身も蓋もない歌と、身も蓋もない感想2015/06/24 21:40

穂村弘さんによる、短歌エッセイ『ぼくの短歌ノート』の「身も蓋もない歌」という章で、以下の歌を知った。
疑わずみな鶴と見る折り鶴は現実の鶴には似ていない
(松本秀)

面白い。しかし、折鶴の写実性と記号化に関しては、いろいろと考えているので、それを、思い出すままに列挙してみたい。

(1)折鶴は、かつては、脚を揃えて飛行する鶴の写実であったものが、記号化していった結果なのではないか。すなわち、当初は、後部突起(脚)や首の角度は水平に近いものだったと考えられる。傍証はいくつかある。

(2)折鶴をはじめとする多くの折り紙モデルには、折りやすい手順・構造と、写実性のせめぎ合いがある。伝承作品の構造と手順は、ミーム(≒伝達手順)の明快化を目的とし、幾何学的な合理性でそれを実現したもの、と考えられる。

(3)折鶴においては、記号化が、意匠化(着物の柄など)によって定着していったことも見逃せない。

(4)広く「鶴の写実性」ということででは、江戸時代に鶴と呼ばれていた鳥の多様性(コウノトリとの混同など)も興味深い。

(5)写実に寄せた鶴の折り紙モデルは現代でも多数あるが、江戸時代からそうしたモデルがあったことが、最近実証されてきた。

(6)「首を折らない問題」(不吉とされる)など、記号化が予想外の方向に進むこともある。

(7)現代では、「鶴」と「ツル」の表記を分けて、折鶴では後者を使うケースがある。すなわち、折鶴はすでにして鶴の似姿ではなく、特別ななにかとして認識されている、とも言えそうである。

なお、同じ松本さんの次の歌は、吹き出した。
「百万ドルの夜景」というが米ドルか香港ドルかいつのレートか
(松本秀)

しかし、ふと思った。これもたとえば、神戸観光協会とか函館観光協会のひとならば、売り文句の起源をきちんと説明をしてくれるのではないかと。じっさい、六甲山のロープウェイで、そのいわれを聞いたような記憶もある。ということで、検索してみたところ、百万ドルは、昭和20年代(後半だろう)の神戸の電気代から概算されたものらしいことが判明した。よって、これは米ドルで、為替レートは360円なのであった。

以上、身も蓋もない野暮な感想でした。