白旗神社 ― 2007/11/22 01:26
昨日あらためて見てきたが、これは、じつにイヌクシュク的な造形センスの構造物である。(ふたつ並んでいるので、イヌクシュクではなく、複数形(ふたつ)のイヌクスークと呼ぶべきか?)
まったく神社らしくない神社、あるいは、古代の神社はかくあったかと思わせるかたちとも言える。かなり珍しいもののようだ。貴重な文化財で、今では周辺も整備され、大泉村(現在、大泉村は北杜市の一部)の案内板もあるが、十何年前こちらに来るようなったころには、すぐ近くに廃車が投棄されていたのを覚えている。
伝承では、甲斐源氏・逸見四郎有義(?-1200)が、巨石の下に白旗などを埋め、それゆえ白旗神社なる社名であるとされる。しかし、そもそもはもっと古いもので、道祖神的な意味もあったのかもしれない、と空想してみたくなる。ふたつ並んでいるので双体道祖神(信州に多い男女の像の道祖神)だ。もっとも、五層になっているその構成を見れば、中世・近世以降に多く造られるようになった多層の石塔を、自然石で模したと考えるほうが妥当なのだろう。なお、岩の前にある石祠は、江戸中期・宝暦年間のものであるとのことだ。岩の周囲をたたくと太鼓のような音がするという話もあることから、内部に石室のような空洞があるのかもしれず、来歴もまた「多層」であることも想像させる。
まあ、そうしたことを除外しても、この造形は、丸石神とは違うセンスだが、アートである。かっこいい。
ちなみに、周辺には石に関係する地名が並ぶ。石堂と姥神である。(『石神問答』に、姥神が石神に関係することが多い旨が記されている) わたしの山荘も石堂地区にあり、庭を掘るとすぐに大小の岩や礫にあたる。列石、積石などの石造物をつくる材料には事欠かない土地なのである。姥神と石堂には縄文の遺跡もある。
ここで、山と里の境界を考えてみる。八ケ岳の南麓は同じようなスロープがずっと続くので、境界はほとんど標高だけで決まるようなところがある。その境は1000m前後だろう。近世以前の里は姥神集落(標高900mぐらい)のあたりが一番上になる。白旗神社は、ここから先は山であることを示すように、その境界あたりに建っている。
コメント
_ (未記入) ― 2008/04/26 22:33
_ maekawa ― 2008/04/27 23:05
なお、北杜市大泉町は、冬は厳しいですが、よいところです。
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源に関係してるのでしょうか?