オリガミの魔女放映時間など2017/12/09 09:14

第8話の放映時間が変わったそうです。

★東海・近畿ブロック
愛知、三重、岐阜、滋賀、京都、大阪、兵庫、奈良、和歌山
12月9日(土)放送なし
12月17日(日)0:30-0:45 (12月16日深夜)

★それ以外の地域
12月9日(土)16:45-17:00 初回放送
12月17日(日)0:30-0:45 (12月16日深夜)再放送

◆ジョージア国旗
Fractal Georgia Flag
ジョージア(グルジア)の国旗が、フラクタルぽいなと思ったので、フラクタル化してみた。深い意味はない。

 ◆ボロミアン八面体
Borromean Octahedron
ボロミアンリング構造の正八面体をいろいろ試してみた。ただの舟のようなもの6枚(黒、黄、灰)でも、小さくて摩擦が強い紙だとけっこう安定する。
下のX型の特殊用紙で組むものがきれいで一番気に入っている。

直前の案内など2017/12/15 19:38

◆直前の案内
明日(12/16) 10:00-17:00、文京区白山のJOASホールで、第23回折り紙の科学・数学・教育 研究集会があります。誰でも聴講できます。世話人をしています。

明後日(12/17)13:00-15:00、府中郷土の森博物館のふるさと体験館で、講習会(作品:サンタクロース)をします。

◆『坐忘録』(堀内正和著)
彫刻家・堀内正和さんのエッセイ『坐忘録』の状態のよいものを入手した。手元に置きたい本のリストにずっとあがっていたのだが、最近、古書店街に行っても、美術関係の棚を見ていなかった。しかし、神保町に寄った妻の頭に、ふとわたしが言っていた書名が頭に浮かんで、棚を見たらあった、ということだった。ありがたい。

図書館で斜め読みしたことがあったが、今回初めてきちんと読んでいる。彫刻の教科書としてもすばらしいし、視野が広く、ほんとうに教養のあるひとっている(いた)んだよなあ、としみじみ思っている。堀内さんが戦後すぐに、彫刻家の目で丸石神に注目しているのは驚いた。

正多面体展開図のカタログ(堀山貴史氏)、理科年表、そして、富士山2017/12/22 21:25

正多面体展開図のカタログ(堀山貴史氏)
先週の土曜日は、折り紙の科学・数学・教育研究集会。それぞれの発表も興味深いものだったが、一番印象にのこったのは、堀山貴史さんが持ってきた正十二面体と正二十面体の展開図のカタログかもしれない。

以前、リストを見せてもらったさいに、「きちんとハードカバーで製本したほうが面白い」と話していたものだ。堀山さんは、まさにそのハードカバー版を持ってきた。正十二面体と正二十面体の展開図は、どちらも43380個あるので、1ページ100個掲載で434ページの「大著」である。

まずはネタ的に面白いのではあるが、ぱらぱらめくっていると案外飽きない。「ハミルトン路(つまり、枝分かれのない展開図)を探せ」なんてゲームもできるが、「理詰めなのに、ほとんど無意味」なので、見ていると一種の瞑想ができる。1-2ページの正四、六、八面体も加えて、全5巻にしてほしい。

これは、ただただ図が並ぶだ本だが、ただただ数値が並ぶ本というのもある。広い世の中、三角関数表や対数表を見て楽しむひともいるに違いない。わたしはその境地には達していないが、『理科年表』をながめるのは好きだ。『理科年表』は、11月末にでた2018年版が第91冊(1944-1946は未刊行)で、父とほぼ同じ歳だ。毎年大きく変わるわけではないが、見ているとなんとなくたのしい。

たとえば、今日の根室の日の入りが15時40分代であることがわかると、野辺山(長野)の寒さと北海道のそれは、平均気温だけでは測れないな、などと思う。おやつの時間がすこしすぎると陽が沈むのである。春が待ち遠しいだろう。ちなみに、日没が一番早いのは今日の冬至でなく、やや前の日である。これは、平均太陽時(時計の時刻)と視太陽時(日時計の時刻)に差(均時差)があるためだ。(前に書いたここも参照

