カップ運び用取っ手2010/07/17 13:33

カップ運び用取っ手
 5OSMEの会場・シンガポール経営大学のカフェテリアにあった、コーヒーカップを運ぶための取っ手である。初めてみるもので、何気ないが面白い。

2D化2010/07/18 10:28

「射影的座屈現象」
 路上で見かけた、潰れたアルミニウムの空き缶。まるで、立体を射影した像のようにきれいなかたちである。「射影的座屈現象」と名付けたい。目にはいったときに、「おおっ」と声をあげてしまったが、炎天下、変哲も無い路上のゴミを見て声をあげている者というのは、客観的に言ってかなり怪しい。

『綺想宮殺人事件』2010/07/25 11:36

 先日の会議出席のさいの飛行機内読書は、『綺想宮殺人事件』(芦辺拓著)だった。芦辺さんの本は半分ぐらい読んでいる中途半端な愛読者だけれど、今作は、店で手に取ってみると、参考文献に、多面体好きおもわずニヤリの、宮崎興二さんの『プラトンと五重塔』(入手困難本なのでネタばれにならないと思う)や『多面体と宇宙の謎に迫った幾何学者』(シュボーン・ロバーツ著 糸川洋訳)があり、わたしにとってこの20年で最高の痛快本とも言える『「知」の欺瞞』(アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン 著 田崎晴明他訳)もあがっていて、「ほら、読みなさい」と言われているような本なのであった。
 往路の機上で読み終えた。探偵小説愛があふれる怪作だった。

 同書の「テーマ」は衒学。
 衒学とそうでない知識との違いというのはなんだろうなどと考えた。そこに書かれたこと以上のことはなにもない「ただのネタ」であることが見え透いたときに、衒学臭が漂う。かといって、特に深さはなくても、「ただのネタ」ではないなあと思うこともある。どう見ても我田引水のこじつけ論法でも、あるいは、スノッブのエグミを感じても、文章を読む楽しみがあふれることもある。その違いはいずこに。対象への愛(!)かな…。

花火2010/07/25 12:03

月と花火
 昨晩、調布の自宅から観た、月齢約13の月と花火である。
『ゲゲゲ』で盛り上がる調布らしく、「型物」(絵を描くもの)には、「ねずみ男」や「一反木綿」もあった。「ボタン」や「菊」のような球対称のものはよいが、ある方向から見ないとかたちに見えない型物は、打ち上げる向きが難しそうだ。じっさい、横になったり、ひっくり返っているものも多く、運任せの面も大きいのだろう。

寛永通宝2010/07/29 19:17

武川町三吹の道祖神
 先日、北杜市武川町三吹の道祖神で、古銭が供えられているのを発見した。寛永通宝と思われる。寛永通宝は、1953年の「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律」施行まで、1厘または2厘(1/1000 1/500円)として法的にも通用していたというので、それほど驚くことはないのかもしれないが、近年つくりなおされたらしい真新しい石祠との対比が面白かった。

 この日は、ちょっと旧甲州街道等をたどって、道祖神を探したのである。道祖神発見のひとつの目安になるのが、前にも書いたが、「火の見櫓・道祖神隣接の経験則」である。この武川町の道祖神もそのひとつで、火の見櫓のすぐ下にあった。火の見櫓というのは近代になってからのものだが、これは、道祖神が火伏せ霊験を持つ秋葉権現を兼ねる場合があることに関係しているようにも思われる。