正四面体の箱など2018/05/12 21:51

◆鳥海太郎展
鳥海太郎展
2018/5/21(月)- 5/16(土)
養清堂画廊(銀座5-5-16)
布施知子さんのご夫君の版画家・鳥海太郎さんの個展です。
写真の作品の題名は「見上げる」

◆正四面体の箱
TetrahedoralBox
蓋とボディが一体化した正四面体の箱ができた。閉じるときの組み合わせが面白い。1対2で近似させてもよいが、1対2.02...という長方形を用いるとぴったり合う。15cm正方形用紙の場合、「ふたつ折り」のときに1.5mmほどずらして折って切るとよい。

この折り目の構造は、正六角形用紙を用いると対称性が高くなる。その場合、閉じると四面体はツインとなる。

◆『北京折畳』と『折畳几何学』
『折る幾何学』の簡体中国語版に関して、翻訳者とすこしとやりとりをした。ついでに、「最近、『折りたたみ北京』(『北京折畳』ハオ・ジンファン)というSF小説を読みました」と書いたところ、翻訳者氏も読んでいて、「現実の北京の地名もでてきて臨場感がある」という話だった。「札幌の地下街に行ったさい、街の下にもうひとつの空の見えない街があることに、あの小説の描写を思い出した」という旨のことも書いてあった。

なお、『折る幾何学』の簡体中国語版の題名も、「折畳」を含む、『折畳几何学』である。(ただし「畳」は異字)。「原題にも『紙』がないので、こうしました」ということだった。

◆数学短歌
『数学セミナー』に投稿した数学短歌が、一首採用された。よかった。

ボツになったものでは、以下が、解説を含めて、ネタとしてある意味自信作だったのだが...
(あくまでインサイド・ジョークとしてウケを狙ったもので、選者の判断にくちばしをはさむものではありません。為念)

題:ベクトル
これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもベクトルの積
余をこめてTriの空値は図るともよにベクトルの積はゆるさじ

解説:
一首目。「これが、計算結果がもととは違う向きのベクトルになるベクトルの外積というものか。意味はよくわからないが、とりあえず計算方法はわかった」ということをよんだ古歌。作者は、数セミ丸である。

二首目。「余弦定理を用いて、Trigonometric function(三角関数)で、(余弦が)空値(ゼロ)となる向きを計算しろという問題だが、ベクトル内積を使ってはだめなのか?」ということをよんだ古歌。作者は、整数納言である。

二首とも「ベクトル」とある部分が「あふさか」であったという説があるが、それでは意味が通じない。二首目の作者は、筆名から想像できるように、数論の業績で名高く、日本のマリー=ソフィ・ジェルマンとも言われる女性の数学者である。主著における記述「烏の寝所へ行くとて三つ四つ二つなど飛び急ぐさへあはれなり」の3,4,2という数列の意味するところは、現在においても解明されていない。

筆竜胆2018/05/07 22:30

◆オープンアトリエ
5月1日から6日まで、来ていただいたみなさま、遠いところを(近所のひとも)ありがとうございました。

◆筆竜胆(フデリンドウ)
筆竜胆
山梨県北部標高1000メートルの周辺では野の花が花盛りだ。タチツボスミレ、タンポポ、マムシグサ、ヘビイチゴ、フデリンドウなど。フデリンドウ(筆竜胆)の中に、五回の回転対称性が際だっているもの(写真左上)があった。ほかの個体はこれほどきっちりした感じではなかった。花の直径は2cm弱である。名前の由来は、朝夕に花が閉じたさまが筆に似ている(写真左下)からだという。よく似たハルリンドウというものもあるが、この写真の花は、フデリンドウでたぶん間違いない。
パラメトリック・フデリンドウ

