字余りの歌について2017/05/03 22:56

『小倉百人一首』
以前、有名な歌が字余りであることについて書いてから、その後、考えたことを、まとめた。

我君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで
(わがきみは ちよにやちよに さざれいしの いわほとなりて こけのむすまで)
(『和漢朗詠集』よみびと知らず)

この歌は、三句が六音で、五七五七七から外れて字余りである。五音にして「の」を取ると、ここで切れて、三句(腰句)と四句のつながりが悪い、いわゆる腰折れ歌になるので、六音目の「の」は重要だ。

では、この歌が、数ある歌の中で例外的なのかというと、そうでもない。古典の歌、たとえば、『小倉百人一首』の歌にも、字余りがけっこう多い。以下に、例として、上の歌と同様、三句が六音のものを二首を示す。
わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣り舟
(わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりふね 参議篁)
わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らぬ乾く間もなし
(わがそでは しほひにみえぬ おきのいしの ひとこそしらぬ かわくまもなし 二条院讃岐)

これらも、三句の一音を取ると三句と四句が切れてしまうので「と」と「の」は重要である。

そして、とても興味深いのが、字余りのある句には単独母音(あ-お)が含まれているという「法則」である。このふたつの歌の場合、「いでぬ」の「い」と、「いしの」の「い」である。後者は句の先頭の音もそうだが、句の中の音に注目すべきであろう。

この説の初めは、本居宣長の『字音仮名用格』(じおんかなづかひ、1776年、国会図書館デジタルコレクション(1892年の活字版)8ページ参照)である。なお、宣長は「え」は含めていない。この法則を知ったとき、ほんとうか?と疑念を持った。そこで、まずは、『小倉百人一首』を例にとって、検証してみた。

『小倉百人一首』の約3100文字では、単独母音(ここでは「え」も含めた)の出現頻度は0.06であった。5文字/47文字≒0.1より小さい。この0.06で、句の中に単独母音がすくなくともひとつ現れる確率を計算する。これは、すべて単独母音以外であることの対偶なので、1-0.945、もしくは1-0.947となり、五音で0.27、七音で0.35となる。約3割である。0.1で計算すると4割から5割である。

この値は、高くはないが、そんなに低くもない。宣長の法則には例外もあるだろうし、偶然の可能性もあるのではないかとも考えた。しかし、『小倉百人一首』においても、なんと、33首、35句(複数の句が該当する歌がある)の字余りがあり、そこには、法則の例外はひとつもなかったのだ。宣長のいう「古今集ヨリ金葉詞花集ナドマデハ此格ニハツレタル歌は見エズ」(「格」=法則)は、どうやら誇張ではない。

数が少なく、例外もあるのなら、偶然の可能性も上がるが、そうではないのだ。法則どおりの字余り句を35、それが偶然である確率を、上記の見積もりから0.3とすると、そのすべてが偶然でも起きうるのは、0.335で、その桁数は、35*log0.3=-18.3..、つまり、0.000...と、ゼロが18続く値になる。ありえない。しかも、これは100首だけの標本である。『小倉百人一首』では、藤原定家がそうした歌のみを選んだという可能性もなくはないが、ここは宣長を信用しよう。母集団はもっと大きい。しかも、「え」を含めず、後述のように句の先頭や最後の音を対象にしないとなると、偶然の確率はさらに下がる。というわけで、この法則には妥当性がある。

宣長は「是ハ予ガ初テ考ヘ出セルトコロ」と自慢しているが、自慢するだけのことはある。かつてはよく知られていた、あるいは意識せずとも守られていた決まりが忘れられ、宣長によって再発見されたということなのであろう。わたしの知識を基準にするのも説得力がないが、この法則は、学校の「古文」で聞いた記憶もなく、それほど広く知られていないと思われる。

ただ、この法則への言及は、たとえば、正岡子規の『字余りの和歌俳句』(青空文庫)などにもある。最後の段落に注釈のように、次の文が書かれている。
和歌の字余りには古来遵奉し来れる法則あり。即はち「ア」「イ」「ウ」「オ」の四母音ある句に限り字余りを許したるなり。
宣長を参照したものと思われる。しかし、子規の文章の主意は、ときに規則を破ることもよいということであり、彼の興味の中心は、文芸・表現としての歌で、言語学的、音韻論的な検討はない。

次に当然気になるのは、上の法則の逆は成り立たっているのか、ということだ。つまり、単独母音のある句は必ず字余りになるのか、ということである。これは、想像がつくように、成り立っていない。たとえば、以下の『小倉百人一首』の二つの歌には、同じ「ありあけ」があるが、前者は字余りなしで、後者は字余りである。
ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる
(ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる 後徳大寺左大臣(徳大寺実定))
朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪
(あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに よしののさとに ふれるしらゆき 坂上是則)

