鹿と猪2018/11/03 10:58

数日前の朝、八ヶ岳山麓。観測所に向かう途中、道路を横断するリスに危うくぶつかりそうになり、ああ危なかったと思った直後、災難にあった狸を見た。さいわい獣と事故を起こしたことはないが、車を運転中、こうした場面に遭遇することはたまにあり、片手で「安らかに」と略礼をしている。そしてそれを「早く行け」という感じでカラスが見ている。

リスや狸はそもそもひとの近くで生きているが、この季節は、より大きい獣たちも近くに来る。古歌のとおりに、夜、鹿の鳴く声も聞こえ、ときには、すぐ近くで枯葉を踏む音も聞こえる。庭の木の皮を齧っているのに遭遇し、つかの間こちらを見つめたあと、脚を高く振り上げて走り去るのを見たことも何回かある。

奥山にもみぢ踏みわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき
猿丸大夫

この歌に関して、紅葉を踏み分けているのは鹿なのか、歌を詠んでいるひとなのかという疑問があるらしいが、ふつうに考えて鹿である。映像より音の喚起力がある歌で、上のように、鹿の気配というのは、枯葉を踏む足音と鳴き声で感じる。

先日は、枯葉が掘り起こされた跡をみた。たぶん、猪が嗅ぎ回ったもので、キノコを探していたのだろう。山荘の周囲は、ハナイグチ(ジゴボウ)というひとが食べてもおいしいキノコが多い。ハナイグチの季節はすでに過ぎたが、今年はキノコは豊作だったという。どんぐりも豊作らしいが、それでも獣たちは近くまで来る。というより、山荘は、里ではなく、近世までは山だった領域にある。

なかなかに 鳥けだものは死なずして、 餌ばみ乏しき山に 聲する
釈迢空

『凶年』と題された一連の歌の一首だが、一読、忘れがたい。

猪といえば、先日、依頼というか打診があって、折り紙の猪の顔を試作した。仕事としてはなくなったが、試作品は悪くないできとなった。これを見た妻が「首だけだと、ほら、諏訪のジンチョウカンのあれを思い出す」と言った。長野県茅野市の神長官守矢史料館、御頭祭の展示である。その史料館に、古来よりの神事の展示があって、鹿や猪の首がデーンとあるのだ。縄文狩猟民というか、柳田國男のいう山人というか、『もののけ姫』のエミシ村というか、仏教文化と切れた古層を感じさせる信仰である。
シシガシラ(猪)

喫茶店で幾何学2018/11/04 21:57

昨日行った喫茶店のコップが、九回の回転対称で、「おおっ」となったが、どうやらこれは定番のグラスらしい。フランスのデュラレックス社のピカルディというものだ。九角形のグラスがそれほど普及しているのは気がついていなかった。
デュラレックス社のピカルディは九角形

これはこれでちょっとした発見だったが、この日喫茶店で、もうひとつ気になったのは、「コーヒーフレッシュ」の容器であった。見慣れているが、上部のシールの出っ張りの角度を見て、「ん?」となったのだ。目測で60度より大きく、もしかしてこれは360度/5の72度なのじゃないかと。詳しく見ると、72度ではなく約77度であった。すこし残念だったが、以前測った初心者マークとほぼ同じ値であったのは面白い。72度に近い値なので、5個並べると、梅の花のようになる。下は、今日行った別の喫茶店での写真である。
「コーヒーフレッシュ」を5個並べる

さらに、このかたちの調和を考えた。

このかたちは、大小ふたつの円が外接し、それを接線で結んだものと見ることができる。じっさいの容器である約77度のかたちでは、大小の円の直径の比率は4:0.92...となる。初心者マークでみた、2*atan(0.8)=77.31....度である(図の下)。

これが、区切りのよい4:1の場合、どうなるか。するとこれが、かなりきれいな図形なのであった(図の左上)。いろいろなところが整数比になり、出てくる三角形が、3:4:5のエジプト三角形になる。そのときの角度は、2*atan(0.75)=73.73...度である。これは72度により近いので、この比率で容器つくれば、5個並べたときに、よりきれいに梅の花になる。実はすこしずれているのだけれど(図の右上)。
「コーヒーフレッシュ」容器の幾何

『折り紙数理の広がり』など2018/11/10 00:52

2014年の第6回折り紙の科学・数学・教育国際会議の論文集の抄訳を恵贈いただいた。原著(英語)から、数学の論文をセレクトしたもので、これらが日本語で読めるのはうれしい。なお、原著にあるわたしの和算の論文は、これには載っていない。

