この三週間2011/07/02 13:00

矢印(白鳥)と蛍
あっという間に日々が過ぎる。そんななかでも、ふりかえると、いろんなことがある。

◇『本の雑誌』(7月号)に萩原魚雷さんが書いていた「一日に二十分くらいしかやる気がでない。いくらなんでも短すぎる」に共感してしまった。
◇案内標識の矢印の余白が白鳥に見えることに気がついた(写真上)。
◇蛍を見に行った(写真下)。蛍1匹の至近距離の照度は、約0.2ルクスだそうだ。点滅するが、一文字一文字なぞるようすれば、一匹でぎりぎり文が読めそうだ。
◇庭の木に営巣していたアカゲラ夫婦だが、雛が孵らず、巣は放棄されたようだ。残念。
◇今年は、庭にモグラ塚が多いような気もする。
◇八ヶ岳南麓標高1000m、6月29日からヒグラシが鳴き始めた。
◇電気使用料が昨年度比較でかなり削減できていた。去年までが使い過ぎだったということだろう。
『Origami^5 - Fifth International Meeting of Origami Science, Mathematics, and Education』が刊行された。現物はまだ手にしていない。
折り紙の科学・数学・教育研究集会の発表者の申し込みが、いままでになく多い。
第17回折紙探偵団コンベンションの参加申し込みが、1週間で定員締め切りになった。
◇TVドラマの『JIN -仁ー』の最終回を観て、ジャック・フィ二イの『愛の手紙』(『ゲイルズバーグの春を愛す』所収 福島正実訳)を思い出して、読みかえした。
◇堀江敏幸さんの『なずな』に、折り紙がでてくるらしい。読み始めたばかりである。
◇今尾恵介さんの『地図で読む戦争の時代』に、千葉県船橋市の「謎の円形道路」の話がでてきた。
◇新訳の『夜間飛行』(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ著 二木麻里訳)を読んだ。序文(アンドレ・ジッド)に引用されている、サン=テグジュペリの手紙の言葉に考えさせられた。
これまでつねづね不思議に思ってきたことについても納得がいきました。それはなぜプラトンが(それともアリストテレスだったかな)あらゆる美徳のなかで勇気をいちばん低い順位においたのかという理由です。勇気というのはりっぱな感情から生まれるわけではないのです。あれはすこしの憤怒、すこしの虚勢、たっぷりの頑固さ、あとは他愛のない、スポーツのような快楽から生まれるのです。とくに肉体的な力の興奮ですね。これはもう、見るべきものはまるでなしです。(略)あるのは勇気だけという人物など、絶対に賞賛するつもりはありません。
 とは言っても、最後に残ったのが、なけなしの勇気、という場合はある。子供のころに読んで、かっこいいなあと思った『サイボーグ009』(石ノ森(石森)章太郎著)の台詞は、それかもしれない。
アポロン「おまえの能力は まさか加速装置だけというんじゃないだろうな あとはどんな力を持っているんだ」
ジョー(009)「あ あとは、勇気だけだ!」
アポロン「なに!」
 以前、線路に落ちたひとを助けた青年が、「どんな心境でしたか」と訊かれて、「『オレかぁ』と思いました…」と答えていたのが印象的だった。これは、サン=テグジュペリが賞賛に値しないとした「勇気」とは異なった感情だ。なんというか、「呼ばれてしまった」という感覚。そういうときの、ふりしぼった決断こそ、勇気と呼ぶに相応しい、とも思う。サン=テグジュペリが、「見るべきものはまるでなし」とした「勇気」とは、つまりは、「マチズモ」のことなのではないか。なにかのためというより、自己を誇示することが主な動機になった行動。その背景には、自分は特別であるという思い込みがある。
 今次の災害・事故で、わたし個人の得た最大の教訓は、自分を特別と思いこむ「正常性バイアス」の根深さだった。そう、古人も言ったように、「大勇は怯なるがごとし」なのである。