宣長の法則は、音便化や無声化などの言語学的、音韻論的な説明とも関係して、さらに細かい条件に整理可能とも考えられる。たとえば、『小倉百人一首』で確認しただけだが、句の先頭文字や最後の文字は省略音の対象でないことも間違いなさそうだ(宣長の「中ニ右ノあいうおノ音アル句ニ限レル」の中(ナカラ)の意味も、句の先頭と最後を除外しているとも読める)。これは、句の頭や最後の音は、詠唱時に省略しにくいことに関係するように思える。

専門的な知識もないまま、音韻論的という言葉を使ってみたが、そうした検討がなされている国文学関係の研究もあるようだ。そして、それに類する「自然なリズム」に関することは、宣長も述べている。言葉の中にある単独母音が、「海→ミ」「浦→ラ」などとされることがある例も引いて、この法則を「耳ニタゝザルハ自然ノ妙」のゆえとしているのだ。耳にひっかからないのでよいといった意味である。詠ずるときにほぼ省略される音もある、というのはありそうな話だ。わたしにとってわかりやすい例は、たとえば、山部赤人の「田子の浦」である。
田子の浦にうち出てみれば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ
あるいは、
田子の浦ゆうち出てみれば真白にぞ富士の高嶺に雪はふりつつ
(たごのうらに うちいでてみれば しろたへの ふじのたかねに ゆきはふりつつ
 たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにぞ ふじのたかねに ゆきはふりつつ 山部赤人)

どちらも、頭句(一句)と胸句(二句)が字余りである。きわめて有名な歌だが、この歌の「に(ゆ)」と、「うちいでて」の「い」にひっかかりを感じていたひとは多いのではないだろうか。それが、「たごのぅらゆ うちぃでてみれば」、もっと言えば、「たごのらゆ うちでてみれば」と詠じられたのではないかと想像すると、なにか納得できる。

ただ、字余りが、すべて音韻論的にきれいに説明できるかというと、そうとも思えない。上にあげた「ありあけのつきと」が、まさにそのような例かもしれない。これは、たしかに形式的には宣長の法則に則しているが、「ありあけ」が「ありぁけ」となり「ありゃけ」「ありけ」と音便化することは、考えにくい。「ありあけ」の意味的な語幹は「あけ」なので省略しにくそうだ。もとは、音韻論的な法則があったのだが、その法則が形式化したのちに「ありあけ」を含むような字余り歌が生まれた、といったことも考えられる。字余り歌にも、歴史的な変遷もあるということである。ただ、この歌は、読んでみると、不思議と、リズムの狂いのようなものは感じられないので、説明は可能かもしれない。

さて、最初に戻って、「わが君は」である。これは、「ハツレタル歌は見エズ」の『古今和歌集』にも取られていている歌である。字余りの三句「さざれいしの」には、法則どおりに「い」の音が含まれている。「耳ニタゝザル」に即すると、三句を詠するときは、「さざれぃしの」と、「い」音を控えめに発声するのが、それらしいのではないかと思われる。

これには、傍証というか、そもそも「さざれ石」は「さざれいし」と読まれていなかったのではないか、という例がある。これを見つけたときは、おっと思った。見つけたと言っても、有名な例だとは思うのだが、「苔のむすまで」の歌に関係する話は、ややタブー化して、言挙げがあまり表にでてこないからか、あるいは、わたしの専門外の無知ゆえの驚きか、「見つけた」気分になったということである。ともあれ、以下の歌は、万葉仮名で書かれているので、音の特定がしやすいのであった。
信濃奈流知具麻能河泊能左射礼思母伎弥之布美弖婆多麻等比呂波牟
(しなのなる ちくまのかはの さざれしも きみしふみてば たまとひろはむ
 信濃なる千曲の川のさざれ石も君し踏みてば玉と拾はむ)

万葉仮名は1字2音の場合もある(上記の「信(しな)」のように)ので、「左射礼思母」の「礼」を「レイ」と読む可能性はまったくないとは言えないのかもしれないが、通常は「レ」のようだ。つまり、これは「さざれしも」として、まず間違いない。「さざれいし」ではなく、「さざれし」なのである。

ここで、古い和歌を歌詞にして、近代に曲をつけた『君が代』という楽曲を見てみる。それは、西洋式の4分の4拍子の楽譜(林廣守作曲)で、「いしの」の「い」は、第6小節の先頭である。通常、西洋式の楽曲では、小節の先頭は強拍である。じっさい、そのように歌われている例は多いだろう。つまり、本来はないかもしれない音が強拍となっている。明治になってできたこの楽曲の歌われかたは、西洋式の音楽の浸透によって、和歌の詠じかた、さらには、朝廷の楽人であった林廣守そのひとの作曲・作譜の意図に対しても、乖離が生じている可能性が高い。皮肉な言いかたをすれば、これは、宣長的には「からごころ」である。

以上、古き世より定まれるものと言っても、その中身はいろいろ、という話である。...歌の内容にはまったく触れていないな。

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