四面体の鎖など2018/05/01 23:11

この題名で、『紙の動物園』の著者ケン・リュウ氏選なので、折紙者として読まないわけにいかない。表題作(ハオ・ジンファン著、大谷真弓訳、リュウ氏の英訳からの重訳)は、文字通り折り畳まれる北京の話であった。三種類の都市が、毎日、定時に折りたまれて交替する。物理的にどうなっているかは謎だが、奇妙な現実感がある。それぞれの空間は社会的な階層に対応しており、J.G.バラードの巨大高層マンション小説『ハイ・ライズ』をさらに寓話的にしたような設定である。

収録の全編は読んではいないが、中国のSF小説(科幻小説というらしい)が、これから力を持っていくのは、たしかに間違いなさそうだ。そして、中国の存在感の高まりは、SFに限らない。今秋オクスフォードで開催される7OSME(第7回折り紙の科学・数学・教育国際会議)でも中国からの参加が多いらしい。

◆切り紙の飾り・Papel Picado
ピクサーのアニメーション・『リメンバー・ミー』(リー・アンクリッチ監督)を観た。メキシコの死者の日の切り紙飾りが効果的に使われていた。Papel Picadoというらしい(訳すとそのまま「切り紙」)。そうした習俗があること自体を知らなかったが、奥三河の花祭りの「ざぜち」や、越後の「八丁紙」、三陸や櫛形(山梨)の「切子」に似ていて、面白い。Papel Picadoは、調べてみると案外新しいもので、20世紀になってから中国系移民によって持ち込まれた剪紙を起源とするらしい。

下の写真は、東栄町月地区の花祭りの「ざぜち」と「湯蓋 (部分)」である。前も疑問に思って解決していないが、「ざぜち」の語源って何だろう。
花祭りの「ざぜち」(東栄町 月)

◆四面体の鎖
正四面体を辺で鎖にすると面白いかもしれない、と思いついたので、試してみた。6個で輪にすると、きれいにまとまった。ユニット折り紙としては単純なつくりである。
四面体チェーン

この鎖の幾何学的特徴は、直交する三軸方向につなげられることにもある。ただし、辺が直線だと、別方向のものが干渉するので、それをすこし曲げる必要がある。曲げると吊るしたときにも安定するので、ちょうどよい。CGでそれを描いてみたら、なかなか面白い絵になった。このアイデアはすでにあるだろうか。まあ、どういうふうに使うか、わからないけれど。
四面体チェーン(三軸)

この鎖を、じっさいに針金を曲げてつくる場合は、工夫が必要だ。3価頂点が4つあるので針金の一筆描きは不可能である。辺を2回通るようにすると可能になるが、そのようにつくると絡ませるのは難しくなる。
四面体チェーンモジュール

朝ドラの話など2018/04/27 21:03

第十二話が、明日4月28日、22:45-23:00に放送される。
博士役の滝藤賢一さんは、朝ドラ『半分、青い。』にも出演中で、その宣伝もあってか、今朝のインタビュー番組にもでていた。その中に、自宅で折り紙を折るシーンがあったが、画面にちらっと映った図はわたしのものだった。滝藤さんは、作中で折るモデルをきちんとマスターする勉強家なのである。

◆朝ドラの話
その朝ドラの高校生の部屋に、大十二面体と小星型十二面体が置いてある。このモデル、色が同一面で同じになっている。よくできている。

大十二面体は12個の正五角形、小星型十二面体は12個の五芒星が、対称的に交差してできた多面体である。しかし、できあがったかたちは、60個の三角形の面が見え、交差した面はわかりにくい。面の交差という構造を示すためには、色分けを使うとよいのだ。
大十二面体と小星型十二面体

大十二面体のモデルは、拙著『折る幾何学』にも載っている。ただし、「大十二面体外殻」として、名前には「外殻」をつけた。これは、やはり、面の交差にはなっていないからである。内部の面はないのだ。ただ、やや変わった対称性を用いたので、面白いモデルになったと自負している。「『折る幾何学』型紙選集」にもはいっているので、パズルとしてどうぞ。