一昨年の第89冊には、創刊90年の記念として『理科年表第1冊』(1925年)の抜粋がついていて、これの「本邦の高山」というページも興味深かった。1895年から1945年は、台湾が日本の占領下にあったので、富士山より高い台湾島の山が記されている。

富士山より高い台湾島の山は新高山(ニイタカヤマ、玉山(ユイシャン))だけではない。1925年の『理科年表』には、富士山より高い山が5座掲載されている。ただし、5番目にあげられていた南湖大山は、3797mとあるが、現在の測量では3742mなので、富士をしのぐのは、じっさいには4座である。

南湖大山が事実として大幅に低くなったわけではないだろうから、測量の精度の問題と思われる。100年足らず前に50m以上も違うのだ。今年の映画『キングコング・髑髏島の巨神』(ジョーダン・ヴォート=ロバーツ監督)で、衛星での観測が仔細になる前の1970年代前半、南太平洋に詳細がわからない怪獣の島があるということにして、物語的なリアリティーに工夫をこらしていたり、1950年代の手塚治虫さんの『ジャングル大帝』に、ムーン山という位置も高さも不明の山がでてきたことなどを連想させる。

ニイタカヤマといえば、ということで、話がさらにずれていくが、正岡子規に次のような歌がある。台湾占領直後の時代に詠まれたものだ。
足たたば新高山の山もとにいほり結びてバナナ植ゑましを

コロニアリズム(植民地主義)の匂いもするが、病床に伏せることになった無念さとともに、子規の高い山好きが見てとれる歌である。「足たたば」で始まる歌は連作で、ヒマラヤや富士山もよまれている。
足たたば不尽の高嶺のいただきをいかづちなして踏み鳴らさましを

でもね。子規さん、富士山頂は寒いぞ。『理科年表』によると、気温の年平均(1981年-2010年)は、-6.2度だ。ただし、統計開始から2016年までの富士山の気温の最低記録(統計開始1932年)は、1981年2月27日の-38.0度だが、旭川は1902年1月25日に、これを下まわる-41.0度を記録している。青森で陸軍の八甲田山遭難が起きた年である。

なお、最高最低気温では、那覇の最低記録が4.9度(1918年)と零下になっていないのは、さもありなんだが、最高が35.6度(2001年)というのは意外である。

で、富士山だが、子規には、富士山の歌もたくさんあって、二十歳をすこし過ぎた頃には、「なんだそれ!」という歌もつくっている。一二を争う「なんだそれ富士山歌」が次だ。
ヒマラヤがやつてきたとまけぬなり敵にうしろを見せぬふじ山

子規23歳(1890年)頃のもので、漱石に馬鹿ダナァと言われそうだ。漱石は、『三四郎』で廣田先生に「あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。」と言わせたり、講演『現代日本の開化』(1911)で、「外国人に対しておれの国には富士山があるというような馬鹿」と言っている。一高(予備門)の同級の友人で、富士山大好きの子規を思い出して、からかっていたのかもしれない。「一二を争う」もうひとつの子規の馬鹿富士山歌は次だ。
萬国の愽覽會にもち出せば一當賞を取らん不尽山

馬鹿すぎて笑ってしまう。「ヒマラヤ」は、富士山の八方秀麗、つまり幾何学的対称性を「うしろがない」とよんだ歌と考えることもできるが、「萬国の愽覽會」は子供の感想である。

子規には、病床に伏したあとの、「われは」で結ばれる連作もあって、そこでも富士がよまれている。次の歌は切ない。
富士を踏みて帰りし人の物語聞きつつ細き足さするわれは

富士山と明治人に関しては、最近みつけたほかの話もあるのだが、「こんな文章を書いてないで、やることやれ」という声が聞こえてきそうだ。長くなりすぎて、読んでいるひともほとんどいない気がしてきたので、それはまたの機会に。

