親バカの心境 など2019/06/07 17:54

NHK-Eテレ。今晩も放送があるが、6月は、毎週末金曜(6/7、6/14、6/21、6/28)22:45-23:00に4回放映されるということだ。

◆親バカの心境
『エッシャー生誕121年記念 テセレーション講演会』6/15(土)13:30-16:00(東京都美術館(上野) 2F スタジオ)で、発表させてもらえることになったので、スライドをつくるため、昔描いた絵をひっくりかえしていたら、親バカの心境というか、若いころの自分の絵が面白くて、感心してしまった。
テセレーション講演会のスライドから
こういうのだけではなく、テセレーション(敷き詰め絵)もたくさん描いている。

◆42と43
『ビバ!おりがみ』(1983)の収録作品は42で、『本格折り紙』(2009)の収録作品は43だ。42は「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」(『銀河ヒッチハイクガイド』ダグラス・アダムス)であり、43はそれに+1した素数で、味わい深い数字である。

『折紙探偵団』に書いているエッセイ『折り紙四六時中』は、「数」の話題にするというしばりを自らかけてしまったので、次は、この42と43の話にしようと思った。しかし、うーんと考えて、別の話(0.1mmの話)を思いついたのでそちらにした。

『折紙探偵団』の次号では、上のエッセイのほかに、布施、川村、川崎さんと交代で連載しているユニット折り紙の図が、わたしの担当だ。今回は、ひとつ、トピカルなネタ(?)をいれてみた。M87ブラックホールシャドウ撮像記念、「相対論的ジェットキューブ」(「スーパーウィンド銀河キューブ」)である。

◆ゴジラ
『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(マイケル・ドハティ監督)は、公開日(伊福部昭さんの誕生日)に観た。キングギドラをモンスター・ゼロと呼んだり、『地球最大の決戦』の鳥居を前景したギドラを彷彿とさせる十字架が前景のアングルがあったり、あの秘密兵器、双子の女性博士、伊福部&古関旋律など、予算潤沢なファンムービーの感があった。あそこまでやるのなら、次のようなオマージュも無理なくできたのになあ、とも。

・芹沢博士が目を負傷し眼帯をする。
・エマ・ラッセル博士が「こんなものつくるんじゃなかった」と頭を抱える。
・芹沢博士が「幸福に暮らせよ」と言う。

ゴジラに触れるシーンで「先生、直接手を触れないほうがいいです」という声も聞こえてしまった。ストーリー上、この言葉がでる必然性はないので、この幻聴は、完全に初代ゴジラ教の信徒のものである。
以上のような感想は、「またじいさまのゴジラかよ」現象ともいう。
「終わりっ!」

◆六芒星と三角形
瀬名秀明さんの『魔法を召し上がれ』に続いて、やはりマジックがモチーフの『トリック』(エマヌエル・ベルクマン著 、浅井晶子訳)を読んだ。謎を解こうとして読んでしまう癖があるので、プロットが読めてしまったが、よい小説だった。黄色い六芒星(とピンクの三角形)という重いテーマを扱っているのだが、ほのかなユーモアがあって、短い章立てのテンポも読みやすかった。

◆幸福を語ることが…
すこし前、穂高明さんから、文庫化された『青と白と』をご恵贈いただいた。宮城県出身の穂高さんが震災を描いた、自伝的な部分もある小説だ。単行本で読んでいたのだが、文庫でより広く読まれることになって、穂高さんのファンとしてとてもうれしい。…と思ったのに、紹介していなかった。

これは、震災の被害を直接受けていないひとでも、世界と日常の関わり合いという意味で、こころに響く小説だ。

わたし自身も震災の直接の被害は受けていない。しかし、震災後、関連のニュースに接すると、宮澤賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』1926)という言葉を思い出すのが条件反射化していた。じっさいにそう思うというより、この言葉を思い浮かべるのが自動化していた。

賢治のこの言葉を論理命題のように考えると、幸福の不可能性が結論となるだけだ。こうした言明は、高潔であるほど、ときに、ひとをしばるドグマとなる。三木清は、『人生論ノート』(1941)に、「幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのやうに感じられる今の世の中は不幸に充ちてゐるのではあるまいか」と書いた。三木のこの言葉は、認識の言葉であって教条的な言葉ではない。賢治の言葉もそのようにも読めばよいのだ。世界が不幸に満ちているという認識は、個人が幸福であろうとする実践を妨げるようなものではない。三木は、次のようにも書いている。
「我々は我々の愛する者に對して、自分が幸福であることよりなほ以上の善いことを爲し得るであらうか。」

