をりかみいろは歌その二と算法いろは歌2016/10/01 23:05

せんはつる へいわなみそら こえゆけよ
新いろは歌を、さらにつくった。
をりかみいろは歌 その二(すかた歌)

すかたやくふう おもしろき
ちゑをひめての せんはつる
ねむれぬほとに あさまゐり
へいわなみそら こえゆけよ

姿や工夫 面白き
智慧を秘めての 千羽鶴
眠れぬ程に 朝参り
平和な御空 越え行けよ
ここでいう千羽鶴は、『千羽鶴折形』のような「つなぎ折鶴」のことで、歌のイメージは写真のようなものである。

これを考える途中で、以下のものができた。「千羽鶴」と「参り」を生かして、4行目の無理やりな感じを直した末に、上のものになったのだが、「元歌」の4行目の「落ち」も悪くない。
をりかみいろは歌 その一・五(ぬさを歌)

ぬさをになひて みやまゐり
おきこえゆけよ たからふね
いともそろへし せんはつる
あほめくわれの ちゑうすむ

幣を担ひて 宮参り
沖越え行けよ 宝船
糸も揃へし 千羽鶴
阿呆めく我の 知恵薄む
幣(ぬさ):御幣。(関連:御幣担ぎ:縁起を気にするひと)

そして、数学をテーマにつくったのが以下である。
算法いろは歌(なゆた歌)

なゆたあそうき わやおほろ
しゐつらぬけは くみふせむ
ていりこさへる ますのちゑ
よもにひをねめ えれかんと

那由多阿僧祇 わや朧
思惟貫けば 組み伏せむ
定理拵へる MATHの智慧
四方に美を睨め エレガント
那由多:10^60(別の説もある)
阿僧祇:10^56(別の説もある)
わや:無理・ごまかし。関西弁ではなく、枉惑(おうわく)→わやくの転ともいう。
エレガント:数学のひとは、簡潔で明快な証明を「エレガント」と称する。

新ひふみ歌2016/10/06 00:57

前の記事に書いた新いろは歌で、数詞の阿僧祇と那由多が、いろは48文字で重複しないというのは面白いじゃないか、と思ったわけだが、数詞といろは歌と言えば、「ひふみよいむなやこともちろ...」という「ひふみ祝詞」なるものもある。

一二三四五六七八九十百千万(ひふみよいむなやこともちろ)の「百(もも)」や「千(ち)」は納得であり、「万(よ「ろ」ず)」もなるほどということで、これはかなり面白い。ただ、その先にも続くところは、さっぱりわからない。解釈(こじつけ)の欲望もあまりわいてこないわからなさである。

ここですこし考えてみたいのは、そもそも数詞の文字が重複していないのはなぜなのか、ということである。祝詞のほうが先にあって、数詞がそこから決まったというような伝説は信じがたく、ひふみ祝詞も、この重複のなさがゆえにできたものだろう。

まずは、このブログに前にも書いたように、ひ×2=ふ、み×2=む、よ×2=やというH、M、Y音における倍数関係がある。これは、間違いなく、和語の数詞の起源のひとつだろう。そして、古人は、こうした関連をつけながらも、使いやすさのために、それぞれの数に違う「言葉」を、一音節で与えたのではないか、と推測する。ゆえに和語の数詞は、重複していない文字になっているのではないか、と。(えー、専門研究のようなものはまったく参照していません)

あらためてこのことが面白かったので、新ひふみ歌もつくってみた。万(ろ)は、いまひとつしっくりこないので外したが、これは七五調にもちょうどよいのであった。
新ひふみ歌
ひふみよいむな やこともち
かすのくらゐを そろへたる
ゑんしうりつに おてあはせ
さねきえぬわけ ゆめほまれ

一二三四五六七 八九十百千
数の位を 揃へたる
円周率に お手合はせ
さね消えぬわけ 夢誉れ
さね=決して
ちなみに、近世までは、円周率は円積率と言っていたようだが、まあよい。

数字と言葉遊びと言えば、『折紙探偵団』に書いたエッセイ・『算法・奥の細道』(2008)のさいにつくった「迷句」もあったことを思い出した。和算における折り紙の調査をするために、真夏の東北に、汗をかきかき、算額(和算の絵馬)を調査しに行ったときの話の中に書いたものである。

陽に俯して 算士の遺文に 向かう夏

「一に二して 三四の五ぶんに 六かう七」と、和算の話題らしく「一二三四五六七」を織り込んだのだ。「三と四」が漢音なのと、遺文(ゐぶん)と五(いつ)の違いは惜しいが、帰りの新幹線の中ではそれだけを考えていた記憶がある。だれも感心してくれなかったけれど、本人は気にいっていた。

