なんかいろいろ2017/10/28 10:12

◆折紙者は、紙の羊の夢を見る。
たった今知った話。前作に折り紙のユニコーンがでててきた『ブレードランナー2049』(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)に、折り紙の羊が登場するという。写真を見ると、100%私の作品である(追記10/30:厳密にはツノをすこし変えているようにも見える)。『Genuine Origami』にでているものだ。なんの連絡もなかったなあ。折り紙の作品の多くには作者がいるということがいつも軽く見られているのは、たいへん残念である。

『クボ 二本の弦の秘密』(トラヴィス・ナイト監督)
映画と折り紙と言えば、近く上映される、日本を舞台したストップモーションアニメに、式神の術のような折り紙の術が登場するらしい。

今日、10月28日(土)22:45-23:00に、第6話「くじゃく」が放映される。

上毛新聞
本日創刊130年記念紙面の上毛新聞に、「変形折鶴」を提供した。
新聞紙面(812:546=1.487...:1)の長方形に菱形を内接させて折るものである。なお、一般的な新聞紙は1:√2ではなく、3:2と見たほうがよい。
試作の過程で、写真のようなちょっと手の込んだ鶴もつくってみた。
newspaper_crane

◆World Origami Days
10/24-11/11はWorld Origami Daysである。 詳しくは、こちら

明日10/29(日)13:00-15:00。また、台風が来ている...

先日、穂高さんから『夜明けのカノープス』の文庫版をご恵贈いただいた。単行本でも読んでいたのだが、天文小説の傑作である。「天文小説」とはなに?ということだが、SFではなく、星が重要な意味を持って登場する小説のことをそう言ってみた。

小説中にも説明があるが、カノープスは、太陽を除いて、シリウスに次いで全天で2番目に明るい恒星である。しかし、南天の星なので、北半球中緯度からは見えにくい。日本では見えない土地も多く、見えてもすぐに沈んでしまう。ヨーロッパからは無理で、中国も南に行かないとだめだ。スペクトル型はF0なので、本来は白っぽい星だが、低い空では大気層を長く通るので、朝焼け夕焼けの原理と同じで赤い星になる。人類の多くが北半球中緯度に住むので、世界各地に、「見えにくい明るい星」の伝説がある。

と、書いているだけで、いろいろ象徴性があるわけだが、『夜明けのカノープス』の味わい深さは、第一に、このカノープスの特徴をうまく使っていることにある。その象徴性が、穂高氏の筆が寄り添う、傷を負ったひとや葛藤と逡巡の中にあるひとへの温かい眼差しと融合して、地上の物語になっている。
解説は、渡部潤一国立天文台副台長だ。文才あるな、副台長。

『Hidden Figures』(セオドア・メルフィ監督)
映画『ドリーム』(Hidden Figures)を観た。NASAの、黒人女性の計算機屋さんたちの話である。原題の「Hidden Figures」の Figureには、計算、数字、図形、そして、人の意味がある。ベタに、『栄光なき星たち』なんて邦題もよいのに。

天文台で計算機の仕事をしているわたしは、彼女たちの後裔と言えなくもない。というわけで、やや遅れ気味の仕事のモチベーションを上げる意味でも観た。ただ、差別の問題が主なテーマで、数学や計算の仕事の描きかたは物足りないところもあった。よい映画であるのは間違いない。

「モチベーションをあげるために映画を観よう」というのは、だいたい成功しないが、ときどきある。辞典関連の仕事のため、『舟を編む』(石井裕也監督)を観たこともあった。これは、ロードショー上映が終わっていたので、長野県茅野市の新星劇場というところに行った。映画は、主に、東京にいるときに府中などで観るのだが、山梨(長野県境)と東京を行ったり来たりしているので、長野・山梨で観ることもたまにある。新星劇場は初めての劇場だった。すると、なんと、最後の通常上映プラグラムで、同劇場は何日か後に閉館を控えていたのであった。2013年のことである。

先日、この新星劇場がTVに出ていた。火野正平さんの自転車の番組だ。いまでもときどき上映会があるらしいが、地方の単館劇場の営業の難しさは想像できる。4年前に行ったときも、最後の最後ではないこともあってか、観客はまばらに10人ほどだった。

『神は数学者か?』(マリオ・リヴィオ著、千葉敏生訳)
自然理解における「数学の不条理までの有効性」(ユージン・ウィグナー)をテーマにした読み物。リヴィオさんの本は、バランス感覚がよい。
重箱の隅だが、冒頭近くに「ちなみに最小の完全数は6であり、以下、28、496、8218と続く」とあったが、4けたの完全数は8128である。こういう誤植というのは「あるある」だが、数値や名前を間違うと目立つ。

『日本奇術文化史』(河合勝、長野栄俊、日本奇術協会)
大著『日本奇術文化史』を買った。妻曰く「図書館が買うような本ね」
この本で取り上げられている、いわゆる和妻(日本の奇術)や、和算、和紙、短歌、俳句、柳田民俗学などは、ほんとうに面白くて、いろいろ調べたくなる。このごろ流行りの「ニッポン偉い」になっていないかという自省も湧くが、偉い偉くないではなく、面白い。

わたしが、これらを面白いと思う感情はどこに起因するのか。まずは、当然のことながら、わたしに日本が染みついているということがある。ある程度資料も読めるし、文脈を想像しやすい。そして、すこし違って、それらを一種のエスニックなものとして見る視点もある。

で、折り紙はどうなのかというと、これは、なぜかわたしの中で、もっと無国籍でコスモポリタンなもの、日本が染み付いていない文化のカテゴリーにはいっている。

◆球場に行かなかった。
ここ数年、球場に観戦に行っていない。9月末、神宮球場のスワローズ・タイガース最終戦を観に行こうとしたのだが、ほぼ消化ゲームなのにチケットが売り切れていた。CSの雨の甲子園はひどかったが、2位で日本シリーズに行ってもオマケみたいなものなので、そんなに悔しくない。むしろ、「伝説のゲーム」は、負けたほうが、伝説である。

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