葛原勾当と太宰治2008/04/04 00:30

 箏曲家・葛原勾当(1812-1882)の折った折り紙作品が発見され、いま、岡村昌夫さんが調べている、とのことだ。
 葛原勾当に関しては、まったく知らなかったのだが、太宰治が『盲人独笑』でとりあげており、実に興味深いひとである。点字が一般化する以前、様々な盲人用の文字を考案したひとでもあり、その中には、紙の端を折ることで文字を表す「折紙文字」なるものもあるという。(折紙文字が葛原勾当の考案なのかは、詳細不明でした。4/4)(参考:国立民族学博物館企画展『さわる文字、さわる世界』
 蛇足ながら、勾当(こうとう)というのは、検校、別当、座頭といった、盲人の官名のひとつで、名前ではない。
 葛原勾当日記を、私に知らせてくれた人は、劇作家伊馬鵜平君である。(略)折紙細工に長じ、炬燵の中にて、弟子たちの習う琴の音を聴き正しつつ、鼠、雉、蟹、法師、海老など、むずかしき形をこっそり紙折って作り、それがまた不思議なほどに実体によく似ていた。
(『盲人独笑』 太宰治)

 わたしのかつての自己像は「理科系の文学青年」で、典型的というか、やっぱりそうですかというか、太宰をよく読んでいたのだが(読んでいながら、「安吾は好きだけれど、太宰はちょっと」とか言っていたところが、実にまあ、輪をかけてブンガクセーネンである。まあ、それはおいて)、『盲人独笑』はまったく記憶がないので、未読だったようだ。
 ちなみに、『陰火』という小説には、『紙の鶴」という一編があって、折鶴がでてくる。太宰の実家・津島家の家紋が鶴なので、「わたしは紙の鶴である」という暗喩なのだろう。
まずこの紙を対角線に沿うて二つに折って、それをまた二つに畳んで、こうやって袋を作って、それから、こちらの端を折って、これは翼、こちらの端を折って、これはくちばし、こういう工合いにひっぱって、ここのちいさい孔からぷっと息を吹きこむのである。これは、鶴。
(『陰火』 太宰治)

『折紙散歩』の脇道08.03 & 丸石神その162008/04/08 23:26

神鳥前川神社他
 先日発行された『折紙探偵団』108号掲載のエッセイ・『折紙散歩・右往左往』第6回『河川武蔵野線』に掲載できなかった関連写真を紹介する。

 『折紙散歩』自体が脇道化しているというか、今回は「鶴」を探していたのに、「鶴」や「折紙塚」の他に、石造物や丸石神に関連する物件にもいくつか遭遇した。丸石神その13−三段重ね道祖神もそうだったのだが、以下、それ以外のものを数点紹介したい。

 写真左上は、北新羽(きたにっぱ)杉山神社(横浜市港北区)の狛犬ならぬコマネズミである。コマネズミ(独楽鼠、高麗鼠)というとハツカネズミの変種のことになってしまうが、これは、まさにクルクル廻る「独楽鼠」で、台座が臼のようになっていて、願をかけながら回転する仕組みである。祭神がネズミと関係の深い大国主であるために、こうしたものがあるとのことだ。今年は子年なので、初詣では何回転もしたのだろう。

 写真右上は、丸石神を彷彿とさせる鶴見橋の橋台である。まあ、この手のは、よくある。

 写真下は、神鳥前川神社(しとどまえかわじんじゃ:横浜市青葉区)にある富士塚と、その前にある犬の像と子産石である。子産石は、新しい石もあって、最近も子を産んでいる(?)らしい。わたしは、子を産む石の伝承は丸石神信仰と関係が深いと確信している。つまり、これも一種の丸石神である。
 そして、今回この写真をあらためて見て、次のようなことを考えた。
 富士塚と子産石という取り合わせは、(この神鳥前川神社以外では見たことがないが、)先日見た丸石神その14の中富の丸石神と合わせて、図像学(イコノグラフィー)的に典型的と言えるのではないだろうか、と。
 丸石神その14では触れなかったが、写真を見ればわかるように、中富の丸石神は台座に扇が刻んである。一般に、扇は女性を象徴することが多い。このように台座に扇が刻んである丸石神も他では見たことはないのだが、扇が母で丸い石は子どもであるとの解釈が可能である。一方、富士塚であるが、富士というのは、逆さになった扇というべき形をしている。言うまでもなく、富士の神と言えば、女神・コノハナサクヤである。
 こうした図像学的な解釈が、こじつけなのか、信仰の背景にある法則性をある程度示しているのかはなんとも言えないが、図像や信仰の解釈における補助線を空想する楽しみがあるのはたしかだ。

