モリアーティのリアリティ2019/04/03 23:13

以下は、すこし前に書いたものだったのだが、多事に忙殺される日々に埋もれてしまっていた。あらためて読み返したのだが、マニアック過ぎ、かつ無駄に長く、ここを読むのは主に折り紙に関心のあるひとだろうに、それに関係するのは前振りだけで、誰に向かって書いているのかわからないのであった。しかし、せっかく書き、埋もれるのは惜しい気もしたので、ここに載せることにした。

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◆紙の投げ矢と紙のパーティー帽
シャーロック・ホームズの宿敵ジェームズ・モリアーティ教授を中心に据え、腹心モラン大佐を語り手とした『モリアーティ秘録』(キム・ニューマン著、北原尚彦訳)の第三章『赤い惑星連盟』に、折り紙研究、紙の民俗研究の観点から、たいへん興味深い記述があった。「プログラムを折って作った紙の投げ矢」と「紙のパーティー帽」である。作中に詳しい説明がなかったので、すこしウンチクを述べよう。

まず、「紙の投げ矢」。これはいったい何か。これは、紙飛行機が普及する以前(本物の飛行機が飛ぶ以前でもある)、滑空するのではなく投げるものとしてあった紙の矢のことである。紙飛行機のように固定翼で揚力を得る航空機の原理を使っていたのではなく、投げる矢だったのだ。19世紀初頭には、カツラにこれを突き刺した、花魁の簪のようなファッションがあったという記述も残る。

そして、「紙のパーティー帽」。これは、かぶると間抜けな感じになるものとして描写されている。現代で紙のパーティー帽というと、クリスマスなどでかぶる円錐状のものが思い浮かぶ。あの帽子は、学校で出来の悪い生徒にかぶせた「dunce cap(バカ帽子)」が起源と思われるものだ。しかし、本書の第五章『六つの呪い』には、「低脳帽をかぶる運命となった生徒」と、まさにこのdunce capが、別に描写されている。となると、この「紙のパーティー帽」は、また違ったものである可能性もある。『鏡を抜けて(鏡の国のアリス)』(ルイス・キャロル)の挿絵などでも知られるように、新聞紙を折ってつくる帽子があったことも知られるので、そうしたものかもしれない。

モリアーティに言及のあるホームズの正典『恐怖の谷』には、「フールズキャップ」なるものも出てきて、これもすこし面白いので触れておこう。フールズキャップ、すなわち、道化師の帽子のことだ。これまた帽子の話のようだが、これは、道化師のすかし絵のはいった紙のことである。ミステリつながりでいえば、元祖・エドガー・アラン・ポーの『黄金虫』にも、「とても汚れたフールズキャップのようなものの切れ端」という記述がある。

単にフールズキャップと言った場合、フールズキャップ・フォリオ、つまり、フールズキャップ規格の紙の半切りを意味することが多い。その縦横比は、現代の国際規格A4のような1:√2の近似値ではない。いくつかのバリエーションはあるが、インペリアル・サイズといわれるものは、8.5インチ:13.5インチで、1:1.58...である。短辺が、今日の北米の規格であるレターサイズ(8.5インチ:11インチ)、リーガルサイズ(8.5インチ:14インチ)に等しいことから、北米のこの規格もインペリアル・サイズの流れにあるものと、わたしは推測している。ただ、これに関してはまだ詳しいことは調べ切れていない。(なお、レターサイズの8.5:11という長方形についての話は、拙著『折る幾何学』の「デューラーの多面体」の項のエッセイでも触れたので、興味あるひとはどうぞ)

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◆小惑星の話
さて。わたしは、シャーロキアンと名乗るには及ばない(とくに映像作品はほとんど観ていない)のだが、ロンドン観光でベーカー街にあるシャーロック・ホームズ博物館は外せないと思うぐらいには、ホームズものが好きなのである。写真は、20年近く前のものである。
ベーカー街221B

ホームズもののパスティーシュ(模倣作)『モリアーティ』(駒月雅子訳)と『絹の家』(同訳)の作者であるアンソニー・ホロヴィッツ氏は、『絹の家』を書くにあたって10ヶ条を決め、その10番目に「宣伝のために、鹿撃ち帽をかぶったり、パイプをくわえている姿を撮影させることは断じてしない」としたらしいが、こちらはただのファンなので、こういう格好をしてしまうのである。ちなみに、ホロヴィッツ氏は、昨年一番話題になった翻訳ミステリ『カササギ殺人事件』(山田蘭訳)の著者で、わたしも、『モリアーティ』『絹の家』は、『カササギ』の書きっぷりに感心してから読んだ。かくして、『モリアーティ』『モリアーティ秘録』をほぼ連続して読んだことで、関連のことを考えたのであった。

