如月の望月2018/03/31 10:11

如月の望月

願がはくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ 西行

昨日は、まさに如月の望月(太陰太陽暦二月十五日)で、桜も満開であった。

ただし、これはたまたまである。気候変動で桜の開花時期が往時と異なる、ということが言いたいのではない。西行(1118-1190)の生きた12世紀は、北半球中緯度の多くの地域が「中世の温暖期」と呼ばれる気候であったと言われる。屋久島の杉の年輪からもわかるようで、案外暖かった時期のようなのだ。温暖化が進む現在よりは平均気温は低いと推定されるし、桜の種類にもよるのだろうが、当時の桜の開花時期が、彼が晩年に住んだ畿内や四国、紀伊において、三月下旬から四月であったとすること自体は、妥当と思われる。

問題は暦である。如月の望月を、ざっくり「現在の三月中旬以降の満月の日」と書いてある解説も多いのだが、太陰太陽暦二月十五日は、三月上旬から中旬となることほうが多い。今年は珍しいほうなのだ。

以下、ここ10年間の、如月の望月の太陽暦をあげておく。
2011 3/19、2012 3/7、2013 3/26、2014 3/15、2015 4/3、2016 3/23、2017 3/12、2018 3/30、2019 3/21、2020 3/9

月の朔望による12カ月は354日と少しなので、太陰太陽暦、いわゆる旧暦では、ほぼ3年ごとに13カ月とすることで、月と季節のずれを合わせることになる。どこに閏月をいれるかは、(天保暦などでは)太陽運行で決まる二十四節気が月に合うように決められる。以上のようなことで、閏月がはいった翌年の二月十五日は、三月下旬から四月上旬の桜の開花時期に合いやすいが、そうではない年のほうが多くなる。じっさい、桜は如月の花とはされていない。花札でも桜は二月ではなく、三月(弥生)の花である。三月には花見月の別名もある。

では、西行はなぜ「如月の望月」と詠んだのか。まずは、この日が釈迦の入滅日でもあるためであるのは間違いない。ならば、花はこの歌にとってただの脇役なのか。「ころ」という言葉で幅を持たせて、無理に結びつけたのか。開花日とのずれから、花を梅とする解釈もあるという。しかし、万葉の時代なら花は梅だったかもしれないが、これはやはり桜に違いない。この歌が月光と桜の歌でないと、納得できないひとは多いはずだ。

重要なのは、如月の望月(二月十五日)が桜の開花時期に合う年もあるということだ。それは数年に一回の周期で訪れる。そして、むしろ、数年に一回訪れることを、時の繰り返しの中のたゆたいの妙と見て、それもまた、この歌の歌柄(うたがら)とすべきではないのか。

この歌は晩年の作とされる。1176年、1184年、1187年、1190年が、1184年の閏二月を含めて、如月の望月が桜の開花時期(三月末から四月頭)にあたる年だ。そして、西行が没したのは、まさにこれに含まれる1190年、如月の望月の翌日、如月の十六夜であった。828 年前の三月末、河内の国に桜は咲いていたにちがいない。

西行忌は、じっさいの忌日より一日前の二月十五日とされている。前日でもよいのだが、わたしはこれを、太陰太陽暦二月十五日が二十四節気春分の次候「桜始開(サクラハジメテサク)」過ぎになる年のみにすべきと考える。数年に一回の忌日である。次は2021年3月27日だ。

ちとせ前花のもとにて公逝けりかの如月のいざよひのころ

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