紙の鶴おりおり など2025/01/26 10:49

◆紙の鶴おりおり
大河ドラマ『べらぼう』の影響で、安永・天明・寛政期の資料などが書店に並んでいる。

『秘伝千羽鶴折形』(1797)が出版された時代でもあるので、同時代の資料は折々に読んでいたのだが、四方赤良(よものあから)こと大田南畝と、朱楽菅江(あけらかんこう)の編になる『万歳狂歌集』(1783)が文庫ででているのはすこしびっくりした(いまはなき現代教養文庫版の復刊ではあるが)。大河ドラマおそるべし。通読したことがなかったのでありがたく求めて読んだ。

『千載和歌集』のパロディを表題とする同書は、まず、収録歌の狂名(ペンネーム)が面白い。酒上不埒(さけのうえのふらち)、元木網(もとのもくあみ)等は知っていたが、ほかにも地口有武(じぐちのありたけ)とか加保茶元成(かぼちゃのもとなり)等々、じつにくだらないものが多くて、正直、歌自体よりも狂名のほうが笑えるほどである。

編者のひとり、あけらかんこうもアッケラカンの謂だが、その菅江の口上に以下のような記述があった。

たはれ歌ハちはやふる神代よりはしまるにもあらす、ひとつとや人の代よりはしまるとしもあらず、ほと/\手まりうたにひとしく、ひいふう三河まさいの口つきにかよひて、はらのかハより/\に口すさひ、かミのつるおり/\にひいたせるなり

訳:狂歌というのは、神代に始まるものでもなく、人の世になって始まったものというより、ほとんど手毬唄みたいなもので、三河万歳の口上のたぐいというか、思いついて腹の皮がよじれるように口すさび、紙の鶴を折るように折々にひねりだすものなのである。

かミのつるおりおり、と来たもんだ。
残念ながら、『万歳狂歌集』七百四十八首の中には、折形を詠んだ歌はなかったが、この時代、折鶴が普及していたことを示す記述ではある。

通読して、橘曙覧(たちばなあけみ)の独楽吟(「たのしみは」で始まる一連の歌)の先行作である下記の歌や、「根岸の里の侘び住まい」と並ぶ万能付句「それにつけても金のほしさよ」の元祖的な一首もあって、へぇーと思った。こういう話題の会話を、あらためて岡村昌夫さんとしたかったなあと。

たのしミハ春の桜に秋の月夫婦中よく三度くふめし
花道つらね (五代目市川團十郎)

世の中はいつも月夜に米のめしさてまた申しかねのほしさよ
四方赤良

ただ、お気楽な時代に見えて、天明の大飢饉、浅間山の噴火、アイヌの蜂起等、擾乱の時代でもあったはずではある。

◆折れるには…

折れるにはあまりに弱すぎる人間が存在する。私もその一人だ。

『哲学宗教日記』(L. ウィトゲンシュタイン、鬼界彰夫訳)

原語ではBrechen(英語のbreakに相当)で、Folten(foldに相当)ではないが、折るという言葉がでてくると、折紙者は、過剰に反応してしまうのであった。

合法的に独裁国家に移行する可能性
かのクルト・ゲーデルが、戦後、アメリカの市民権を得るさいの面接をうける前、「この憲法は、(論理的に検討した結果)、合法的に独裁国家に移行する可能性を持っている」と述べて、保証人のアインシュタインらを慌てさせたというエピソードを思い出す、このごろ。

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