『数学短歌の時間』など2018/07/25 23:32

『数学セミナー』『数学短歌の時間』(永田紅さん、横山明日希さん)に、数学短歌の投稿を続けている。俳句や短歌は(ひとのものを)読むのは好きなのだが、つくることはほとんどなかった。しかし、数学+短歌(というよりも、数学∩短歌だろうか)というきわめてニッチな企画なので、誘われている(じっさい、誘われた)、出番かもしれない、と一歩踏み出た格好である。折り紙もそうなのだが、制約のある中でものをつくるのが好きなのかもしれない。

先ごろでた8月号では、「題:帰納法」で二首とってもらった。その一つが以下である。

「一つ落ちて二つ落たる椿哉」子規のこの句は帰納法かな

これは、以前このブログに書いた子規の句の感想を、そのまま歌にしたものだ。終助詞の「かな」は詠嘆というより疑問である。

このブログでは、なんどか子規先生に言及している(これとかこれとかこれなど)。読み返すことも多く、親しみが強くなり、「キョッキョッ キョキョキョキョ」とホトトギスの声が聞こえると「あ、正岡さん」と言っている。アカゲラが木を叩く音がすると、「あ、石川さん」ともらすのも習慣となっている。天文台の仕事で来ている高原では、彼らの「声」がよく聞こえるのだ。

投稿の筆名は、「紙鶴翁」という、急いでつけたものなのだが、これにもたまたま鳥の名がはいっていた。しかし、正岡さんと石川さんの顰みにならって、鳥の名そのものにし、五十の手習いなので前川五十雀(ゴジュウカラ)にすればよかったとも思う。前川信天翁(アホウドリ)というのも捨てがたい。上の筆名にもつけたように、充分「翁」なのである。それに、「天を信じる老人」って、格好いいじゃないか、アホウドリ。

翁といえば、自分で言うことでもないが、なんとまあ、数年前、「生きる伝説」扱いされることがあって、それだと格好よすぎるので、自らを「生きている化石」に例えるとなにがよいだろうかと考えたことがある。ゴキブリはやっぱり却下で、シーラカンスもぴんとこない。カモノハシとライチョウが有力候補だったが、オキナエビスがよいという結論となった。カンブリア紀から似た種がいた「翁恵比寿」の名を持つ貝である。4円切手にも描かれていた。この名で進化系統的に古参というのもぴったりで、貝世界の老賢人の風格の貝である。以後、職場のディスプレイの上には、そのフィギュアをつけている。
オキナエビス

とまあ、話がそれまくっているが、『数学セミナー』のこの連載は、驚いたことに文芸誌にも取りげられた。『文藝』2018年秋号、山本貴光さんの文芸時評である。引用されたのは、わたしの下記の歌(題:ベクトル)であった。

壁にある時計の針のベクトルはゼロにはならず我を追い立つ

文芸←→数学という軸で数学よりなので、典型としてとられたのであろうと推測した。蛇足ながら解説すると、文字盤にゼロがないからゼロにはならないという意味ではない。そうとってもよいのだが、分針と時針をベクトルに見立て、それらの和は、反対方向に一直線になっても長さの違いでゼロベクトルにはならない、という理屈である。秒針までいれてどういう周期でゼロベクトルが生じるかを考えると、それはそれでパズルとなる。というわけで、完全に考え落ちなのである。子規先生に「もし感情を本(もと)とせずして理窟を本としたる者あらばそれは歌にても文学にてもあるまじく候」(『歌よみに与ふる書』)と言われそうだ。むろん、わたし自身は面白いと思ってつくったのだが、一般性がない自覚もある。

いっぽう、前回とってもらった、以下の歌(題:ピタゴラス)は、やや無理して若い気分で詠んだが、できたときに、広くひとにも伝わるんじゃないかとうれしくなり、とってもらい、その後、わるくないという感想も漏れ聞いて、さらにうれしくなったものである。

万物は数と言うのかピタゴラス風も夜空も我も彼女も

まあしかし、これもまた理が勝った歌だ。ピタゴラスでは、次の折句もつくったが、こちらは、読み返すと、伝わらない歌の典型である。

ピアニズム高き音(ね)低き音轟たる音籟(らい)たる音にも数式ひそめる

ピアノの一般的な調律がピタゴラス音階ではなく平均律であることを隠し味にして、句の頭をとるとピタゴラスになるというもので、考えすぎである。「むやみに縁語を入れたがる歌よみは、むやみに地口駄洒落を並べたがる半可通と同じく、御当人は大得意なれども側より見れば品の悪き事夥候」(『歌よみに与ふる書』)である。しかし、わたしは、こういうのが好きなのだ。「りっぽウオ体」(『折る幾何学』所収)などの折り紙作品の題名からも知れるように、ダジャレおじさんなのである。御当人は大得意なのである。

