日記(ニョッキではない)2010/12/23 15:24

◇12/12(日)
 前日が父の誕生日だったので、この日、実家から近い二子玉川のレストランで食事をした。今からン10年前、子供のころの二子玉川は、遊園地と映画館のある郊外の街という印象だったのだが、いまは、そうした非日常性も残しつつ、地方都市なみの繁華な街になり、さらに発展を続けている。昔は、ニコタマとは言わず、略すなら、フタコだったように思う。以前の駅名は二子玉川ではなく、二子玉川園だったが、目蒲線(現 目黒線)に多摩川園前という駅(現 多摩川)、田園都市線に二子新地前という駅(現 二子新地)もあり、二子玉川園は「前」がつかず、なぜ多摩川園と二子新地には「前」がつくのか、悩んだ記憶もある。
◇12/14(火)
 結婚記念日なので、妻とレストランで食事をした。記念日ウィークである。ニョッキ(パスタの一種)を使った料理を食べた。ニョッキといえば、歌人の穂村弘さんに『にょっ記』と『にょにょっ記』(未読)という日記風エッセイがある。この本は、穂村さんの文章とフジモトマサルさんのイラストのみならず、名久井直子さんの装丁がじつに面白い。「に」の字が「12」、弘の扁が「3」など、文字の中に数字を隠すという遊びがあるのだ。
◇12/16(木)
 以前図書館で見て、山梨の道祖神研究には欠かせない文献と思っていた故・山寺勉さんの『甲斐の道祖神考』と『甲斐の石造物探訪』を、山寺さんのご家族からご恵贈いただいた。このブログで『甲斐の道祖神考』を探している旨を書いたことによる縁である。ありがたい。
12/18(土)
 久しぶりに調布の街に買い物にでた。紙の箱を探したのだが、箱というものは案外売っていないものである。売っていないものはつくればよい。痩せても枯れても、太っても、紙の造形の専門家じゃないか、ということで、自作してみたら、折り紙の技法とは違うタイプの紙箱をつくるのが、存外に楽しかった。この日の予定は、買い物と次の日の準備だったのだが、年賀状のデザインもでき、どこかゆったり長く感じる一日だった。
◇12/19(日)
 第9回折り紙の科学・数学・教育研究集会で、世話人をつとめた。数学、コンピュータサイエンス、歴史など、充実した内容だった。そして、ここでも、ブログが縁になった出会いがあった。わたしのブログに自分の名前があることを発見し、巡り巡って研究会を知ったという、『ケプラーの八角星 - 不定方程式の整数解問題』の著者・五輪教一さんも来ていたのである。建築や数学の学生さん、教員、数学者など、ほかにも新しい参加者が集まった。
◇12/20(月)
 18日の集会後の懇親会の席で、三谷純さんに「24パズルの解答数を計算してくれませんか」となにげなく話したら、翌日、「興味深かったのでやってみました。全部表向きで295856通りでした」という旨のメールが届いた。ざっと検証しただけだが、まず間違いはない(その後、正しいこともわかった)。構想・プログラミング・計算にかかった時間は3時間余とのこと。三谷さん、早いなあ。いっぽうこの日のわたしは、デバッグに四苦八苦していた。
◇12/21(火)
 夜、野辺山観測所の忘年会に出席したが、みんなで月食を見ようというイベントは、悪天候で中止になった。前日と翌日は好天で、月が煌煌と輝いていたのだから、皮肉なものである。月は見えなかったが、ふと、月食というのは、月-地球-太陽がこの順番で一直線に並ぶことであるから、月から見れば日食なんだと気づいた。月と地球の直径の比は約1対4なので、月から見た地球の見かけの大きさは、地球から見た月の約4倍になる。つまり、月からの日食に金環食はない。連想したのは、映画『2001年宇宙の旅』の、いわゆる「宇宙の日の出」のシーン、すなわち、太陽が地球の地平線から「昇る」のを、宇宙空間から見るシーンだった。地球と太陽の見かけの大きさの比から見て、月面や月-地球系のラグランジェ点(月-地球系の重力と遠心力の均衡点。5点ある)より、かなり地球に近い衛星軌道を視点にしたものだった。あれは、「宇宙の日の出」とも言えるが、一種の日食でもある。ということから、次のようにも言えるという事に気づいた。すなわち、「夜とは、地球上から見た地球による日食である」
◇12/23(木)
 「趣味と仕事の違いはなにか。趣味というのは義務のない行為であり、仕事というのは義務をともなった行為である。義務は、報酬のあるなしとは関係がない。報酬が義務の根拠になることが多いが、それよりも大きいのは、使命感と約束を守るという倫理観である」 どうということはないのだが、さも重大なことを見つけたように、そんなことを思った。また、「義務のない約束」というものはあるのか、それは形容矛盾なのか、と考えた。