『折る幾何学 約60のちょっと変わった折り紙』2016/09/03 12:00

『折る幾何学 約60のちょっと変わった折り紙』
『折る幾何学』
日本評論社から、2000円+税で、2016年9月12日頃発売です。

◆表紙と扉のイラストは、マンガ家の高野文子さんによるものです。
◆変則用紙のモデルも多数です。折り紙本としてはやや変化球ですが、キレはあります。
◆パズル好きにも、というよりパズル好きにこそ、おすすめします。
◆もちろん、折り紙が好きなひとにも。
◆エッシャーやデューラーの版画など、数学的美術が好きなひとにも。
◆数々のモデルは、現代の算額(和算において、問題と解答を奉納した絵馬で、美しい図形問題が多い)のような感覚でつくりました。
◆月刊の数学雑誌『数学セミナー』の連載記事(連載は2016年9月現在継続中)に加筆修正をしたものを中心に、書き下ろし等を加えて一冊にまとめたものです。


『折る幾何学』口絵他


装幀の凝った本など2016/09/05 21:24

◆『折る幾何学』のチラシ
日本評論社チラシ
9月12日頃刊行の『折る幾何学』の、出版社がつくったチラシの裏面が、『スーパー望遠鏡「アルマ」が見た宇宙』(福井康雄編)だった。版元の日本評論社が、天文の本も数学的な折り紙の本も扱っていて、たまたま刊行日が近かったためだ。

日々のあれこれの中で、折り紙と天文が交錯する機会はほとんどない。今回は、上の偶然が面白かったので、このチラシを、三鷹のALMA研究棟の会議机におき、野辺山宇宙電波観測所の特別公開のさいに配らさせてもらった。

◆装幀の凝った本
最近、装幀が凝った本を続けて読んだ。

ひとつは、綾辻行人さんからいただいた『深泥丘奇談・続々』だ。このシリーズの装幀は凝りに凝っている。本文中や見返し、扉にもイラストがあり、カバーを外すと、タイトルはエンボスである。

そして、穂村弘さんの新刊『鳥肌が』も、『深泥丘』と同様、祖父江慎さん(『鳥肌が』は、+藤井遥さん)の装幀なのだが、栞ひもが、細い三本の糸になっていたり、カバーに鳥肌状のブツブツがついていたりするなど、これまた変なつくりの本なのであった。

両書とも、日常の違和感と怖さを扱ったものなので、内容の感触もどこか似ている。ただし、前者は幻想小説で、後者は一応実話だ。一応と書いたけれど、『怒りのツボ』というエッセイには、次の言葉もあった。

「ここを押されると、かっとするポイントってどこだ。(略)あ、『この文章ってどこまで本当なんですか』と云われるのが嫌だな。」

『深泥丘』は猫好きのための本でもある。

『折る幾何学』:些細だけれど誤植発見2016/09/06 20:29

『折る幾何学』の出版直前なのだが、「まえがき」に誤植を見つけた。こういうものは、なぜ事後に気がつくのだろう。

9ページ
×エピグラム
○エピグラフ

エピグラフ:(1)巻頭や章のはじめに記す題句・引用句。題辞。(2)碑文。銘文。
エピグラム:警句。寸鉄詩。
(『広辞苑』)

『折る幾何学』のエピグラフには、たとえば、以下の一文がある。

器械的に対称(シインメトリー)の法則にばかり叶つてゐるからつてそれで美しいといふわけにはいかないんです。(宮澤賢治,『土神と狐』)

なるほどねえという内容で、賢治の童話の中の言葉であることの意外性もあって選んだ。しかし、じつはこれは、薄っぺらな気取り屋の狐、『坊っちゃん』の赤シャツ的なキャラクターである狐が、教養があるかのように見せる、受けうりの言葉なのである。わたしにとってこの引用は、この文自体の意味だけでなく、(伝わらないだろうけれど、)衒学とそれに対する自嘲といった意味もある。

引用というのは、自己言及的な引用をすれば、まさに「他人の頭で考えること」(ショーペンハウエル『読書について』)である。しかし、言葉なるもの自体がそもそも借りものである。

すこし前に読んだ山田太一さんのエッセイ『月日の残像 』に、氏が若い頃、自分の感情を書きとめるために、日記ではなく、読んだ本の抜き書きをしていた、という話があった。

  僕は貴女の友情を望みません。(D.H.ロレンスの手紙)

 などというのもある。
 どの引用もたいしたことはいっていないが、しつこく他人の言葉であることにすがっている。事実や気持をそのまま書くには、あまりに平凡陳腐な失恋で、むき出しに耐えられなかったのだと思う。