わたしは、『青と白と』という小説のテーマもそういうことかもしれない、と思って読んだ。なお、穂高さんとは、彼女がかなりの天文好きで、彼女の夫君が折り紙好きということから、知り合った。

◆イトゲン
先日、阪神タイガースの糸原健斗内野手の活躍を見ていて、糸原をイトゲンと読むと、ウィトゲンシュタインぽいなと思った。上本博紀内野手がタイガースファンの間でウエポンと呼ばれていることからの連想である。そこで、20世紀の天才たちで、ほかにもそれらしい名前を考えてみた。

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン: 糸原飛雄(イトハラ トビオ)
アラン・チューリング: 中林新太(ナカバヤシ アラタ)
シュリニヴァーサ・ラマヌジャン: 原沼翼(ハラヌマ ツバサ)
ジョン・フォン・ノイマン: 野間純(ノマ ジュン)
クルト・ゲーデル: 鯨出拓人(クジライデ タクト)
ダフィット・ヒルベルト: 蛭本旅人(ヒルモト タビト)
エルヴィン・シュレディンガー: 守礼院川照敏(シュレインガワ テルトシ)

しょうもない。しかしこういう名前の見立ては、江戸川乱歩以来の、本邦ミステリ界の伝統をひきつぐと言えなくもない。ということで、これらを登場人物として、ミステリを考えてみた。

舞台は、とある大学。事件の発端は、物理科の学生・守礼院川が可愛がっていた猫が密室で殺されていたことだった。数学科の鯨出は論理的に考察するが袋小路にはまる。同じく数学科の原沼は、ホームシックにかかっていてぶつぶつと呟くだけだ。哲学科の糸原と情報工学科の中林は、言い合っているだけで話が進まない。じれた中林が、同じ学科の後輩・野間に相談するが、猫が死んだことの何が問題なんだと、非情な対応をするばかりである。中林は教授の蛭本にも相談するが、「この問題は解かれなければらなない。そして、解かれるであろう」などと言うだけで、埒があかない。そんな中、中林の死体が齧りかけの毒リンゴとともに発見される。果たして事件の真相は? 才気あふれる若き研究者の卵たちが交錯する本格探偵小説『語りえぬもの』! 乞うご期待! (嘘)

◆アイルランド
阪神タイガースといえば、先日、こんなことも考えた。「超常恋愛サスペンス」と銘打った『クロストーク』(コニー・ウィリス著、大森望訳)を読んで、どうやらアイルランド人には超能力があるらしい(!)、という話からの連想である。元阪神タイガースのトーマス・オマリー氏は、O'で始まる苗字で、ミドルネームがアイルランドの聖人・聖パトリックのパトリックなので、アイルランド系のどまんなかで、マット・マートン氏も赤毛なのでアイルランド系かもしれない。そうか! 彼らの投球の「読み」がよかったのはそれなのか、ということだ。というふうに、人種というセンシティブな話題も、こういうジョークのネタになっているぶんには、微笑ましい。

◆Θリンクと91
『宇宙と宇宙をつなぐ数学』(加藤文元)。これはさくさくは読めないだろうなと思って読み始めると、ぐいぐい読めるのでびっくりした。なんとなくわかった気にさせてもらえる加藤さんの文章力がすばらしく、グレッグ・イーガンの『ルミナス』なども連想した。しかし、加藤さんは、この本自体を、IUT理論の世界から数学ファンへの「Θリンク」には例えてはいない。別の宇宙をつなぐということで、ぴったりとは言えないまでも、よいアナロジーだと思うのだけれど、言い過ぎになるのだろうか。じっさい、数学の内容が簡単に腑に落ちるなんてことはありえないので、この本を読むのは、絵葉書を見て登山を想像するみたいなものだろう。ただ、たいへん魅力的な絵葉書である。

なお、わたしが読んだのは、91が素数の例になっている誤記のある初版であった。57をグロタンディーク素数という「故事」にならって、加藤文元さんの名から、91はブンゲン素数ということになったらしい。ブンゲン素数のようなエピソードは、個々の図形や数を愛でる数学ファンと、それらを抽象化して数学世界を見渡す数学者の違いを示す例かもしれない。星座に詳しい天文ファンとそうでもない天文学者みたいに。ただし、たとえばラマヌジャンは、前者が突き抜けたひとだったと思う。