天文台のエンジニアとしては、モリアーティ教授が書いたとされる書籍『小惑星の力学』が、以前から気になっていた。

小惑星とモリアーティ教授という話では、小惑星番号5048モリアーティ、同5049シャーロック、5050ドクターワトスンと名づけられている天体があるのも、知るひとぞ知るところだ。つけ加えれば、小惑星にはイレーネ(同14)もある。英語読みをすればアイリーンで、「あの女性」(『ボヘミアの醜聞』)のことだ。みんな星になったのだ。

『Dictionary of Minor Planet Names』
『Dictionary of Minor Planet Names』(小惑星の名前の事典:L. D. Schmadel)より。:Moriartyの説明が妙に詳しい。

ついでに話題を広げると、上記の『Dictionary of Minor Planet Names』という事典は、雑学事典としても面白い本で、「いまホットな」張衡(ジァン・ホン)の名も載っている。元号「令和」の典拠である『萬葉集』の、さらなる元ネタと考えられる「於是仲春令月 時和氣清」という記述を含む『帰田賦』を書いた古代中国の知識人である張衡(A.D,78-139)だ。彼は、主に天文学者として認知されているひとで、1964年、南京の紫金山天文台で発見された小惑星に、その名がつけられているのだ(小惑星番号1802)。この事典には、以下のように記されている。
「後漢の卓越した科学者で、渾天儀や地震計を考案し製作した。また、水力で動作する天球を発明したが、これは、多くの点で、近代プラネタリウムの先駆けである。張衡はまた、月のクレーターにもその名がある。」

張衡はとても興味深い人物で、平凡社の『天文の事典』の「張衡」の項には、「円周率を3.16<π<3.18と算出したことでも知られる」ともある。ただし、この不等式がなにを典拠とするかは不明である。『πの神秘』(デビッド・ブラットナー著、浅尾敦則訳)によると、死の直前に、「円周の自乗とそれに外接する正方形の周の自乗の比が5:8である」と書き残したとされる。つまり、(π^2)/(4^2) =5/8で、π=√10=3.162....ということだ。下図は、以前もこのブログに載せたが、この近似を直感的に見せる図だ(彼がこの図を遺したということではない)。
π≒√10

折り紙関係では、小惑星番号7616サダコというものもある。手元にあった、上記事典の3版には掲載されていなかったが、広島の佐々木禎子さんに因んだ名である。

...と、読みなおしたさいにさらに書き加えて、話がまたまた長くなっている。困ったものだ。仕切り直して、「本論」(?)にはいろう。

というわけで、以下、『小惑星の力学』に関して、精一杯シャーロキアンぶって考察してみた解説である。

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◆『小惑星の力学』に関する考察
小惑星の本

犯罪界のナポレオンこと、ジェームズ・モリアーティ教授が、「純粋数学の最高峰」(『恐怖の谷』)とも称される著作『小惑星の力学』を発表したのは、1875年ごろと推定される[10]。彼の生誕は1840年ごろと思われ、裏社会の表舞台(!?)から消えたのは1891年である。これらの年を、小惑星研究に関する近代までの歴史と対応させるため、まず、簡単な研究の年表を示す。それは、きらめく才能の競演でもある。

