丸石神その272010/05/13 22:46

丸石神その27
 GW中の某日、かねてより見たいと思っていた、山梨県下最大(ということは日本最大?)の丸石神ほか、おもに甲府盆地北縁の丸石さんを探索してきた。
 写真左上から、簡単に説明しよう。
○韮崎市藤井町北下条:何度も通っている道なのに気がつかなかった。右側の碑は「蚕霊神」とある。
○甲斐市龍地:平成の年号がある、真新しい一座。丸石信仰が現役である証明だ。
○甲斐市島上条近辺:半分埋まっている形状が面白い。写真ではわかりにくいが、お地蔵さんの風貌もよい味で、帽子をかぶり、よだれかけと金メダル(?)を着けて、大事にされている。
○甲斐市島上条近辺:自然石ではない。天保の銘があり、「削り磨いた丸石は幕末のもの」に適合する。
○山梨市七日市場:桃畑の中にある、最も大きな丸石神と言われている一座である。よく見ると、上半分が見事な半球だ。碑は「蚕影山」。丸石神信仰と養蚕神信仰の習合は、かなり一般的だ。
○山梨市小原西近辺:集合形では、いままで見た中で一番の美形かもしれない。

 双葉から甲府・湯村に向かう穂坂路(山の手通り)には、写真を取り損ねたが、他にも立派なものがいくつかあった。距離にしてせいぜい4・5kmの間に数座あるので、いつか歩いてゆっくり見てみたい。湯村温泉の宿泊客に「開運! 丸石神巡り」などというイベントはどうだろうか、などとも妄想した。

バッタリ出会う2010/05/16 10:18

 昨日、カルチャーセンターで、「広がる折り紙の世界」という講義をしてきた。さまざまな関心を持ったひとが来ているので、的のしぼりかたが難しかったが、まあまあ、うまくいったと思う。

 で、話は変わって、その帰りの話である。
 帰宅途上、調布駅前の真光(しんこう)書店に寄ると、NHKのテレビ小説『ゲゲゲの女房』関連で店頭に設けられた水木コーナーに、自著を点検(?)する水木しげる大先生(おおせんせい)ご本人がいらっしゃっていた。カメラ付き携帯電話で一緒に写真を撮るひととか、握手してくださいというひともいたが、多くのひとは遠巻き。
 真光書店に大先生が出没するという話は聞いていた。(出没って妖怪みたいだけれど) そして、わたしもちょくちょく顔を出す店なのだが、調布に住んで十数年、お見かけしたのは初めてだった。
 天才・奇才としか言いようのないひとなので、以前お会いしたさいにも、その佇まいの放つオーラにあてられ、舞い上がってツーショットの記念写真も撮れなかったが、今回も、本を買ってサインを貰おうかなどとも思ったが、切り出せずじまいだった。(そのさい、棚を見回して、すでに持っているはずだが『鬼太郎夜話』文庫版の表紙の絵が「道祖神」(丸石ではない)であることに気がついた)

 昨日は、わたしも、カルチャーセンターで、ネット上でしか会ったことのないひとに会ったり、もっともらしい顔をして自著にサインなんかしてきたのだが、立場変わってサインを頼む側になると緊張するのであった。
 書店では、最近ほとんど会っていなった天文台のKさんにもひさびさに遭遇。なぜかひそひそ話のように、「水木しげるさんがきてますね」と伝えた。
 というわけで、昨日は遭遇の日であった。

 で、けっきょく、まったく関係ない本を買ったのだが、「カバーをつけますか」の問いかけに、いつもの癖で、「カバーも袋もけっこうです」と答えたあと、「ああ、そうだ、いまなら、大先生デザインのカバーだった」と気がついた。

 なお、NHKの『ゲゲゲの女房』は、全回視ることはできていないが、観ごたえがあるとの評判のようで、わたしが視た回もはずれはなかった。視聴率も上昇中ということで、水木ファンとして慶賀にたえない。
 これからの展開で気になるのは、つげ義春さんをモデルにしたひとはでてくるのだろうかということだ。桜井昌一さんぽいひと(役名の戊井が、桜井さんの本名・辰巳→戊亥だということにいま気がついた)はでているし、昨朝は、『ガロ』の編集長になる長井勝一さんらしきひとも…、って、マニアだなぁ わたしも。

