「表裏同等卍立体」と卍の話2008/12/10 12:54

「表裏同等卍立体」他
 写真左上は、正方形一枚からの作品である。ふたつの直方体が交差したかたちともとれるが、卍と逆卍があわさったかたちともとれ、構造的には表裏同等なので、とりあえず、「表裏同等卍立体」と名付けた。なお、直方体の交差は、新たに四枚組でもつくってみた(写真右上)。
 卍と言えば、さきごろ出版された『卍・□の博物誌 第一部日本編』(□は逆向きの卍)という本がある。著者は、植村卍さんというかたで、珍しい名だが本名である。専門は、ユダヤ思想・倫理学・哲学で、上掲書執筆の動機は、もちろんその名前ゆえの関心の蓄積があるわけだが、1999年に起きた「ポケモンカード事件」、つまり、卍が描かれたポケットモンスターカードが北米で流通し、それが反ユダヤ的と抗議を受けた事件であると書かれていた。

 卍はきわめて幾何学的な記号である。基本記号と言えるかもしれない。そして、このかたち(スヴァスティカ)は、西洋や中近東でも幸運の印として使われてきたものである。ユダヤ教のシナゴーグ(礼拝所)でこの意匠が使われた例もあるという。ところが、紋章用語も使って言えば、赤地白抜丸に角立(すみたて:カドを下にする配置)右卍、つまりナチの鉤十字があまりにも有名になり、彼らのやったことがあまりにも恐るべきことだったため、西洋での卍のイメージは、拭いがたく汚れた忌避すべきものになってしまった。欧米のフォントからはこの記号は外されているし、ドイツでは、研究以外での使用は法的に禁止されているという。
 異文化や歴史的悲劇に対する配慮は重要である。無神経になってはいけない。おうおうにして、シンボルというものは想像以上の力を持つ。しかし、卍が寺院を表す意匠などとして一般的な東洋の人間としては、卍への忌避的感情を実感として想像するのは、やはり難しいところもある。この記号に敏感さを持つひとは、地図の寺院の記号などでもドキリとしてしまうのだろうか。さらには、紗綾形(さやがた)模様はどうなのだろう、と。これは、別名・卍繋ぎ紋というもので、卍と右卍が隠れているのだ(写真下:左下は近所の漆喰塀)。ドイツ人やユダヤ系のひとへ箱根細工や布ものを贈るときは、紗綾形模様は除外したほうが無難なのだろう。また、弘前市の市章のことも考えてしまう。それは、津軽氏の家紋を継いで卍なのである。弘前市がドイツの街と姉妹都市になるというケースはあっても不思議ではない。左卍で角立でもないから大丈夫なのだろうか、それを機会にお互いに異文化理解が必要だということを学ぶべきなのだろうか、などと、仮定を重ねたことながら気になってしまうのであった。