91は、数字好きには面白い数である。まず、91は7×13であり、13は暦と親和性の高い数、1年52週の1/4である。よって、91を4倍すると、364で、+1で平年の日数になる。そして、もうひとつ面白いのが、これを19倍すると、ラマヌジャンのタクシー数1729になることだ。つまり、1729は、91×19という、「ひっくり返した」数の積でもあるのだ。かつ、なんと、1+7+2+9=19なのである。1729という数字の面白さは、ふたとおりの立法数の和で表せる(1^3+12^3=9^3+10^3)最小の数というだけではないのである。(「ふたとおり…」は、「タクシー数」の由来である。病床のラマヌジャンを見舞ったハーディ「今日のタクシーの番号は1729だった。つまらない数だったよ」 ラマヌジャン「そんなことはありません。ふたとおりの…」という話) なお、この19という数も暦と親和性のある数だ。19太陽年は、月相と日付がほぼ一致するメトン周期なのだ。次の満月は6月17日だが、19年前の2000年6月17日も満月である。まあ、だからどうしたという話。

静かな日曜日2019/06/16 11:02

◆冠雪
今朝、ベランダから見た富士山が冠雪していた。
富士再冠雪

◆『趣味摺紙大全』
台湾版(繁体中国語版)の『本格折り紙』が届いた。綾辻行人さん「盛讃」とあるのが、綾辻さんの彼の地での人気の高さ、知名度を示している。
『趣味摺紙大全』

◆大きな水滴
先日、窓際の水滴が直径が2センチメートル近くになっていて、そのまるまると太っているさまに見とれてしまった。この窓枠は、それほど特別な撥水加工がされているとも思えないのだが、ぬれやすさを示す「接触角」が、不思議に大きい。
大きな水滴

◆鬼太郎ひろば
東京都調布市。京王線が地下化したあとの土地(下石原2-56)に「鬼太郎ひろば」という児童遊園ができた。鬼太郎の家、ぬりかべのボルダリング、一反木綿の滑り台(?)など、遊具の意匠が面白い。ベンチにあるぬらりひょんの像は、夜に見るとこどもが泣くんじゃないか。
鬼太郎ひろば

◆『黒白く』(鳥越眞生也)
昨日参加したエッシャー生誕121年記念テセレーション 講演会に集まったひとたちが濃かった。わたし自身は名刺持っていくのを忘れてしまったのだが、いただいた名刺がみな面白いのが、さすがエッシャー好きのひとたちであった。その昔、ひとりで敷き詰め絵を描いているとき、まったく情報がなく、ひとに見せる思いすら希薄で、想像上でエッシャーそのひとに見てもらうという思いだったが、同好の士というのは、どこかにいるものなのだなあ、と。

写真は、懇親会で、グラフィックデザイナーの鳥越眞生也さんからいただいた、回文の本で、絵も「さかさ絵」になっている。
『黒白く』

『黒白く』

三本の直方体2019/06/19 22:31

15日のエッシャー生誕121年記念テセレーション講演会の会場は、上野の東京都美術館のスタジオだった。同日、企画展示室で開催中のクリムト展で暴力事件があったらしいが、2階のスタジオでは、なごやかにエッシャー好きの集まりが催されていたのであった。

クリムト展は観ていない。『マルガレーテ・ストンボロー=ウィトゲンシュタインの肖像』が展示されていれば、ラヴェルの『左手のためのピアノ協奏曲』を携帯音楽プレイヤーで聴きながら、絵の中に、マルガレーテと隻腕のピアニスト・パウルの弟であるルートヴィヒの面影を探してみたい気もする、…などとすかしたことを言ってみました。

「my sky hole 85-2」(井上武吉)と「三本の直方体B」(堀内正和)
同美術館のエントランスにある、井上武吉氏と堀内正和氏の彫刻を、ひさしぶりに見た。写真は、『my sky hole 85-2』(井上武吉)と『三本の直方体B』(堀内正和)である。ただ、15日は雨だったので、これは10年余り前に撮ったもので、『三本の直方体B』の設置場所の様子はすこし変わっていた。

『三本の直方体B』は、直交して接する3つの正四角柱を正六角形の断面で切って(図参照:円盤が切断面である)、60度、クリっと回転させただけのものだ。構造がわかると「なるほど」となる、じつに「堀内正和的」な作品だ。
三本の直方体

