誤植4 明解と明快2008/12/05 21:36

まったく違う文章を書いていて、『本格折り紙』の誤植に気がついた。

69ページ「立ち姿の鶴」
誤:角度を規格化することは、作品を明解にする近道のひとつです。
正:角度を規格化することは、作品を明快にする近道のひとつです。
85ページ「馬」
誤:明解な構成ですが、基準のA点を見つけるのには、ちょっとした工夫が必要です。
正:明快な構成ですが、基準のA点を見つけるのには、ちょっとした工夫が必要です。

 わたしの頭にあったのはクリアという意味だが、いままで意識の上にあがらなかった間違いだった。ワープロが明快と変換していれば、それはそれで、そのままだったようにも思う。洒落の「洒」の字を、ずっと「酒(サケ)」という字だと思っていて、そうでないことを知ったときに愕然としたことなども思い出した。

 さて。
「明快」は「さっぱりして心持ちのよいこと。筋道が明らかですっきりしていること」(広辞苑 第五版)で、「明快な」というふうに形容動詞的にも使われる。論理メイカイも単純メイカイも「明快」である。
 一方、「明解」は「はっきりと解釈すること、明白にわかること」(広辞苑 第五版)である。
 これだけでは、それこそ「明白にはわからない」が、「明解」を「半解」や「正解」「詳解」に対応する単語と考えると、すこしわかりやすくなった。「明解」は、「解釈」や「解説」という範疇の中にある言葉なのである。つまり、「解釈」や「解説」は「明解」になるが、「作品」や「構成」は「明解」にはならない。さらに言えば、もともと「解釈」や「解説」という限定した意味をさらに限定した言葉なので、単語を限定するために使う形容動詞的な「明解な」という用法も、あまり適切ではない、と思われる。
 ただし、「明解」が「正解」や「詳解」に対応しきっているかというと、これにも疑問はある。「正解する」や「詳解する」という表現はあるが、「明解する」は聞いたことがないからだ。こうしたことは、「明解」の意味・用法に、「明快」のそれが浸食してきているためではないか、とも思う。じっさい、自らを棚にあげる口実ではないが、「明快」と「明解」の誤用・混同は広く見られる。快という文字が享楽的なものを連想させ、解のほうが理性的に思えるためかもしれない。
 なお、角度を規格化することで折り紙作品が明快になるのかどうか、わたしの「馬」の折り目の構成が明快かどうかは、読者の判断にまかせたい。

 それにしても、書籍をつくるということは、恥をかくことでもあるのを実感している。この国のいまの首相の読み間違いは度を越しているが、ひとのことは笑えない。