◆メタファーとしての折り紙
杉江松恋さんの『インド倶楽部の謎』(有栖川有栖さん)の書評が、「最後の一折り」などの表現で、折り紙をメタファーとしていた。

ということもあって、『インド倶楽部の謎』を読んだ。氏の本を読むのひさしぶりで、あまりよい読者とは言えないな、読んでいるのは半分以下かなと思い、読み終わって書棚に持っていくと、国名シリーズのそれまで8冊がすべて並んでいて、あ、案外わるくない読者なのかも、わたしはやっぱりこういう探偵小説らしい探偵小説が好きなんだなと自分で納得したが、このシリーズは十何年ぶりということなので、そんなふうに思ったのだろう。

探偵とワトソン役の火村英生准教授と有栖川有栖文士は、サザエさん一家のように歳をとらないのかということを、十何年ぶりということもあって認識した。いっぽう、有栖川さんをはじめ、わたしと同世代の新本格ミステリの作家さんたちは、確実に歳をとっているはずなのだが、なんだかみんな、作中人物のように若いような気もする。

四百六十六億光年の孤独 あるいは、四十三京五千兆秒物語2018/11/10 01:25

谷川俊太郎さんの詩『二十億光年の孤独』を読んだ。と言っても、初めて読んだわけではなく、はっきりとは思い出せないが、たぶんどこかで読んでいた。そして、あらためて読んで、なぜ二十億光年なのかということが気になった。以下はそれについての話である。

『二十億光年の孤独』 谷川俊太郎

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
 
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
 
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
 
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
 
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
 
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

集英社文庫の『二十億光年の孤独』『自註』によると、この詩は、1950年5月1日、谷川さんが18才5ヶ月のときの作で、20億光年というのは、当時得た「知識の範囲内での、宇宙の直径」だという。その値はどこからきたものだろうか、というのがわたしの疑問である。

1949年にファーストライトがあったパロマー山天文台(ヘール天文台)の200インチ反射望遠鏡は、当時日本でも話題になったようだ。しかし、この望遠鏡が当時見た最遠の天体への距離は、たしか数億光年ぐらいだったはずである。詩の中の値はそれより大きい。まずは、科学史的に検討してみる。

参照するのは、『ハッブル定数の歴史的変遷』(ヴァージニア・ルイス・トリンブル、1996:『観測的宇宙論』(池内了、1997 )の引用より)というまとめである。ハッブルの法則(今年の国際天文連合で変更された名で言えば、ハッブル・ルメートルの法則)は、宇宙の膨張による天体の後退速度vと観測点からの距離dを、v=Hdという一次関数で表したものだ。Hはハッブル定数と呼ばれ、宇宙の年齢を見積もる値になる。この『歴史的変遷』を見ると、1929年、エドウィン・ハッブルによって約500(km/s)/Mpcと見積もられてから、1950年ぐらいまで、いくつか別の観測はあるものの、大きく値は変わっていない。ハッブルによる値が、長く代表的な値になっていたのは、どうやら間違いがない。そして、ウォルター・バーデとヘンリエッタ・スウォープによって、距離測定に用いたケフェイド偏光星に種族があることがわかり、測定精度があがり、大きくこの値が変わるのは、1952年のことである。
(注:Mpc=メガパーセク≒3*10^22m)

次は、この定数から、どのように宇宙の年齢が導かれるのかということを簡単に説明する。
定数と言っているが、Hの値は長い時間にしたがって変わる。エドワード・アーサー・ミルンに由来する、いわゆるミルン宇宙(追記:ただし、ミルン自身の見解は宇宙の膨張とは異なるらしい)では、dの一様な変化に対してHが反比例して変化する。別の言いかたをすれば、それぞれの場所のvは一定である。したがって、等速度vで動く点がdという距離になるまでの時間が宇宙の年齢になる。それは単純に、d/v、すなわち、ハッブル定数の逆数として計算できる。最新のモデルでは、Hの変化はもっとダイナミックだが、最新値である約70(km/s)/Mpcの逆数から得られる値は、他の情報などを総合して得られる現在の宇宙の年齢の推定値138億年と、結果としてきわめて近い。