**小惑星に関する近代までの歴史**[1][2][3][4][5]
*1760-1772年 レオンハルト・オイラーとジョゼフ=ルイ・ラグランジュが、天体力学の三体問題の特殊条件での平衡解として、今日でいうラグランジュ点を見出した。
*1772年 ヨハン・ボーデが、当時知られていた6つの惑星の軌道半径が単純な数式で表せるというヨハン・ダニエル・ティティウスの法則(1766)を紹介して広めた。これは、のちにティティウス=ボーデの法則の法則と呼ばれる。なお、この法則に、物理学的な根拠は見出されていない。
*1779-1825年 ピエール=シモン・ラプラスが、『天体力学概論』を著した。惑星の公転周期が整数比になる軌道共鳴は、この中で示された。
*1781年 ウィリアム・ハーシェルにより、天王星が発見された。その軌道半径は、ティティウス=ボーデの法則によく合致していたため、同法則が注目されることになった。1846年に発見された海王星も、この法則から大きく外れてはいない。
*1801年 ジュゼッペ・ピアッツィが、ティティウス=ボーデの法則を参照すれば、火星と木星の軌道間にも惑星があるはずということから、ケレス(セレス)を発見した。この天体は、同年、カール・フリードリッヒ・ガウスの軌道計算に基づき、ハインリヒ・オルバースによって、まちがいなく存在するものとして確認された。以後、1802年のオルバースによるパラス(小惑星番号2)の発見に始まり、小惑星は次々と発見され、小惑星帯(いまでいうメインベルト)をなしていることがわかった。なお、小惑星番号1のケレスは、直径が地球の1/10以下とは言え、それなりの大きさがあり、自重力によりほぼ球形であることが判明しているため、2006年の国際天文学連合による惑星の定義の合意以降、準惑星(dwarf planet)と呼ばれるようになった。
*1850年ごろ 火星と金星の軌道の間にある小さな惑星にたいする呼称として、ハーシェルが用いていた小惑星(asteroid)という言葉が定着した。
*1867年 ダニエル・カークウッドが、小惑星帯上の軌道に空隙があることを指摘し、木星の軌道の共鳴によるものと説明した。
*1889年 アンリ・ポアンカレが、ニュートン力学の三体問題に厳密解がないことを示し、かつ、そこから、決定論的な系における非周期性、すなわち、今日でいうカオス理論の端緒となる概念を示した。
*1898年 カール・グスタフ・ヴィットが、小惑星帯の天体とは異なる軌道の天体を発見し、エロス(小惑星番号433)と名づけた。地球軌道に接近する軌道を持つ地球近傍小惑星の最初の発見である。ちなみに、探査船「はやぶさ」や「はやぶさ2」が探査した(している)イトカワ(小惑星番号25143)やリュウグウ(同162173)は、このタイプの小惑星である。(先日もTVで、リュウグウがメインベルトの天体のように、誤って説明されていたので、注意が必要である)
*1906年 マックス・ヴォルフが、木星軌道上に天体を発見し、アキレス(小惑星番号588)と名づけた。これは、木星と太陽の重力均衡点のひとつ(ラグランジェ点L4)の近傍にあり、のちにトロヤ群と名づけられる小惑星群のひとつである。
*1918年 平山清次が、『共通起源と推定される小惑星の群』で、小惑星帯の小惑星を族として分類した。
**

上記のように、前世紀初頭の小惑星の研究には日本の天文学者も貢献しているのであるが、日本由来の名前のついた小惑星は、それをさかのぼる1900年、平山信によるトキオ(小惑星番号498)を第一号とする[4]。なお、平山信は平山清次と同姓だが、親戚ではない。トキオの軌道を確定したのは、フランスのオーギュスト・シャルロワで、公的な発見者は彼に譲っている。Tokyoでなく、Tokioなのもそのためであろう。シャルロワは、小惑星ハンターとして著名だが、恐ろしいことに、殺人事件(1910年)の被害者である。犯人は前妻の兄弟とされている[6]。また、彼が発見(1887年-1904年)した99個の小惑星には女性名が多いが、由来不明のものも多い[7]。

さて。上に、1891年にモリアーティが「消えた」と書いたが、同年、彼がスイスでの災難を生き延びたという噂には充分信憑性がある。教授と犯罪王は別人だったのではないかという説[8]や、「改心」して、物理学やロケット工学の発展を影で支えたという説[9]もあるが、やはり犯罪界からは抜けられなかったのではないかと思われる。かくして、1910年のシャルロワの殺人事件も、他人を操ることに長けたモリアーティのこと、彼がなんらかのかたち関与していたのではないのかという疑念が消えず、動機もいくつか推定できる。しかし、シャルロワ氏の名誉にも関わることなので、ここでそれを詮索するのはひかえておこう。

小惑星の科学とモリアーティの暗躍のつながりを示唆することは他にもある。東京帝国大学理科大学星学科の一期生であった、前出の平山信は、1890年にロンドンのグリニッジ天文台に留学したが、すぐにドイツのポツダムに移っている[4]。なぜすぐにイギリスからドイツへ移ったのか。イギリスでないことはもとより、当時ポアンカレもいて、平山の師である東京天文台(現・国立天文台)初代台長・寺尾寿とも縁の深かったフランスでもないのは、やや不思議である。

