困っているだろうな、と。
2月14日『幾何学の血筋』
『伏見康治コレクション4 物理つみくさ集』で、以下のように紹介されていた『The Geometric Vein』(幾何学の血筋)を、古書店で見つけた。
幾何学の本はたいていの場合綺麗な絵や図がいっぱいあって、楽しいものであるが、この本も色刷りまであって、読まずに楽しめる本であったテープを編むことによってつくる多面体の論文などが載っている。伏見先生にしてこの言なので、本の絵を見て楽しむのはありなのだ。
「挿絵も会話もない本なんて、なにが面白いの?」(『不思議の国のアリス』ルイス・キャロル)
2月14日 ワイファイ
アメリカ人のPさんに再会した。彼女がWifiを探しているときにワイフを紹介してしまったことがある。
2月15日 ハンズフリーフォン
車を代えることになり、その電子機器化が進んでいるのを実感した。たとえば、ブルートゥースでスマートフォンと接続させ、ハンドルについたボタンを押せば、運転中もハンズフリーで電話に出ることができるようになっている。しかし、ちょうど読んでいる『錯覚の科学』(クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ著 木村博江訳)という本に、以下のことが書いてあったのだった。
じつのところ注意力への影響という点では、手動式の携帯もハンズフリーの携帯もほとんど差がない。どちらも同じように、そして同程度に注意力を失わせる。
2月16日『デバッグの理論と実践』
『デバッグの理論と実践 -なぜプログラムはうまく動かないのか』(Andreas Zeller著 中田秀基監訳)という本の第10章に、以下のエピグラフがあった。
プログラマの時間を節約する明白は方法の1つは、マシンにプログラミングにおける低レベルの仕事を多くさせることだ。 エリック・S・レイモンド(Eric S. Raymond) 「The Art of UNIX Programing」(1999)「明白は」が「明白な」の誤植であることが明白で、デバッグや校正が難しいことを自己言及的に示しているものになっている。
2章の次のものは、引用元がない「詠み人」知らずの文で、ほかでも見たことがあるが、実感がこもっている。
デバッグの6段階
1.起こるはずがない。
2.僕のマシンでは起こらない。
3.起こっちゃいけない。
4.なんで起こるわけ?
5.わかった。
6.なんで動いていたの?
2月19日 太陰太陽暦
2月19日は太陰太陽暦の1月1日だった。その前後を休日としている中国や台湾からの観光客が多いことがニュースになっていたが、太陰太陽暦の1月1日に基づく記念日は日本にもある。建国記念日である。『日本書紀』に記された「辛酉年春正月庚辰朔」を、紀元前660年2月11日と計算したのである。1873年に制定され、1948年の廃止後、再び1967年に制定されたものである。
この計算のことを知って思ったのは、近世ヨーロッパの、聖書の解釈から地球の年齢を求めた計算に似ている、ということだった。ファンタジーと細かい計算の混淆という奇妙なアマルガム(合金)である。さらに考えると、そもそもなぜ『日本書紀』に日付がそこまで詳しく書いてあるのか、ということが疑問となる。
そこから読みとれるのは、8世紀の『日本書紀』成立時、当時の陰陽寮の暦博士が、その知識に基づいて後付け計算を行ったということだ。古代中国の讖緯説に基づき、革命の年として辛酉という年が相応しいとしたこと、1月1日にすること、古事記に示された長命の神代の天皇の年齢に合わせるなどで計算した、と推察される。後年、紀元前660年2月11日と計算したひとは、8世紀の暦博士の計算を検算したようなものだ。
なお、こうした『日本書紀』の暦日に関しては、小川清彦氏の研究がある。東京天文台(現国立天文台)の暦計算室にいたひとだというので、広く考えれば、先輩と言える。戦前はその研究の結果を発表できなかったとのことだ。
2月23日 ミレニアム問題
TVドラマ『デート 恋とはどんなものかしら』で、数学者の依子さんとその母親が解こうしたミレニアム問題というのは、クレイ数学研究所のミレニアム懸賞問題(7つあって、ひとつはペレルマンがすでに解いたポアンカレ予想(定理))のどれかだと思うけれど、劇中にちらっと出た白板の数式からはなんの問題かはわからなかった。P≠NPでもリーマン予想でもなさそうだった。
このドラマ、毎週楽しみにしている。わたしは、世間的にはいわゆる理系だけれど、「高等遊民」の巧くんもよくわかる。内心のつぶやきで、「by だれそれ」をつかうこともある。「私たちは生きていさえすればいい by 太宰」とか。『サイボーグ009』のコスプレがでてきたときに、「あとは勇気だけだ by 島村ジョー」のせりふがなかったのは残念だった。
2月25日 『火星の人』
たぶん、この国の読書は、電車内のそれに支えられている。電車の中や飛行機内での読書は楽しい。長距離だと、読書がはかどるという感じになる。
ということで、関西への日帰り出張の往復で、評判のSF・『火星の人』(アンディ・ウィアー著 小野田和子訳)を読んだ。火星に置き去りにされた宇宙飛行士のサバイバルの話である。