「ダリアの華」展、そして、「数理にひそむ美」展2016/10/10 10:07

◆ダリアの折り紙教室
おり紙をおしえる人
一昨日の池袋でのダリアの折り紙教室は、段取りに手間取って、かなりおたおたした教室となったが、参加者には、なんとか完成品を手にしてもらった。参加していた少女から、かわいらしいメッセージをもらった。
(わたし前川も、ちゃんとおりがみを伝えられるひとになりたいです)

復興の願いを込めた、「寄せ書きダリア」もつくった。簡単なパーツからなるユニット折り紙は、「寄せ書き」に向いている。

寄せ書きダリア
写真は、イベントに寄ったひとが折ってメッセージを書いたものを、福島県塙町(ダリアの産地)の役場のWさんが組んだものである。(10/11更新)

◆「数理にひそむ美」展
10/15から(12/10まで)、東京神楽坂の東京理科大学近代科学資料館・数学体験館で、「数理にひそむ美」展が開催される。数点、作品を提供した。展覧会の案内はこちら

「数理にひそむ美」 展、そして菱田為吉の木彫の多面体2016/10/11 12:55


菱田為吉の木彫の多面体

東京理科大学近代科学資料館に、「数理にひそむ美」 展(10/15-12/10)のために、折り紙モデルを搬入したのだが、そのさいに観た、菱田為吉氏(1868-1943)の木彫の多面体がすばらしかった。あまり時間がなかったので、急いで観ただけなのだが、正多面体や菱形多面体だけではなく、相貫体や星型多面体などが、幾何学的な正確さでつくられている。

たとえば、星型化された多面体では、星型十二面体3種のすべてがあり、星型二十面体では、大二十面体などが確認できた。星型二十面体は、わたしの近著『折る幾何学』でもすこし触れたが、正二十面体自体を含んで全部で59種あり、コクセターらがそれを示した『The Fifty-Nine Icosahedra』を刊行したのは1938年のことである。晩年の為吉と時代が重なっているので、両者に交流があればもっと面白いことになっていたのではないか、と思わずにいられなかった。

細矢治夫さんなどから聞いたことはあったようにも思うのだが、菱田為吉氏のことは、きちんと認識していなかった。為吉は、東京理科大学の前進である東京物理学校の卒業生で、その後、同学校の講師などを務めたひとである。早くに亡くなった長兄に代わって一家を支えたひとでもあった。そうして支えられた弟に、日本画家・菱田春草(1874-1911)がいる。下村観山、横山大観と並ぶ「岡倉天心の三羽烏」のひとりで、37年弱の生涯を駆け抜けた、あの天才画家・春草である。また、下の弟の唯蔵(1881-1925)は、航空工学者の草分けである。なんとも才能に溢れた、理と美を融合する兄弟である。その要が菱田為吉なのだ。

「朦朧」が代名詞の春草と違って、為吉の多面体モデルが、輪郭画然たるかたちであるのも面白い。もっとも、春草といえば朦朧体であるが、それは、それ以外にないような「正確な朦朧さ」であり、また、彼のすべての絵が輪郭を描かない描法ではない、ということは述べておくべきだろう。

春草の『落ち葉』や『黒き猫』は重要文化財である。じっさい、たとえば『落ち葉』は、その前で立ち尽くしてしまうような、幻想の林の中に迷い込んだ感覚を与える、類まれな天才の筆だ。だが、大学の資料館にひっそりと(失礼)展示されている、為吉の木彫の多面体も、数学美術好きにとって、紛れもない「重要文化財」である。

「数理にひそむ美」 展(10/15-12/10)では、エッシャーの本物なども展示され、入場料は無料である。会期中には、いくつかワークショップなどもある。神楽坂近辺は、散歩もたのしいし、数学ファンなら行かなくては、という展覧会だ。

我に向ひて光る星あり2016/10/12 21:10

真砂なす数なき星の其の中に吾に向ひて光る星あり
正岡子規

よい歌である。大好きだ。しかし、ふと思った。肉眼で見える星は、浜の真砂ほど多くなく、数なき(無限)などとは言えないぞ、と。

肉眼で見える星は、6等星までで、全天で9000個弱である(一度に見えるのはこの半分弱)。地球上の人口は70億人(7×10^9)ぐらいなので、ひとつの星あたり80万人ぐらいを「担当」していることになる。これは、多すぎるのではないか。

というわけで、以下、見えない星もあなたを見守るために動員されている、ということを考えてみた。

21等級までの星の数は、合計で約3×10^9個である(『理科年表 2016年版』)。理科年表にそれ以上の等級の記述はない。ハッブル宇宙望遠鏡で正確に観測できた最大の等級が21までだからだと思われる。ただし、単に観測可能ということであれば、さらに等級をあげることはできる。

星の等級と数
理科年表のデータから、等級と星の数をプロットすると、上の図のように、対数でも直線にならず、等級の高いほうでなまる。たぶん、「オルバースのパラドックス」とも関係する話だろうが、それはさておき、このグラフから、22等級は、おおよそ2×10^9個、23等級は、3×10^9個と見積もることができる。すると、23等級までの星の合計が、おおよそ8×10^9個となる。

