十一角形と五角形 ― 2007/11/18 13:44
十一角形というかたちは、七角形以上に珍しく、綾辻行人さんの小説にでてきた以外、記憶がない。十一という数字では十一面観音もあるが、これは1+3+3+3+1で、幾何学的なものとは言い難い。
なお、この硬貨が十一角形であることは、不覚にも、帰りの飛行機で気がついた。十二角形のような気がしていたのである。
バンクバーのイングリッシュベイビーチのイヌクシュクの近くには、珍しい正五角形の建物があった。写真右上の右端の建物で、108度をなすウィンドウ(写真左下)からも確認できるが、GoogleMapで見るとよくわかる。
また、アメリカやカナダでは、消火栓のボルトは正五角形である。ふつうのスパナで簡単に開けられないためだという。(写真は以前、アメリカで撮ったもの)
<追記> 十一角形はほとんど記憶がないと書いたが、ごく最近、十一角形の話を読んでいたのを忘れていた。今年七月に出た『江戸の<かたち>を歩く』(宮崎興二著)に、日光大猷院(たいゆういん)にあるオランダから贈られた十一角形の鉄製の灯籠が紹介されている。(11/19 22:22)
白旗神社 ― 2007/11/22 01:26
昨日あらためて見てきたが、これは、じつにイヌクシュク的な造形センスの構造物である。(ふたつ並んでいるので、イヌクシュクではなく、複数形(ふたつ)のイヌクスークと呼ぶべきか?)
まったく神社らしくない神社、あるいは、古代の神社はかくあったかと思わせるかたちとも言える。かなり珍しいもののようだ。貴重な文化財で、今では周辺も整備され、大泉村(現在、大泉村は北杜市の一部)の案内板もあるが、十何年前こちらに来るようなったころには、すぐ近くに廃車が投棄されていたのを覚えている。
伝承では、甲斐源氏・逸見四郎有義(?-1200)が、巨石の下に白旗などを埋め、それゆえ白旗神社なる社名であるとされる。しかし、そもそもはもっと古いもので、道祖神的な意味もあったのかもしれない、と空想してみたくなる。ふたつ並んでいるので双体道祖神(信州に多い男女の像の道祖神)だ。もっとも、五層になっているその構成を見れば、中世・近世以降に多く造られるようになった多層の石塔を、自然石で模したと考えるほうが妥当なのだろう。なお、岩の前にある石祠は、江戸中期・宝暦年間のものであるとのことだ。岩の周囲をたたくと太鼓のような音がするという話もあることから、内部に石室のような空洞があるのかもしれず、来歴もまた「多層」であることも想像させる。
まあ、そうしたことを除外しても、この造形は、丸石神とは違うセンスだが、アートである。かっこいい。
ちなみに、周辺には石に関係する地名が並ぶ。石堂と姥神である。(『石神問答』に、姥神が石神に関係することが多い旨が記されている) わたしの山荘も石堂地区にあり、庭を掘るとすぐに大小の岩や礫にあたる。列石、積石などの石造物をつくる材料には事欠かない土地なのである。姥神と石堂には縄文の遺跡もある。
ここで、山と里の境界を考えてみる。八ケ岳の南麓は同じようなスロープがずっと続くので、境界はほとんど標高だけで決まるようなところがある。その境は1000m前後だろう。近世以前の里は姥神集落(標高900mぐらい)のあたりが一番上になる。白旗神社は、ここから先は山であることを示すように、その境界あたりに建っている。
丸石神その8 ― 2007/11/23 21:58
写真中央と右の「バボちゃん」は丸石神ではなく、多磨霊園近くの墓石屋さんにあった球形の墓石と、調布市役所前のモニュメント『平和の塔』(作者不明)である。最近、丸いものと石造物が気になってしょうがない。
折紙探偵団名古屋コンベンション ― 2007/11/25 00:55
講習や展示やゲスト(デビッド・ブリルさん)の話題を差し置いてこれかよ、と、わたしもそう思うけれど、やっぱりこれだ!
「たらこキューピーがおれるおりがみ」という商品があることがまず驚きだが、これをネタにしたひとたち(「折り紙新世代」(若手創作家)の面々)の芸風もみごと。
丸石神その9−『暗黒神話』 ― 2007/11/29 23:27
なお、上記引用にある「静岡県 敷島町」というのは、意図的なものかもしれないが、じっさいには存在しないし、したこともない。静岡ではなく、甲府の西に位置し、平成の大合併で甲斐市の一部になった、山梨県敷島町の誤りと思われる。ちなみに、『静岡県の道祖神』(松田香代子著)(『やまなしの道祖神祭り』図録 所収)というコラムよると、静岡には、伊豆に単体座像、駿河・富士西麓に双体像・文字碑などの道祖神が見られるが、丸石や石祠道祖神はまったくといってよいほどないという。甲斐以外で丸石神が見られるのは、『丸石神 庶民のなかに生きる神のかたち』(丸石神調査グループ編 )にもあるように、伊勢、熊野などである。
と、重箱のスミをつついたが、諸星マンガは面白い。一般の伝奇ものの小説などの中には、背景にオカルトビリーバー(信者)の熱気を感じて目まいがするものもあるが、諸星マンガは、確信的な荒唐無稽の遊びごころで織り上げられた物語なので、安心して(?)楽しめる。
イアン・ランキン ― 2007/11/29 23:32
なぜリーバスはいつも頭があんなに回るんだろう? いつも妙な角度から事件に迫るそのやり口は、一見でたらめに紙を切ったり、紙を折ったりしているうちにできあがる、鮮やかに特徴を捉えた繊細な切り紙細工か、折り紙細工を見ているようだ。(『縛り首が多いほど』(A Good Hanging) Ian Rankin著 延原泰子訳)
比喩として折り紙の一典型、すなわち「ある種のマジックとしての折り紙」である。
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