1929年の値である約500(km/s)/Mpc、つまり、1.6*10^-17(1/s)から、宇宙の年齢を計算すると、6*10^16秒、約20億年となる。面白いのは、1940年代に、地質学者アーサー・ホームズや物理学者アルフレッド・ニアーらによって、放射性元素の崩壊から詳しく見積もられた岩石の年代との比較である。ニアーの推定した値が20億年を超えたのだが、これにニアーが悩んだという話がある(『地質学者アーサー・ホームズ伝—地球の年齢を決めた男』(チェリー・ルイス著、高柳洋吉訳))。ニアーがハッブルの値を知っていて、その値に一種の権威があったということを示す話だ。その数年後である谷川さんの詩の「二十億」も、この値が伝わったものなのだろう。

ただし、『二十億光年の孤独』では、億年という時間の単位ではなく、億光年という距離の単位が使われている。これにより、この話はさらにめんどうになる。

まず、谷川さんは直径と言っているが、これは半径というべきである。これは、単純な勘違いであろうから、あまり気にしないでおく。問題はそこではない。それを説明する前に、この半径がなにを意味するかを示しておこう。それは、観測者を中心とした球、観測可能なところまでの距離ということだ。それより向こうは見えない宇宙の地平線、ホライズンまでの距離だ。それよりさきは、ないのと同じである。ただ、それには宇宙が十分大きくなければならない。空間の次元をひとつ減らして考えて、宇宙が球面のように閉じていたとする。その球の半径が大きければ、観測可能な範囲は、球面上の部分球面(じっさいには、次元がひとつ上なのでこれが球)であるが、もしそれが小さければ、異なる方向の観測範囲の先が重なり合うこともある。その場合、宇宙全体のサイズが、理論的な観測可能な範囲より小さくなる。しかしここでは、宇宙は十分大きいと考え、その中での観測可能な宇宙を考える。宇宙全体のサイズの見積もりはまた別の話である。

以上を前提として、宇宙の年齢が十分な長さに達し、現在、光速で遠ざかっている場所を考える。ハッブルの式で、vが光速度cになるd離れた場所である。c=Hdとなるので、dはc/H、すなわち、見積もられた宇宙の年齢である1/Hに光速度をかけた値になる。上の例でいえば20億光年だ。20億光年を半径とする球。これが観測の限界、われわれが認識可能な宇宙である...ように思える。しかし、そうとは言えないのだ。空間が膨張してることを忘れてはいけない。

空間が膨張しているので、光がとどいた時点で20億光年離れた場所は、光が出たときにはもっと近くにある。よって、そこから光がとどくのに20億年かからない。同様に、20億年あれば、いま現在20億光年より遠くにある場所の20億年前が見える。現在の知見では、宇宙の年齢は138億年で、光子がとどく限界である「粒子的ホライズン」までの距離を、現時点での「固有距離」で測ると、約466億光年となる。そしてじっさいに、300億光年より遠い銀河が観測されている。

と、ここで、谷川さんが参照したのではないかと思われる文献を見つけたという話になる。谷川さんは『自註』に「初歩的な天文学の本」と書いており、本人に訊けば記憶をたどれるのかもしれないが、科学解説書というよりも文学方面の本に、これに関する記述があったのだ。稲垣足穂氏の『宇宙論入門』(1947)である。これはあやしい。この本にずばり、「膨張が始まってから二十億光年」(これは二十億年の単純な誤植だろう)、「どちらを向いても、二十億光年の彼方に壁があります」とある。谷川少年が読んだのは、この本のような気がする。しかし、上述のように、当時の知見の範囲でも、「壁」までの距離を経過時間×光速度とする記述は正しいとは言えない。20億光年ではないのだ。

観測可能な宇宙のホライズンは、(距離の定義にもよるとも言えなくもないが、)宇宙の年齢×光速度より遠い。ただ、物理学に詳しいひとの中には、ここまでの話で、なんかおかしいぞと思ったひともいるはずだ。たぶん足穂さんも勘違いしたところ、あるいは彼が参照した解説も間違っていたのかということにも関わるので、付言しておく。

それは、n億年でn億光年以上に広がっているので、膨張する宇宙の遠方の速度は光速度を超えているじゃないか、これは、光速度を超えられない相対性理論の原理に矛盾するのではないか、議論の前提がおかしくなっていないか、という疑問である。しかし、結論を言えば、これは、一般相対性理論と矛盾していない。慣性座標系に関する理論である特殊相対性理論においては、いかなる場合も相対速度が光速度を超えることは許されないが、宇宙全体を扱うような一般相対性理論においても許されないのは、同じ場所での相対速度が光速度を超えることで、遠く離れた座標系どうしではその限りではない(という理解で正しいはずである)。