また、この朝ドラの主人公の少女は、片耳が聞こえない。じつは、親戚にも同じ障碍のひとがいる。視力低下によって幻覚が見えるシャルル・ボネ症候群というものがあるが、それの聴覚版の、聴覚性シャルル・ボネ症候群なるものもあって、幻聴として、音楽が聞こえたりもするらしい。親戚の女性も、小さいころ、いわゆる霊感が強いと言われていたという。なお、彼女は、長じて耳鼻科の医師になった。

イベント紹介2018/04/22 08:18

◆姫路科学館の火星儀
火星儀(姫路科学館)
姫路科学館のスタッフが『折る幾何学』掲載の「地球儀」をもとに火星儀を製作しました。
GW中の4/28と5/6に来館者にむけてワークショップをするということです(詳細は未確認)。
今年は、夏から秋にかけて火星が大接近(最接近は7/31)します。

◆オープンアトリエ
オープン・アトリエ
5/1(火)から5/6(日)まで、山梨県北杜市大泉町にあるアトリエ(プライベート・ギャラリー)を公開します。
日程:5/1(火)- 5/6(日)
時刻:10:00 - 16:00
場所:山梨県北杜市大泉町西井出 ペンション・レキオの近く
お気軽にお立ち寄りください。

おしらせなど2018/04/16 21:39

4/22(日)13:00-15:00
府中郷土の森博物館のふるさと体験館
作品:鯉のぼり他
鯉のぼり

先日来、『嬉遊笑覧』(1830)を読んでいたのは、ふと、鯉のぼりの起源も気になったからであった。同書(持っている巻だけだが)には、「絵のぼり」、「風流(ふりゅう)」の記述はあったが、鯉のぼりに関しては記されていなかった。鯉のぼりは、広重の『名所江戸百景』(1856-1858)の『水道橋駿河台』に描かれているので、徳川時代からあったのはたしかだが、幕末になってからの流行のようだ。

鯉のぼりに関してもうひとつ気になるのは、「この下に子供がいます鯉のぼり」という句がよいなあと思った記憶があるのだけれど、誰の句かどこで読んだのかも思い出せず、ネットの検索にもかからないことである。

◆自己相似的国会議事堂
自己相似的国会議事堂
以前から、国会議事堂の中央の屋根が入れ子的構造的な造形だなあと思っていた。じっさいは、小さな塔のようなものが塔の上にあるだけだが、きっちり自己相似図形にしたものを描いてみた。

この相似形と無限小への収斂は、政府が国民の合わせ鏡であることを暗示するようにも、超国家主義における「中心からの価値の無限の流出」(丸山眞男)の象徴のようにも見える。...というのは、考えすぎである。

宝井其角は折鶴を折ったか?2018/04/15 22:00

江戸時代後期の考証随筆・『嬉遊笑覧』(1830、喜多村イン庭:インは竹かんむりに平均の均)には、折り紙に関することも書いてあるが、中にはこれは変だよねという話もある。何度か読んだ箇所なのだが、先日あらためて見て、以下の記述が気になった。この部分が詳しく話題になったことはないと思うので、考察を記しておく。

その記述とは、以下である。
『五元集拾遺』に、聖代を仰ける句とて、「鶴折りて日こそ多きに大晦日」といへり。春の設の提子など飾る料なるべし。
(『五元集拾遺』に、古きよき世に向けた句として、「鶴折りて日こそ多きに大晦日」とある。新春のしつらえの酒注ぎなどの飾りであろう)
『嬉遊笑覧』巻六の下)

『五元集』(1747)は、蕉門の高弟、宝井(榎本)其角(1661-1707)の句集である。『嬉遊笑覧』では、この句に関して、折鶴と雄蝶雌蝶のような飾りを結びつけているわけだ。しかし、これはいかにも強引で、よくわからない話である。

句自体、解釈が難しい。『嬉遊笑覧』の記述にあるように、この句には、「聖代」という題がついている。上古のことを指すのか、「聖代」と「鶴折りて」に引っ張られて、わたしの解釈は迷走した。
聖代
鶴折りて日こそ多きに大晦日