信州伊那谷の春2008/04/15 22:13

伊那谷の春祭り
 先週末、岡村昌夫さんの紹介で、日本人形玩具学会のツアーに参加して、桜満開の長野県飯田市で、三百年の伝統がある人形浄瑠璃(写真左上)を観るなどしてきた。飯田は、以前、全国シェア70%の水引(紙でつくった飾り紐のことです。念のため)に関心を持って訪問したことがあるが、人形劇のまちとしても知られている。伝統の人形浄瑠璃だけではなく、『三国志』などで有名な川本喜八郎さんの人形美術館や、『宇宙船シリカ』などで知られる竹田人形座の竹田扇之助記念国際糸繰り人形館などがあり、夏には人形劇フェスタが開催される。
 ツアー参加者は、その川本喜八郎さん、吉徳資料室の小林すみ江さんらをはじめ、人形のプロが中心で、専門的な話の一端を聞くことができて楽しかった。
 人形関係者、民俗芸能関係者と重なるわたしの関心は、造形者のはしくれとしてより、民俗学的な方面が強いといえる。飯田市美術博物館学芸員の桜井さんも言っていたが、伊那谷は民俗芸能の宝庫なので、面白そうなものが多い。民俗学と言えば、飯田市には、世田谷区成城から移築した柳田國男邸の書斎(兵庫生まれだが、東京で旧飯田藩士柳田家の養子になった関係)もある。ここは、さすがに民俗学関係の本が揃っていた。

 竹田人形座の紋が折鶴(写真右上)だったのは、折鶴コレクターとして思いがけない巡り合わせだった。ただ、これは、伝統のものではなく、竹田扇之助さん曰く「わたしが考えたものです」とのことだった。
 ツアーに合流する前には、市の中心部からは離れた旧伊豆木小笠原家の書院も観てきた。小笠原流の折形の資料も少し期待していたのだが、それに関するものは見当たらなかった。ただ、三階菱の家紋だけではなく、欄間にも菱形の意匠があるなど、小笠原・武田の菱紋ということで、興味深いものがあった。
 なお、この書院に隣接する小笠原資料館は、金沢21世紀美術館などを設計していることで知られる妹島和世さんによる斬新な建築である(写真右中:金沢21世紀美術館は西沢立衛さんとの共作)。側面がほぼ全面ガラスの、逆S字のくねっとしたウイロウみたいな建物だ。妹島和世さんと言えば、うちの近くにも彼女の設計した物件があったのだが、つい最近、京王線の高架化工事で取り壊されてしまった。大きな丸い穴の空いた黒いモノリス(『2001年宇宙の旅』にでてくるアレ)といったおもむきだった調布駅北口の交番である。いまの交番は、臨時なのかもしれないが、変哲のない建物になっている。

 ツアーの最後、飯田市に隣接する高森町の瑠璃寺で、見事な桜の下、長さ10mほどもあって、ほとんどモスラだなこれは、という獅子舞(写真左下:後ろ姿)を観た。獅子の尻尾は縁起物ということで、妻がもらってきて玄関に飾ってある。大國魂神社の万灯とか、甲斐の道祖神祭りのオヤナギサンと似た、竹に紙花というかたちである。
 獅子舞と聞いて思い浮かぶのは、神楽の音色であり、仏教というより神道だが、ここは天台宗のお寺である。もっとも、天台宗と関係の深い日吉神社が同じ地所にあり、同神社の使いである猿(の面をかぶった者)が幣束を掲げて、露払いのように境内を歩く。神楽も当然あって、獅子の中で演奏される。つまり、神仏習合のままなのだ。どうやら、日本の文化大革命とでもいうべき明治の神仏分離・廃仏毀釈の暴風も、この山里にまでは及ばなかったようなのである。奥三河の花祭りや遠山の霜月祭りにも神仏ごちゃまぜのところがあり、そうした意味でも伊那谷や奥三河は民俗芸能の宝庫なのだろう。
 そして、瑠璃寺の駐車場で、折鶴の絵のついたバス(足柄観光:写真右下)を発見し、わーい折鶴だぁと、例によって、ほとんど誰にも伝わらない喜びかたをして、南信濃の春の日は暮れたのであった。

