テープ曲面2009/02/24 22:03

テープ曲面
 前の記事の結び目を確認するため、ひさしぶりにテープを折った。以前結び目を考えたときは、平面に折り畳むことばかり考えていたが、テープは曲面で考えると造形がひろがる。位相幾何学的には自明というか、調べ尽くされたものであっても、力学的に安定する曲面を考えると、まだまだ汲み尽くせない造形的な面白さがあるのではないだろうか。写真の左ふたつは三回捻りの輪で、まったく同じ位相なのだが、異なった貌(かお)を見せている。

弦巻と渦巻2009/02/26 22:13

弦巻立方体
 『多面体と宇宙の謎に迫った幾何学者』(シュボーン・ロバーツ著 糸川洋訳)からの話題をもうひとつ。
 『面之體圖』(追記:正しくは、『面及體圖』 ) でも触れたように、「弦巻線」は、しばしば「渦巻線」と混乱して使われるが、コクセターさんもこれが気になっていたらしい。1967年に、『なぜ大半の人が弦巻線(helix)を渦巻線(spiral)と呼ぶのか』という講演をしているのである。『なにゆえに円が楕円に見えるのか』という講演や、名著の誉れ高い『射影幾何学』の刊行と同時期なので、射影幾何学の話なのだろう。内容は残っているのだろうか。
 弦巻と言えば、世田谷区に弦巻という地名があるが、その弦巻で渦巻を見つけた。1ヶ月ぐらい前、このブログで、渋谷区立幡代小学校の屋上に螺旋が描かれていると書いたが、その後、小学校の屋上の螺旋というのは、ほかにもたくさんあることがわかった。わたしの母校にも描かれていたし、弦巻三丁目の世田谷区立松丘小学校にもそれがあったのだ。
 なお、写真は、√2長方形一枚折りの「弦巻立方体」という作品である。

ストマキオンと知恵の板2009/02/27 23:35

ストマキオンと知恵の板
 『解読! アルキメデス写本』(ウィリアム・ノエル/リヴェル・ネッツ著、吉田晋治著)という傑作ノンフィクションで、「ストマキオン」なるものを知った。
 ストマキオンというのは、古代ギリシアの、いくつかに分割された正方形からさまざまな図形をつくる遊びである。そもそもは「腹痛」の意味で、それほど難しいということだそうだ。
 このストマキオンが、数学史を塗り替える発見につながる可能性も持っているらしい。最新の画像技術で解析されたアルキメデスの写本の解読により、ストマキオンに関するアルキメデスの主題が、正方形に並べる解の個数らしいことがわかってきたのだ。古代には、組み合わせ論はほとんどなかったとされてきたので、これは大きな発見なのである。数学遊戯を楽しむ素人考えでは、この種のパズルにおいて「数え上げ」は当然のことなので、天才アルキメデスの関心がそこに向かうのは必然とも思われるが、アルキメデスのストマキオン研究は、アラビア語訳の断片が伝わるだけだったと言ってよく、それが記された唯一のギリシア語のこの写本の状態はきわめて悪く、詳細は不明だったのである。
 そもそもこの写本、最初に写されたのは、アルキメデスが没してから1000年以上経った10世紀で、その後、十字軍による破壊を免れたのはさいわいだったが、12世紀、貴重な羊皮紙を再利用するために、アルキメデスの写本やその他の本を分解し、表面をこすり取って、キリスト教の祈祷書が上書きされたものなのである。しかも、近代になって発見後、第一次大戦のどさくさで行方知れずとなり、高く売るためか、偽造の絵まで上書きされ、カビなどにも浸食されるという過酷な運命をたどっている。表舞台への再登場は、1998年のクリスティーズのオークションで、匿名の富豪により200万ドルで競り落とされたというから、ドラマティックだ。その富豪がパトロンとなっての、大型粒子加速器による蛍光X線まで使う解読プロジェクトと、その数学史的な意味の解析が、この本の内容である。

 さて。正方形の断片から図形をつくる遊びと言えば、タングラムがある。それは、1800年ごろに中国で、同時期に日本で同種のものが「清少納言知恵の板」として流行し、その後、20世紀になって、アメリカのパズル王・サム・ロイドが、「紀元前2000年の中国」といった偽史的口上とともに紹介した…、というのが、これまでわたしの知っていた話だった。中国には1800年より先行するものもあるらしいが、ギリシアのストマキオンのことは、頭にはいっていなかった。

 「正方形」というだけではなく、幾何学的な背景や見立てなど、タングラムは、折り紙と共通することの多い遊びである。最近では、目黒俊幸さんや小松英夫さんが、角度を規格化した多角形によって構成される折り紙造形を「タングラム的」と呼ぶこともある。2300年前、折り畳み可能な素材さえあれば、アルキメデスも折り紙をやったのではないだろうか、と空想するのは楽しい。

 また、一部の折り紙関係者だけに通じる話だが、『解読!…』カバー袖にあるウィリアム・ノエル氏とリヴェル・ネッツ氏の写真が、マット・ガードナーさんとボアズ・シュバルさんにそっくりなのには驚いた。