国文関係で困ったときは、岡村昌夫さん、ということで氏に確認してみた。すると、やはり『嬉遊笑覧』の解釈はこじつけだろうね、という話になった。

句意に関しては、以前、高木智さんが、「鶴折りて」は「鶴降りて」なのではないかと言っていましたね、という指摘もあった。たしかにそれならば、「鶴が舞い降りてきた。(一年は三百何十日あるのに)この大晦日に」という内容で、わかりやすい。「聖代」は、正月を前にして、単に、ありがたい平安な世の中ということと考えればよいのだろうと、納得した。

しかしである。『嬉遊笑覧』のみならず、引用元の『五元集拾遺』(1747)の原本をあたると、そこには、しっかり「鶴折りて」と「折」の字が書いてあるのだった。原本は、たとえば、早稲田大学のデジタルライブラリーにある。 『五元集』は、其角自撰の句集で、もとが仮名であっても、「降りて」は、「おりて」であり、「折りて」は「をりて」なので、間違う可能性は低いのではないかと思えた。

そこで、これは、「降りて」でもなく「折りて」でもなく、「居りて」なのではないかと考えた。「居りて」なら「をりて」なので、元が仮名で書いてあったのなら、「折りて」に誤りやすいのではないか。自撰といっても、其角没後40年経っての編纂であり、印刻までには何人もの手がはいっている。

つまりこれは、「鶴がいるよ。ちょうどこの大晦日に」という句なのではないか。舞い降りたのと似ているが、ふと見ると鶴がいたというのは、より現実的で自然な驚きがある。こう考えると、下の、其角の別の句にも通じる、情景が見える句となるように思えた。
日の春をさすがに鶴の歩み哉 其角
(春の陽射しの中、やっぱり鶴が(鶴らしくゆっくりと)歩いているねえ)

以上のような思いつきを、あらためて岡村さんに伝えると、「居る」はおもにひとに使われる語で、当時の仮名遣いも、国学の偉いさんを除けばけっこう自由ですよという指摘があった。また、「居りて」の可能性も高木さんが指摘していたとのことであった。

岡村さん、高木さん、折り紙研究の先達、瞻仰すべし。其角の仮名遣いが正しくても編者が間違えたということもありそうで、「降りて」にせよ「居りて」にせよ、この句は折鶴を表した句ではなく、誤って伝わったのではないか、というのは、かなりもっともらしく思えた。

其角は西鶴と交流があったという。西鶴の『好色一代男』中に、「折りすゑ」の「比翼の鳥」も出てくるので、其角も折鶴を折ることができた可能性もあるかもなあ、とも思うのだが、「鶴折りて」では、どうにも句柄がはっきりしない。

というわけで、わたしのとりあえずの結論は、「其角は折り鶴を折っていなさそう」である。仮説の二段重ねになるが、この解釈を正しいとすれば、1700年代半ばになると、「鶴をりて」(または「鶴おりて」)は、「鶴居りて」や「鶴降りて」よりも「鶴折りて」と解釈されやすいほどに、折鶴が普及していた、ということも言えそうだ。

そもそも江戸市中に鶴がいたのかという話だが、江戸には丹頂鶴もいたし、鴇(とき)もいた。たとえば、広重の『名所江戸百景』『蓑輪金杉三河しま』にも丹頂鶴が描かれている。鶴は、ありがたい瑞鳥でありながら、案外身近にいたのだ。現代になっても、長野県の野辺山の矢出原湿原には、昭和四十年代まで、毎年丹頂鶴の飛来があったという話もある(八ヶ岳 自然いっぱい情報誌 『だたら八つ』2010年秋冬号)。

###
其角といえば、最近読んだミステリ小説『シャーロック・ホームズたちの新冒険』(田中啓文)の第二話は、正岡子規がホームズ役に、高浜虚子がワトソン役になって、芭蕉の死の真相を解明するという趣向で、其角の句も謎解きに関係している、面白い話だった。