以上、そのむかし物理学を学び、天文台で仕事をするの者の、門前の小僧的な長口上であったが、結論として、二十億光年の数字のでどころは、ハッブルの観測した値に基づくものを稲垣足穂氏が紹介し、それを参照した値と推定される。しかし、宇宙の年齢ならともかく、それに光速度をかけて半径としたのは、当時の観測と理論においてもすこしおかしいよ、ということである。

...というふうに、詩を理詰めで読んでしまうのはきわめて野暮で、1950年以降の知識も使っているのでよけいに野暮だが、詩において科学的知見を扱うのも難しい。この詩には、火星人もでてくるが、火星に知的生命がいるかもしれないという説は、1950年には一般でもすでに下火になっていた。ただしこれは、谷川少年の確信犯的な空想による記述とも思われる。じっさい谷川さんも、『自註』で「まさか実在を信じていたわけでもない」と書いている。

とは言え、この詩には科学の風というか、理科少年の手触りがある。「宇宙はひずんでいる」「宇宙はどんどん膨らんでゆく」など、宇宙論の知識も援用し、それが詩情となっている。さらに、火星人を出すことで、とぼけた感じが生まれ、ポストモダンの謎論文にあるような、虚仮威しの「科学の濫用」からは遠く離れている。

そもそも、詩は自由なもので、わたしの疑問もなぜ20億光年なんだろうというそれだけで、難癖をつけたかったわけではない。理屈で考えれば、宇宙の膨張とひとの不安には関係はないが、それを結びつけてしまうのが詩である。関係ないと言うなら、白秋が、からまつ林をしみじみ見ると寂しくなった意味も、牧水が、海底の眼のない魚を恋しく思ってしまう意味も、理屈では説明がつかない。

そして、「万有引力とは/ひき合う孤独の力である」という一節が、リルケの『秋』とも共鳴しているではないかと、好きな詩との結びつきも発見し、うれしくなったということも書き添えておく。

『秋』 ルネ・マリア・リルケ

木の葉が落ちる 落ちる 遠くからのように
大空の遠い園生が枯れたように
木の葉は否定の身ぶりで落ちる

そして夜々には 重たい地球が
あらゆる星の群から 寂寥のなかへ落ちる

われわれはみんな落ちる この手も落ちる
ほかをごらん 落下はすべてにあるのだ

けれども ただひとり この落下を
限りなくやさしく その両手に支えている者がある

『リルケ詩集』富士川英郎訳)

最後が宗教的で、わたしはそこで、それこそ落ち着かなくなるが、これは、万有引力の詩である。木の葉は、いやいやと手を振るように落ちる。地球は、遠心力と釣り合って回転になっているが、いわば、太陽に落ち続けている。
そして、不信心者は、「その者のやさしい両手」からも、たぶんこぼれ落ちる。谷川さんの詩にも、支える者の影は見えず、ただ孤独だけが、ただし、どこか明るい孤独だけが、広い宇宙の中にぽつんとある。

「手工材料 ちえのおりかみ」など2018/11/11 22:03

◆「手工材料 ちえのおりかみ」
妻が、骨董市で面白いものを見つけてきた。「手工材料 ちえのおりかみ」という、古い彩色折り紙用紙である。保存状態はきわめてよく、色褪せもない。表面にカラーの模様が印刷され、裏に図が描いてある。袋に書かれた「おりかた図入」の図の意味は、裏に描かれたこの図のことである。紙の裏では見ながら折れないのでは?と思うひともいるだろうが、一応同じものは2枚づつある。
「手工材料 ちえのおりがみ」

作品は、「つる」、「ふくすけ」、「いえ」、「おに」、「ゆうびんふ」、「(交差旗)」、「(おたふくの箕(み)」の7種である。なお、カッコで示したものは、図に題名がついていない。そして、「交差旗」は、初めてみたものだ。

絵柄や表記(たとえば、「ちゑ」ではなく「ちえ」であること)などから、戦後のものであるのは確実で、パッケージの裏にはこれを裏づける情報もある。ゴム印のようなもので、「東京都文京区富坂XXXXXXXX 白井商店 電話(XXX)XXXXX番」とあるのだ。貼り合わせた継ぎ目の上に文字があるので、押印であるのは間違いない。

