稲荷神社 ― 2009/03/06 00:24
このお守りは、オリガミという名に惹かれて同神社を参拝した(写真右下)さい、宮司のかたと知り合い、その後、わたしの創作作品の折り方を伝えた、という「由来」を持つものである。工程としては40〜50と、そんなにすらすら折れるモデルではなく、心を込めて折っている宮司さんの思いが伝わるお守りだ。宮司さんからは、日本折紙学会の吉野一生基金にも寄付をいただいている。
それで、というわけでもなく、わたしは、以前から、稲荷神社が好きである。最近は、武蔵国都筑郡(神奈川県北部、東京都南部近辺)の杉山神社や、道祖神に関係の深い椿神社や猿田彦神社にも興味があるのだが、それは、言ってみれば、民俗学的な興味である。稲荷神社に関しても、江戸期の流行神(はやりがみ)の世俗的な雰囲気を残しつつ、かつ、ある種の自然崇拝であることなど、民俗学的な興味はあるのだが、単純に、赤いヴィジュアルや狐の造形が好きなのである。ちなみに、わたしは油揚げが大好物でもある。
1年ぐらい前に読んだ『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(内山節著)という本は、面白かった。高度経済成長期の1965年頃を境にして、狐に騙されたという話が聞かれなくなった、ということについて書かれた本である。この国に住むひとびとの世界観が最も大きく変わったのは、明治の近代化でも、第二次世界大戦でもなく、高度経済成長期であったということは、ほかでも聞かれる論旨で、たしかにそんなことがあるのではないかと思う。
などと、お稲荷さんや狐の話を書いているのは、『京都「お守り&数珠」手帖』のほかに、先日の日曜日、初めて王子稲荷神社に行ってきたからでもある。紙細工の玩具・「暫狐」(歌舞伎の暫の恰好をした狐)を買うという目的もあったのだが、これは売り切れで残念だった。狐穴や、持ち上げたときの重さで神意をはかる「願掛け石」、拝殿の天井絵など、見所も多く、思っていたとおり、雰囲気のある神社だった。中でも惹かれたのは、垂れ目のお狐さんだ(写真右上)。狐はふつう「狐目」なのに、みごとまでに垂れ目なのだ。
いま住んでいる多摩の近場では、小金井市東町の笠森稲荷神社(写真左下)もよい。京都の伏見稲荷や東伏見稲荷神社も立派でよいのだが、稲荷神社は小祠も似合う。その、小金井の笠守稲荷は、大阪にある笠森(守)稲荷神社が江戸にいくつか勧請された社のひとつであると思われる。笠森稲荷は、「かさ」の音が「瘡」に通じることから疱瘡や皮膚病除けの流行神として知られている。いまでも奉納鳥居や陶製の狐、絵馬などが多くて信仰が厚そうなのは、アトピー性皮膚炎などの快癒を願うひとが多いからかもしれない。伏見の千本鳥居とまではいかないが、奉納鳥居のトンネルもある。
町を歩くと、屋敷神など、稲荷の小祠もよく見かける。稲荷神社は、狐の巣穴があった場所にある場合も多い。路地裏に隠れるようにしてある祠を見ると、ほんのすこし前には、ここにも狐がいたのだろうかなどとも思う。
コメント
_ いまどき ― 2010/03/13 07:45
_ maekawa ― 2010/03/13 19:59
陶器の狐について、写真を載せたかったので、新規記事を書きました。
_ kiyoshige ― 2013/06/17 17:30
先日、京都のお守りを紹介する番組内で折上稲荷神社さんのキツネのお守りを拝見しました。宮司さんが一つ一つ心を込めて折っておられるとのこと、とても感銘を受けました。
お稲荷さんや狛犬が大好きなので是非挑戦してみたいと思い、ネットで検索してみたところ、こちらのHPにたどり着き、前川さんのことを知りました。
前川さんの本を2冊(本格折り紙、ビバ!折り紙)見てみましたが、このキツネは見つけられませんでした。このキツネの折り方を紹介されている本は出されていますか?教えていただけると嬉しいです。
_ maekawa ― 2013/06/18 21:20
_ kiyoshige ― 2013/06/21 16:55
工程50ともなると、たいそう難しそうですね。
ご回答、ありがとうございました。
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お稲荷さんは全国各地に鎮座していますが、東京の下町には特に多いですね。
「稲荷 伊勢屋に 犬の糞」と言われているくらい、路地裏の祠を含めるとどれだけあるかわかりません。お稲荷さんといえば一般的に「豊穣の神様」というイメージですけれど、江戸市中では「火伏せの神様」という位置づけであちらこちらにある、という話がありますね。そのひとつ、王子稲荷の凧市で授与されている凧は火伏せの凧です。暫狐は私がまだ小学生だた昭和40年代頃までは、宮尾しげをさんデザインの旧型だったんですが、今のは誰がデザインしたものか、ちょっと味気なくなりましたね。宮尾さんよりもっと以前には有坂与太郎デザインの狐の「勧進帳」もあったし、明治頃のには、おいらんが狐の首に変わるのもあったみたいで、家にもどこかにしまってあります。