昨日、某会議出席のついで、神保町に寄る時間があったので、4月10日にオープンした「神保町ブックセンター」をのぞいた。以前岩波ブックセンターがあったあとにできた、岩波の本を揃えた書店・喫茶である。岩波文庫の『嬉遊笑覧』に持ってない巻があったので、あれば買おうと思ったこともある。しかし、岩波の本を揃えているこの書店にも、それはなかった。まあ、出版社自体のサイトにも「品切れ」とあるのでしかたがない。というわけで、頭の中が岩波文庫の黄色背表紙の探索モードになったので、近くの古書店の安売りワゴンものぞいた。すると、『徘家奇人談 続徘家奇人談』(竹内玄玄一)というものがあったので、これを求めた。昨晩はそれをぱらぱら読んでいたのだが、これがかなり面白い。岡村不卜というひとの項にあった其角の以下の句は、ちょうど今の季節のものである。
桜ちる弥生五日は忘れまじ 其角

太陽暦にずらして四月にして、かつ現代語にして、「さくら散る4月5日を忘れない」とすると、俵万智さんの短歌というか、Jポップの趣きになる。

桜といえば、先週、山梨県北杜市大泉町の谷戸城跡の桜が満開だった。東京と標高が800mほど違うので、2週ほど遅れるのだ。
谷戸城址の富士と桜

桜の話になったところで、すばらしい現代俳句もふたつ紹介しておこう。
想像のつく夜桜を見に来たわ 池田澄子
花よ花よと老若男女歳をとる 池田澄子

後者は、『徘家奇人談 続徘家奇人談』にあった以下の句と並べても面白い。
死にさうな人ひとりなし花の山 祇徳

言うまでもなく、西行の歌をしたじきにしている。とは言いつつ、ここに詠まれたひとは、みんな死んでしまったのである。上の写真には富士も写っているが、『徘家奇人談 続徘家奇人談』にあった富士の句では、季が違うが、以下がすばらしい。
によつぽりと秋の空なる冨士の山 鬼貫
にょっぽり!

『数学セミナー』のツイッターアイコンなど2018/03/28 21:32

第11話が3月31日22:45-23:00に放映。なんと、4月以降も継続である。

繁体漢字版の『折る幾何学』である『摺紙幾何學』が出版間近だ。簡体漢字版も出る予定である。ふつうの折り紙の本ほど売れないと思われるのは、著者としてやや心苦しいが、類書は少ないので出版する意味はある(はずだ)。台湾や中国のひとで、ここを読んでいるひとはいないと思うけれど、よろしく。

台湾のネット書店にある著者紹介などの記述は、漢字文化圏の者として意味がわかるのだが、「白髪三千丈」的な誇張した表現のように見えてしまう。「ソフトウェア技術者」を「軟體工程師」と書くのも面白い。ウェルズの火星人やヨガの先生を思い浮かべてしまった。

『数学セミナー』のツイッターのツイッターのアイコンに、日本評論社のマークのパロディーとしてつくった「折紙評論社」のマーク(『折る幾何学』に掲載)を使わせてくださいという話がきたので、快諾した。『数学セミナー』では「数学短歌の時間」という連載が始まっていて、わたしも何首か投稿した。

◆世相からフィクションを連想する癖
ニュースで見る役人のあれこれから、例によって、太宰の『家庭の幸福』を連想したが、松本清張氏の小説世界のようでもある。

かわいそうなのは、その下で忠勤を励んで踏台にされた下僚どもです。上役に目をかけられていると思うと、どんなに利用されても感奮しますからね。(『点と線』)

ステロタイプな描写だとも思うのだが、どうやら現実もこんな感じらしいのでおそろしい。

ちなみに、いま手元にある古い『点と線』には、青函連絡船の乗船カードがはさまっている(若干のネタバレ)。これを読んだとき、北海道旅行に行くという兄に頼んで入手したもので、いまやこれ自体が貴重なものかもしれない。
『点と線』