行政区画としての文京区富坂は、1940年から1964年に存在した地名である。いっぽう、東京の市内局番が3桁になったのは、1961年からだ。したがって、すくなくともこの印は、1961年から1964年の間のものである。押印自体が後年のものである可能性もあるが、商品も、1960年前後のものと見て間違いないだろう。

なお、文京区富坂というのは、現在の小石川二丁目で、日本折紙学会事務局のある白山も近い。周囲は、いまでも紙や印刷関係の業者が多い土地だが、残念ながら、現在白井商店が存続していることは確認できなかった。

「ちえのおりがみ」裏の図
紙の裏に描かれた図の形式も興味深い。折り目や矢印の記号はほとんどなく、紙にプリントされた模様の色をたよりに工程を追うというものなのだ。1960年ぐらいになると、吉澤章さんの『折り紙読本』(1957)なども出ており、「近代的な」図もあったはずだが、まったく別の形式の図なのである。

また、表記が濁音のある「おりがみ」ではなく、「おりかみ」であるという点でも貴重な資料である。

◆ノブドウ(←修正:ヤマブドウ 11/12)
ヤマブドウ
ノブドウ(修正11/12)の色は、本当に深い。

山葡萄湖の光を秘めながら 阿波野青畝

まさに、「うみの光を秘めながら」という色だ。
(追記11/12:この句はヤマブドウだが、ノブドウに相応しい感じがする)

「まっすぐ歩け!」など2018/11/17 16:53

◆紙くずの状態変数
『Nature』『A state variable for crumpled thin sheets(くしゃくしゃにした薄いシートに対応するひとつの状態変数)』(Omer Gottesman, Jovana Andrejevic, Chris H. Rycroft & Shmuel M. Rubinstein)という、気になる論文が載っていた。

薄いシートの折り目のできかたは、ある時点でできている折り目の全長という量で記述でき、状態を表す変数はひとつだけでよいという話である。実験は、ヨシムラ・パータン的な円柱の押しつぶしで行ったようだ。これまでに同じような研究なかったのかな。

◆本の雑誌
『本の雑誌』12月号の特集『理系本は面白い!』に、円城塔さんと山本貴光さんがおすすめ本100冊をあげる対談があり、円城さんが、三谷純さんの『曲線折り紙デザイン』をとりあげていた。帯の推薦文を書いた本なので、なんかうれしい。

◆「まっすぐ歩け!」
「まっすぐ歩け!」
11/23、24の折紙探偵団静岡コンベンションでは、「カニ」を講習する予定。脚が三対なので、タラバガニなのかというと、別にそういうわけではなく、リアルをめざしたモデルではない。メッセージを掲げるポーズになっていて、じっさいにそうすると、キャラクター性が高くなる。ネタをいろいろ考えた。
「啄木さん 遊ぼ!」
「泡食った!」
「猿、許すまじ!」
「ヘラクレスさん 踏まないで!」
「床屋です」
なお、「まっすぐ歩け!」はイソップ寓話から。

◆2+2=4(つづきのつづき)
2+2=4

すこし前にこのブログに書いた、東京外国語大学キャンパスの「2+2=4」といういたずら書きからオーウェル『1984』を連想し、さらに小平邦彦さんのエッセイを思い出した、という話のつづきである。

ほかにもこの表現をどこかで読んだ記憶があると気にかかっていたが、グレッグ・イーガンさんの『ルミナス』『ひとりっ子』(山岸真編・訳)所収)に、「2+2=5」という記述があるのが確認できた。10年ぐらい前に読んだSFで、異なる数学(!)を持つ世界に対して、この世界の数学を守るために、ひいてはその数学を基礎にする物理世界を守るために、つば迫り合いをする、という奇想あふれる話である。

そして、『ルミナス』の続編の『暗黒整数』『プランク・ダイヴ』(山岸真編・訳)所収)というものがあると知り、入手して読んだ。世評も高い作品なので、近年のわたしがいかにSFのよい読者ではなかったか、ということでもある。暗黒整数という言葉が登場するシーンに、64ビット整数と「年代物のマシン」のくだりがあったのだが、ちょうどわたしは、64ビットマシンで動作する古いプログラムの32ビット境界を調整するという、さらに年代物の問題に対応したばかりなのであった。