これに関しては、1890年から91年、ホームズがフランスの国家的問題に対応していた(『最後の事件』)ということとの関係が気になる。想像をたくましくすると、モリアーティを監視していたホームズが、東洋からの若い留学生・平山の無垢な好奇心が犯罪王につけ込まれることを恐れて、イギリスでもフランスでもなく、ドイツのほうが研究環境がよいというアドバイスを送ったとも考えられる。かの犯罪王が、天文学と数学を餌にして世界中から優れた頭脳を集めようとしていたのを、探偵が阻止したのではないかという推測である。

なお、ホームズが天文に関してまったく無知(『緋色の研究』)とされているのは、ワトスンの手記にありがちな勢い余っての弄筆か、ホームズがワトスンをからかったためと考えられるが、それにしては描写が真に迫っているので、探偵が天文学を毛嫌いしており、そのことが、よりモリアーティへの敵愾心をかき立てた可能性もある。これに関しては、若き日に、数学と天文学の才能にあふれた家庭教師と対立したトラウマであることを示唆する説もある[10][11]。とは言え、ホームズの数学的な能力が高かったのは間違いがない。ただし、文献[3]の執筆者のひとりもHolmes姓であるが、力学系の権威であるこの教授が、かの探偵の血縁であることは確認されていない。

ちなみに、ホームズと日本の関係では、彼がロンドンで夏目金之助に会って強い印象を持ったのは、この約10年後、1901年前後のことになる[12][13]。

モリアーティの『小惑星の力学』は、所在も内容も不明だが、その内容の推定は、黒後家蜘蛛の会という集まりで示された推理がひとつの定説となっている[14]。上記年表のカークウッドの空隙、地球近傍小惑星、トロヤ群にも触れ、一般相対性理論に基づく水星の近日点移動にも言及するなど、筋の通った推理である。しかし、それが、ポアンカレの三体問題の重要性に深く触れていないのは、残念と言わざるをえない。三体問題のカオス的振る舞いに関して、モリアーティがポアンカレに先んじて研究していたのではないかという推測は、きわめて魅力的だ。

黒後家蜘蛛の会における推理では、小惑星のトロヤ群の軌道を、「それは一世紀も前に、すでにラグランジェによって解明されている」としている。それ自体は間違いではない。しかし、ラグランジェによる正三角形解は特殊な条件下のものであり、三体問題は、きわめて複雑で手強い。これらの問題は、たしかに古典力学を扱うが、だからといって、会のあるメンバーが言うように「二流の上」の業績と見るのは皮層な見解だ。カオスという概念が注目を浴び、その文脈でポアンカレの業績に光が当たるのは、会の推理が発表された時期より数年後になるので、黒後家蜘蛛の会のメンバーもそこまで目配りできていなかったのだろう。

黒後家蜘蛛の会の立論は、著作のタイトルのAsteroidが "Dynamics of an Asteroid"と単数であることも重要なポイントだが、三体問題であれば、タイトルの小惑星が単数であっても、太陽、木星、小惑星の力学の問題として矛盾はない。数々の小惑星は、ある意味、三体問題の実験場であり、簡単に軌道が決まらない天体が発見された場合、それが理論の実例となる。モリアーティの著作は、「ある小惑星」の軌道に即しての考察だったのではないか。いっぽうで、単に個別の問題ではなく、こうした力学系の問題が、「純粋数学」(物理学ではなく)の問題と呼ぶのに相応しい側面があることも強調しておきたい。それはまさにポアンカレが示したことである。不安定性と秩序の関係という意味で、犯罪王に相応しいともテーマとも言える。モリアーティ自身は、この研究に、純粋に学問的な誇りを持っていたのではないか。

ただ、以上の推定には同様の見解がすでにあるようだ[15]。独自の見解をつけ加えるとすれば、モリアーティの研究が、上の年表でやや強調したティティウス=ボーデの法則、つまり、惑星の位置を決める奇妙な数式の解釈とも結びついていたのではないかということだ。ヨハネス・ケプラーの『宇宙の調和』にあるような数秘術的な思想に似たこの法則は、偶然の一致の要素が大きいと考えられ、数学的物理学的な根拠は与えられていない。疑似科学に近い経験則が、科学的発見の指針になった、科学史的に見てもたいへん興味深いエピソードである[16]。しかし、モリアーティが真の天才であれば、これに解釈を与えていても不思議はない。さらにそれが、今日でいう複雑系の理論と結びついて、たとえば、リミットサイクルなどによる自己組織化現象のようなかたちで説明されていたとすれば、仮にそれが誤りであったとしても、まさに画期的で、時代を超越した天才の業績である。