 と、ここまでで、感想はとりあえず終わりのはずだったのだが、いま、ストマキオンの図を写すさいに疑問が生じ、そこからさらなる発展があった、と話がつづく。
 作図上疑問になったのは、図左下の点Oである。『解読!…』の図10-1(331ページ)と図10-4(349ページ)などで、その位置が微妙に異なるのだ。ギリシア数学の図は、特殊な例に目がだまされないように、わざとずらして描くこともある概念の図だということを、この『解読!…』で初めて知ったのだが、この場合はそうもいかない。どこでずれたのかはわからないが、結論的には、点Oは線BCの延長と正方形の辺との交点だろうと納得した。そうすると、その点は一辺を三等分する点にもなって、美しいからである。
 しかし、これをあらためて描いてみると、板並べ遊びとしては、この分割は複雑すぎるような気がしてきた。この図にはなにかあるような気もするが(明白な黄金比などをざっと探したが、それはなかった)、パズルの美しさだけなら、分割は単純なほうがよい。
 思えば、わたしは、タングラムにも不満があった。ずっと昔、タングラムの本(たぶん絶版)を買って問題を解いたさい、それはちょうど折り紙設計を考え始めたころだが、いまひとつしっくりこなかったのである。それは、分割片のひとつ、平行四辺形への不満だったと記憶する。せめて菱形であれば、それは折鶴の基本形のシルエットであり、「折り紙的」なのにと。
 そこで、今回、新しい知恵の板を考えてみた。右下は、その「折り紙的知恵の板」の第一案(第二案があるかどうかはわからない)である。基本は、タングラムと清少納言知恵の板にならって、枚数は7枚(タングラムは8枚で、清少納言は7枚)にし、小さい正方形(これは造形でのポイントになることが多い)をいれた。試していないのでなんとも言えないが、ばらしたものを正方形化するだけでも、それなりのパズルのはずである。仮の命名は「菱持ち知恵の板」。「紫式部知恵の板」とか「和泉式部知恵の板」というのも、洒落としてはよいかもしれない。

書籍の寸法2009/02/28 23:02

『半日閑話』と『諸國紙名録』
書籍の寸法は横曲尺にて六寸ならは縦は曲尺の裏尺にて六寸とすべし、縦横とも裏表の尺にて同寸にすべし、外題は縦は書物の三分二横は六分一なり、書物に限らす縦横ある箱なとも裏表の尺にすれは恰好よろし。
(大田南畝『增訂半日閑話 巻之二十一』:1800年頃、『蜀山人全集第三巻』より)

 大工道具である曲尺(かねじゃく、さしがね:指矩)は、規矩術(きくじゅつ)という建築の計測・計算に使われる。その術のひとつの基本が、裏目の利用である。曲尺の裏目には丸目と角目の二種があり、角目の裏目は、表目の1.414倍でふってある。√2の近似値である。つまり、上記引用で、大田南畝(蜀山人)が述べているのは、書物の縦横の寸法を√2対1にせよ、ということなのである。紙の比率そのものではないが、紙の規格で√2を用いる提案の、最も古い文献資料と言える。この記述の存在は、紙の博物館の刊行物『百万塔』第61号に載った『紙の寸法規格とその経緯について』(小林清臣著 1985)という論文から知ったのだが、今回初めて原典にあたってみた、というわけである。(原典と言っても、活字化されたものだが。なお、そもそも『半日閑話』は後人の編集によるものだ)『半日閑話』は、数十年の長い期間に書かれたものだが、『書籍の寸法』を含む巻之二十一は、中に『寛政八年丙辰の頃江戸流行のもの』という項目があるので、寛政八・九年(1796,7年)の記述と思われる。

 近世日本には、暗黙の紙の規格があった。以前、『折り紙における相似性』という発表のために、『諸國紙名録』(1877)に載っている紙の比率を調べたことがあるが、それも1対√2に近い値であった。(ちなみに、「半紙」という規格は特別で、これの比率は1対1.25になる)
 現在の紙の規格は、1890年代に、ドイツの化学者・フリードリッヒ・オストワルト(1853-1932)が定めたものが基本となっているが、日本には慣習的な規格があり、それが1対√2に近かったのである。日本独自のB版というのもこれに基づいている。『半日閑話』は、こうしたことを裏付ける、ひとつの傍証である。

 それにしても、『半日閑話』の話題は、じつに多岐に渡っている。たとえば、巻之十二の「此頃薄暮頃におよびて東の方より南へ白き氣たなびく、人皆釈迦如來の後光さすといふ。孛星東北に見ゆる」などは、メシエC/1769P1彗星に関する記述と思われる。別項で「公にも天文家に御尋あり、京都にては七日御齋ありしとかや」とあるのが面白い。彗星の出現で、陰陽師の指導で物忌みをしたのだろう。
 以前『折紙散歩右往左往 知られざる出雲のおもかげ』(『折紙探偵団』105号)でも触れた、魚の干物などで三尊仏をつくった、見立ての見世物・「とんだ霊宝」に関する詳細も載っていた。18世紀末から19世紀初頭は、折り紙が隆盛した時期なので、折り紙に関する記述もあるのではないかと期待したが、それは見当たらなかった。しかし、南畝には著作も多いので、なにか見つかる可能性もある。いまわたしが住んでいる調布に関する『調布日記』という著作もあるので楽しみだ。多摩の話で言えば、今回借りてきた『蜀山人全集第三巻』にも『向岡閑話』や『玉川砂利』という本が収録されている。中之島(川崎区多摩区)や押立(府中市)にも紙漉きがあったとか、多摩川の梨は当時からあったのだとか、近所の散歩を楽しむさいの種になる話も多い。ということで、読みはまってしまった。

 写真は、『增訂半日閑話 巻之二十一』の挿絵(『蜀山人全集第三巻』1976)と、『諸國紙名録』の復刻本(1971)とその内容の一部。