『算法身之加減』の折鶴問題2012/10/25 22:15

江戸時代の和算書『算法身之加減 補遺』(渡辺一(わたなべかず) 天保元年 1830)に、折鶴に関する計算問題(羽根の幅から長さを計算する問題)があることを確認できた。同書の前書きなどから推定すると、この問題がつくられたのは、天明八年(1788)から文化九年(1812)の間のことである。
『算法身之加減』の折鶴問題

『算法身之加減』の問題を引用している、渡辺の弟子・佐久間纉(さくまつづき)の『當用算法』(嘉永六年 1853)の記述から、『算法身之加減』に、折鶴の計算問題が掲載されているはずだと、以前から気になっていたのだが、先日、『折紙探偵団』に『折形算法散歩』というエッセイを書いているさいに、あらためてこのことを確認しておかなくては、と思いたち、福島県立図書館で調べてきた。問題は、予想通り『當用算法』のものと同一であった。

福島県立図書館
福島県立図書館

『算法身之加減』は出版されなかった本で、渡辺の没後130年、いまから40年ぐらい前に、佐久間の蔵書の中で「原著」が発見され、福島県和算研究保存会によって1977年に復刻されたものである。元の本も幻の本であったが、復刻版も100部余りなので、入手は困難である。つい最近、神保町の古書店のガラスケースの中にあることも見つけたのだが、かなり高い値がついていて、手がでなかった。デジタル化されているという情報もない。そこで、一番ゆっくり閲覧できそうな福島県立図書館に行って確認した、というわけである。

この折鶴の計算問題については、まだまだ面白いことがありそうだと思っている。なお、11月刊行予定の『折紙探偵団 136号』の『折形算法散歩』でおもに扱ったのは、この問題にも関連する、千葉県の算額に関してである。

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福島に向かう新幹線では、『戊辰算学戦記』(金重明)という、和算に戊辰戦争をからめた小説を読んだ。新刊書籍では入手困難になっているのだが、この機会にどうしても読みたくなって、古書店で購入した。主人公は、フランス人から西洋数学を学んだ、二本松藩出身の幕軍の部隊長で、駐屯先の越後で、和算家と交流するという設定である。
じっさいの戦場でも、数学の問題を考えていた兵士はいたのだろうな、とも思った。塹壕の中で『論理哲学論考』を書いていた哲学者・ウィトゲンシュタインのように。なお、戊辰戦争と算学者の史実では、次のようなものがある。
渡辺一の曾孫・木村銃太郎:算術に秀でていたが、二本松藩の二本松少年隊の隊長として22歳で戦死した。一関の算学者千葉胤秀の孫・千葉量七:算学者であったが、刈和野の奪回戦において25歳で戦死した。

『算法身之加減』を持っていた佐久間纉も三春藩の藩士で、歴史の激流に揉まれたはずのひとである。しかし、影響がないはずはないのに、彼の伝記的事実をざっと追っただけでは、それはまったく見えない。このような時代で、佐久間は、数学や詩歌に平常心で打ち込んでいたように見える。不思議なほど穏やかに見えるのだ。和算から洋算という激動もあったわけだが、維新後につくった算学塾でも、多くの門人を育てている。

というように、社会や時代と個人の距離のとりかたというのも、ひとし並みではない…などと考えた旅でもあった。こんなことを考えたのは、福島の市内を歩き、穏やかなふつうの暮らしを感じたことも大きい。

『和算の問題から得られた折り紙の命題』の誤記2012/10/25 22:20

昨年、『折り紙の科学』(Vol.1 No.1 2011)に投稿した『和算の問題から得られた折り紙の命題』に、以下の誤りがあった。

誤:杉妻村大字田沢 丹治徳次郎
正:杉妻村大字黒岩 中村熊治郎
また、「徳次郎の算額定理」と通称したが、これは「熊治郎の算額定理」に訂正する。

この件に関しては、一年ほど前に五輪教一さんからも、出題者の名前が違うかもしれませんという旨の指摘を受けていたのだが、先日、現地で復元された(1966年:元は1893年)算額を見て、誤りが確認できた。(写真)
黒岩虚空蔵堂の算額(部分)

誤ったのは、参照した『福島の算額』(福島県和算研究保存会 1989)を読み損ねていたためである(写真)。
『福島の算額』から

問題の後に書いてある名前を出題者と思っていたのだが、問題の前にある名前が出題者なのであった。中村熊治郎の場合は、ちょうどページの切れ目なので、余計に間違いやすくなっていた。なお、同書には、前の前のページに、「この算額は、各々、出題者は出題番号の前に名を提示していることに要注意」とも書いてあるので、わたしの不注意以外のなにものでない。

黒岩虚空蔵堂は、阿武隈川河岸にある名所で、川面がきらきらと陽光に輝き、気持ちのよいところだった。
黒岩虚空蔵堂