あらためて読むと、「下僚ども」という表現もなかなか強烈で、ゴーゴリの『外套』を思い出した。『外套』の主人公である、風采の上がらない下級官吏アカーキイ・アカーキエウィッチは、凡中の凡たる人物として造形されているが、文書清書係のアカーキイがふとしたことから秘密を知ってしまう、巻き込まれ型サスペンス『清張風 外套』なんてどうだろう。

凡中の凡と書いたが、学生時代にこれを読んだとき、徹底的に冴えないアカーキイ・アカーキエウィッチには、身につまされ共感したのみならず、見習うべきなのではないかとも思った。彼は、定職を持っているし、それが心から好きで、なにより正直なのだ。彼が正直たりうるのは、孤独で、守るべきものが彼自身だけだったからでもあるが、その正直さには曇りがない。物語の冒頭近くで若い同僚を変えるのも、この美点によるものだ。

◆善管注意義務
『外套』のアカーキイ・アカーキエウィッチの正直さは「善良」と言い換えることもできる。この「善良」なる言葉が、法律用語にも出てくることを知って、へぇと思ったことがある。「善良な管理者の注意義務」、略して「善管注意義務」である。民法400条などに出てくるもので、一般的なモラルを意味する概念らしい。民法400条を巡って「善とは何か」を争う、西田哲学みたいな裁判があったりしたら面白い。

カナヘビとか2018/03/05 23:15

◆ヤバイものを見た。
「やばい」「ああそうかい」
「やばい」 「ああそうかい」

★燃える雪
平昌オリンピックのメインスタジアムが正五角形で、さらに、雪の結晶的な映像まで正五角形であるのを見て、「これ」を思い出した。

◆和算をあつかった小説
和算をあつかった書き下ろしの小説を、日をおかずに読んだ。ブームなのか?

『算額タイムトンネル』(向井湘吾)
じつは、あまり期待せずに読み始めたのだが(向井さん、ごめんなさい)、考証や設定でぎりぎりにそれらしいところをついてきて、読み進むにしたがって、これはいいぞ、となった。折鶴を扱った問題もちらりとでてきてニヤリである。和算を扱ったフィクションには、考証を完全に捨て去っているものもあるが、この小説ではそうしたことは感じず、扱っている題材が、作者にとってただの借りてきたネタではないことが伝わった。なお、本書は、題名からはそれとわからない前後編の前編である。

『茜空 - 大江戸算法純情伝(1)』(山根誠司)
登場人物の性格づけが現代人的かなと思ったが、逆にそれもあってか、読みやすい話になっている。数学史(和算史)的な興味では、零約術 (無理数の有理数近似)の扱いが面白かった。主人公の新助の着想を、帰納法的なアプローチとして、建部賢弘に感心させている。

ちなみに、建部の零約術は、連分数展開に相当するものとしてまとめられたはずだが、ここでの、√73の「解答」である1068/125は、連分数からの値とは違っている。これもちょっと面白い。√73の連分数は、[8; 1, 1, 5, 5, 1, 1, 16]で、1...16が循環するかたちになる(二次の無理数は必ず循環する連分数になる)。循環の前までで計算すると17669/2068、その前の1までで計算すると、2008/235、その前では487/57である。1068/125は、2008/235より精度がよい。

いずれにせよ、『算額タイムトンネル』と同様、作者の和算好きが伝わる物語だ。
と思ったら、著者は、ブルーバックスの和算の本を書いているひとなのであった。
その本(『算法勝負!「江戸の数学」に挑戦』)も以前ざっと読んだが、そこでも折鶴の問題がとりあげられていた。史実における折鶴の問題は、最上流の渡辺一によるもので、関や建部が活躍していた時代よりややあとになるのだが、17世紀末なら折鶴が普及していたとして無理はなく、お話としては許容範囲なので、続編では、折鶴の問題がでてくるかもしれない。