数学と別の数学の戦いというアイデアは、とても面白く、『ルミナス』『暗黒整数』の前日譚として、アルキメデスやオイラーやガウスが、当人もそうとは知らずに、実は危ないところで世界の破滅を救ってきた、なんて話を書いてほしい。フェルマーの例の書き込みが、真偽不明ながらも世界を護る防波堤になっていたとか。ガロアが死んだのは平行世界からの暗殺によるものだったが、「僕にはもう時間がない」という文言と共に遺されたメモが一種の護符となっていた、とか。さらには、ある日ある少年が九九をきちんと覚えたことが、世界の崩壊を防ぐ鍵であった、なんて。

喫茶店で幾何学(つづき)2018/11/18 17:35

2週間前に、「コーヒーフレッシュ」の容器のかたちについて書いたが、今日寄った店にあった、ガムシロップの容器の形状が、それとは微妙に違っていた。容積もひとまわり大きいのだが、直線の辺の角度も微妙に異なる。

前に「きれいな図形」と書いた、3:4:5の三角形のあらわれる比率にきわめて近く、五個並べたときに、よりきっちりとした5弁花に近くなる。すばらしい。
ガムシロップ容器の形状

いろいろの本2018/11/21 22:54

新作が、11/24(土)22:45-23:00に放映。 NHK Eテレ。
今回はどういう話かよく知らないが、たのしみにしている。

◆比喩としての折り紙、そして、炎色反応
森見登美彦著さんの小説『熱帯』に、こんな記述があった。

彼方の砂丘がゆっくり飴のように溶けているのが分かった。立ちのぼる色濃い砂煙は、折り紙を燃やすように蒼穹を縁から齧り取っていく。

折り紙は、「もろく儚い」という意味での喩えにはよく使われるが、燃えるさまを比喩に使うのは珍しい。たしかに折り紙用紙はよく燃える。そして、銅化合物を含む青い染料を使った折り紙用紙は、とりわけ炎色反応が鮮やかで、独特の雰囲気で燃える...という記憶があったので試してみた。
青い折り紙の炎色反応
記憶のとおりだった。折り紙が燃えるさまと言えば、別のところでも引用させてもらったが、以下の句がよい。

短日のどの折鶴もよく燃える 西原天気

『熱帯』は、自己参照的な構造を持った森見節で、たのしく読んだ。
(p215の「その梯子」は「その様子」の誤植ではないかと)

◆「牧水の話」
折口信夫の著作に「牧水の話」とあるのを見て、えっ、深い交流があったの?と、かなり意外に思ったのだが、よく見ると、『若水の話』だった。元旦に汲む「若水」を沖縄の民俗に関連づける話だ。頭の中で、若山牧水、略して若水になっていた。ただ、牧水に言及している文章もあるらしい。

『七五調の謎をとく』(坂野信彦著)という本を読んだ。「七五調は2のn乗を起源とする説」(以前数学者の森毅さんが言及していて、なるほどと思った)や、以前考えた「字余りの歌について」にも関係する話の数々が、専門家の手で、一般にも通じるように、明晰に書いてあり、いろいろと腑に落ちた。坂野信彦さんは、短歌の実作者でもあり、論争的なひとだったらしい。

◆いろいろの本
上の『七五調の謎をとく』の出版元の大修館書店は、辞典で有名だが、わたしには、千野栄一さんのエッセイやウィトゲンシュタイン全集を出している出版社として刻まれている。ウィトゲンシュタインはわたしのアイドルだったので、学生時代(はるかむかし)、値が張るなあと思いつつ、どうしても読みたい巻があって、何冊か買った。しかし、きっちり読んだかというと、斜め読みでなのであった。などという記憶から連想したのは、『なんとか色の本』ということである。

『青色本』『茶色本』 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
『黄色い本』 高野文子
『ホワイト・ブック』 『The C Programming Language』というC言語の「聖典」の別名。ブライアン・カーニハン、デニス・リッチー
『赤本』 大学別の過去問題集

表紙の色が呼び名になっている本があるな、というだけの話である。『黄色い本』は、じっさいにそういう名前の本である。そして、『The C Programming Language』の翻訳本『プログラミング言語C』は、カバーをとると黄色く、二版のカバーは薄緑である。

以上、例によって、だからなにという話なのであった。

正方形の辺の5等分から2018/11/22 22:40

図1は、よく知られた、正方形用紙からの、辺の5等分の折りだし方法である。
辺の5等分
・辺の2等分点を求め、正方形の頂点とその点を結んで折る。
・折り返した頂点が辺の5等分の目安になる。