「静かなブーム」?2017/12/28 23:00

オリガミの魔女と博士の四角い時間
12/30 22:00-22:30にスペシャルが放映される。

(The Paper Magician チャーリー・N・ホームバーグ著、原島文世訳)
紙の魔術師
100年前のロンドンを舞台にした折り紙魔法ファンタジーで、ディズニー映画化権取得ともある。まだ読んでいないのだが、表紙のイラストのモデル(少なくともツバメ)は、シッポ・マボナさんの作品だ。

折り紙はいつの時代も「静かなブーム」なのだが、フィクションで折り紙を扱うブームは、やはり来ているような気がする。なお、『KUBO』と『ブレードランナー2049』は、まだ観ていない。

◆「かっこつきの言葉」
「静かなブーム」とかっこつきの言葉を使ったが、最近読んだ小説の、以下のくだりは笑った。

あの「扉」は「出口」だ。
これでよし。
答えがわからないものごとを相手にするときは、「」に入れてしまえばうまく行くものなのだ。
『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』(ダグラス・アダムス 安原和見訳)

◆菱形十二面体(四凹面)
菱形十二面体(四凹面)
一枚折り(√2用紙)だと安定しないだろうと思っていた構造が、試して見たら思いのほか安定した。剛体折りができない構造なので、むしろそれがセルフロックとなって安定するのである。なんでもっと早くやっていなかったのか。パズルとしても悪くない。

◆シェイクスピアがデバッグについて述べたとされる文章
今日、担当していたプログラムに潜在的なバグを見つけた。修正できたが、焦った。

以下は、シェイクスピアがデバッグについて述べたとされる(!)文章である。
(『Practical C Programming』(Steve Oualline)による)

Bloody instructions which, being taught return to plague the inventor.
血だらけの命令は、その考案者に災難として返ってくる。
出典は『マクベス』)

◆30年前はつい昨日のようだが、やはり忘れている
以下、『数学セミナー 2017年10月号』のインタビューの応答で、使われなかった話である。

問:動物などの作品と、幾何学的な作品で違いはありますか?

答:あまり違いはありません。かなめはアイデアです。たとえば、即興で動物をつくる場合などでは、既知の基本形を使って特徴をぱっと見せることができればよいと考えますが、きちんと作品にしたいと思ったときは、デフォルメや見立てにどう新しいアイデアを盛り込むかを考えます。アイデアの重要性という意味で、具象的な造形と幾何造形に違いはありません。

この回答をしたときに、頭に浮かんでいた「ぱっと見せることができれば」の造形は、家人へのウケだけをねらって即席でつくったパンダの赤ちゃん(写真)であった。生まれたばかりのパンダで一番意外なのは、尾の長さである。
ピンクピン太郎

なんでこの話を思い出したかというと、パンダの「第一形態」の名が、TVニュースのインタビューでの少女の命名により「ピンクピン太郎」である、ということを数日前に知ったからである。

インタビューといえば、最近、『折り紙工学、複雑な立体を1枚で表現する技術の可能性』(DIAMOND Online)という舘知宏さんのインタビュー記事を読んだ。その中に「舘の折り紙との出合いは、小学2年生のときにさかのぼる。本で折り紙作家、前川淳の「悪魔」という作品を目にし、魅せられた。」とあった。すでに聞いていた話だが、舘さんのような優秀な研究者のきっかけのひとつになったというのは、素直にうれしい。

舘さんの見た本は『ビバ!おりがみ』の新装版(1989)だという。元の本の初版は1983年なので、34年前、舘さんがちょうど生まれたころになる。昭和だ。わたしとしては、ついこの間のような気もするのだが。

30年になると、忘れてしまっていることも多い。先日もそんなことがあった。一ヶ月ぐらい前、凧形二十四面体に関して、「以前つくった記憶はあるのだが、メモが見つからない。...昔つくったのものとは、違うような気がする」と書いた。
これが、『おりがみ新世紀』(笠原邦彦さん、1989)に載っていることを小松英夫さんから指摘されたのである。奇妙な近似を使っていて、記憶どおり、細部は違っていたのだが、本に紹介されたことを忘れているというのは、困ったものである。いずれ、旧作を新作ですと言いそうだ。