『数学セミナー』など2017/09/08 01:04

9/6の大型太陽フレアは、JST20:53だったので、日本では直接の観測はできなかったんだな。

◆第7回ダリアの華展
池袋サンシャインシティの「第7回ダリアの華展」において、10/7(土)11:45-14:30、2回にわけて、「折り紙で作るダリアの華」という講習をします。

◆『少年ノボルのオリガミ日記』
『オリガミの魔女と博士の四角い時間』の外伝作『少年ノボルのオリガミ日記』が下記日程で放映されます。NHK教育。なんか、協力しました。
第1話 9/15(金)11:55-12:00
第2話 9/18(月・祝)10:10-10:15
第3話 9/24(日)16:55-17:00
第4話 9/30(土)14:55-15:00

◆『数学セミナー』のインタビュー
9月12日ごろ発売の、『数学セミナー 2017年10月号』に掲載される『数学トラヴァース』で、長時間のインタビューを受けました。

◆札幌行きたかった...
9/11-13は、北海道大学で天文学会の秋期年会。9/10の、北大のCoSTEPのイベント「鶴の今昔、拝見つかまツル! -古文書から読み解くツルの生態 -」(久井貴世さん)にも興味があって、学会参加にもかこつけて(関係している発表もいくつかあるし)、札幌まで行きたいところだったのだけれど、スケジュールが沼と化していて、抜け出せないのであった。

◆折り紙を見つけてしまう話
先月は、読んだ本が少なかった。しかし、その少ないうちの2冊にも折り紙がでてきた。それと知って選んだのではない。折り紙に取り憑かれているのかもしれない。

◇『青鉛筆の女』(ゴードン・マカルパイン著、古賀弥生訳)
太平洋戦争の開戦に翻弄される日系の作家志望の青年の書いたふたつの小説と、編集者の手紙で構成されたメタフィクショナル・ミステリ。青鉛筆というのは、彼の国で校正でそれを使うからということである。登場人物の世界が作者によって歪められるさまを登場人物に即して描く不条理感は、メタフィクションの王道である。作中作で、東欧系の米国人刑事が、彼の主観的には日本を褒めているという会話の中で、「婆さん連中は手工芸がうまくて、紙で鶴やバッタを折ったりする。」と言っていたのが、折り紙登場シーン(?)である。バッタってなんだろう。

◇『国のない男』(カート・ヴォネガット著、金原瑞人著)
カート・ヴォネガット氏の版画などを販売している企画の名前が、Origami Expressであると知った。ヴォネガット氏のパートナーのジョー・ペトロIII世による美術品の厳重な包み紙から、オリガミを連想したという話であった。ヴォネガット氏と言えば、『猫のゆりかご』(Cat's Cradle)という小説がある。Cat's Cradleというのは「あやとり」のことだ。彼は、折り紙とあやとりを押さえていたわけである。そういえば、訳者の金原瑞人さんも、折り紙が好きということで、以前『本格折り紙』の書評を書いていただいたこともあった。

クラムボン2017/09/13 21:44

昼休みに、観測所のとなりの公園を散歩していて、やまなしの実が小川をゆっくりと流れてゆくのを見た。蟹の兄弟を見かけなかったが、わたしの影をカワセミと勘違いして隠れていたのかもしれない。

やまなし

やまなしの実には、アメンボが乗っていた! やまなしの実が小川を漂っているだけでも賢治ワールドなのに、これには、「おおっ!」と思わず声をあげた。謎の言葉クラムボンがアメンボであるという説を知っていたからだ。

アメンボは、ときどき水面に脚を出して、きれいな同心円状のさざなみを描いていた。かぷかぷという声は聞こえなかたっが、跳ねてわらっていたような気がしないでもない。

最近の国語教育では、クラムボンの意味を解釈してはいけないというのが主流らしい。しかし、これを見たからには、アメンボ説を断固指示である。意味を解釈してはいけないと言ってしまうほうが、頭の中だけで世界を完結させる、自然に触れていない机上の空論かもしれない。

浅野真一個展 私たちのかたち、林哲夫油彩画展 comme ça2017/09/17 00:50

京都市のギャラリー恵風で開催中の、林哲夫さんと、浅野真一さんの絵画展に行ってきた。

以前、浅野さんから、作品のモチーフにわたしの折り紙作品を使いたいという話があり、今回の展示には、それを使った作品があり、16日は、林さんと浅野さんのアーティスト・トークもあったので、京都に足を伸ばしたのである

林さんと浅野さん、ともに、身の回りの小さなものを繊細に具象的に描く、静謐な絵である。
柳田国男の本の題名に『小さき者の声』というものがあるが、さながら、『小さきの声』、囁きかけてくるような絵だ。
浅野真一個展