三本の直方体

折り紙でもつくってみた。彫刻に比べて四角柱がやや短く、上下の長さも異なるプロポーションになっているのは、わかりやすいように1:2の長方形の用紙にしたためで、長くするのは簡単である。折れ曲がった四角柱の凸凹が合わさってきれいにまとまる面白い構造になった。
三本の直方体(折り紙)

ジオデシック四面体など2019/06/24 22:01

◆停電と雹
野辺山の雹(6/23)
観測所の仕事を終わって山荘に帰ると、山梨県の広域15万戸が15時半から1時間ほど停電していたということで、電子機器の時計が点滅していた。交通信号も広い範囲で消えていたそうだ。3.11をすこし思い出した。長野県の野辺山は別系統の中部電力なので、停電はなかったが、16時過ぎに激しく雹が降った。野菜や果物にかなり被害があったのではないか。雨上がりにはみごとな虹がかかっていた。
八ヶ岳山麓の虹

◆ジオデシック四面体
土曜日の、第26回折り紙の科学・数学・教育研究集会で司会をした。
前回(昨年12月)は、前夜に母が亡くなって、会の運営を西川誠司さんに頼み欠席したので、なんというか、復帰した感じになった。前日の金曜日に、父母の霊園のあれこれを手伝ったこともあって、半年たったのか、との思いもあった。

発表では、西本清里さん、堀山貴史さん、舘知宏さんの「ジオデシック四面体」(正四面体に正三角形グリッドの折り目を加えることで得られる多面体)にでてきた数字が、ラマヌジャンのタクシー数であったことに昂揚した。三乗数の和が出る構造なので、不思議はないとも言えるのだが、タクシー数であるというわたしの指摘を、堀山さんが面白がっていたので、この件は、まだ発展があるかもしれない。堀山さんは、その場でプログラムを組んで、Tax(3)=87539319も、Tax(4)=6963472309248も、「ジオデシック四面体数」(ジオデシック四面体の面の数)であることを確認していた。タクシー数のエピソードは知っていても、案外、数そのものは覚えていないひとが多いのであった。

91は、タクシー数ではないが「ジオデシック四面体数」である。この数が立方数の和(3^3+4^3)であることは、再認識した。ほんの2週間前にこのブログに、加藤文元さんの『宇宙と宇宙をつなぐ数学』の感想で、91と1729のことを書いたばかりというのは不思議な感じだ。

というわけで、土曜日は、折り紙の学術研究の集まりだったのだが、日曜日は、幼児や小児相手の折り紙の講師で、狭いようで広い折り紙の世界は面白いのであった。わたしが『オリガミの魔女と博士の四角い時間』の博士の「知り合い」だということを知った少女から「わたしをしょうかいしておいて」とも言われた。滝藤さん、子どもの好感度高いぞ。

◆三本の直方体B
三本の直方体(折り紙)
先週、上野で堀内正和さんの彫刻をひさしぶりに観たことをきっかけにつくった『三本の直方体B』の折り紙モデルを、長さも実物の比率にそろえて、マット銀紙でそれらしく折ってみたら、なかなかの金属感がでた。「堀内正和さんの彫刻に折り紙を思う」という話は、以前もエッセイに書いたことがあるが、また、まとまった話もしてみたい。

◆『方形の円』
幻想小説・『方形の円』ギョルゲ・ササルマン著、住谷春也訳)を入手、36編のうち、何編かを読んだ。「ル=グインも驚嘆! カルヴィーノ『見えない都市』に比肩する超現実的幻想小説集」という惹句で、各編に著者による図形のアイコンが印され、カバー裏や表紙に円積問題の図が描かれているとあっては、SFファン(ゆるいけれど)の図形マニアとしては、手にとらずにはいられない。ギョルゲ・ササルマンという名前もインパクトがささるまん。

原題の『Cuadratura Cercului』(ルーマニア語)は、いわゆる「円積問題」のことで、ル=グインさんの英訳も、それを示す『Squaring the Circle』であるが、『方形の円』という邦訳の題もカッコイイし、カバーのレタリングもよい。なお、円積問題というのは、解決(否定的解決)に2000年かかった「定規とコンパスで、円と同じ面積の正方形を作図せよ」という問題である。πが超越数なので、代数的には有限項ではもとめられないのだ。
『方形の円』(Cuadratura Cercului)

『方形の円』