こうした引用は、衒学とは違う。衒学というのは、鏡に向かったひとりの状態でも成立する。しかし、これは、学術論文での引用と似て、文化的な網目の中に自分の書いたことや気持ちを位置付けようとする願いなのだと思う。

最近読んだ本からの由無し言2016/09/13 23:02

リス二郎三世
◆協定世界時とリスの空間認識
円城塔さんの短編集・『シャッフル航法』所収の『リスを実装する』の冒頭が、以下だっだ。

「朝の〇六:〇〇きっかりに。誰も見ていなくても。協定世界時(UTC)では前日の丁度二二:〇〇に。」

記述の内容から見て日本の話なのだが、UTCとの時間差が8時間なのは、中国、台湾、シンガポールなどである。近未来の日本では夏/冬時間が採用されたという話かとも思ったが、日本で適用される可能性があるのは夏時間で、UTCとのずれは1時間加わって+10時間になるのであって、+8時間になることはない。「どこかずれている」という意味であろうと一応納得したが、よくわからない。

夏/冬時間と言えば、最近、こんな話があった。
昨年の1月、チリの夏/冬時間が廃止され、JST(日本標準時)と12時間ずれ固定になった。チリのASTE望遠鏡を扱う国立天文台三鷹キャンパスのリモート観測室に、チリと日本の時刻を示す壁時計がふたつあったが、あれもひとつでよくなったのか、などと思っていた。しかし、今年の3月になって、2016年と2017年の5/15-8/15に冬時間を採用する大統領令が出た。観測ソフトウェアはUTCをもとにしているので、プログラマ的にはなにも問題はないのだけれど、2ヶ月前に決めるなんてことがあるのかと、ちょっと呆れた。呆れたのであるが、天文台のチリ赴任者も、またか、という感じでほとんど気にしていないのであった。

『リスを実装する』という小説自体は、現実と虚構の境界のアレコレというP. K.ディック的なテーマが、円城さんらしかった。しかし、「実装」したリスが、リス好きによるチュリーングテストに合格するのは、難しいだろうな、とも考えた。わたしもリス好きというか、ベランダにくるリス(写真)の観察者である。

単純な規則からなる鳥の群れのシミュレーションのような、現象論的なリスの動きの再現は可能だろうか。それとも、やはり、彼らの「内面」にはいりこむ必要があるだろうか。たとえば、彼らの目は半球状に飛び出ていて、頭を動かさずに天頂も見ることができる広角な視野を持つと言われる。そのような視覚、そして、これまた鋭敏な聴覚、嗅覚、ひげによる触覚などが組み合わされた感覚を持ち、かつ、木から木へと3次元に移動する運動性を持ったものの世界像はどんなものなのか。わたしはときどき、それを想像する。生物学者・ユクスキュルのいう、リスの「環世界」(それぞれの生物が感じている世界。『生物から見た世界 』参照)と、ヒトの環世界の重なりあうところはどうなっているのか、といった話である。体操の選手ならば、リスの感覚をより理解できるのではないか、などとも思う。

彼らの感覚は鋭敏なようでいて、目の前についたゴミをそのままにしておく(上の写真の左眼)など、テキトーなところもあり、ヒトの目にはそれが愛嬌となって映る。

物語中でも触れられていたリスの貯蔵の習性も、興味深い。しかし、一箇所に集めるということはないらしい。有名な「どこに埋めたか忘れる」という話も、こうした習性があってのことだろう。

なお、『シャッフル航法』所収の『φ』の感想は、「ここ」に書いた。

◆「文章、それは指紋に匹敵する」
『偽りの書簡』(ロサ・リーバス、ザビーネ・ホフマン著  宮崎真紀訳)。見習い新聞記者と言語学者というふたりの女性が主人公の、フランコ政権下の閉塞感の強い1950年代のバルセロナを舞台にしたミステリである。上に示した「文章、それは指紋に匹敵する」は帯の惹句で、手紙の文面から書き手を推定するところなどは、探偵小説の王道だった。

訳者の 宮崎さんは、『時の地図』シリーズ(フェリクス J. パルマ)を訳しているひとだ。シリーズ第三弾『El Mapa del Caos』(混沌の地図 2014)を心待ちにしているのだが、出版の予定はまだだろうか。

いつもにも増して名前が覚えにくいなあと思うなかで、スペインは夫婦別姓なのか、ということをあらためて認識した。そういえば、ガルシア=マルケスも、父と母のものを合わせた「姓」だ。