最近発見された、セバスチャン・モランの手記[17]は、『小惑星の力学』を侮辱されたモリアーティの復讐劇を記すが、そのきっかけとなった、王室天文官(グリニッジ天文台長)ステントの侮辱の言葉が「この小惑星は、軌道を外れているのです。天体というのはそのままの状態を保つものですから、これは容認されません。(略)小惑星は、我々の同僚が主張しているような動き方はしないのです」というものであったのは見落とせない。この記述を読む限り、ステントは、別文献に記されたステント[18]にも増して、到底優れた学者とは思えないが、モリアーティの研究の内容が、天体のカオス的挙動を述べたものであることを示唆しており、重要な記録である。

カオス理論や複雑系の理論の萌芽的研究が、夏目金之助(漱石)の教え子である寺田寅彦によってもなされているのは興味深い。比喩的に言えば、ホームズとモリアーティと夏目は、三体問題の様相を呈している。ちなみに、漱石(Souseki)と寅彦(Torahiko)、平山(Hirayama)も小惑星の名(小惑星番号4039、同6514、同1999 )になっている。寺田は奇妙な論文も読むひとで、たとえば、夏目による文献 [19]に示された「首縊りの力学」の発想は、ヴィクトリア朝の数理学者・サミュエル・ホートンの論文を参考にしたことが知られている [20]。なかなかに物騒な論文であるが、ホートンとモリアーティの関係は不明だ。このこと一事をもって推測するのはいささか早計だが、夏目がロンドンで『小惑星の力学』を入手し、それが寺田の手に渡った可能性を想像してみたい。

『小惑星の力学』が画期的な著作であった可能性はある。いずれにせよ、それは私家版のようなものだったのだろう。評判は聞こえるのにかかわらず、今日、著作そのものは見つからない。残念ながら、現状では、多くの研究者が著作の実在自体を信じておらず、発見の望みも薄い。ただ、ワトスン博士の未発表の文書が見つかることは、なぜかきわめて多く、最近はモラン大佐の手記まで発見されたので、関連情報が得られる可能性はある。今後の調査に期待したい。ただし、モリアーティの理論が、博物学者・ジョージ・エドワード・チャレンジャー[21]と異星の文明によってさらに発展したという記録[22]は、さすがに信じるに足らないであろう。

[1]『シリーズ現代の天文学9 太陽系と惑星』、渡部潤一他編、2008
[2]『現代天文学講座2 月と小惑星』、古在由秀編、1979
[3]『天体力学のパイオニアたち(Celestial Encounters - The Origins of Chaos and Stability)』、Florin Diacu、Philip Holmes著、吉田春夫訳、原著1999
[4]『日本の天文学の百年』、日本天文学会、2008
[5]『The Asteroids: History, Surveys, Techniques and Future Work』、T. Gehrels(『Asteroids』edited by T. Gehrels、1979所収)
[6] https://jfconsigli.wordpress.com/accueil/dans-lhistoire/charlois/
[7] 『Dictionary of Minor Planet Names』、L. D. Schmadel、 Third Edition、1996
[8]『犯罪王モリアーティの生還』、ジョン・ガードナー 、宮祐二訳、原著1974 (未読)
[9]『小惑星の力学』ロバート・ブロック(『シャーロック・ホームズの栄冠』北原尚彦編訳、2017所収)、原著1953
[10]『シャーロック・ホームズ ガス燈に浮かぶその生涯』、W・S・ベアリング=グールド、小林司・東あかね訳、原著1962
[11]『シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険(7パーセントのソリューション)』、ニコラス・メイヤー、 田中融二訳、原著1974
[12]『黄色い下宿人』山田風太郎、1953
[13]『漱石と倫敦ミイラ殺人事件』島田荘司、1984
[14]『終局的犯罪』『黒後家蜘蛛の会2』所収)アイザック・アシモフ、池央耿訳、原著初出1975
[15]『ポアンカレ、モリアーティと『小惑星の力学』』清水健、2013 (未読)
[16]『小惑星』平山清次、1935
[17]『赤い惑星連盟』『モリアーティ秘録』所収)キム・ニューマン、北原尚彦訳、原著2011
[18]『宇宙戦争(ふたつの世界の戦争)』ハーバート・ジョージ・ウェルズ、原著1898
[19]『我輩は猫である』夏目漱石、1905-1906
[20]『寒月の「首縊りの力学」その他』中谷宇吉郎、1936
[21]『失われた世界』アーサー・コナン・ドイル、原著1912
[22]『シャーロック・ホームズの宇宙戦争』マンリー・W・ウェルマン、ウェイド・ウェルマン、深町眞理子訳、原著1975

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