更新状況2010/05/23 21:16

更新状況
 年頭から慣性がついて、誰にというわけではないが、ほぼ毎日このブログの更新をしなければ悪いような気がしていたのだが、4月・5月になってペースが落ちた。

 「更新をしなければ悪い」という状態は、「自らの生み出した思考によって自らが支配され、自分が見なれぬ他者になってしまう」現象、すなわち、ヘーゲル哲学のいうところの自己疎外に相当する(大げさです)。
 この状況の客観的なデータを検証するために、投稿件数のグラフをつくってみた。ビジネスでもアカデミアでも、グラフによってデータを可視化するのは、現状の見通しを得るための有効的な方法である(大げさです)。
 というわけでグラフを描いてみたら、見えてきたことがあった。
 そもそも、11月から3月は、夏場に比して、書き込みが多いのである。それは、きわめて単純な理由による。すなわち、野球がオフシーズンであることにぴたりと重なっている。

 仕事が繁忙でない時の平日の時間配分を考えると、読書や趣味的研究の時間は、2から3時間というところである。最近は、スコアブックをつけるかのような観戦はしなくなったので、並行処理は可能とはいえ、阪神タイガースが加わると、読書や趣味的研究の時間が縮小される、それだけの話なのであった。
 で、胸に手を当てて考えると、いま、仕事も溜まっている。

お稲荷さんの世界展2010/05/30 11:24

お稲荷さんの世界展 図録
 前にも書いたように(これこれ)、稲荷神社が好きなので、先日、府中郷土の森博物館の企画展『お稲荷さんの世界』を観に行った。稲荷という民間信仰にテーマをしぼった、いままでに例を見ない画期的な展示だ。

 というように、するべきことの山を横目に、散歩や物見遊山を欠かさない生活をしているわたしだが、その道楽行動の甲斐もあってか、スモールワールド(世界は狭い)現象のヒット率にも恵まれていて、ここでも、思わぬ出会いが待っていた。受付に、そして、展示物に、京都山科・折上(おりがみ)稲荷神社の狐のお守りがあったのだ。
 これは、前にも書いたけれど、以前、わたしが「オリガミ」という名を持つ神社ということで参拝し、折り紙の狐を奉納、その後、その折りかたを宮司さんに伝え、同社のお守りとなった、というものなのである。
 自己主張というほどでもないが、こういうときには名乗りでたほうが面白かろうと、財布の中にあったレシートで同作品を折り、「じつは、わたしはこれこれこういう者で、これがオリジナルです 云々」などと言って、受付の女性に渡した。
 その後、他の展示物などを観たあと(もうひとつの企画展示・江戸の柄鏡(柄のついた金属製の鏡)に折鶴模様のものがあることも(資料文献で)発見!)、ふたたび受付の前を通ると、この展示を企画した学芸員さんに声をかけていただき、話をする機会に恵まれた。同博物館の以前の企画展「宮本常一の足跡」のキュレーターもされた、民俗学研究者だった。機会があれば、またお話をうかがいたい。

 宮本常一さんと言えば、次の言葉を折りにふれて思い出すのだが、今回のわたしの行動は、これに反してはいない…よね。
「舞台で主役をつとめていると、多くのものを見落としてしまう。その見落とされたものの中に大事なものがある。それを見つけてゆくことだ。人の喜びを自分も本当に喜べるようになることだ。人がすぐれた仕事をしているとケチをつけるものが多いが、そういうことはどんな場合にもつつしまなければならぬ。また人の邪魔をしてはいけない。自分がその場で必要をみとめられないときはだまってしかも人の気にならないようにそこにいることだ。」
(渋沢敬三さんが宮本常一さんに述べた言葉 『民俗学の旅』宮本常一著)