よって、23等級までの星を割り振れば、ひとりあたりひとつの星があてがえる計算となる。そこまで暗い星でも、光子の個数レベルでカウントすれば、地上のあなたに届いているに違いない。

結論
「真砂なす数なき星の其の中に吾に向ひて光る星あり」(注:星は23等級まで含む)

以上の計算をして、ひとの数の多さを思った。そのひとりひとりがみな何かを願って、毎日を生きているというのは、途方もないことだ。

お月さんいくつ 十三・七つ2016/10/14 20:36


小望月(十四夜)

昨日は、太陰太陽暦で9月13日、中秋の名月から約1ヶ月後の「のちの名月」こと、十三夜の宵だった。残念ながら、東京では月は雲に隠れていたが、今日は十四夜の光が輝いている。
(20:30現在、月齢・約13.5。上の写真は、17:40頃、国立天文台第一赤道儀室(三鷹)の上に昇った月)

十三夜と言えば、「お月さんいくつ 十三七つ」というわらべうたの「十三七つ」とはなんだろうか、ということが気になって調べたことがある。疑問になって調べて、個人的には納得したというものだ。以下にそれを記す。

わらべうたは、以下のように続く。
「お月さんいくつ 十三七つ まだ年や若いね あの子を生んで この子を生んで 誰かに抱かしょ」

参考になったのは、以下の論文だった。
謎の発生「お月さん幾つ」考 武笠俊一http://miuse.mie-u.ac.jp/bitstream/10076/6421/1/AN100450900160017.PDF

武笠さんの説の概略は、以下である。

「十三七つ」の歌詞は、「十三ひとつ」「十三九つ」とする例もある。この「十三ひとつ」が元のかたちなのではないか。つまり、13+1で十四夜を意味する。十四夜は、異名を小望月(こもちづき=望月(満月)に準じる月)と言い、その音は「子持ち」に通じる。この言葉遊びはかつてはよく知られていたものであった。14歳は、(現代では若すぎるが)出産可能年齢である。これが、「まだ年や若いな あの子を産んで」につながる。

説得力のある説である。いっぽう、この論文にあがっていた以下の説なども興味深かった。「十三七つ」を「正しい」とした場合の解釈である。

(1)13+7=20で、二十歳とする説
ただし、往時の感覚では、二十歳はけして若くはない。満月をすぎた二十日月を若いとするのも変で、ややこみいった解釈が必要になる。

(2)十三夜の七つ時とする説
十三夜の月は、七つ時頃(午後4時頃)に月の出となる。月自体もまだ若く(満月になっておらず)、地平線から出たばかりの意味でも若いという意味か。辞書には、この説が書いてあることが多い。

(3)十三夜の月と十七歳の娘という説
八重山の民謡に次のようなものがある。「十三七つ」は、ここから来たものではないか。
「月ぬ美(かい)しゃ 十日三日(とおかみか) 女童(みやらび)美(かい)しゃ 十七つ(とおななつ)」

(4)十三の月(閏月)が7回あることを述べたという説
太陰太陽暦では、19年間に7回閏月がはいって1年が13ヶ月となるという周期がある。月に関連する7と13という数字が、歌と符合している。

いずれも興味深いのではあるが、月に齢を訊いて、その答えにまだ若いと返している歌の流れに合っているのは、武笠さんの説である。とくに(4)は、天文や暦に関する話としては面白いのだが、考えすぎであろう。

武笠さんの説の変奏として以下のようなことも考えられる。
「ななつ」が、「ななつななつ」の略で、14を意味する。つまり、「お月様は、13か14ぐらいで、まだ満月になっていない」ということである。「ななつななつ」は、武笠さんの論文中に、『御伽草子』中の表現としても挙げられている。

なお、「完全のすこし前」の美しい月ということで、十四夜より十三夜が選ばれるのは、満月の前日より二日前ぐらいのほうが頃よいという感覚のほかに、陰陽道的に偶数が陰の数で、奇数が陽の数ということもあるのではないだろうか。

ただし、以前も書いたことがあるが、月見団子を積むことを考えた場合、3^2+2^2+1=14で、ピラミッド型にきれいに積めるのは、15個ではなく14個なので、団子的には、今宵が月見に相応しい。と、わたしは言いたい。

満たぬ月 団子はぴたり 十四夜

○How does it feel ?
まったく違う話。昨日のノーベル文学賞のニュースで、思い出した。何年か前、中島敦の『石とならまほしき夜の歌』を読んで、驚いたのだ。

眼瞑(と)づれば氷の上を風が吹く我は石となりて轉(まろ)びて行くを

Blowin' in the windで、 Like a rolling stoneだ。ディランじゃん。中島敦、ロックだな、と思ったのである。