道祖神祭り禁止と擬洋風 ― 2010/10/04 22:55

道祖神祭りの禁令に関しても記述されていたが、明治五年の山梨県の布告で、門松や追儺(節分の豆まき)なども禁止されたというのは、驚いた。
このような禁令は、当時の県令(現在の県知事にあたる)であった藤村紫朗氏による。(追記:藤村紫朗氏が県令(権令)になったのは、明治6年からであったが、藤村紫朗氏が民俗信仰を抑圧したのはたしかである)
この藤村という名前に聞き覚えがあった。山梨には、明治初期の「擬洋風建築」、すなわち、日本の職人が建てた西洋風の建築が多いのだが、それらが、このような建築を奨励した県令の名に因んで「藤村式」と呼ばれているのである。
擬洋風建築では、信州松本の開智学校が有名だが、山梨の津金学校や舂米(つきよね)小学校も、なかなか味がある。たとえば、写真の富士川町増穂にある舂米小学校である。中央に六角形の鐘楼のような「太鼓堂」があり、そのてっぺんにシャチホコがひとつだけついているというものだ。愛らしいが、どこか奇妙な建築である。
民俗信仰を根こぎにするかのような禁令を出した「開明派」の県令の名をとどめ、じっさいに文明開化の拠点であった学校。それが、いま見ると、国籍不明であることによって、きわめて「日本的」に見えるというのは、じつに面白い。
ヤマボウシの実 ― 2010/10/06 08:24

このようなかたちを見ると、幾何立体をあてはめてみたくなるのが、「多面体者」の性だ。突起の数を数えてみると、40数個であった。頂点が40数個の多面体というと、正二十面体の面を四分割することからつくられる八十面体(下図左。辺数:120、頂点数:42、面数:80)がある。バックミンスター・フラーによる「ジオテック・ドーム」に見られるかたちで、「おお、あれか」と、そのときは納得した。
しかし、いまさっき写真を確認してみると、そのかたちからのずれがけっこう大きいこともわかった。この八十面体の場合、五角形になる領域は、下図中央のように頂点で接するかたちになるが、じっさいの実は、五角形が辺で接している部分もあり、「軸」の部分は七つ割りになっているようにも見えるのである。このかたちは、図右のような配置に近いかもしれない。八十四面体で、頂点数は44である。
ウズマク広場 ― 2010/10/15 00:12

堤の高さ130m余りの石灰岩の白い壁が眩しいロックフィルダム(南相木ダム。揚水発電用。2005年完成)の下流部直下につくられたランド・アートである。
写真は、ダムの上からの俯瞰。渦巻き状の石積みのある築山、M51銀河のような水路、「スライド・マントラ」(イサム・ノグチ作の滑り台)のようなトイレという、三つの螺旋(渦巻および弦巻)からなっているのがわかる。建築家・小宮功、現代美術家・笹口数、ランドスケープアーキテクト・古内時子の三氏による設計で、螺旋好きは、一見の価値がある。螺旋好きって、なんだかわからないけれど。
石子順造と丸石神 ― 2010/10/17 13:52

丸石神をテーマにしたシンポジウムがあるということ自体、丸石好きとしてたいへんうれしかったのだが、講演は淡々と聴いていた。主に評論家の石子順造さんの再評価という動機による会なので、丸石神「自体」の面白さが語られることはあまりないだろうと予想しており、内容はその想定内であった。
わたし自身の丸石神への関心も、「折り紙のマージナルアート性→キッチュ論への興味→石子さんの著作を通して丸石神を知る→山梨でじっさいの丸石との遭遇し、幾何アート好きの琴線に触れる」ということで、石子順造さんの影響なのだが、石子さんの評論を読み返すと、論旨は錯綜しており、正直、情熱は伝わるが共感はできないことのほうが多い。
今回の会で一番面白かったのは、中沢新一さんが紹介した、氏の父上にして民俗学研究者の中沢厚さんのエピソードだった。石子さんらを案内した中沢厚さんは、丸石神を前に「近代を超える。近代を否定する」等々と口角泡を飛ばして議論する彼らを見ながら、「愛情のある皮肉」を込めて、「あのひとたちは近代に反発しているけれど、近代的なひとだねえ」と言ったというのだ。
鼎談の中で椹木さんが、「石子さんは、反近代、非近代を考え続けるがゆえに、逆に近代に呪縛されていたのかもしれない」といったことを発言されていたが、そうした強迫的な心性の解毒剤として最も有効なのも、わたしには、中沢厚さんのような態度としか思えない。それは、じっさいに現場で多くの実物に接し、さまざまな視点からそれについて考えているものの強みである。また「外」にいるものの強みである。中沢厚さんも丸石の美しさを語るが、美術の「外」にも「美しい」ものがあるのは、考えてみれば、当たり前なのである。
会に、質問の時間がなかったのは残念だった。
マーティン・ガードナーの生涯を祝う会 ― 2010/10/22 01:20

今年5月に亡くなったガードナー氏の誕生日であるこの日に、世界各地でいっせいに、彼の生涯を祝う会(追悼ではなく)があったのだ。
思えば、今年も、敬愛する先人や、愛読していた作家、友人が亡くなった。
マーティン・ガードナーさん、ベノワ・マンデルブロさん、森毅さん。ミステリ作家の北森鴻さん。「人は死なない」と断言したアーティスト・荒川修作さんも。知人では、オリガミアーティストのエリック・ジョアゼルさん。
「生涯を祝う会」と書いて、「生涯」という言葉に、なぜ、「涯」という文字が使われているのかと気になった。「果て」ということなのだろうが、字の旁(つくり)が同じ「崖(ガケ)」を連想せざるをえない。地面が無くなって、奈落が広がる感じである。
辞書を見ると、「涯」は、たしかに崖と同様の意味を持つ字なのだが、サンズイがあるように、水ぎわ、水辺という意味であることもわかった。
頭の中の風景は、断崖絶壁から、波が寄せて返す海岸というものに変わった。そして、波に洗われる岬の映像に結びついている、ジョン・ダンの『誰が為に鐘は鳴る』を連想した。
誰も島ではない(John Donne 『For Whom the Bell Tolls』として知られる『Meditation』(瞑想録)の一節 適当な訳:J.M.)
それだけで充足するものではない
誰もが大陸のひとかけら
大地の一部だ
一塊の土くれが海に洗われれば
欧州大陸であれ狭くなってゆく
岬が失われるように
君の友や君自身の土地が失われるように
誰かの死は わたしをも削ってゆく
それは わたしが人類の一部だからだ
だから 訊くことなどない
あの弔いの鐘は誰のために鳴るのかと
それは君のため鳴っているのだから
この詩は、死を悼み畏れるものだが、逆に、荒川さんの「人は死なない」ことをうたったと言えなくもない。そう言えば、『死よ。奢るなかれ』もジョン・ダンだった。
などと、いろんな連想で、死生観うんぬんも考えなくもなかったのだが、今回の会には、国内の遊戯数学のビッグネームが集まっており、純粋に発表を楽しんだ。会の世話役のひとり岩沢宏和さんが紹介していた、以下の言葉が象徴的だった。(だれの言葉だったか失念)
マーティン(ガードナー)は、多くの子供を数学者にし、多くの数学者を子供にした。わたしは、ティーンエージャーの頃、ガードナー氏を愛読していて、「折り紙設計」は、ガードナー氏の本で知ったソロモン・ゴロム氏のレプタイルなどからの刺激を受けて思いついたものとも言えるので、会ではその話をした。
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