府中の「門杉」2014/01/02 20:50

4年前にもこのブログに書いたことがあるけれど、府中(東京都府中市)では、正月に松飾りをしない。大國魂神社の祭神の大國魂大神が松を嫌いだからである。

じっさいはどうなのだろうかという点に注意して、府中の街を歩いてみた。いくつか禁を破っているところもあって、「だめじゃん」と思ったが、松を使わない「門杉」をいくつか確認できて面白かった。写真は、駅前モールの「くるる」(1/6訂正)、デパートの伊勢丹、そして、本家(?)・大國魂神社の社務所で、どれも松ではなく杉をつかっている。

府中の「門杉」

ところで、門松の竹の長さが7:5:3だという説を以前どこかで聞いたことがあったので、本当か?と思って、図に描いてみた。たしかにそうであるようでも、微妙に違うようでもある。
門松は7:5:3?

正月数題2014/01/03 10:08

今年の年賀状(再生紙)のお年玉のイラストが折鶴だった。
年賀状の折鶴

大寅という大阪の蒲鉾屋さんに折鶴模様のものがあり、我が家の食卓を飾った。
大寅蒲鉾の折鶴

伊達巻きがアシカの横顔になっていた(ヒゲも生えている)。
伊達巻きにアシカの横顔

和洋折衷極まったデコレーションである。
和洋折衷

富士に沈む月と宵の明星2014/01/03 17:52

富士に沈む月と宵の明星
富士に沈んでゆく、月齢1.9の受け月と宵の明星である。

猫に似た寒三日月のにやけ顔2014/01/05 21:07

西の空のチェシャ猫
昨日も今日も、西の空にチェシャ猫が居た。
ちなみに、マーチン・ガードナー氏は、『不思議の国のアリス』の注釈本で、チェシャ猫の発想に月の満ち欠けが関係しているという説を提唱している。

道祖神祭りの午の御幣2014/01/13 22:00

今日は、山梨県北杜市高根町や明野町などで、道祖神祭りの飾り付けを見てきた。
写真は、北杜市高根町海道の、ピラミッド状の「オオカリヤ」(祭りときだけの飾りで、この中に丸石道祖神がある)と、その真ん中にある馬の御幣である。
数年前に見たときは干支の御幣はなかったので、午年だけのものなのかもしれない。
北杜市高根町海道・道祖神祭り

午の御幣

この御幣の造形は、『東北の伝承切り紙』(千葉惣次著 大屋隆雄写真)で見た、岩手県北上市、江釣子・八坂神社の「蒼前(勝膳)の御幣」(写真)とよく似ている。
蒼前(勝膳)の御幣
『東北の伝承切り紙』(千葉惣次著 大屋隆雄写真)より

大十字星(?)2014/01/18 20:24

大十字星(冬の大三角+α)
いま、シリウス、プロキオン、ベテルギウスからなる「冬の大三角」に木星が加わって、大きな十字の「星座」になっている。木星の公転周期から言って、約12年毎に起きる配置である(ただし、夏にあたると見える時間は短い。あるいは見えない)。

写真で一番下、木の間隠れに煌めく星がシリウスである。

シリウスと言えば、宮沢賢治の『星めぐりの歌』に、「あをいめだまの 小いぬ」とあるが、こいぬ座のプロキオンは黄白(F型)、おおいぬ座のシリウスは白(A型)で、しかも目ではなく星座の胸にあたるので、「青い目玉の小犬とはなんぞ」、というのは知るひとぞ知る話である。

そういえば、先日もシリウスの語を聞いた。観るともなしに視ていた『風の谷のナウシカ』の「シリウスに向かって飛べ」という台詞である。明け方(?)にシリウスが低く見えるということは、物語の舞台は、北半球の中緯度地域で、時期は秋頃ではないかと推測できる。

シリウスには、有名なトンデモ話もある。シリウスが目に見えない小さく重い星との連星であるというドゴン族(現マリ共和国の少数民族)の伝説と、シリウスに白色矮星の伴星が発見されたという事実との一致である。伝説好きの琴線に触れる話だが、じっさいのところは、話の出自がはっきりせず、研究者が「ドゴンの天文知識が卓越している」という主張をするためにそれらしくつくったものらしい。

SFでは、オラフ・ステープルドンの『シリウス』も思い出される。星ではなく犬の話なのだが、ハヤカワSF文庫の表紙の絵が宇宙ものを暗示していて、中身を見ないで描いたのだろうと思わせるものだった。先ほど書庫をあさったら、カバーは残念ながら紛失していた。『サイボーグ009』のいちエピソード(クビクロ)の元ネタとも言われているが、30年以上前に読んだ話で、ディテイルを忘れていた。ぱらぱらと読んだところ、脳改造によって超犬となったシリウス、改造をした科学者の娘で、シリウスと共に育ったプラクシー、そして、彼女の恋人で物語の語り手のロバートの三角関係の物語でもあった。プラクシーがベテルギウスでロバートがプロキオンということかもしれない。そして、木星(ジュピター=ゼウス=神≒宗教の話)が加わって、霊性を語る物語となる。…というのはうがち過ぎか。しかし、この本は1944年刊で、物語の結末とたぶん重なっている1942年の夏に、ちょうど今年と同じような木星と冬の大三角の十字配置が起きているのであった。まあ、偶然だろうな。と思うのは、作中、犬のシリウスが星について以下のように語っているからでもある。
はるかな大空では、脳味噌もなければ手もない、白痴のような星どもが、なんの得にもならないのに、もったいぶって、せっせと回っている。

犬と星と言えば、武田百合子さんの旅行記『犬が星見た』の記述も忘れがたい。
もしかしたら星など見えはしないのかもしれないが、そうとしか思えない恰好をしている犬を見かける。はやばやと人や車の往来がと絶えた大晦日の晩などによく見かける。とりかたづけられ、いつになく広々とした舗装道路のまんなかに、野良犬なのか、とき放された飼犬なのか、ビクターの犬そっくりに坐って、頭をかしげ、ふしぎそうに星空を見上げて動かない。

『犬が星見た』は、布施知子さんが近刊の『ハッとする折り紙入門』でも触れていた。(と、最後に折り紙の話)