浅野さんがモチーフにした折り紙作品は、わたしの「木」と、山口真さんの動物であった。ごく普通の折り紙用紙で折ったという質感が、キャンバス上で、見事に色とかたちになっていた。凝った折り紙作品ではなく、いかにも折り紙というところがよい。

浅野真一『動物園』

浅野真一『森』

紹介が遅くなり、浅野さんの展示は、今日(9/17)まで(しかも台風接近中)であるが、折り紙好きには、ぜひ見てほしい。

風車と風船2017/09/22 00:06

先日、TVドラマ『眩(くらら)〜北斎の娘〜』(朝井まかて原作、大森美香脚本 加藤拓演出)を視た。次の台詞に密かに涙したひとは多かっただろう。

「三流の玄人でも、一流の素人に勝る。なぜだかわかるか。こうして恥をしのぶからだ。己が満足できねぇもんでも、歯ぁ喰いしばって世間の目に晒す。」
『眩』朝井まかて)

よいドラマだったのだが、「重箱の隅つつき」を、以下にふたつほど記す。

ひとつは、曲亭馬琴を滝沢馬琴と呼んでいたことだ。滝沢は馬琴の本名である。よって、それは、江戸川乱歩(本名:平井太郎)を、平井乱歩と呼ぶようなものだ。間違いとは言い切れないし、わざとかもしれないが、後世のひとではなく、劇中の同時代の人物が面と向かってそう呼ぶのは、違和感がある。

もうひとつは、風車である。劇中、図のような風車がでてきた。わたしは、ほかの時代劇でもこれがでるたびに気になる。
風車

NHKで考証をしている(『眩』に関わっておられたのかは知らない)大森洋平さんの『考証要集』の「風車」の項は、以下である。

「風車【かざぐるま】 江戸時代の考証随筆『守貞謾稿』(岩波文庫、第四巻、二八六頁)によれば、漢名も同じで「古からある物なり」とある。戦国時代劇に出してもよいだろう。」

この記述自体は正しい。しかし、問題は風車のかたちだ。果たして、上の図のような、「風車の弥七」が使っているような風車は、近世以前にあったのか。大森洋平さんも参照している『守貞謾稿』には挿絵がある(『近世風俗志(守貞謾稿)<4>』)。それは、下の図に示した、放射状の竹ひごの先に紙片などをつけたタイプの風車だ。『眩』には、このタイプも出てきたが、近世以前の風車の基本はこれであろう。
風車(『守貞謾稿』)
『守貞謾稿』(幕末)の風車

錦絵などでも「正方形切り込み風車」の図像を見たことはない。やや似た、八回回転対称のものは、『纂花鳥風月』(くみかへてくわてふふうけつ)を描いた絵(歌川国貞(三代豊国))(下の図:模写)で見た。
風車(『纂花鳥風月』より)
『纂花鳥風月』(幕末)の風車

「正方形切り込み風車」に似た折り紙の風車も、明治以降にフレーベルの恩物が輸入されたのちに見られるものであるようだ。「正方形切り込み風車」は、厚い紙か樹脂でないときれいにできない。セルロイドなどの樹脂の普及に伴い、夜店の販売で広まったのではないか。

大森さんの『考証要集』は、たのしい本である。目からウロコを何枚も落としてくれる。当たり前だが、第二次世界大戦があって初めて、「第一次世界大戦」の名前ができたこととか。しかし、わたしの「専門領域」において、重箱の隅をつつく、というか、読んださいに連想したことなどを、ついでと言ってはなんだが、記しておこう。

「折り紙【おりがみ】 ... 代表格の「折鶴」「だまし舟」の初出は元禄時代という。戦国時代劇で姫君に折鶴を折らせるのは適切ではない。」

これは、うなずく。ただ、折鶴の初出は、つい最近の発見で16世紀末までに遡ったので、ありえないということはなくなった。

「紙風船【かみふうせん】 最近の時代劇で村の子供たちが、現在と同じ丸いカラフルな紙風船をついて遊んでいた。紙風船自体はすでに江戸時代から富山の薬売りが景品として配り、全国に普及したとも言われるが、今に伝わるそれらは角型で、丸いものとは違う。ちなみに山中貞雄監督の名作『人情紙風船』では丸いカラフル型が使われていた。あるいはカラフル型は、日本人が開化後に西洋式の気球を見てから思いついたデザインかもしれない。」

これも基本的には正しい。あのタイプの「紙手毬」、「空気玉」は、グラシン紙の普及以降であろう。いっぽうで、『人情紙風船』が名作ということにも異論はない。タイトルの詩情も換えがたく、虚実皮膜の間を描くのが芸術なので、時代考証の嘘は、映画の価値をいささかも減じないだろう。山中貞雄監督が28歳で戦病死したことも、現実世界の人情も紙風船だったことを物語る。