さて。いま『知の果てへの旅』マーカス・デュ・ソートイ、冨永星訳)という本をちびちび読んでいる。その裏表紙に紹介文を寄せているのが、上の時評を書いた山本貴光さんであることに気づいた。文芸誌の時評で『数学セミナー』を取り上げるのだから、変化球の使い手であるのはわかっていたが、なるほど、いわゆる文理越境のひとなのかと納得した。そもそもデュ・ソートイさんの一連の本はポピュラーサイエンスなので、文芸の叢書である新潮クレストブックスから出ているのもすこし不思議である。

と、さらに話がそれていったが、もとに戻すと、数学短歌は面白い。数学も短歌も、わたしなどより、若いひとにこそ向いている。われはと思うひとは、どんどん投稿しましょう。

短歌と算学(和算)はもともと縁が深かったので、この企画は温故知新とも言える。たとえば、和算史研究の先駆である三上義夫氏(1875-1950)の『文化史上より見たる日本の数学』(1922)には、「和算と和歌」という一節がある。

和算は趣味の問題たるにおいて和歌と同じい。日本人は元来趣味に生くるものである。(略)この趣味の国において初めて和歌があんなに発達し得た。そうしてそこに和算が発達した。和算は全く和歌も同様な精神でできている。歌を詠むからといって、人にあまり尊ばれるわけでもないが、和算も同様にこれに通ずればとて、さまで尊ばれたのでない。(略)これらの人達について考うるに年少の頃に数学を修め、壮年時代に数学に苦心したのと全く同じ心持ちで俳句を作ったらしい。萩原禎助翁から現に聞いたことであるが、数学も俳句も別に変わったことはない、面白いことは同じだといわれたことがある。

「日本人は元来趣味に生くるもの」かどうかはわからないが、数学も俳句も、役には立たねえんだ、そんなに褒められることもねえんだ、面白いからやってたんだ、という感じはすばらしい。萩原禎助翁(1828−1909、算学者、わたしも会えれば聞いてみたいことがあるひとだ)に関しては、『芸術と数学及び科学』(1929))に、「最も緻密な数学の研究家であり、風流気などありそうもない人であったけれど、それでも俳諧は盛んにやったものであった」と書かれている。

わたしも4年ほど前、折り紙に関係する和算の資料調査のため、幕末の算学者・佐久間庸件の旧居を訪ねてご子孫に話をうかがったさい、上記のことを実感する資料を見たことがある。庸件と彼と交流のあったひとたちの書いた、たくさんの句や歌の短冊を見せていただいたのだ。子孫の佐久間求さんは、「和算の資料はほとんど山形大学に寄付したのだが、短冊は、そのまま遺っている。なかなか読むのも難しい。だれか、これを整理してくれるひとはいないだろうか」と話していた。

なお、問題の解きかたを七五調で歌う『因帰算歌』(1640 、今村知商)などを除き、数学そのものを詠む短歌や俳句はそう多くない。現代の数学短歌は、それをなす試みかと思うと、また興味深いが、まあ、重要なのは、「面白いことは同じだ」の精神だ。

多くの歌や句や命題や解法は、歴史の中に消えてゆく。それはそういうものなのだろう。ただ、ここにひとつ、佐久間庸件が幕末に訪れた下総國関宿蓮華院の住職(?)の句をあげておく。読むひとがいたとき、言葉はよみがえる。それが、わたしであっても。この短冊に注目したのは、南関東ゆかりで、短冊に折鶴の意匠があったというだけのことである(写真右から二番目)。句自体もふつうだろう。しかし、読む(翻字には岡村昌夫さんの力を借りた)と、この句は、わたしの中に刻まれた。
佐久間庸件の短冊

池水の見へぬほど散る木の葉かな

伊藤左千夫の「池水は濁りににごり藤波の影もうつらず雨降りしきる」を連想し、エッシャーの、たくさんの落ち葉が浮いた水面を描く版画「三つの世界」を連想し、とてもよい句に思えてきたのだ。