◆ドラえもん
先週、強風と湿った雪で、駐車スペースの上のカラマツの枝が折れ、フロントグラスにヒビがはいるなど、車が破損した。そして、レンタカーを借りたら、同じ車種で色が黄色から青色のものになった。この話を聞いた近所の少年が「ドラえもんみたいだ」と言った。別ストーリーがいくつかあるようだが、もともと黄色だったドラえもんが、ネズミに耳をかじられて青ざめたという話があるのだ。わたしの車は、カラマツに窓を割られて青ざめたのである。じっさいに青ざめたのはわたしだが。

◆折紙探偵団関西コンベンション
3/3-3/4の折紙探偵団関西コンベンションに、3/3だけ参加した。朝5時前に家を出て、日が変わって帰宅するという強行軍となった。講習したのはカナヘビ(尾の長いトカゲ)である。特別な工夫はない作品だが、無理なくかたちができるので、講習の前に何度か折るたびに、好きな作品になっていった。窓にはりつけて写真を撮ってみた。はりついていると、カナヘビというよりヤモリで、ヤモリにしては尾が長すぎる。
カナヘビ

ダイヤモンド格子連鶴(南 樹)
展示作品の南さんの「ダイヤモンド格子連鶴」。この展開図はどうなっているのか?

3/2の移動の新幹線ではダン・ブラウンさんの『オリジン』を読んだ。登場人物のカーシュは、リチャード・ドーキンス氏やケヴィン・ケリー氏(『Wired』や『テクニウム』のひと)が憑依している人物であった。いつもどおりの「観光案内つきクリフハンガー(連続活劇)」なのだが、「強い無神論者」の主張を扱うなんて、肝が座っているなあ、映画化たいへんなんじゃないか、などと。

で、『オリジン』は、ロバート・ラングドン教授だけれど、以下は、ロバート・ラング博士である。
"Twists, Tilings, and Tessellations"

数日前に、彼の『Twists, Tilings, and Tessellations』が届いた。題名のとおり、テセレーション(連続模様)の折り紙をメインテーマに、その設計法を記した分厚い本である。テセレーション的な折り目の造形への応用として、わたしの孔雀が載っているほか、平坦折りの定理の話などが関係している。

お知らせなど2018/02/21 22:57

◆折り紙教室@府中
2/25(日)13:00-15:00
作品:雛人形(シンプルな新作)
雛人形(シンプル)

2/23(金)21:00-23:00 日本TV系
『数学セミナー』の連載でお世話になった編集者のI氏が、数式を書くシーンなどで協力したというので紹介しておきたい。数学者・岡潔さんと妻のみちさんのドラマである。

岡潔氏は天才だが、わたしの偶像(アイドル)かというと、すこし違う。以前、小林秀雄氏との対話などを読んで、なんというか、「敬してこれを遠ざく」という思いを持った。

2/24(土)22:45-23:00 第10話 NHK-Eテレ

◆鶴と兜
金子兜太さんの訃報に接し、折り紙者として、『米寿快談 俳句・短歌・いのち』という本のカバーを思い出した。金子兜太さんと鶴見和子さんの対談で、折り紙の兜と折鶴が並んでいるのだ。装幀が誰かは、手元に本がないので不明である。

◆本歌取り
『短歌タイムカプセル』(東直子、佐藤弓生、千葉聡 編)を読んでいたら、こんな歌があった。

おりがみを折るしか能のないやつに足の先から折られはじめる 吉岡太朗

妻に見せると、「失礼ね」と言った。言葉の強さに反応したのだろうが、(だいたいにおいて)わたしの味方である彼女が失礼と思ったということは、わたしがおりがみを折るしか能のない者で、それを「やつ」と表現されたためか、と考えた。わたしは、僅かでも、ひとつでも、才能のようなものがあったのなら御の字だと思うし、この歌には不思議な味があるので、失礼とは思わなかったのだが、せっかくなので(?)、本歌取りしてみた。

みじかうた詠むしか能のないやつに頭の上から言葉の箍締め

最後は「たがじめ」。そのままなぞってみたら、やっぱりきつい言葉のような気も。