さらに、変な感じに山中監督を擁護すると、映画の本編には「紙風船」という言葉は登場しない。「風船」はballoon(ballon:オランダ語)の訳語としてつくられた言葉と考えてまず間違いない。船という文字があることからかわかるように、ひとの乗る気球のことで、落下傘のことを指す場合もある。ただし、後述のように、この言葉が開化以前にあることは、最近見つけた。

『考証要集』の「紙風船」の記述でやや疑問なのは、富山の薬売りのおまけの角型の紙風船である。江戸時代からあったらしい旨がさらりと書かれているが、これを裏付ける資料はなんだろうか。以前調べたのだが、たしかな資料を見つけることはできなかった。たとえば、富山市民芸村の売薬資料館には、明治期以降のものしかないはずだ。
富山の紙風船

最後に、幕末の風船の絵である。『北斎漫画 二編』(1815)に「風舟」という絵があることに、最近気づいたのだ。別のことを調べて、北斎漫画を精査(?)していて、なにこれ?となった。ということで、北斎の話に戻って、この雑文を終わることになる。図は、国立国会図書館デジタルコレクションからの引用である。北斎は話に聞いたのか、なにか絵でも見たのか、推進装置(?)がうちわを並べたような「車」というのが、宮崎駿さん的ですばらしい。

風舟(『北斎漫画二編』
『北斎漫画二編』(1815)の「風舟」

「風車と風船」つづき2017/09/22 22:06

前回の「風車と風船」で、重要なことを書き忘れた。

『北斎漫画』の「風舟(ふうせん)」のあるページは、「車さまざま」という取り合わせで、左下に風車(かざぐるま)らしきものの絵もあるのだ。この風車も、家紋の「七曜」のようなかたちで、「正方形切り込み風車」ではないというのが、重要なポイントである。

風車(『北斎漫画二編』)
『北斎漫画二編』(国立国会図書館デジタルコレクション)より風車

風車のとなりにある、玩具の「鯛車」、中断左にある、いざり車(車椅子)も興味深いが、上段の「風舟」の左は車の妖怪で、「交離車(かたハくるま)」と記されている。(文字は、「片輪」ではなく「交離」のようである)

車さまざま(『北斎漫画二編』)
『北斎漫画二編』(国立国会図書館デジタルコレクション)より

水木マンガで妖怪の基礎知識を得た者としては、炎に包まれた怖い顔のついた車輪は、「輪入道(わにゅうどう)」にほかならない。輪入道という名は、鳥山石燕によるもので、水木さんはそれを参照したものである。しかし、その図像は『諸国百物語』の「かたは車」の引用なのである。ややこしいのは、石燕の『今昔画図続百鬼』に、片輪車と輪入道が別に描かれていることだ。

なお、「片輪車」は、水の波と車輪を描いた意匠を示す言葉でもある。「乾燥を防ぐために,牛車の車輪を川の水に浸している情景を表したもの」(大辞林)の謂だ。国立博物館所蔵の、この模様に彩られた「片輪車蒔絵螺鈿手箱」は国宝である。

『オリガミの魔女と博士の四角い時間』など2017/09/29 21:11

明日9/30(土)に、月いちのレギュラーになった本編第5話『紙飛行機』(22:45-23:00 再放送:10/7 0:45-1:00)と、外伝『少年ノボルのオリガミ日記』第4話(14:55-15:00)の2本が放映される。その後も、本編は月末土曜に放映される予定。

池袋サンシャインシティの「第7回ダリアの華展」において、10/7(土)11:45-14:30、2回にわけて、「折り紙で作るダリアの華」という講習をします。

10/22 (日)13:00-15:00、府中郷土の森で折り紙教室をします。作品はジャコランタン(ハロウィンのかぼちゃ)。

ロールベールラップサイロのジャコランタン
ジャコランタンと言えば、先日清里で見たロールベールラップサイロ(牧草を梱包して発酵させているものをこういう)を使ったジャコランタンは、鼻と目の高さが同じなので、『トイ・ストーリー』にでてくる、三つ目の宇宙人みたいだった。

ロールベールラップサイロ(または、ロールベールサイレージ)というのは、クイズ問題(やや難問)にぴったりだ。などと思ったのは、最近会った、東京大学のクイズサークル所属の学生さんが、こういう知識を集めていた、ということを連想したからである。彼は、朝ドラ『ひよっこ』のクイズ回にも出てきた「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」(素晴らしいの意味@『メリーポピンズ』)も「基本です」と言っていた。なお、ドラマの東大生と違って好青年であった。