どうして5等分になるかは、初等幾何の問題として、とくに難しくはない。とはいえ、講習会などでは、「どうしてこうなるか考えてみてください」などとして、詳しい説明をした記憶はない。使いなれすぎていて、ひとに説明することを、あまり考えてなかったのだ。しかし、最近頻繁に5等分を使ったモデルを講習する機会があって、直感的でわかりやすい説明があったほうがよいと思うようになった。そこで考えてみたのが、図2である。
辺の5等分(説明)
・のこった1/2の辺も、すでに折った辺に合わせて折り返す。
・その折り返しは、大きい折り返しの縮尺1/2の相似形である。
・ふたつの折り返しは、辺がぴたり合って、のこった裏の白い部分も直角三角形になる。
・白い三角形の辺の比率が3:4:5であること見てとるのは容易で、斜辺には1/5の点がある。
・これで、5等分の目安が見える。

辺の3等分
さらに、図3のように別の辺を折り返すと、そこに辺の3等分もあらわれる。これもちょっと面白い。そして、関連して、3等分に関する、もうひとつ面白いことも見つけた。

図3の折り返しは、前のふたつの三角形と向きが異なっているため、三つの三角形が相似形になっていない。これを同じように折っていくとどうなるか、という問題である。

1/3への収束
・図4左のように、図2からの3回目の折りも、同じ向きに相似の三角形を折る。
・そして、図4中央のように、前に折ったものをもどし、同じ操作を繰り返す。
・辺の上の点は、1/2, 1/4, 3/8, 5/16,...と変わっていき、極限で、図4右のように1/3に収束する。

図4が1/3に収束していくのは、藤本修三さんの「漸近折り」の一種とも言えるが、この収束値は初期値に依存する。1/3になるのは、初期値が1/2だったからで、一般化すると、1/p で始めると、収束値は1/(p+1)になる。(なお、ここで、p>1 である。)

漸化式で書くと、(1)の式で、これは、(2)のように解ける。pが1より大きいので、n+1乗の部分が0に収束し、全体は1/(1+p)になる。
漸化式
以上のように、式で解いて理解するのが正攻法だが、以下にように見ても面白い。

・収束するのであれば、同じ値を繰り返す図4右のようになるはずである。
・図の対称性から、直角三角形の短辺/長辺は、正方形の変の長さ1、短辺の長さxとして、x/(1-x)である。
・これを1/pとおけば、x=1/(1+p)である。

「収束するのであれば」という仮定があるので、厳密ではないが、かたちが目に見える感じになる。前述のように、この値が収束するのはp>1のときである。1/pが1より小さいことは、もとの折り紙操作にも対応している。しかし、それを逸脱して、たとえばp=0.5などとすると、この漸化式の値は振動しながら拡大する。

関連して思い出すのは、折り紙作図において、繰り返しによって、値が振動したり不規則(カオス)になる操作はどういうものだろうかという、以前、舘知宏さんが話していたことだ。

「旗々キューブ」など2018/11/25 20:23

◆ハタハタキューブ
旗キューブ
折紙探偵団静岡コンベンションに参加中、ゲストがフランスからのViviane Bertyさんだったこと、川畑文昭さんが「ジョージアの国旗」という作品を講習していたこともあって、旗の図案でキューブをつくるというアイデアが生まれた。6面全部トリコロール旗にしたものは、Vivianeさんにプレゼントした。

右は、日仏伊(5枚組み)としたもので、今日なにを食べるのか選ぶサイコロになる。中華もほしいところだが、五星紅旗は複雑すぎるので断念した。できたにしても面がぶかぶかしてしまうだろう。同じ理由で、「日章」も最大限単純に、正方形にした。左(5枚組み)は、スイス、ドイツ、チェコである。スイスもぴったり折るには充分複雑なので、フォイル紙を使った。なお、それぞれ、裏面も同じになっている。

◆「円錐台小容器」のバリエーション発見
わさび漬け
コーヒーフレッシュとガムシロップの容器の平面図の形状について、ここここに書いたが、静岡で食べた弁当にはいっていた「わさび漬け」の容器の形状が、またすこし変わっていた。
直線の角度は約82度、コーヒーフレッシュやガムシロップのような、大小の円を外接させてそれを接戦で結んだかたちからもずれていて、「とがり部」の曲率半径がかなり小さい。4個並べると、わさび漬けらしいカラーと相まって、四つ葉のクローバー的になる。