道祖神祭り禁止と擬洋風2010/10/04 22:55

舂米学校
 高根町村山北割新井の丸石神で見た「廃仏毀釈」に関連して、『神々の明治維新 -神仏分離と廃仏毀釈』(安丸良夫著)を読んだ。引用されていたものを読んだことがあり、以前から知っていた本だったが、これは名著だった。30年前の出版なのだが、コンパクトな記述の中に、興味深い事実、示唆の多い考察が満載であった。

 道祖神祭りの禁令に関しても記述されていたが、明治五年の山梨県の布告で、門松や追儺(節分の豆まき)なども禁止されたというのは、驚いた。
 このような禁令は、当時の県令(現在の県知事にあたる)であった藤村紫朗氏による。(追記:藤村紫朗氏が県令(権令)になったのは、明治6年からであったが、藤村紫朗氏が民俗信仰を抑圧したのはたしかである)

 この藤村という名前に聞き覚えがあった。山梨には、明治初期の「擬洋風建築」、すなわち、日本の職人が建てた西洋風の建築が多いのだが、それらが、このような建築を奨励した県令の名に因んで「藤村式」と呼ばれているのである。
 擬洋風建築では、信州松本の開智学校が有名だが、山梨の津金学校や舂米(つきよね)小学校も、なかなか味がある。たとえば、写真の富士川町増穂にある舂米小学校である。中央に六角形の鐘楼のような「太鼓堂」があり、そのてっぺんにシャチホコがひとつだけついているというものだ。愛らしいが、どこか奇妙な建築である。
 民俗信仰を根こぎにするかのような禁令を出した「開明派」の県令の名をとどめ、じっさいに文明開化の拠点であった学校。それが、いま見ると、国籍不明であることによって、きわめて「日本的」に見えるというのは、じつに面白い。

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