『湖畔荘』など2018/06/20 20:58

妻が、『湖畔荘』(ケイト・モートン、青木純子訳)というミステリに折り紙の記述があった、と教えてくれた。評判のミステリなのでわたしも読んでみたい。

見れば、指先を正確に動かしては、小さな紙を折ったり重ねたりしていた。三角や四角が現れたかと思うと、それをひっくり返し、同じ動作を繰り返す。エリナはじっと見入っている自分に気づいて慌てて目を逸らしたものの、どうしても見ないではいられず、車窓に映りこんだ男の手元を見守った。男は最後に形を整えると、出来上がったものを片手でつまみ上げ、さまざまな角度から眺めていた。エリナは不意に喜びに包まれた。鳥だった。とがった翼と長い首を持つ白鳥のような姿をしていた。

◆折り紙教室@府中
6/24(日)13:00-15:00
府中郷土の森博物館のふるさと体験館
作品:渦巻銀河
折り紙渦巻銀河

表紙が、藤本修三さんの「フジモト・キューブ」。横山さんと永田さんの連載「数学短歌の時間」には、先月に続き、わたしの投稿も採られ、別の投稿者の折鶴を詠んだ歌もあった。上原隆平さんの展開図の話や藤田伸さんのエッシャーの記事もある。

◆オリガミの魔女と博士の四角い時間
第十四話:6月30日(土)、22:45-23:00

◆文藝的な...
大阪北部地震の震源の高槻は、3ヶ月前に折紙探偵団関西コンベンションで行った土地なので、あの店は大丈夫だろうか、あの建物が避難所になっているのだろうかなどと、こころがざわつく。ざわつくのだが、すこし知った土地だからと、そう思うのは、一種のエゴイズムかもしれないし、そうではないかもしれない。書棚の下敷きとなって亡くなられたかたもいて、ブックワーム(本の虫)の悪癖として『文字禍』(中島敦)も連想してしまった。

數日後ニネヴェ・アルベラの地方を襲つた大地震の時、博士は、たまたま自家の書庫の中にゐた。彼の家は古かつたので、壁が崩れ書架が倒れた。

文芸的な話題といえば、昨日は桜桃忌であった。玉川上水で、青森県北津軽郡金木町産とだけ書かれた石を見たことがある。そして、『桜桃』にエピグラフとして引用されている『聖書・詩篇』の第121の一節は、毎週のように目にしている。

「われ山に向かいて目をあげん わが助けはいずこよりきたるべきぞ」
清泉寮の門
JR小海線清里駅近く、車窓からも見える、高さ5mほどの大きな角錐台の「清泉寮」の門柱に、この言葉が刻まれているのだ。清里には、80年代的な浮ついた観光地のイメージを持つひとも多いだろうが、そこは、冬の気温がマイナス20度近くになる厳しさを持つ、開拓によってもたらされた土地である。入植者には、奥多摩湖の水底に沈んだ小河内村から来たひとが多い。東京の水資源確保のために故郷を捨てさせられたひとたちだ。彼らは、石ころだらけの荒野を前にして辛酸を舐めた。門柱にこの言葉が刻まれているのは、開拓の父と言われるポール・ラッシュ師がクリスチャンだったためだが、彼らの祈りの強さも示している。

清里の石碑でも、この疑問文の続きは伏せられている。太宰の『桜桃』では、さらに、助けが来ることを諦めたかのように、「われ、山にむかいて、目を挙ぐ」と、そこで切られている。