正方形の菓子2008/04/20 11:19

「方寸」と「薄氷」
 写真左と中は、竹風堂(長野県小布施市)の「方寸」。栗の風味があるので、かつては「栗落雁」という名だったそうだが、原材料に栗を使っていない(赤えんどう豆)ので、近年、この名に変えたという。箱の正方形の絵は、端が折り返しになっていて、折り紙を思わせる。このような折り返しを、英語では、犬の耳に見立ててdog earというらしい。しおり代わりの本のページの折り込みなどである。
 写真右は、五郎丸屋(富山県小矢部市)の「薄氷」。正方形をふたつに割ったかたちを、氷に見立てている。鋭角部分の角度は約72度だ。タングラム(板並べ)遊びをやりたくなる。
 いずれも渋い日本茶にぴったりの菓子だ。月世界本舗(富山市)の「月世界」も、直方体がふたつ合わさって、上から見ると正方形の包みになっている。これは、偏愛と言ってよいほど好きな菓子なのだが、直方体が1対1対2になっておらず、1対0.8対2ぐらいなのが惜しいなあと、どうでもいいようなことをいつも思う。…と、書いていたら、食べたくなってきた。

『Fortune Cookie Chronicles』2008/04/21 22:34

 日々の小さな偶然の積み重ねは、ほんとうに面白い。昨日、なんとなく菓子の話を書いたが、昨晩、それとはまったく関係なく、『本の雑誌』5月号の鏡明さんのエッセイを読んでいて、わたしの関心の真ん中にヒットする菓子に関連する新刊書籍が出ていることを知った。『Fortune Cookie Chronicles : Adventures in the World of Chinese Food』(Jennifer Lee 著 2008年3月刊)である。
 わたしのフォーチュンクッキー(アメリカの中華レストランで食事の最後に配られるおみくじのはいったクッキー)の「研究」は、5年前にさかのぼる。一昨年の「第4回折り紙の科学国際会議」では、それを一種の折り紙と見なし、その幾何学に関して発表した。なお、この会議の論文集は、予定ではすでに出版されているのだが、遅れに遅れて、どうなっているのか気になっている。…と、それはさておき、フォーチュンクッキーに関しては、幾何学のみならず、文化的・歴史的にも面白いものがある。たとえば、その起源が日本の辻占煎餅にあり、日系アメリカ人によって始められたらしい、という意外な事実もある。こうしたことに関しては、青木元さんや中町泰子さんの研究(『占い・厄除け・開運菓子』(虎屋文庫)、『異界万華鏡』(国立歴史民俗博物館)など)で知ったのだが、今回の本もなかなか中身が濃そうだ。「フォーチュンクッキー国際会議」も夢ではないかもしれない。

長野で2008/04/29 14:49

 父は、戦中、長野市内に住んでいた。わたしも長野県内の天文台の仕事をしている。そんな縁もあって、ここ数年、「信州おりがみ交流会」に、父と共に(というより、元気老人の父のお供みたいな感じで)参加している。今年はその日程が、世界中から注視されるオリンピックの聖火リレーと重なった。会場はリレールートに囲まれた中にあった。多数の警官、大きな五星紅旗を振りかざすひとたち、右翼の街宣車、そして、雪山獅子旗を掲げて声をあげるひとたち。わたしは、聖火リレーそのものにまったく興味はないが、チベットの現実にはこころがざわついた。

「折り紙とかたち」のブログなので、チベットと折り紙の話題を。 折紙探偵団掲示板から『霊峰の血』(エリオット・パティスン著 三川基好訳))
 紙の馬に関しては、その後もすこし調べたが、「ルンタ」(紙の馬:経文と馬を描いた紙や布)やそれに類するものに折り紙の技法が使われたものがあるという事実は見当たらない。作者の創作かもしれない。