著述の半分以上は、三人称視点ではない、宇宙飛行士の記録日記で、これが面白い。くだけた口調の中に突然「ですます調」をいれると、「(棒)」(棒読み)や「(笑)」になるという翻訳の技はうまい。
ストーリー上で重要なものになるある機械の起動メッセージが、じっさいに使われていた「VxWorks」ではなく、「VxWare」という名前なっているのは、意図的なのか、なにかのネタなのか。会社の名前はWind River Systemsでそのままなのに。
NASAの「この機械」がつくられたのと同じ20年ぐらい前、リアルタイムOSならVxWorksだよね、ということで、それほどシビアではない制御だったのだけれど、同OS上にアンテナ制御プログラムを組んだことがある。というようなことを、読んでいて思い出したわけである。で、宇宙に行って修理が難しいものや人命が関わるものではないから、わたしの書いたプログラムでも務まっているんだよなあと、いつもの感想がわいて...きましたです。
ちなみにマークさん(小説の主人公)、UNIX系OSがあれば、ASCIIのコード表はman asciiですぐ出るよ。
2月25日 東京駅
東京駅は、新幹線の乗り換え駅という位置づけで、通り過ぎるだけだったが、ふと思いたって、丸の内中央口から外に出て、新装なった夜の東京駅を外から眺めたら、これはたしかに絵になる風景なのであった。
2月27日 迷路の味わい
機能追加に機能追加を重ねたプログラムというのは、宮田珠己さんのいう四次元温泉(『四次元温泉日記』)的な迷路構造になる。この日修正していたプログラムは、こんがらがっていて、逆に味わい深いような気もした。
月はどっちに出ている ― 2015/02/03 22:24
帯の惹句は「残された血染めの折鶴。そこに隠されたものは-」
TVドラマを観る感じで楽しんだ。ただ、ひっかかったところもあった。「折鶴は回転してしまってきれいに飛ばないんだよなあ」などだが、それよりも気になったのは、月の描写だった。以下、野暮な考証である。
たとえば、冒頭に以下の文がある。
「頭上で、十六夜の月が皓々とかがやいている。(略)五ツ(午後八時)過ぎだった」
十六夜(いざよい)の月、すなわち月齢16の月は、地球を挟んで太陽とほぼ反対側からやや遅れた位置にあるので、日没からすこし遅れて昇る。「いざよい」という言葉は、いざよう(躊躇する)、つまり、日没と同時に昇る満月よりも、月の出が遅れることを表す。その遅れはおおまかに言って、24時間/30(周期)であるから、50分ぐらいである。
時刻の五ツというのは、暮れ六ツ(日没後、薄明がなくなる約30分後)から一時(いっとき:約2時間)経過した時刻である。不定時法なので、基準時刻(暮れ六ツ)も一時の長さも変わるが、文中に「秋の涼気」という記述があったので、9月頃とすれば、これはだいたい20時である。
問題は、秋の五ツどきの十六夜の月の高度である。月が出てから1時間半ぐらい経った時刻だ。この季節、南中時の月の仰角は60度であり、20時にはせいぜい15度ぐらいにしかならない。「頭上」という言葉は広く解釈できるので、間違いと言い切ることはできないが、ちょっと無理がある。ただ、「皓々」という表現は正しい。もっと高度が低ければ、月光が通過する大気が厚くなり、色温度も低く、「皓々」(白く光る)ではなく、より黄色ぽくなるだろう。
近代以前、月明かりは重要な夜の照明であり、時代小説にその描写があるのは、雰囲気を盛り立てる。しかし、街に住む現代人は月明かりを実感として感じることは稀なので、感覚がずれる。当時のひとなら、「五ツに頭上に十六夜の月」というのは、すぐに「変じゃないか」と思うのではないだろうか。
などと、月の光が好きな者として思うのだった。
今晩たった今も、ほぼ満月に近い小望月の月光が、中天近くから天窓に降り注ぎ、新聞の見出しが読めるぐらいに明るい。中天といっても仰角60度ぐらいだが、まさに頭上にかがやく月である。
ティアドロップ多面体 ― 2015/02/03 21:41


なんとかなる ― 2015/01/28 22:43
日本物理学会誌2015年1月号の表紙に騙された。植物ではなく、アルミ-マンガン準結晶によるナノサイズの「造花」なのである。色は擬似カラーだ。
北脇昇展の図録を入手した。そこに、ここで触れた『相関的秩序L.C.M.』に関する作者による解説の一端があった。青い線と赤い線のわたしの解釈はいい線を行っていたのだが、軌跡の向きが逆だった。すなわち、これらの線は、中央から始まって、角に嵌って運動が止まってしまうまでの軌跡なのである。黄色い線による正方形は、つまり、一種の永久運動の軌跡である。なお、30度60度格子と正方形が重なることが近似であるということに関する記述はなかった。
「なんとかなる、なんとかなると思っていても、なんともならなくなってしまう場合がある」

大発見 ― 2015/01/25 21:18
「桑名千羽鶴の原典発見 最古の制作年判明」(伊勢新聞社)
これは、ほんとうに大発見。ギリシア数学史で、アルキメデスの『方法』が見つかったことに相当するような感じである。
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