残された文章から謎をたどる話と言えば、堀江敏幸さんの『その姿の消し方』もそうだった。こちらはフランスの古い絵はがきに綴られた「詩」から、自分だけの詩人を探す話である。

『その姿の消し方』には、作中何回か、サルトルの『嘔吐』に関する言及があった。『嘔吐』は、むかし読みかけて最後まで読めなかった本のひとつである。たしか、デューラーの『メレンコリア』をモチーフのひとつとしていたはず、なんてことを思い出した。すこし前、わたしは、あの版画をためつすがめつながめていた。ただし、そこに哲学的な煩悶はなく、さまざまに解釈可能なパズル的な図像としての興味があるばかりだった。デューラーそのひとも、「憂鬱」からは距離があったひとではないかと思う。

そう言えば、『シャッフル航法』所収の『犀が通る』にもデューラーがでてきた。『星図』と『野兎』と『犀』である。円城版「意識の流れ」というか、視点も脈絡も飛びに飛んで、犀まで語るという狂った話であった。

◆コード。それは履歴書に匹敵する。
『裏切りのプログラム』(柳井政和 著)。『ダイハード4.0』的な「なんでもできるクラッカー(犯罪的ハッカー) 対決もの」かな、それはそれで嫌いじゃないぞと思って読みはじめたら、クラッキングのやりかたは、きわめて現実的だった。「文章、それは指紋に匹敵する」と同様の、「コード。それは履歴書に匹敵する」みたいな話がでてきた。
わたしのプログラムコードは、オブジェクト指向言語で書いても、手続き言語ぽいどころか旧い文法のFORTRANぽくなる。書いたひとの年齢がわかるというものだ。ただ、さすがに6文字以上の変数も使う(昔のFORTRANは文字数制限がきつかった)。

◆ふたつの重力波
『裏切りのプログラム』と装幀が双子みたい(ソフトカバーで、アニメーションキャラクター的な群像描写の絵で、版元も同じ)な、『ブルーネス』(伊与原新 著)も面白かった。元研究者の作家さんだけあって、『ルカの方舟』などと同様、科学と科学者コミュニティーの双方の描写に、現実+ちょっとお話のリアリティーがある。

リアリティーがあるだけに、「我々のダイナモ津波計は、津波に限らず様々な時間スケールの重力波を捉えられるということだ」という記述には、「?」となった。重力波といえば、先ごろ、アメリカのLIGOで観測された、相対論的な空間の歪みの伝播が思い浮かぶ。しかし、津波の研究にそんなものが出てくるはずはない。調べてみると、相対論的な重力波(gravitational wave)のほかに、gravity waveなるものもあって、これも和語では重力波なのであった。気象や船舶工学の分野で使われる、表面張力波に対応する用語らしい。

手元にあった古い(1975年)『英和科学用語辞典』には、「gravity wave 重力波 重力によって液体の表面で起こる波」とあり、「gravitational wave」の項目はなかったので、以前はこちらのほうがより一般的だったのかもしれない。ただし、同書にgraviton(重力子)は載っていた。

「位相空間」が、物理ではphase space、数学ではtopological spaceであることなどに似ている。

こういう例は、ほかにもあるだろうかと考えて、「分散」に思いあたった。物理ではdispersionで、統計ではvarianceである。ふたつの重力波とふたつの位相空間は、同じところに出てくる可能性は低いだろうが、分散は、ややこしいケースもありそうだ。

折り紙用語では、「折線」がこうした例に近い。これはオリセンと読んで、折ったときにつく線をいう。しかし、一般には、オレセンと読んで、点を順に結んだ線をいう。折線グラフの折線(polygonal line)だ。「り」や「れ」の送り仮名があれば区別はできるが、前者は一般に「折り目」(crease)という言葉もあるので、それを使うようにしている。同じ意味で「折り筋」という言葉もある。「め」も「すじ」もやまとことばだが、「め」は特異点で、「すじ」は軌跡という感じがする。

ダリアの華展20162016/09/14 22:24

ダリア(塙町のために)
10/7(金)から10/9(日)、池袋サンシャインシティで、ダリアの華展2016という催しがあり、10/8(土)に、折り紙教室の講師をします。

ダリアの産地である福島県塙町の「まち振興課」から誘いがあり、ユニット折り紙のダリアを考案しました。

折り紙のダリアの傑作である、石井誠一さんのブローチの販売もあります。

『折る幾何学』誤植22016/09/15 23:46

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× ふたつの正四面体の対応しています.
○ ふたつの正四面体に対応しています.